命の言葉

Facebookおっちゃん、おばちゃんのゆるゆる倶楽部さん投稿記事

3年前から各地の少年院で講演活動を行っているゴルゴ松本さん。

”漢字”を使った真剣な授業が感動的です。

ゴルゴ松本の「少年院での魂の授業」

辛いことがあった時、人はグチをこぼす。マイナスな言葉、弱音を吐く。

「吐」という字は、口へんにプラスマイナス。嫌なことは吐き出していい。

でも、そこから成功する人、夢を実現する人は少しずつ変化していく。

弱音は吐かない。ボジティブなことだけを言うようにする。

マイナスな事を取っていくと夢は「叶」う。

自分の思っていた到達点に少し足りないと思ったら、軌道修正しながら、最終的な目標は変えない。

紆余曲折しながら、遠回りしながら、ここまで行けばいい。これは危険だと思ったら回避する。危険だと思ったら、逃げていい。「逃」は、しんにょうに兆し。

そして、また時間をおいて、しんにょうを手ヘンに変えて「挑」挑戦するんだ。

「幸」と「辛」

幸せでも、何かが欠けたら辛くなる辛くても、何かが加われば幸いになる

「苦」「困」「災」に「難」を加えると「苦難」「困難」「災難」こういうことが起こると不幸だと考えてしまう。「難」が無い人生を「無難」という。

無難な人生なんてありえない。だから、「難」が有る人生。「有」「難」と書いて「有難」し。「命」は、人を一叩き(ひとたたき)と書く。

殴ったり蹴ったり、人を痛めつけることで命を感じる。これは大間違い。

寝てる時、無意識の時、今も叩き続けている心臓。心臓の一叩きの連続が命。

その命を命懸けで産んだのはお母さん。女性です。命の始まりは女なんです。

「女」が土「台」となって「始」まりとなる。俺ら男は、女の人を粗末にしちゃ絶対ダメなんだ。

君らを産んだお母さんは命懸けで君らを産んだんだ。それは間違いない。

命懸けで産んだものが命なんだ。人間はそれを何度も繰り返してきた。

ここからは、皆が命を繋げていく。ここから出たら、命を広げて行ってください。

心に響いたら、感動の輪を広げていってください。実際の講演映像はこちらからどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=W6RX-dbFOfY

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/baionnsyoumyou.htm 【倍音声明】


https://note.com/imaoemiko/n/ncf2d4d043288 【俳句は短いからこそ、人の心を動かすことができる ~俳人 山本ふぢなさんに聴く】より

俳句は、世界で最も短い文学であり、無限の宇宙でもある。一目で捉えられるほど小さいのに、全貌を掴むことは難しい。そんな不思議な世界を、そこに住む方々(俳人)の視点で旅してみる。俳人はどのように俳句を捉え、向き合っているのか。なぜ、どのように俳句を作るのか。第1回目は、俳人 山本ふぢなさんにお話を聞きました。

本名:山本公美子

経歴:作句歴19年

・第12回角川全国俳句大賞 角川文化振興財団賞(題詠部門)受賞

「地祭の竹あをあをと五月かな」

・平成27年「若葉」艸魚賞受賞(新人賞)

旅の始まり

ーーどんなきっかけで、俳句を始めたのですか?

19年前の8月、大学の先輩に誘われて母校の句会に参加しました。そこで初めて作った句で、先生お二方(※)の特選をいただいたんです。

(※)上智大学名誉教授、日本伝統俳句協会副会長の大輪靖宏先生と、「若葉」主宰の鈴木貞雄先生。

普段は、嫁や妻や母として生活している自分が、「山本公美子」という自分の名で名乗り(後に俳号を「ふぢな」とする)、表現できることに惹かれたのだと思います。それ以来、成績が良いと悦に入り、悪いと「次こそは」と巻き返しを誓ううちに、今日まで続いてきました。

(注)その時の句が「塀越しに虫取り網の二つゆく」。家の中から見えた風景をそのまま詠んだのだという。塀の向こうにいる楽しそうな子供の姿、その表情、そして二人の頭上に広がる夏の空までがありありと思い浮かぶ。

落ちている俳句を拾う

ーー普段、どのように俳句を作られているのですか?

「落ちている」俳句を拾ってスマホに入力、休憩や就寝時に推敲します。

ーーどこに落ちているんですか?!

「拾った!」と思う瞬間があるんです。ついこの前も、電車の中で。乗っていた高校生が高齢の女性に席を譲ったんです。すると、その直後に、今度はその女性が妊婦さんらしき方に席を譲った。その時に「拾った!」と感じました。そしてできた句がこれです。(角川『俳句』2020年8月号掲載)

さわやかに譲られし席また譲る

角川全国俳句大賞の受賞作「地祭の竹あをあをと五月かな」も、ごみ捨ての帰りに「拾った」んです。裏の家がなくなって、地鎮祭の竹が立っていた。「真っ青な竹だな」と思って。あ、拾った、と。そしてすぐスマホに入れる。忘れちゃうので(笑)以前は、電子レンジの上にノートを置いて書きつけていました。染みだらけのノートが9冊になりました。

「私」の俳句を求めて

ーー俳句は、次から次に拾えるのですか?

心を揺らさないと拾えないですね。普段見ている道やバスも、普段とは違うものとして見る。「あ、芙蓉が咲いている」だけではなくて、そこから亡くなった母を想像するな、とか。泣いている人がいたら「何があったんだろう」と心を寄せてみる。赤い花を見たら、「この赤はどんな赤かな。強い赤?悲しい赤?恋の色?死の色?何に似ている?」と思いを巡らせる。

反対に、心が元気じゃなかったり、疲れているとアンテナが立たなくて、発見は減りますね。

それから、俳句を始めた頃は、毎日のように何を見てもガンガンできました。でも今は、すぐに「これは月並みだな」とか「よくありそうだな」とか「ただの説明だな」とか、自分で選別してしまうので、なかなか拾いにくくなりました。

ーー逆に言うと、俳句を作るときに「月並みでない」「普通でない」ことを大事にしている、ということでしょうか。

そうですね。人と違っていること、いわば天邪鬼でいることを大事にしています。たとえば、ある季語を使おうとするとき、真っ先に「当たり前は何だろう?」と考えます。たとえば「朝顔」という季語だったら、「子供」とか「早起き」は当たり前なので外す、とか。

そういう意味でも、自分の句が、先生や玄人に選ばれることは大事だと思っています。これまで数多の句を見てこられた方にとっても、なお「他にない」「平凡じゃない」ということだから。

と同時に、高校生のような若い方や、まったく経験のない方の琴線に触れるのかも大事だと思っています。「なんか、わかる」「いいな」と思ってもらえるかどうかに関心があります。

でもやっぱり最後は、自分の作品を自分で信じること。自分を信じることですね。

ーーお話を伺って、ふぢなさんは、俳句には「自分」が投影されるという感覚を強くお持ちという印象を持ちました。

俳句の魅力の一つは、俳句に人柄が出ること、今の「私」を投影することだと思います。だから、どうしたら他とは違うオリジナルな視点を持てるのか、「私」ならではの感性で表現できるのか、それを常に探しているように思います。そういう句じゃないと選ばれないしね(笑)

そして、世間に向かって「私ここにいます、こんなことを感じています」と発信して共感を得られたら素敵だなと思います。

ーー「人と違うこと」と「共感を得ること」は、一見すると相反するようにも思えます。その二つを、どう両立させるのでしょうか?

やっぱり、季語の働きが大きいでしょうね。俳句は17音しかないので、季語の役割が大きくなります。それだけで背景がバーンとできる。そこに共有される本質的なイメージをちゃんと理解して活かしていないと、説得力が生まれないし、共通認識が生まれないですね。

季語の働きを活かしながら、自分のユニークな視点を組み合わせる。そこに、人の共感を得つつ、自分のオリジナルな世界ができあがると思うんです。

人を、楽しく丸い気持ちにさせたい

ーーふぢなさんの考える良い俳句は、どんなものですか?

やっぱり、人の心を動かすのが良い俳句だと思っています。共鳴というか、共振というか。じんわりと、悲しいとか嬉しいとか、感情が人の心に届いて動かすもの。

ーーそれが、なぜたった17音でできるのか、不思議でたまりません。

短いからでしょうね。短くて、言い尽くせないから。「あとは任せたよ」という文芸じゃないですか。散文のようにすべてを語らない。だから読み手が勝手に想像して膨らませる。それが共感を生むのだと思います。

ーー「短いのに」ではなくて「短いから」人の心を動かすんですね。目から鱗です。他に、俳句にどんな魅力を感じていますか?

たくさんありますが、人生の喜怒哀楽を第三者の視点で眺めることで、簡単に流されなくなる、ということ。これまでの両親の死や姑の介護なども、俳人として客観的に眺める自分がいたから乗り越えることができたように思います。

それから、行事や仕事、子供の成長などの大切な思い出を17音で残すと、写真より豊かに記憶できて、その時の気持ちを思い出せる日記にもなります。旅先で作った句には、その時の感動が凝縮しているから、後で読むと瞬時にその場所に戻れる気がしますね。

ーーそんな風にして、19年間を俳句とともに歩まれてきたんですね。この先は、どんな句を作っていきたいですか?

人を楽しく丸い気持ちにさせる句を作っていきたいです。

こんなに悲しいの、苦しいの、という表現よりも、大丈夫だよ、という表現。それが自分の持ち味だと思っています。どこか前向きな句の方が他の人の共感を得やすいことも、経験的にも感じています。悲しいことや辛いことがあっても、楽しくいようよ。そんな句を作っていきたいですね。

おわりに

俳句の創作活動に加えて、俳句の伝統を支える活動にも、大きく尽力されているふぢなさん。数多くの場を切り盛りしながら、独特のユーモアでその場を盛り上げてくださいます。

そして何より、人が好き。ふぢなさんの俳句は、人への関心から生まれ、また人に届いていく。人間のダメなところ、弱いところ、悲哀を受け止めながら、それをどこか可笑しみのある、くすりとした笑いに変えてしまう。そんな「『人』への愛情」に溢れたふぢなさんの句を改めて味わいながら、最初の旅を終えようと思います。


Facebook小名木善行さん投稿記事

日本をかっこよく

今日のねずブロは《日本語と世界の言語の歴史を論理的に紐解く》です。

初期の言語は無声化音(子音)がなく、母音だけであったと考えられます。それが長い歳月と地域差の中で、子音が生まれ、次第にそれぞれの地域や民族に合った形となることで、世界の言語がバラバラになっていったとするならば、元々の言語はどこにあったのか。もしかすると、古代の知恵をそのまま残す日本語の中に、人類の始祖からの言語の形態が温存されているのかもしれないということになるのです。

続きはブログで

https://nezu3344.com/blog-entry-5654.html 【日本語と世界の言語の歴史を論理的に紐解いてみる】より

有名なシンガーソングライターの谷村新司さんの曲は世界中の言語に翻訳されて歌われています。

その関係から世界中の音楽祭等に招かれて、そこで現地の人の言葉で歌われる「昴(すばる)」や、「群青」、「いい日旅立ち」などを聴き、またご自身でも歌われるのだそうです。

こうした経験を経て、氏が「あらためて日本語の美しさを感じた」と述べられたことがあります。

 実は日本語は、とても美しい言語です。

美しいだけでなく、世界中の言語と互換性を持つ包容力があり、世界中の言語や文化を日本語の中に取り入れることができます。

 このことについてこれまでは、「日本列島はユーラシア大陸の東の果てに有る。文明は西から東へと流れ、海を渡って日本にやってくる。けれどその先はもはや太平洋である。それ以上先へ進むことができないから、気がつけばなんとなくこの日本列島で人々が同化し、日本人を形成していった」といった具合に説明されていました。

あるいはもうすこし過激なものになると、「日本列島にはそもそも文化も言語も存在せず、野生の猿同然の暮らししかなかったところへ、チャイナからコリアを経由して文明がもたらされ、日本文化は、チャイナ・コリアの模倣文化として形成されたのだ」などといった説もあります。多くの教科書は、後者の説をとっているようです。

 けれど、少し考えたら誰にでもわかることですが、古代において我が国で数多く作られた古墳はチャイナに存在しません。日本の古墳は2世紀から形成されますが、コリアの古墳4世紀のものです。

 チャイナに高度な文明が花咲いたといいますが、世界最古の土器や漆器は、日本で見つかっています。

日本文明は、およそ3万8千年前からずっと継続していて、時代ごとの変遷を現代までたどることができますが、コリア半島には、いまから1万2千年前から7千年前まで人が住んだ痕跡を示す遺跡がありません。

 日本は3千年前から鉄器を用いていますが、日本で作られた鉄器は、鍬や鎌などの農機具ばかりです。ところがこれが大陸に渡ると、武器として使用されるようになりました。

 人々が生きるための生活道具が、人を殺す武器になる。これは民族性といえることかもしれません。

 ちなみに武器と凶器は異なります。最初から人を殺傷する目的で作られるのが武器、他の生活用品として用いられているものが、たまたま殺人に用いられると、これを凶器と呼びます。

 そしてこのあたりが、西洋やチャイナの歴史観と、日本の歴史を考えるときの、実は大きな違いになります。

 このことは西洋がわかりやすのですが、西洋の科学技術は、基本、軍事力の強化のために開発され、発展したものといわれています。(もちろんそうでないものもありますけれど、全体に、その傾向があるという話です。)このことは東洋史も同じで、技術は、農機具や人々の生活用品の工夫や開発が主軸ではありません。すべて軍事技術が基になっています。

 ところが日本では、軍事技術よりも、人々の民生品として技術が発達しています。たとえば鉄器は、もちろん刀剣にもなっていますが、それはずっと後の時代の話。もともとは鋤や鍬、鍋や釜などに用いるために開発されました。その伝統を引き継ぐものに南部鉄器や、精巧な大工道具があります。

 こうした文化的伝統は、実はいまも続いていて、世界最先端の半導体を、海外の大国諸国は、ことごとくこれを軍事に用いますが、日本では、NASAより進んだ超最先端の半導体が、プレステなどのゲーム機に使われ、人々の楽しみに貢献しています。

 こうした文化の違いは、言葉そのものにも現れています。

 西洋においても、中世までは言葉や文字はそのまま魔力を持つものとされ、魔法は呪文で行われるし、文字も、もともとは呪術道具として用いられてきました。このため文字や言葉を操る者は、そのまま魔術師や魔法使いと呼ばれ、そこから魔女狩りなどというものも派手に行われています。同じことは東洋にもあり、方士(ほうし)と呼ばれる人たちは、仙術を用いて敵を籠絡するものとされてきました。

 ところが日本では、西洋や東洋がまだ中世社会であった千年前に、紫式部のような女流文筆家が登場し、さらに8世紀に成立した万葉集では、一般庶民のおじさんやおばさん、娘さんや息子さんたちが、歌を詠み、それを文字にしたりしています。そしてそれらは、人々の楽しみや、よりよく生きるための学びとして用いられてきました。

 シェパートといえば、警察犬としての活躍が有名ですが、あるブリーダーさんによると、米国で生まれたシェパードで、訓練士の言うことをまったく聞かず、とにかく性格が悪くて乱暴者のシェパードが、いらない犬だからということで、日本に送られて来るのだそうです。

 ところがそんなシェパードが、日本で暮らして半年も経つと、どの子も実にあたたかで思いやりがあり、訓練士の言うことをよく聞く良犬になってしまうのだそうです。そのブリーダーさんは、「これはおそらく日本語が持つ特殊性にあるのではないか」と述べておいでになりました。

 日本語は、世界的に孤立した特殊な言語なのだという説があります。日本語は撞着語といって、名詞や動詞を「てにをは」でつなぐ言語であり、また語順も「SOV型」で特殊な言語だと言われます。Sは(主語)、 Vが(動詞)、 Oが(目的語)ですが、この語順が英語は「SVO型」、日本語は「SOV型」であり、世界の中で孤立した言語だというのです。

 まず言語の発達を考えてみます。

 はじめに猿人から進化したばかりの人類の初期の頃の言語は、「あ〜」とか「う〜」とかいった母音だけの原始的なものであったであろうと考えられています。

上を向いて青い広大な空を見上げて声を発すれば、自然に「あ」の音が声に出まし、誰かに声をかけようとすれば、自然と話しかけようとすれば、「なあ、なあ」という声が出ます。

これらは人類の喉の構造から、自然にそうなってしまいます。

そこから日本語ですと、「あ」は広大な天であり、その広大な天の中に生きる自分という意味で、古語の一人称が「吾(あ)」となります。

また人に話しかけるときの「なあ、なあ」が転じて、二人称が「汝(な)」となりました。

自分が「あ」、相手が「な」で、「あ」と「な」がようやく出会うと「ふ〜」とため息が出て、そこから誰かと誰かの出会いが「あ」が「ふ〜」で、「あふ」となります。

こうして単語が生まれ、単語がさらに組み合わさって、複雑な言語が形成されていきます。

 そうすると、最初に誕生した単語の多くは、名詞や動詞であり、それらをつなぎ合わせることで、言語が形成されていったと考えられます。つまり人類の始祖の言語は、撞着語であった可能性が高いといえるのです。そしてこのことは、西洋における最古の文明といわれる古代シュメール文明の言葉が、日本語と同じ撞着語であったことによって証明されています。

 ところが言語というものは、長い歳月の間に省略化という現象が起きるものです。最近の日本語でも、たとえば「教(おそ)わった」という言葉は、いつの間にか短縮されて「おさった」に変わったりしています。

ローマ字で書くと OSOWATTA(おそわった) OS ATTA(おさった)で、ここでは「OW」が省かれています。

 またあるいは、アニメや漫画がお好きな方なら、「ふざけんな!」という言葉が、「ざけんな」となったり、軍隊の号令の「撃て〜!」が省略されて「て〜!」となったりすることは、皆様御存知の通りです。これらを総称して言語の「無声化」と言います。母音が無声子音に挟まれたり文末に来たりすると、声帯の振動がなくなって、母音が聞こえなくなる現象が起こるのですが、そうすると、徐々に無声部分が言語から省かれて、異なる言葉になっていく、というわけです。

たとえば「洋服(ようふく)」は、「ふ」が無声化して、「よう〜く」のように聞こえます。わかりやすいのが文末で、「〜です」、「〜ます」の「す」も無声化して「です(DESU)」が「DES」へと変化します。方言でも、「わかりました。そのようにいたします」が、「わかりゃた。そのようしまっ」なんて変化するわけです。これらは無声化したものが、ついには省略されてしまっているわけです。

 つまり言語の発生、単語の生成と、言語化による無声化現象を考えてみると、もしかすると撞着語の方が歴史が古いのかもしれないという仮説が成り立ちます。実際、諸国の言語は、「Know」のように先頭の子音が無声化したり、末尾の母音が省略されて単語の末尾が子音で終わるものがたくさんあります。無声化したもの、つまり聞こえない音が言語になることはありませんから、それらはもともとは、しっかりと全部が発声されていたのに、長い歳月と、地域の移動によって、次第に無声化したものが定着して、別な言語になってしまったと考えられるわけです。

 実は語順も同じで、文法上は、たとえば日本語では「私は(S)、東京に(O)、行きます(V)」のように「SOV型」で書かれますけれど、日常会話では、「行くぜ(V)、東京に(O)、俺(S)」のように「VOS型」になることもあれば、「行くぜ(V)、俺(S)、東京(O)」のような「VSO型」にもなり、「俺(S)、行くぜ(V)、東京(O)」のような「SVO型」になることもあるわけです。

 英語においても、文法的には「I am going to Tokyo.」ですが、実際の会話では「Go to Tokyo,I」となったり、「Go I Tokyo」になったりもします。

 要するに話し言葉であれば、身振り手振りも加わりますので、どの国の言語でも、語順はかなり適当であるわけです。

 また、軍事を中心とする言語であれば、「いつ」は非情に重要な事柄になります。ですから言語内に時制が入るのは、これは必要から生まれます。一方日本は平和ですから、言語に時制を求めません。そうした社会的背景もまた、言語に影響を与えていくわけです。

 要するに、初期の言語は無声化音がなく、それが長い歳月と地域差の中で、次第にそれぞれの地域や民族に合った形となることで、世界の言語がバラバラになっていったとするならば、元々の言語はどこにあったのか、ということが議論になります。そしてそれはもしかすると、古代の知恵をそのまま残す日本語の中に、人類の始祖からの言語の形態が、もしかするとまるごと温存されているのかもしれません。

 さらにいうと文字についても、日本の神代文字は、世界中の古代文字(ヒエログリフ)と共通であったりします。筆者には読めませんが、神代文字をご専門に研究されている方は、世界中の古代文字で書かれた文がちゃんと解読できるのだとか。

 タイムマシンでもない限り、実際はどうであったのかはわからないことですが、7300年前のアカホヤの大噴火のときに、日本列島から多くの人々が世界各国へと流れ出したこと、ちょうどそれと時を同じくしてシュメール文明が起こり、またチャイナにおいては長江文明が起きていることなどを考えますと、これまたもしかすると日本は、世界の文明の基礎を築いた国であった、といえるのかもしれません。

 ちなみに何万年も前や、アカホヤが噴火したときの7300年前のことは、タイムマシンでもない限り、誰も行くことができないのですから、これらはあくまで考古学的証拠やDNAの解析等から、文化の流れを論理的な整合性があるように推理していくほかないわけです。従って現時点では「こうなのだ!」と決めつけるのではなく、あくまで仮説として事実に基づいて過去に起きたことを論理的に考え、再現していくしかないわけです。これはほとんど犯罪の科学捜査に似ていることということもできます。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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