変化

自分が変わりたいとき 今までの自分を知らない人たちの中で暮らすのがいいですね。魔女の宅急便の魔女育ちも14歳になれば見知らぬ地に飛び立ちました。

Facebook大覚院 真観さん投稿記事

<ドリームキラーとは>

①人は成長するために、本を読んだり、セミナーを受けたり、色々な勉強をします。ところが、そうやって今までの行動や考え方を変えたとき、真っ先にそれを批判してくる存在がいます。それは、例えば、家族や親戚、会社の仲間など、あなたの身近にいる"ドリームキラー"です。

②なぜかというと、彼ら・彼女らは、今まで、あなたという人間を何年間、何十年間も見続けてきているので、「あなたは、こんな人だ」というイメージが、固定概念としてガッチリ固まってしまっているからです。

③逆に、あなたと数回しか会ったことがない人は、あなたの行動が変わったとしても、そもそも、行動が変わっていることに気づきません。つまり、「あなたの身近な人ほど変化に反対し、あなたと疎遠な人ほど変化に気づかない」ということが起こります。

④しかし、もし、あなたが人生を変えたければ、どんどん、行動や考え方を変えていきましょう。その際、あなたの身近な人ほど、その変化に対して拒否反応をしてきますが、それは無視しましょう。

⑤しかし、ドリームキラーの拒否反応がなくなるまで、あなたが新しい行動や考え方を維持すれば、今度は、あなたの身近な人が、あなたのことを応援してくれる"ドリームサポーター”になるのです。


和多志はしきたりが嫌いでした。ひと頃名古屋の管理教育も問題になりました。それでも娘は世間の常識を教えられなく育てられたことを悔やみます。常識に沿えば周囲と楽に調和バランスがとれるからでしょうか?

9年前この日の思い出を見る

Facebook能村 聡さん投稿記事【常識って何でしょうか】

常識は英語では、〔common sense〕

ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力のことと書いてあります。

世間では、常識から外れた行動をする人を非常識な人と見なして、否定し、排除しようとします。

しかし、その常識なるものは一体、誰がどこで決めたことなんでしょうね。辞書の定義のように、ほんとうに、自然とそう決まってきたんでしょうか?

例えば食に関する常識は、文化に拠っても違いますね。例えば食習慣、イスラム教徒は豚は食べないとか。

そう考えると常識とは絶対的なものではなく、相対的なものだとわかります。辞書の定義でも「ある社会において」という限定があります。

科学の世界ははどうでしょうね?常識を破壊することを通じて科学は進化してきました。そうです。天動説が常識の世界から、地動説が常識の世界へ。

現代の科学のパラダイム(いわば、科学者のコミュニティで共有されている価値体系や概念の枠組みという常識)で説明できないことを、凡庸な科学者は非常識として、無視するか学会から排除しようとします。でも、それに革命的な真実が隠されているかもしれないですね。

人間は自分が常識から外れていると見られないかと、いつも恐れます。非常識な人として社会から疎外される恐怖です。

しかし、もしかしたら常識とは支配者達エリートが、民衆を支配するために捏ち上げたこと、そしてそれを学校教育の場で洗脳している、でもだれも洗脳されているとは気づいていない、そういうものではないでしょうか?

マスメディアも支配者にとって都合のよい道具である常識を人々に埋め込むのに深く加担しています。

身の回りでも、授業中に落ち着きがない子ども達が増えているようですが、それは授業は教室の中でおとなしく座って、先生の話を聞くという場であるという常識からして、非常識な子ども達、さらには多動性症候群という病気のレッテルまで張られていきます。でも、今の学校教育システムの方が間違っていて、彼らこそ新しい常識の魁としての存在とは考えられませんか?

この常識のシフトは、一瞬にして起こりえます。原発安全神話という常識も一挙にひっくり返りましたね。

だからボクは言いたいのです。常識こそ疑えと。常識への囚われ(奴隷)から自由になれと。

常識への囚われという奴隷の檻から足を踏み出す者だけが、新しい高い次元の地球への扉の向こうに入っていくことができます。

人間は死んだらすべて終わりで無に帰すとうのも現在の常識ですね。これも誤り。魂は永遠に続きます。このことに気づく人は確実に増えています。

この宇宙の森羅万象(自然現象)も、すべて物質を素粒子という要素の還元して説明できるという常識。唯物論的世界観です。これも誤り。これも轟音を立てて崩れていきます。すでに目に見えず現時点では検出器にもかからないモノがこの宇宙の95%以上を占めていることも明らかになってきてます。

お金さえあれば欲することはなんでもできる、これもある意味、常識ですね。現物例えば金など貴金属の裏付けのない、現在、世界的に流通しているドルなどの不奐紙幣は、信用を失えばただの紙切れですね。「奴ら」が好き放題に刷っています。為替相場も株価もすべて奴らが裏で操作しています。しかし、もはやその企みも上手くいかなくなりつつあります。

金融システムの崩壊にとって、この常識の大崩壊ももはや避けられません。

それは人間の意識は、きわめて少数の欧米を中心とするエリート支配者達(ここではどういう「奴ら」かは割愛します)によって、きわめて巧妙に無力化され、制約をかけられてきたということです。

蛹が蝶にメタモルフォーゼするがごとく、人間の意識レベルおよび肉体レベルでの飛躍的な進化がすでに始まっています。意識の拡大による真実への覚醒は、これまで自分が囚われてきた常識は間違っていたということに気づく大きな機会となるでしょう。


Facebook能村 聡さん投稿記事

【すべての現象は心が生み出す~ブッダの語った言葉から】

この世界のすべての現象の背後には「因果」の法則(原因と結果の法則)が作用しています。縁起とも言います。

ブッダ(お釈迦様)が生きている間に語った言葉をまとめた初期仏典はとてもわかりやすいですね。

ブッダはあえて、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのいわゆる一神教で崇拝されている”宇宙創造主”のような絶対的な人格的な存在には敢えて触れず、「宇宙の法則」(法・ダルマ)を語ってます。

釈尊は涅槃(死)の間際で、嘆き悲しむ弟子たちの前で「「他者(師であった釈尊)に頼らず、自己を拠りどころとし、法(ダルマ)を拠りどころとして生きなさい」(「自灯明・法灯明」の教え)と語ったと言われています。

では、釈尊が説いた宇宙の理法とはどんなものだったのでしょうか?

お釈迦様は一切の”形而上学”的な独断を排し,既成の価値観(常識)から推論することをやめ,現実そのものに向い,現実のなかから人間の生きるべき道を明らかにして,これを「ダルマ」と呼びました。

釈尊が説く「ダルマ」は抽象的で難解な教説(経典)ではなく、人間がよく生きていくうえで、誰もが抱える苦しみや迷いを脱して、喜びと平穏に生きるために有用な、現実的な”心のあり方”でした。

その内容をお弟子さんや、長い旅路で出会った普通の庶民との対話を通して、”宗教の教祖さまからの上から目線”とは全く違うかたちで説いた具体的な内容が書かれているのが、初期の仏典です。

初期仏典の一つの『ダンマパタ』の中にも、すべてが人間の意識(心)が現実を創造していることが、釈尊によって語られています。

なぜ、こんなに苦しいのか?多くの人は自我(エゴ)の思う通りにいかないことに苦悩します。

しかし、すべては自分の心次第なのです。現実は心が生み出しているのです。この苦しみから自由になるには、外の現象を変えるのではなく、自分の心を深く見つめて、それを変えることしかないと説いています。

「ダンマパタ」の中のお釈迦様の生の言葉を紹介します。

「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。あなたかも車輪が、それを牽く牛の足に付き従うように(1)

「ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き従う。あなたかも車輪が、あなたかも身体から身体から離れることのない影のように」(2)。

汚れた心とは「煩悩」とも言います。煩悩のいう誰しも抱えている心の中の闇、すなわち、貪・瞋・痴=自分の欲しいものをむさぼり求める貪欲,不快なものに対して激しく怒ったり、妬んだり、恨んだりして感情をぶちまける こと瞋恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚痴(無知)の3つで,人を毒するから”三毒”といい言います。

心を内観して闇に向き合い、それに蓋をして抑圧したり自己否定することなく、その根本的原因である「執着」を手放して、煩悩(三毒)即菩提(悟り)として統合して、自由で穏やかな境地に至ること、それが「悟り」なのでしょう。

その意味では私も全く悟りには程遠いので、まだまだ修行ですが・・ 笑

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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