一指李承憲@ILCHIjp
私たちはある日「生命」というプレゼントを受け取りました。それと共に無限な選択の自由も受け取りました。自分が何者か、何を人生の目的とするのかを私たちは選択できます。そして、選択した通りに生き、人生の意味を自ら創造していけます。生命をどう使うか自ら選択できるのは美しく素敵なことです
もん@z7KA0f9wensETyW
父親を目の前で殺された一人の少年が、なぜ、あの法然になれたのか。
三宝出版@sampoh_official
今日は #法然 の誕生日。
平安時代末期、世の中が末法の闇に覆われる中、#念仏 によってすべての人が救われる道を開いた。それは、自分の中の恨みの心(苦・暴流)を浄化する、すさまじい #自分革命 によってもたらされたものだった。
https://www.gla.or.jp/about/kyoten/ 【「魂の学」の理論(教義)】より
GLAの活動の根本にある考え方・思想は、高橋信次先生、そして高橋佳子先生が解き明かした「魂の学」です。
「魂の学」とは、一言で言えば、人間を魂と見る人間観・世界観およびその実践の体系です。
唯物的な生き方を超えて
今、世界が抱える様々な問題の根本的な原因の1つは、目に見えるものばかりを重視する唯物的な世界観の蔓延であると、私たちは考えています。
自分と世界、内と外を切り離し、内なるものの真価を見失い、外側の繁栄ばかりを求めることによって、大きな歪みが生まれているのです。
1960年代後半、わが国が高度経済成長期の中で、ひたすら物質的な豊かさを追求していたそのさなかに、祖師高橋信次先生は、時代に警鐘(けいしょう)を鳴らし、人々が追い求めていた外側の豊かさに対して、人間の内なる次元の大切さを訴えました。
人は死んだら終わりではなく、永遠の時を生き続ける魂の存在であり、誰の人生にも目的と使命があると、1人ひとりの尊厳を説かれたのです。
人間は魂の存在
「魂の学」の基には、そのように、人間を、物質的な肉体の存在としてだけではなく、魂の存在として見るまなざしがあります。
人はただ偶然に生まれ、偶然に支配されて生きてゆくだけの存在ではありません。
魂とは、人生を超えて持続する智慧持つ意志のエネルギー──。人は皆、人生に必然を持って生まれ、そこで果たすべき目的と使命、応えるべき魂の願いを抱いた存在です。
それは、忘れていた魂の感覚を蘇らせ、永遠のまなざしから一瞬一瞬を全力で生きてゆくことを教える原点です。
「魂の学」の基本の理論 ――「魂・心・現実」の法則
では、私たちは、魂の存在として、この世界をどのように生きてゆけばよいのでしょうか。高橋佳子先生は、私たちが永遠の魂として今を生きることができる実践の道を具体的に解き明かし、多くの実践者を導かれています。
その基本となるのが、「魂・心・現実」の法則です。
私たちは、図のように、常に、「魂・心・現実」という3つの次元を同時に生きている存在であり、だからこそ、人生を含めたあらゆるものごとを、その3つの次元で捉えなければならないということです。
「魂・心・現実」の法則とは
「魂の学」では、「魂」が「肉体」と出会うことで、「心」が生まれると捉えます。
「現実」の次元は、普段私たちが接している、出会いと出来事が生じている次元です。「心」の次元は、様々な想いや考えがわき上がってくる次元。「魂」の次元は、心のさらに奥にあって、人生を貫く願いや目的、人生の青写真が湛えられている次元です。そこには、魂願(魂の願い)とカルマ(魂の歪み)という2つのエネルギーが混在していて、それが私たちの心にも現実にも多大な影響を与えています。
「現実」は、私たちの「心」によって生み出されたものであり、「魂」を反映しているものでもあります。同時に、目の前の「現実」──様々な出会いや出来事、地域や職場、家庭における問題と向き合うことは、「心」と「魂」のテーマに取り組むことでもあるのです。
魂の願いに応え、人生の目的を果たす
3つの次元を同時に生きるということは、常に内と外をつないで歩むことであり、日々の出会いや出来事を通じて、人生に与えられた青写真を実現しようとすることです。人は、その人生で様々な条件を引き受けながら、魂の願いと人生の目的を果たそうとしている存在なのです。
しかし、それを果たすことは、決して容易なことではありません。なぜなら、私たちの人生の現実を生み出す心が歪みを抱えているからです。
心が現実をつくる
人間の心のはたらきは、「受発色」(じゅはつしき)という言葉によって説明することができます。
「受」とは、ものごとを感じ、受けとめる心の受信のはたらきを指します。
「発」とは、ものごとを思い考え、言動をもって外に現してゆく、心の発信のはたらきです。そして、「色」とは、仏教の言葉で、「現実」を指します。
つまり、心とは、「受」→「発」→「色」→「受」→「発」→「色」…… を繰り返しながら、様々な現実を受けとめ、新たな現実を生み出してゆく回路であり、受発色とは、心と現実の間にある結びつきを表しているのです。
(ちなみに、魂がこの世界に生まれてから、心がどのように形成されてゆくのか、人生がどのようにつくられてゆくのか、そのしくみについて、「魂の学」では、3つの「ち」[血・地・知]という観点から解き明かしています)
「カオス」というまなざし
「魂の学」では、私たちに訪れる出会いや出来事を、「カオス」というまなざしで受けとめます。「カオス」とは、まだ何の形も輪郭もなく、結果も結論も出ていない、様々な可能性と制約、光と闇を内に秘めた混沌とした状態を指します。宇宙開闢の直前、すべての光と闇、無であると同時に一切の可能性を秘めた状態と言えるものです。
その「カオス」に私たちの心=「受発色」が触れると、「カオス」はまたたく間に「光の現実」または「闇の現実」として結晶化します。
一度結晶化したら、「カオス」は元の状態には決して戻りません。だからこそ、どのような「受発色」で「カオス」に触れるかが、決定的に重要になるのです。
「心」が変われば「現実」が変わる
もし、この「受発色」が歪みを抱えているとしたら、「カオス」――人生の現実はどうなるでしょう? 「カオス」は歪んだ形で結晶化し、私たちは、出会い・出来事の青写真を実現することも、魂の願い・人生の目的を果たすこともできません。
でも、「カオス」=現実をつくり出す自らの心は、変えることができます。そして、心が変われば、現実が変わります。人生も大きく変わることになるのです。
私たちは、「心」を成長・進化させて、出会い・出来事の青写真を実現し、それを積み重ねることによって、魂の願いに応え、人生の目的を果たすことができます。
では、いったいどうすれば、その「心」を変えることができるのでしょうか?
「心」を変える道がある
GLAには、「心」を変革してゆくために、大きく2つの方法が用意されています。
1つは、心の歪みや偏りなど、いわば制約を抱える心を見つめ、それを浄化して超えてゆく道です。「魂の学」では、この制約を抱える心を「煩悩」と呼びます。
もう1つは、内在している心の可能性を発掘してゆく道です。
この2つは、分かちがたく結びついて、表裏一体のものと言うことができます。心の制約を克服すればするほど、内なる可能性はその姿を現し、また逆に可能性を発掘して育めば、それだけ心の制約は後退してゆくからです。
4つのタイプ別に、「心」の制約を転換する
では、「心」の可能性と制約、光と闇を見とって、「心」を転換してゆく道とは、どのような道でしょうか。
それは、第1に、先に触れた「受発色」という見方に基づいて、人間の心をそれが抱える制約から4つのタイプに分け、それぞれのタイプ別に成長させてゆく方法です。
私たち人間の心の制約「煩悩」には、大きく4つの傾向、タイプがあります。
「快・暴流」(独りよがりの自信家)、「苦・暴流」(恨みの強い被害者)、「苦・衰退」(あきらめに縛られた卑下者)、「快・衰退」(自己満足の幸福者)です。
私たちは、誰もがそのいずれかのタイプを強く抱いていて、その傾きゆえに、その人生に大きな限界を抱えてしまうのです。
「魂の学」は、「煩悩地図」によって、4つのタイプがどのような心の歪みと偏り(煩悩)を抱いているのかを明らかにし、それをどのように超えてゆけばよいのか、4つのタイプ別に具体的なエクササイズ(行:ぎょう)を用意しています。
誰にも内在する「心」の可能性 ――菩提心
それでは、もう1つの道 ――1人ひとりの内に眠っている「心」の可能性(光)を発掘してゆく方法について、考えてみましょう。
人間の内なる心の可能性を直接引き出す道として、GLAには、高橋先生によって導かれる「魂の所以に遡る瞑想」や直接の「魂の対話」など、様々な道があります。ここでは、その1つとして、「菩提心発掘」を取り上げましょう。
「菩提心」とは、もともと仏教の言葉で、「菩提=悟りを求めて仏道を歩もうとする心」を指します。高橋先生は、その精神を受けとめつつ、さらに広く、「菩提心」とは、「本当の自らを求め、他を愛し、世界の調和に貢献する心」と定義されています。
「困っている人がいれば、助けたい」「行き詰まっている事態があれば、道をつけたい」「悩み苦しんでいる人がいれば、何とか力になりたい」、自然にそう思える私たちがいます。自分をはみ出して、周囲のために力を尽くす──。痛みを癒やし、混乱の現実に秩序をもたらし、停滞した状況を活性化させたいと願う心 ――「菩提心」が、誰の内にも眠っているのです。
世界は今、「菩提心」を必要としている
そして、そのような「菩提心」こそが、今、世界に最も必要とされているものではないでしょうか。
先に述べたように、現代社会は唯物的な生き方への傾斜を強め、それによって、ニヒリズムとエゴイズムが大きく増幅されています。それでは、世界に満ちる難問も、私たちが抱える問題も、解決しようがありません。
高橋先生は、このようにおっしゃっています。「地球温暖化の問題でも、世界の貧困問題でも、格差社会の問題でも、究極のところ、この『菩提心』がはたらかなければ、本当に解決に向かってゆくことはできないのです。私たちの人生と世界が本当に輝くために不可欠のもの ――。それが『菩提心』にほかなりません」(高橋佳子著『12の菩提心』、三宝出版)。
12の菩提心
「魂の学」は、「菩提心」が放つ様々な輝きを、12の側面から詳しく明かしています。それは、「月の心」「火の心」「空の心」「山の心」「稲穂の心」「泉の心」「川の心」「大地の心」「観音の心」「風の心」「海の心」「太陽の心」であり、その多くは、私たち日本人が古来、心を寄せて親しみ、生き方を学んできた自然の姿です。
高橋先生は、このように語られています。
「1つの(菩提心の)輝きが放たれることで次の菩提心が引き出され、1つ1つの菩提心の輝きが満ちてゆくに従って、自由ですがすがしく、エネルギッシュで忍耐強く、慈しみと包容力に満ちて、謙虚さを少しも失わない、そういうあなたが現れてくるのです。そして、それは、心の奥に広がる私たち人間の本体の次元 ――魂の次元が開かれてゆくことでもあります。永遠を知り、無限に応える魂の力が引き出されてゆく歩みなのです」
そして、その「菩提心」を発掘してゆくために、誰もが取り組める様々なエクササイズや行があります。
魂の願い・生まれてきた理由(わけ)を思い出し、人生の仕事を果たすために
GLAにおける様々な研鑽を通して、「魂の学」を学び、実践してゆくとき、私たちは、魂の中に内在している願い ――この世界に生まれてきた理由を思い出し、この世界で自らが果たすべき人生の仕事 ――人生の目的と使命を生きることができるようになるのです。
「試練は呼びかけ」と受けとめ、あらゆる問題を解決してゆく道
そして、自らの根源的な願いに目覚めてゆくと同時に、私たちは、家庭・職場・地域・社会などに満ちるあらゆる問題を根本的に解決し、新しい現実を創造することができるようになります。
誰もがその人生で避けることのできない「試練」も、ただ苦しくて遠ざけたいものではなく、「魂の学」のまなざしから見れば、私たちが魂の願いに目覚め、人生の使命を果たすことができるように導く「呼びかけ」にほかなりません。
「魂の学」は、私たちが人生で直面する試練を乗り越え、具体的な現実を変革し、人生と世界を豊かに輝かせる力を与えてくれます。
GLAでは、すでにその道を歩む方が数多く存在し、常に新たに生まれ続けているのです。
https://www.youtube.com/watch?v=SIfDueKpB_A
https://www.gla.or.jp/termiology_post/t-s-07/ 【主導権の奪回】より
「主導権の奪回」とは、人生に訪れる事態や試練に対して、主体的に生きる力を取り戻すことです。「主導権の奪回」を果たすことが、事態を切り開き、よりよい未来をつくる一歩となるのです。
一般的に「主導権」と言うと、「ものごとの大勢を胸先三寸(むなさきさんずん)で決められること」と考えられています。たとえば、取引など仕事の場であれば、強い立場でものが言える側が「主導権」を持っていることであり、立場が上で力が強い方に「主導権」があり、弱い方にはないと考えられています。もしそれが本当に「主導権」ということならば、人生の「主導権」を握ることができるのは、ほんの一握りの人間だけになってしまいます。
本当の「主導権」とは、「ものごとを主体的に生きる力」のことです。私たちが主体的に事態に向き合い、人生の選択を行おうとするとき、私たちは「主導権の奪回」を果たすことができるのです。
「主導権の奪回」を果たすためには、人生に訪れる問題や試練に対し、「こうなってしまった」ではなく、自分が「こうさせてしまった」と捉える必要があります。
「こうさせてしまった」と事態を捉え直すことは、実際に「どのようにさせてしまったのか」「もし自分が違う関わり方や影響を与えていたら、事態はどうなっていただろうか」と考えることでもあり、さらに「今、自分ができることは何か」を考えて行動することでもあります。そのように生きることこそが、自分の主導権を奪回して主体的に生きる第一歩となるのです。
出 典
『2つの扉』第8章
『魂主義という生き方』
『Calling 試練は呼びかける』
月刊『G.』2019年8月号「時の羅針盤185 主導権を見つめる」p.6~9
https://www.youtube.com/watch?v=B_fPw07Jt_8
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