http://www.studio-cube.com/zats/2003-7.html 【本当のアジサイの花を知っていますか?】より
まだもう少し続きそうですね、梅雨。で、梅雨時の花と言えばもちろんアジサイですよね。
この「アジサイ」という名前の由来も諸説あるようですが、青い花が集まって咲く様子「あづさあい・集真藍」が変化して「あじさい」と言われるようになったというのが一般的なようです。「さあい」は真の藍色、「あづ」は「集まる」ということです。
方言では、オオデマリ・ガクバナ・シュウセンカ・ユウレイグサ・テマリバナ…などなどの呼び方があるようですよ。
また学名の「オタクサ」は、幕末・長崎のオランダ医師シーボルトが奥さんの名前「おタキさん」から命名したといいます。
漢字では「紫陽花」という文字を当てますが、実はこの紫陽花という花はもともとは唐の詩人・白楽天が命名した別の花のことらしいです。
この名前が平安時代に「アジサイ」に当てられ、今に至っているようです。
ところでアジサイは日本原産なんですが、ではなぜ「青い花が集まって咲く」と言われるように「青い花」に由来するんでしょう?
アジサイにはピンク色の花もありますよね。
実はこの花、土壌が酸性かアルカリ性かで花の色が変わり、アルカリ性だと赤く、酸性では青色に発色するらしいのです。本来日本の土壌は酸性ですから、もともとのアジサイの色は青だったんですね。
またアジサイというと「テマリバナ」と言われるように小さな花が集まっている様子が可愛いのですが、この花のように見えるものは実は花ではないんですよ。
これはこれは装飾花と言われ、ガクが変化したものです。「ガクバナ」と言われるのはそのためです。
では本当の花は…というと、この装飾花の間をそっと広げて中を見てみると中央部に小さな花が見えるはずです。この小さな花が「真花」で、アジサイの開花とはこの真花の開花のことを言います。今度アジサイの近くを通られることがあったら、ちょっと覗いてみてくださいね。
https://www.umk.co.jp/otenki-blog/post-103.html 【アジサイの名前の由来】より
梅雨入りから10日過ぎて、雨の日が続いています。
今朝気象台のアジサイを撮影してきたところ、「ガク」の部分が開いて(開花はまだ)いて、アジサイの季節になったことを感じます。
ところで、「アジサイ」という名前の語源ですが、何に由来しているか分かりますか?
「アジサイ」は2つの単語を組み合わせてできた言葉です。
「アジ」は「集まる」の「あつ」、「サイ」は藍色を示す「真藍(さあい)」を意味していて、小さな青い花がたくさん集まって咲く様子に由来していると言われています。
意外にも「雨」は関係していなかったのですが、英語では関係があるようです。
英語でアジサイは「Hydrangea(ハイドランジア)」と言って、これも2つの単語の組み合わせで成り立っています。
「Hydra-」や「Hydro-」は「水」を示す接頭語で、後半の「angea」はラテン語やギリシャ語で「器」を意味しています。
つまり「水の器」という意味なので、雨の中で咲く様子から名付けられたのかもしれません。
雨が続き季節ですが、雨の中で小さな青い花が集まって咲く様子を眺めつつ、梅雨明けを待ちたいですね。
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2012061800001.html 【藍色を集める】より
池田 博之
雨の季節を彩る花、アジサイ。東京郊外の自宅から最寄り駅まで歩く道すがら、家の庭先やマンションの植え込みで、藍(あい)、水色、紫、白と多彩な色のアジサイが見られます。
花の色合いは、その年ごとに違うように感じられて、七変化(しちへんげ)、八仙花(はっせんか)の名で呼ばれるのもうなずけます。
花色は土壌の水素イオン濃度によっても変わり、酸性土壌なら青色が、アルカリ性なら赤色が勝るといいます。花はつぼみから成長するにつれても、白から藍へと彩色されていきます。
◇古くから詩歌の題材に
俳句にも間(あわい)の色が織り込まれています。
紫陽花や白よりいでし浅みどり(渡辺水巴)
紫陽草や帷子時の薄浅黄(芭蕉)
紫陽花やはなだにかはるきのふけふ(子規)
紫陽花の藍きはまると見る日かな(中村汀女)
水巴(すいは)は明治~昭和の俳人。芭蕉は紫陽花(あじさい)を紫陽草と書いています。帷子時(かたびらどき)は夏の単衣(ひとえ)を着る候。浅黄(あさぎ)は本来、漢字では浅葱と書き、薄い藍色。はなだは縹色(はなだいろ)で浅葱と藍の中間色。色を表す言葉が並びます。
このように和の景色に溶け込んでいるようにみえるアジサイ。日本原産で、語源は「アジは集む(あつむ=集めるの古語)の「あつ」の転、サイは真藍(さあい=「さ」は意味を強めたりする接頭辞)の詰まったもの」というのが有力とされています。
紫陽花の漢名を持つことから中国と縁が深いようにも思えますが、これは、平安中期の「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」が唐の白居易の詩のなかの「紫陽花」を日本在来のアジサイと同じものとして紹介したことによります。
実は白居易が紫陽花と名付けた、山寺にひっそりと咲く紫色の「気が香る」花は日本のアジサイとは別の花であったということです。
万葉集には「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲ばむ(橘諸兄=たちばなのもろえ)」と詠まれ、大伴家持の歌もあります。漢字で「安治佐為」「味狭藍」と書かれています。
◇歴史の陰に隠れて咲く
しかし、その後、アジサイは和歌や散文にほとんど取り上げられることはなく、歴史の表舞台の日の陰に隠れていたように思います。
これはアジサイの一つひとつの花の花びら(実は萼片=がくへん)が4枚で四片(よひら)と呼ばれたことが不吉とされたためだとか、色の変化が心変わりの象徴として嫌われたためだとか言われています。橘氏と大伴氏が、後に栄華を極めた藤原氏と対抗して衰えたためだという説まであるようです。
アジサイ愛好・研究家の山本武臣さんの著書によると、和歌に詠まれたのは平安時代で3首しか見つからず、鎌倉時代には20首ほどになるということです。
あぢさゐの下葉にすだく蛍をばよひらのかずのそふかとぞみる(藤原定家)
ガクアジサイ
在来種にガクアジサイがありますが、こちらのガクは「萼」でなく「額」のことで、中心にある密生した小さな両性花の周りに、大きく背の高い装飾花が額縁のように縁どっていることから名が付けられました。
それまでアジサイが文芸から遠ざかっていたことがかえって、俳諧や浮世絵の新味にあったのかもしれません。北斎は飛んでいるツバメを、広重はカワセミやセキレイを大胆な構図で色鮮やかなアジサイのそばに配しました。
意外と知られていないかもしれませんが、江戸期には、将軍から庶民にまでおよぶ空前の園芸ブームがありました。サクラやツツジ、アサガオなどでたくさんの品種が作られました。しかしそこでもアジサイは、多くの人がめでる対象にはならなかったようです。
◇香りがないのに匂い立つ
ひっそりとしたたたずまいで咲き続けてきたアジサイですが、一般に注目されだしたのは昭和も戦後になってからだといわれます。名所もあちこちに出来ました。この季節に鎌倉のアジサイの咲く寺を訪れると、花の数より人の頭の数の方が多いのではないかと思えてしまうくらいです。
一方、アジサイがヨーロッパに紹介されたのは江戸時代でした。
日本を訪れた2人の医師、スウェーデンのツンベルクとドイツのシーボルトらが持ち帰り、別に中国経由でも渡りました。やがて、洋の東西で改良され、多くの種が生まれました。
シーボルトがアジサイに付けた学名ハイドランジア・オタクサ(Hydrangea Otaksa)のオタクサは、シーボルトの愛人の呼び名であるお滝さんに由来していると推測されています。Hydrangeaの語源はギリシャ語のhydro(水)、angeion(容器)の合わさったものです。やはりアジサイは水と相性が良いのです。
花の少ない季節に、しとしとと降り続く雨のなか、アジサイの花に出あうと目の覚めるような思いにとらわれることがあります。そんなとき、香りの立たないはずのアジサイですが、匂い立つような気を感じたりします。
「にほふ」の語はもともと「丹(に)=赤色」と「ほ(穂、秀)=外に現れること」から成り立ち(広辞苑)、「あざやかな色が美しく映えること」の意味がありました。
アジサイの色が梅雨の匂いににじんでいきました。
(池田博之)
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