意味を創造する

数年前 スリーインワンのワークショップで 全身のスタックポイントを見ました。

驚くことに正中線と関節の全てがスタックポイントでした。

それを省みて 口から出た言葉は「邪魔ものでした」

和多志は終戦直後(昭和20年)に受胎しました。食糧難の極致の時代です。

何度も堕胎の刺激を受けました。それでも命が与えられました。

然し母は 和多志が1歳になる前に、和多志を負んぶしたまま、栄養失調で倒れてなくなりました。

和多志には同じ母から生まれた光義という名の兄がいました。母が亡くなって この兄が和多志を愛してくれました。

和多志が2歳の時 よちよち歩きで崖っぷちを歩いてしまったようです。

三輪車で遊んでいた兄が心配して 三輪車ごと駆けつけ 崖から転落しました。

勿論入院し 院内感染で肺炎になり 亡くなりました。

この事故で 和多志を愛した人を 和多志が殺したと 信じ込んでしまったのです。

そんな自己イメージがあれば 愛される資格がないと思いますよね。

生きていて御免なさいの人生を歩むことになりました。

小学低学年は生きる屍だと書きました。新しい母に愛されてはならない子どもであり続けました。父さえ拒絶することをしました。レイプも引き付けました。女であることをどれだけ呪ったことか!!

それでも 愛するものに自分の歪を手渡さないよう 自分と向き合い、癒し続けました。

勿論多額のお金も使いました。

この痛みを原風景として描くと ナイル河に流されるモーゼのイメージでした。

これを箱庭で表現した時 河に流される幼子は 羽の取れた 丸々と太った天使でした。

和多志がこの箱庭から得たメッセージは 「デビルチャイルドという人生を 自分の意志で選んで生まれた。生き切れるように 多くの力を神によって供えられた。 」という 内容でした。

振り返ってみると 壁は人一倍(以上かも)ありましたが、多くの恵みを得、社会からも人々からも信頼を得、生かされて来たことへの感謝を捧げずにはおれませんでした。

中学生時代 行きつく先が墓場なので 好きなことをしようと心に決め 満足できることを探し求めましたが 得られず、生きる意味を失ったニヒリストになってしまいました。

お金、地位、快楽 得ても仕方がないものでした。

もしそれを得ることを目的とすれば 得れば得るほど「もっと」を望み

あたかも「勝ち得たことが次の欲望への誘い水になる」かのように 飢えと渇きは身を焦がすほどになると思わずにおれなく、それ以上に 求めたい気力も湧きませんでした。

生きる意味を求め続けた思春期の問いを棚上げしましたが 今はそれは「自分が創造するもの」ということができます。

魂と一つになって「意味を創造する」ために 力になるのがヒーリングです。

真実の創造の為には 色眼鏡が拭い去られなければなりません。

心の浄化が必要だとも言えます。


現代靈氣交流会で マスター達から靈授を受け 魂が振るえ続けた喜びの体験は紹介しました。

現代靈氣セミナーレベル1、レベル2に参加して 土井先生からアチューンメントを受けましたが いわゆる氣の感覚を感じたにすぎません。氣の動きは右回りの入ってくる渦、左回りの出ていく渦、ピリピリする感覚、お風呂よりもっと柔らかく包み込む温かい感覚・・・色々です。

「両手を上げてレイキの光とつながる(自分が光のシンボルになる) 靈氣法のスタート」を体験しましたが、手を通して受け取ったのは氣の感覚です。

この違いは何でしょう?

•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪

ダンワールドでのダイナミック瞑想で、セドナや韓国の瞑想旅行で、様々なワークショップで 天地氣運に出会い続けました。その出会いは激しい魂の嘆きを伴うものでした。畏敬の念に膝まつきながら 血の涙を流し続けました。

ワークショップの中で想念を消すエクササイズがありました。魂に対するイメージまで無に戻したとき 胸からエネルギーが立ち上ってくる感動的な体験をしました。それはクンダリーニが覚醒して基底部から立ち上がってくるエネルギーとは別の感覚でした。

.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪¸.•*¨`*ིྀღ •♫♪

靈氣の色は白だといわれます。

シーターヒーリングでも存在の第7層は白い光といわれます。

魂の置き換えのエクササイズで見た色も白、霊現象で見たいろいろな映像も白・・・無職透明な白昼光は 白い光と表現するのでしょうか?白昼光こそすべての色の光が集まった光です。分光すれば虹になります。

しかし生命エネルギー、プラウナといわれる光は紛れもなく金色に輝いています。暗闇の瞑想で見た光も金色です。

しかし敬愛する矢作先生は 氣の色は黒だといわれる。

以前 富士山でエネルギーを見ていると金色の光の中に黒い光が混じっているのを見たことがあります。金色の太陽光線とは別に 磁氣が漂っているのが見えたのかと思っていました。

氣の流れとは磁氣の流れを言うのでしょうか?


Facebook伊藤 マナさん投稿記事

今、アナトミーセミナーの真っ最中 シータヒーリングはまさにこれをやっているのです。

伝え続けている内容を友邦さんが明瞭にFacebookに投稿されているのでシェア

波動が作る干渉模様は宇宙に情報を記憶し、宇宙のあらゆるものは相互に結びついていてどこでも瞬時に情報を受け取ることが出来るのです。

自己の本質は物質領域の次元を超えた存在です。

波動の姿を見せるか粒子の姿を見せるかはわたしたちがどのような種類の問いかけをするのかにかかっているというのです。

Facebook清水 友邦さん投稿記事·

宇宙から地球をみれば国境線はなく国家もありません。

たった一つの地球の上で争いをするのは愚かなことだと私たちは気がつきはじめています。

アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルが1929年に宇宙は膨張していることを発見して宇宙の年齢を18億年と計算しました。

現在地球の年齢は46億年といわれていますから18億年では息子よりもお母さんの方が若いことになってしまいます。

2003年に宇宙の年齢は約137億年としました。現在の宇宙年齢は138億年と推定されています。

1920年代より量子力学という学問が発展してきました。

それにより古典的な物質の概念は完全に崩れ去ってしまいました。

物理学者が素粒子や光のエネルギーを調べると奇妙な振る舞いをしました。

光は波動と粒子の二つの性質を持っていますが、同時に二つの性質を測定することが不可能なのです。

位置を測定するとエネルギーが、エネルギーを測定すると位置がわからなくなります。

学者が70年以上議論しましたが波動の姿を見せるか粒子の姿を見せるかはわたしたちがどのような種類の問いかけをするのかにかかっているというのです。

波動でもあり粒子でもあることを非局在性と呼びます。

非局在性とはこの宇宙における現象が、離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っているということです。

非局在性の思考実験に有名な「シュレディンガーの猫」があります。

まず、一匹の猫を捕まえて有毒ガスが何時噴出するか判らない装置を仕掛けた箱に猫を入れます。

この箱を開けた時に猫は死んでいるか生きているのどちらかです。

有毒ガスが出れば猫は死に、出なければ生き続けます。

量子力学ではそうしたことはありえません。

箱が閉されているかぎり、そこにあるのは生と死の確率的な重ねあわせです。

すべては波動関数の重ね合わせですから、猫は生きていてなおかつ死んでいるということになります。

アインシュタインは量子力学はどこか本質的な所で間違っているといいました。

ボーア(デンマークの理論物理学者)は「粒子とは何かと問いかけること事態が間違っている」といっています。

量子力学は観測を扱うもので観測されるものを扱うものではないとウィグナー(ハンガリー出身のユダヤ系ノーベル賞物理学者)は述べています。

ハイゼンベルク(ドイツの理論物理学者)は世界は物質的な構造ではなく数学的な構造で作られているといいました。

究極の物質を探した科学者は困惑しました。

量子力学ではもはや孤立した実体というものは存在しないといっているようなものだからです。

観測するという行為自体が素粒子の状態を変えてしまうのです。

観測すれば二度と同じ状態にならないのです。

科学では客観的に客体を観察し記述しなければなりませんが、素粒子のレベルでは私という観測者も観測されるものに影響をあたえてしまうので観測者と観測されるもの両方含めた全体が問題になってくるのです。

もはや世界を客観的に観察することは出来ず世界を主体と客体の相互作用としてか捉えられないのです。

文化人類学という学問があります。

学者は先住民の社会にフィールド・ワークに出かけてゆきその社会の記録を取ります。

ですが学者が訪れたことにより、学者を意識して人々は以前とは違った行動をとってしまいます。

学者が関与したことによって社会の構造が変化してしまい、もはや訪れる以前の社会を客観的に記述することは出来ないのです。

記録出来るのは元のあるがままの社会ではなく学者が関与して変化した社会で、しかも学者の見方を反映した社会なのです。

物理量の最小単位である量子は社会性が高く情報の伝達が時間と空間を超えて瞬時に行なわれ、また素粒子は消えて別な所にテレポーテーション瞬間移動したように振る舞うことが報告されています。

1947年にガモフが発表した火の玉が爆発し膨張(インフレーション)して宇宙が出来たとするビックバン宇宙論は今や古典となってしまいました。

時間を巻き戻して濃縮すると理論が破綻してしまうのです。 

80年代から究極の粒子は振動するヒモだとするスーパーストリング理論(ひも理論)が注目を集めて来ました。

85年にそれまで問題とされてきた数学的矛盾が解決されさらに95年にエドワード・ウィッテンによって5種類あったあったひも理論が統合されM理論が発表されるやいなや万物の理論として一躍、世界の脚光を浴びることになりました。

著作年代がばらばらな宇宙論ばかり10冊以上読むと明らかにM理論が出て来た95年以前と以降では内容が異なります。

昔は研究者が4次元以上の話をするものはおかしいと思われていました。

今ではSF小説の題材が真面目に取り扱われています。

機械的な宇宙の姿は消えてしまいました。

私たちの宇宙は3次元を超越した4次元の一つの膜(ブレーン)に存在して、そして遥か大きく高い次元の空間の内部にあります。

M理論では11次元の時空が考えられています。

私たちは高次元の宇宙にただよう小さな膜の中に閉じ込められて住んでいるのだといいます。

ワームホールという空間の裂け目も考えられています。

そしてすぐとなりには蒸気の泡のように多数の平行宇宙が存在しているのです。

泡の一つの内部で起きていることが膜(ブレーン)に映し出されます。

膜(ブレーン)に映った影が私たちなのです。

これが数学モデルによって導かれた説明なのです。

「微小なる世界はすなわち大世界であり、大世界がすなわち微小なる世界であると知るのである。広大な世界はすなわち狭い世界であると知り、狭い世界はすなわち広大な世界であると知り、無量の世界は一の世界に入ることを知り、一の世界は無量の世界に入ることを知り、(中略)

一切の世界はあたかも虚空のごとくであると知り、一念のあいだに一切の世界をことごとく知りつくそうとおもうがために、菩薩は、無上の悟りに向う菩提心をおこしたのである。」

『華厳経 初発心菩薩功徳品』 (3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられた仏典)

おのおのの存在は独立して存在しているのではなくお互いに影響しあった関係性の中で宇宙の織物を編んでいます。

セラピーの現場で単一の細胞から恒星、銀河まで星の誕生と終焉まで体験する人がいます。

私たち自身が宇宙のあらゆる情報が記録されている波動干渉パターンの一部なのです。

波動が作る干渉模様は宇宙に情報を記憶し、宇宙のあらゆるものは相互に結びついていてどこでも瞬時に情報を受け取ることが出来るのです。

自己の本質は物質領域の次元を超えた存在です。

月が欠けては満ちるように見えても月はかわらないように

私達の命もあらわれては消えているように見えても高次元では変わらずにあるのです。

あらゆる存在は死ぬことも生まれることもありません。

「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとくあり」ヘルメス・トリスメギストス

「ブラフマンは万物の内にあり、しかも万物の外にある万物は彼を知らず、万物は彼の身体」

「愛する妻の抱擁にあるものが内も外も知らぬように、 聖なる魂の抱擁にあるものも内も外も知らぬ」

バラモン教典 ウパニシャッド



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000