http://kumonoue-lib.jp/index.php/kyono-issatsu/373-2-15 【2月15日は西行忌】より
歌人・西行法師の1190(文治6)年の忌日である。享年72。俳句の季語となっている。
今日の一冊は、『西行』(目崎 徳衛/著)。
名家の出身で、北面武士としても奉仕していたことが記録に残る。和歌と故実に通じた人物として知られていたが、保延6年(1140年)23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称した。
出家後は心の赴くまま諸所に庵を営み、しばしば諸国を巡る漂白の旅に出て、多くの和歌を残した。旅の中にある人間として、あるいは歌と仏道という二つの道を歩んだ人間としての
西行が尊崇されており、能や落語、文学作品の題材として西行をとりあげたものは数多い。
2月15日は釈迦入滅の日であり、この前後に亡くなることは仏教の修業をする者にとっての憧れだったそうですが、
桜をこよなく愛していた西行は「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」という歌を生前読んでいた。
意味は「願うことなら、旧暦2月15日の満月の頃、満開の桜の下で死のう」という歌です が、
自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだ西行に、当時の人々は驚嘆したそうです。
武士・僧侶・歌人・旅人として特異な人生を送った西行。現在の文学にも取り上げられる
理由がわかりますね。
https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-215-09-02-G222.html 【和の心 暦と行事
西行忌】より
谷村鯛夢
2月16日は「西行忌(さいぎょうき)」。万葉歌人を代表する柿本人麻呂、俳聖と呼ばれる松尾芭蕉と並んで「日本三大詩人」とたたえられる西行法師が没した日。文治6年(1190)の2月16日、すでに存命中から伝説に包まれていた漂泊の大歌人西行は、その73年の波乱の生涯を閉じた。
平安時代末期の歌僧として知られる西行は、本名を佐藤義清(のりきよ)という。出家しての法名は円位。名門藤原家の流れをくむ家系であり、「北面の武士」に任官して鳥羽上皇に仕えたエリート若武者であった。それが、23歳のとき、突如この世の無常を感じたとして出家する。歌の才能にあふれ、貴人警護の「北面の武士」という役目柄、体躯容貌も秀でた人物であったとのこと。しかも、この時点では妻帯しており、幼い娘もいたのである。
こうしたことから、この突然の出家は、女御との恋愛の破たんなど、いくつかの原因が語られながら、当時から大いなる謎とされてきた。ただ、その生涯をつづる「西行物語絵巻」などには、「西行出家の図」として、泣き叫ぶ娘を縁側から蹴り落とす西行の姿があり、その強烈な印象は、それほど出家の意志が堅かったものと解釈されている。
出家後の西行は、嵯峨野や吉野など各地に庵を結び、また、全国を旅して名歌を残した。花を愛し、悟りを求める漂泊は、日本中に「西行伝説」を残し、俳聖松尾芭蕉は「奥の細道」でその足跡を訪ねたのである。近年も、井上靖、辻邦生、瀬戸内寂聴、白洲正子、吉本隆明といった日本を代表する作家、論客が西行をテーマとしている。
鎌倉期最高の歌集「新古今和歌集」に最多の94首も選ばれた大歌人だが、「ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」は最もよく知られているところ。もちろん陰暦のことだから「如月(2月)の望月(15日)」とは現在の3月中~下旬。そのころの桜の花の下での死というのは、歌人として最高のイメージかもしれないし、あるいは僧として、花咲く沙羅双樹の下で2月15日に入寂した釈迦のことを思ったのかもしれない。
そして、釈迦に遅れること1日、西行はその願いのとおり、2月(如月)の16日にこの世を去って、最後の伝説を生んだ。ただ、俳句などでは、望月のころ、という西行の願いをくんで「2月15日」を「西行忌」としている。
https://weekly-haiku.blogspot.com/2018/03/20175.html 【岡田由季 手のひらの丘」
上田信治】より
一〇〇〇トンの水槽の前西行忌
巨大な水槽の水の質量を食い止めているガラスの前で、この人は、その水が1000トンであることを思っている。それは、日常において死を想うことのメタファーと言ってしまってよいだろう。
「西行忌」といえば漂泊と、俳句では決まったようなものだけれど、大量の水の前で「たまたま死なないでいる」一瞬を、西行という人の生涯や作品に対置する。作者の、人生的なものをあつかう神経は、ヒリッと冴えている。
日常にむかうカジュアルな意識と、その少し外を見る非日常の認識。この作者の句の領域は、ふたつの世界にまたがってあり、文体も相応に書き分けられている。
露台より芦屋の街と海すこし 花槐留学生の集ふカフェ走り出し すぐ消灯にスキーバス
これらは、まったく日常の意識。
「芦屋」「カフェ」「スキーバス」といった対象にむかって動く気持ちはごくわずかなのだけれど、そこに極微量の気持ちよさと面白さがある。文体的には、とてもフラット。
能面は顔より小さしきりぎりす 象の眼に微かなる酔ひ秋の暮
木枯に象の手触り残りをり蒲の 蒲の絮むかしの音を拾ひけり
鳥籠に指入れてゐる三日かな
これらは、日常の「外」へ向けられた認識。
「能面」「象」「蒲の絮」「鳥籠」といったオブジェを起点として、その向こう側にむけてはたらく五感を仮構して、そのカンジを引き寄せようとしている。言葉は、俳句らしい節回しで歌っている。
そして、次のような句。
熱帯夜骨煎餅を齧りをり 光源の方へ歩けば蕪かな 餅を待つ列の静かに伸びてをり
ここで選ばれる「骨煎餅」「蕪」「餅」という(オブジェと呼ぶには行儀の悪い)ブツたちの、面がまえがもたらすユーモアが、カジュアルな意識とミスティックな認識に橋を架けている。
というか、これらは二領域に架かる橋のような句だ。カジュアルさと神秘性がまじわらず、共存している。楽しい。
〈木琴のとなり鉄琴秋日差す〉〈灯台の小さき敷地や冬の鳥〉〈中国語話せさうなる昼寝覚〉〈バレンタインデー吹替の笑ひ声〉〈頭蓋骨同士こつんと冬初め〉などは、日常に、すこしの非日常あるいは向こう側のエッセンスを加えて、平成俳句の典型をなすような佳句。
第一句集『犬の眉』(2014)集中にも〈間取図のコピーのコピー小鳥来る〉〈デパートの海側にゐる冬初め〉〈空蝉を集めすぎたる家族かな〉〈自動ドアひらくたび散る熱帯魚〉〈触れられぬ茶碗がひとつ遠き雷〉〈運動会静かな廊下歩きをり〉と、このタイプの佳句良句が多くある。
ただ今回の50句を読んで、『犬の眉』の〈検眼の明るき世界水草生ふ〉〈犬の眉生まれてきたるクリスマス〉〈映画村あちこちめくりかたつむり〉〈七夕の仮設の道を歩きをり〉といったある種おさまりのわるい奇妙な句が、魅力的であったことを思い出した。
「検眼の明るき世界」「犬の眉生まれてきたる」「映画村あちこちめくり」「仮設の道を歩きをり」には、日常のなかの強い不思議、そのまま外の世界につながっていくようなゆらぎを見つめる視線がある。
今回の50句中、自分がもっとも長く立ち止まった句は、
モノポリー蜆が砂を吐く間
この句、ふつうの台所俳句のようだけれど妙なところがあって、え? 蜆に砂を吐かせてその間にモノポリー? だれと? 平日にお客さんですか?
現実に引きつけて読めば、家事のすき間時間に、オンラインモノポリーをやっているという状況だろうか。蜆が砂を吐くほどの意識で手を動かし計算をし、まったく自意識から解放されている、もはや自由も退屈も感じていない砂色の時間。蜆をただしく春の季語として、遅日の夕闇と薄寒さが迫る部屋で、と読むことも可です。
「骨煎餅」や「餅」や「仮設の道」のように、ここにもまた、カジュアルさと神秘性が市松模様の白黒のようにまじわらずに両方あって、ああ変な感じ。
こういうのは、岡田さんの「つぎの」感じだったりするのかな、と勝手に楽しみにしています。
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