夏至

Facebook清水 友邦さん投稿記事

夏至ましておめでとうございます。

2023年6月21日は1年で太陽が最も高く上がる夏至の日です。秋田県大湯ストーンサークルで朝日を迎えています。

夏が終わると植物は枯れて朽ち果て、死をイメージする冬がやって来ます。

そして春には再び新芽がふき、植物はよみがえります。

古代の人々は、死と再生を繰り返し、豊かな実りをもたらす大地の女神に、畏怖の念を持ち祈りを捧げました。

夏至の日は異界の扉が開き、妖精や魔女が現れる神話のもとになっています。

ヨーロッパでは、魔女が自然の力を得る重要な儀式「サバト」の日でもあります。

先住民族は、太陽のリズムである冬至・春分・夏至・秋分を、特別に重要な日として祈りを捧げる儀式をおこなっていました。

間の体の経絡と同様な大地の経絡を、西欧ではレイ・ライン、アボリジニはソングライン、中国では龍脈と呼んでいます。

そして、大地の経穴にあたるのが聖地です。

日本では、エネルギーが充電される場所をイヤシロチと呼んでいます。

古代遺跡の地下は、断層のところが多く放射線と磁気異常を示していて、通常の場所とはエネルギー環境が大きく異なっています。

霊的な力を持った古代の聖地でシャーマンは、イニシエーションをして精霊を呼び出したり、メッセージやヴィジョンを受け取ったりしました。

先住民のアボリジニは、延々と続く砂漠の道を地図もコンパスもなく、道に迷う事なく目的地にたどり着きます。

丸一日知らない道を、5~6歳の子どもが歩いても、迷わず自分の村に帰ると報告されています。

現代人は退化してしまいましたが、先住民と渡り鳥の驚異的な方向定位能力は地磁気を鋭くキャッチする鋭敏な知覚を持っていることを示しています。

人間の脳細胞には、地磁気に同調するマグネタイトが組み込まれていて、半導体のようにエネルギーを伝達します。

その波動により、おのおの場には異なる電圧と電流の方向性が生じ、膨大な情報がコード化されます。

この波のようにうねるエネルギーの場は生命体をその環境と結びつけています。

聖なる場所では、岩石の結晶構造の組み合わせと、太陽と月惑星の位置によって、場のエネルギーの増減が起きるようになっています。

特別な聖地で瞑想をすると、無意識の中から深い感情が湧き上がり、強い高揚感とリラックスが同時に起きてきます。

聖地は、自我の境界が溶けだす変性意識状がおきやすいのです。

大地のエネルギーが充電されることにより、意識の底に眠っていた母なる地球の記憶が活性化します。

ワイオミング州のビッグホーン山脈にあるメディスン・ホイールは、円周上の六つの石のうち二つの石は夏至の日の出と日没の場所を示しています。

そして他の位置にある石は、それぞれ牡牛座のアルデバラン星、オリオン座のリゲル星、シリウス星を示していました。

ニューメキシコ州チャコ・キャニオンにある岩壁のらせん状に彫られた絵は太陽の光が正確に夏至の日を示します。

アメリカ先住民のラコタ族は夏至の時期に聖なる山で太陽をたたえる舞踏を行なってきました。

アイルランドの新石器時代の遺跡は重要な日に太陽の光がレーザー光線のように入り口から石室の壁を正確に照らします。

ストーンヘンジでは夏至の日に、 ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ります。

日本のストーンサークルも夏至の日の出と日没の方向に石が置かれていました。

夏至の日に古代インカの遺跡やアイルランドの石室の中で、ヒゲを生やして長く白いローブを身にまとって白い光を放った人々が現れ、その真ん中で一人の女性が横たわっているヴィジョンを見た人がいます。

太陽の力が強くなる特別な日になると、シャーマンは聖なる場所で歌い踊って変性意識状態に入りました。

魂の旅で神々や精霊と出会い無限の光に溶け込み、古い自分が死んで新しい自分に生まれ変わったのです。

それが古代のイニシエーションでした。

人間と母なる地球は特別な力で繋がっています。

「おれたちは、母親の胎内にいるような感じで地球を感じている。だから、肝心の地球の具合が悪くなったり、汚染されたりすれば、健康でなんかいられなくなる。自分の体を癒したいなら、地球を癒さなきゃだめなんだよ。逆にいえば、地球を癒したいなら、自分自身を癒さなきゃだめなんだ」アボリジニ呪医


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今日は夏至!2023年夏至の太陽は、強烈な変容のエネルギーをもたらします。

明確に意識して、太陽の最大の力を、心しずかに、自身のエネルギーフィールドに取り入れましょう❣️☀️

目を閉じて、深呼吸して、、、夏至の太陽と一つになってみよう😍


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19990622,20010621,20070621,20110621,20120623,20140621,20150623&tit=%89%C4%8E%8A&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%89%C4%8E%8A%82%CC 【季語が夏至の句】より

 高窓や紅粛々と夏至の暁け

                           赤城さかえ

夏至は、北半球で昼間が最も長い日。昔、その理屈も教室で習った。太陽が夏至点に達し、天球上最も北に片寄るので云々と。当ページを書いていて思うことの一つに、学校ではずいぶんと色々なことを、過剰なほどに習ったということがある。ただし、習った記憶だけはあるのだが、習った中身をずいぶんと忘れてしまっているのが、とても残念だ。夏至の理屈も、私にはその一つ。夏至がめぐってくるたびに、理屈を本で調べ直す始末である。大枝先生、ごめんなさい。でも、調べる年はまだよいほうで、たいていの年には「夏至」なんぞ忘れている。ラジオの仕事に関わっているので、局に行ってからはじめて「夏至」と知ることも多い。そこへいくと、さすがに俳人の季節に対する意識は強烈だ。句のように、夜が暁け(あけ)てくるときには、既に「夏至」を意識しているのだから……。皮肉ではなくて、できれば私も、これからは「粛々と」(これも皮肉ではない)この作者のようにありたいと願う。暦の上で、「夏至」は夏の真ん中だ。せっかく生まれてきたのだから、ジャイアンツの誰かさんのように、ど真ん中の直球をぼおっと見送って三振したくはない。(清水哲男)

 夏至今日と思ひつつ書を閉ぢにけり

                           高浜虚子

今日は「夏至」。北半球では、日中が最も長く夜が最も短い。北極では、典型的な白夜となる。ちなみに、本日の東京の日の出時刻は04時25分(日の入りは19時00分)だ。ただ「夏至」といっても、「冬至」のように柚子湯をたてるなどの行事や風習も行われないので、一般的には昨日に変わらぬ今日でしかない。あらかじめ情報を得て待ちかまえていないと、何の感興も覚えることなく過ぎてしまう。暦の上では夏の真ん真ん中の日にあたるが、日本では梅雨の真ん中でもあるので、完璧に夏に至ったという印象も持ちえない。その意味では、はなはだ実感に乏しい季語である。イメージが希薄だから、探してもなかなか良い句には出会えなかった。たいがいの句が、たとえば「夏至の夜の港に白き船数ふ」(岡田日郎)のように、正面から「夏至」を詠むのではなく、季語の希薄なイメージを補強したり捏ね上げるようにして詠まれている。だから、どこかで拵え物めいてくる。すなわち掲句のように、むしろ「夏至」については何も言っていないに等しい句のほうが好もしく思えてしまう。多くの人の「実感」は、こちらに賛成するだろう。『合本俳句歳時記』(1974・角川文庫)所載。(清水哲男)

 地下鉄にかすかな峠ありて夏至

                           正木ゆう子

思えば地下鉄ほど外界から切り離された場所はないだろう。地下鉄からは光る雲も、風に揺らぐ緑の木々も見えない。真っ暗な軌道を轟音とともに走る車両の中では外の景色を見て電車の上り下りを感じることはできない。地下鉄にも高低差はあるだろうが、電車の揺れに生じる微妙な変化を身体で感じるしかないのだ。その起伏を表すのに人工的な地下鉄からは最も遠い「峠」という言葉にゆきあたったとき、作者は「ああ、そういえば今日は夏至」と改めて思ったのかもしれない。昼が最も長く夜が最も短いこの日をピークに昼の長さは短くなってゆく。しかし「夏至」という言葉にその頂点を感じても太陽のあり方に目に見える変化が起こるわけではない。「かすかな峠ありて夏至」と少し間延びした言葉の連なりにその微妙な変化を媒介にした地下鉄の起伏と太陽の運行との結びつきが感じられる。都会生活の中では、自然の変化を肌で感じられる場所はどんどん失われている。だが、味気ない現実に閉じ込められるのではなく作者は自分の身体をアンテナにして鉄とコンクリートの外側にある季節の変化を敏感に受信している。「かすかな」変化に敏感な作者の感受性を介して都会の暗闇を走る地下鉄は明るく眩しい太陽の運行と結びつき、それまでとは違う表情を見せ始めるのだ。『静かな水』(2002)所収。(三宅やよい)

 夏至の日の水平線のかなたかな

                           陽美保子

明日は夏至。北半球では一年で一番日の長い日である。日本ではたまたま梅雨のさなかに訪れるので実感は乏しいが、北欧では夏至(ミッドサマー)はクリスマスと同じくらい大切にされている。夏至祭のシンボル「メイポール」は白樺の葉とさまざまな花で覆われ、美しい民族衣装に身を包んだ男女がポールの周りを輪になって歌い踊る。最近知った「FIKA(フィーカ)」なる言葉は、スウェーデン語でティーブレイクを意味する。スウェーデンに本社を持つ企業では、夏至のためのFIKAが取られるという。遠く離れた異国の文化に胸を打たれるのは、太陽を寿ぐという生きものとしての源に深く共感するからだろう。沈まない太陽が地平線を流れるように移動する北欧の夏至の日を思えば、掲句の水平線がまだ見ぬ国を思わせる。そして、太陽は今日も地球のすみずみまであまねく光りを行き渡らせる。〈まつすぐに足の伸びたる裸かな〉〈かたつむり殻を覗けばをりにけり〉『遥かなる水』(2011)所収。(土肥あき子)

 灯台に白き穂を立て夏至の濤

                           板谷蝸牛

東京では五時間近く昼の方が長いという夏至、今年は一昨日の木曜日だった。しかし、今年のように時ならぬ台風に驚かされることがなくても梅雨最中、歳時記にも、夏至の雨、などの句が並んでいる。掲出句、遠くから見える白い灯台と白い波頭、さらに雲の白さが、梅雨の晴れ間の海の碧に際立って眩しい。ただ、濤、の一字が、一見ちらちらと寄せているように見える波が実際は、それこそ台風が来そうな激しい波であることを思わせる。夏至という、上りつめればあとは下るだけ、という一点の持つさびしさが、波の勢いが強ければ強いほど、大きく砕ければ砕けるほど、感じられるのだろう。『図説 大歳時記・夏』(2007)(角川学芸出版)所載。(今井肖子)

 夏至の日に嫁ぐわが影寸詰まる

                           唐崎みどり

いわゆるジューンブライドである作者。ヨーロッパでは雨が少なくいい季節である六月も日本では梅雨時、それをジューンブライドなどとは結婚式場の企業戦略にのせられているという向きもあるが、女神ジュノーに由来するとも言われどこかロマンティックだ。そして幸いこの句の作者は五月晴に恵まれ、今日の良き日を迎えている。寸詰まり、とは言うが、寸詰まる、という動詞は見当たらないのだが、ふと足元を見下ろした時の、嫁いでゆくという感慨とはかけ離れた感のある花嫁のつぶやきは、おかしみと同時に照れくささやもの悲しさの入り混じった得も言われぬ複雑な心情を言い留めている。『草田男季寄せ』(1985)所載。(今井肖子)

 夏至の日を機械の手入れして終わる

                           恒藤滋生

昨日は夏至。太陽が夏至点を通過し、北半球では一年で昼がもっとも長く、夜がもっとも短くなる。冬至と比べると、昼間の時間差は4時間以上にもなる。太陽を生活の中心とした生活からずいぶんと離れてしまった現代でも、同じ午後5時でもまだこんなに明るいというように、時間を基本としつつ日の長さを実感する。掲句は正確が取り柄の機械と、一年のなかで伸び縮みする太陽の動きとの取り合わせがユニーク。しかも、終日機械の手入れに関わっていたことで、人間はもう太陽とともに生きる生活には戻れないことも示唆しているようにも思われる。そこには、自然が遠く離れてしまったようなさみしさや切なさも漂うのだ。『水分』(2014)所収。(土肥あき子)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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