『証言・昭和の俳句 増補新装版』

https://haikualpha.jp/showa/001.html 【『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む①】より

【1】13人のインタビューから浮き上がる「昭和の俳句」のシルエット

(俳句αあるふぁデジタル特別版:2022年3月発行「愛の歳時記365日/第25回毎日俳句大賞作品集」初出)

インタビューの対象となったのは、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田千空、古舘曹人、津田清子、古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄の各氏。前衛系の俳人が若干多い傾向にありますが、俳句観や師系はそれぞれ異なっています。共通しているのは、学徒出陣世代であること、つまり、主に大正初年代に生まれ、当時八十代を迎える世代であったことです。インタビューから20年余が経過し、昨年9月15日に深見けん二氏が99歳で長逝したいま、インタビュイーは全員が物故者となりました。連載から最初の単行本化にいたるまでにすでに古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、三橋敏雄が世を去っています。林桂氏は初刊時にこの点に触れて〈「証言」をぎりぎりのところで残すことに成功した貴重な企画〉と評価しています(林桂『俳句・彼方への現在』2005年)。

四五人に日向ばかりの秋の道(桂 信子)

かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)(鈴木六林男)

八つ手の実停年以後の人さまざま(草間時彦)

彎曲し火傷し爆心地のマラソン(金子兜太)

雪の上鶏あつまりてくらくなる(成田千空)

そちこちに縄垂れてゐる春障子(古舘曹人)

紫陽花剪るなほ美(は)しきものあらば剪る(津田清子)

啄木忌春田へ灯す君らの寮(古沢太穂)

塩田に百日筋目つけ通し(沢木欣一)

胸ふかく鶴は栖めりきKao Kaoと(佐藤鬼房)

翁かの桃の遊びをせむと言ふ(中村苑子)

草に音立てゝ雨来る秋燕(深見けん二)

いつせいに柱の燃ゆる都かな(三橋敏雄)

インタビューの内容は、人生の来し方や俳歴、師・友との交流、俳句史上の出来事など多岐にわたります。昭和後期を代表する俳人が、俳句とともに歩んだ長年の記憶を一気に語るのですから、一人のインタビューの中でも話題はあちこちに飛びます。しかし一見すると雑多なエピソードも、丹念に見ていくことで、その俳人、その時代のシルエットが浮かび上がってくるようです。

例えば桂信子は、女学生時代に『現代日本文学全集』に載っている日野草城、山口誓子、島村元の写真を見て、若くてハンサムな人が俳句を作ることに驚いた、と言います。この全集は当時非常に売れ、大衆に文学を浸透させるきっかけとなった円本(一冊一円の廉価な本)の代表格です。他にも、読書が好きで『文芸春秋』を講読しており、草城の代表的連作「ミヤコ・ホテル」の批評も雑誌で読んだとか、女学校を出たあと、当時新しかった花嫁学校に通いながら、映画三昧の日々を送ったといった話も出てきます。こうしたエピソードをつなぎ合わせることで見えてくるのは、モダニズムの気風が浸透した昭和初期に、文化の空気を胸いっぱいに吸う若き都会人の姿でしょう。

また、各人が思い思いの話をしているにも関わらず、通読すると一つの物語に収束する、さながら群像劇のような印象の一冊でもあります。この増補新装版には、20名の俳人・文筆家による書き下ろしの書評が収録されているのですが、独立した各インタビューを横切る糸の存在を読み取る評者が何人かおられます。例えば五十嵐秀彦氏や坂本宮尾氏・関悦史氏は、インタビュイーの語りの中に見え隠れする西東三鬼の存在感を指摘し、神野紗希氏は、ホモソーシャルな俳壇で俳句に打ち込んだ女性俳人たちの連帯の物語を見て取っています。

とりわけ評者らが注目しているのは「昭和の俳句」という言葉が背負っている大きな物語についてです。「昭和の俳句」とは、単に元号によって俳句の歴史を機械的に区分する言葉ではありません。歴史にはいつも大きな流れがあります。

証言からは、人びとが俳句をめぐって複雑に集合し離散する様子、激しい論争を展開する様が浮かび、濃密な人間関係があったことが窺われる。ほどよい距離感を保つ人付き合いが好まれる現在から見ると、ここに描かれる人間模様は、やはり昭和時代のものであったと思う。(坂本宮尾)

現在、当時のような意味での「歴史」はなく、存命中の俳人で同種の本を作っても、個人の人生がばらばらに浮游するだけだろう。(関悦史)

「昭和の俳句」はこのように、今では失われた人間関係の場として、現在との対比から語られます。では、「昭和の俳句」とは、具体的にはいったいどのようなものだったのでしょうか? 本書を読むうえで知っておきたい昭和俳句の歴史を見ていきましょう。

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む⑥

【6】『証言・昭和の俳句』を読み終えて(最終回)

『証言・昭和の俳句』を通読して得られる刺激や感想は多種多様です。単独でインタビュアーの役目を全うし、そして次世代への記憶の継承を願って復刊にこぎつけた黒田杏子氏の苦労が結実したこの一冊が、「平成/令和の俳句」の歴史として回想される日もあるかもしれません。

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む⑤

【5】時彦と曹人の「昭和の俳句」

金子兜太、三橋敏雄らのインタビューから浮き上がる句作と論争の歴史も「昭和の俳句」であれば、時彦と曹人のインタビューで語られる裏方の事情も「昭和の俳句」の一部分です。今回はこのふたりに焦点をあてます。

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む④

【4】東奔西走する「昭和」の俳人たち

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読み進めるうえで知っておきたい俳句の歴史を紹介する本シリーズ、今回は1950年代以降の証言に注目します。

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む③

【3】戦後俳句のはじまり――紙不足・新雑誌・復員

『証言・昭和の俳句 増補新装版』を読む②

【2】「昭和の俳句」を方向づけた戦前・戦中の俳壇の熱気


https://ameblo.jp/ohimikazako/entry-12692494873.html 【「証言・昭和の俳句」】より

いま、「証言・昭和の俳句」を再々読しています。

我が師・黒田杏子先生が聞き手となり、戦後の俳壇をリードしてきた俳人13名が昭和の俳句を語った一書。約20年前に角川選書から出され絶版となっていた上・下巻が、今年の八月十五日に、新たに20名の書き下ろし原稿を加え、増補新装版となって発刊されました

黒田杏子先生は、今年の八月十五日に、この本を改めて発刊することを決意されました。

76年目の終戦の日。東京新聞では平和の俳句が特集され、金子兜太先生より選者を引き継がれた杏子先生の選んだ俳句は今年も掲載されていました。

私は、この「証言・昭和の俳句」を、最初に発行されたおよそ20年前と、それから昨年、黒田杏子先生が第20回現代俳句大賞を受賞された際に読んでいます(現代俳句大賞の授賞理由には「証言・昭和の俳句」をまとめられたことが大変評価されたとのことです)。

そして、今、増補新装版となった本書を手にして、感動を新たにしています。

詳しくは本書をぜひお読みいただきたいと思いますが、今、この八月に、金子兜太先生の証言を、心にしかと刻んでおきたく、ここに書きとめておきたいと思います。

「おまえのいままで七十九年間の生涯の代表句は何だ」と問われたら、〈水脈の果炎天の墓碑を置きて去る〉という、トラック島から引き揚げるときの、あの句と答えます。

 さっきも申し上げたように、私にとってはあのときの非業の死者、戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんですね。「非業の死者に報いる」という言い方をする。反戦という考え方に繋がりますね。そういう考え方でずっと戦後をやってきたつもりです。

 ところが、当初やろうとしたことが挫折したり十分にいかなかったりして、現在、俳句に来ているわけですが、私はこの俳句というものに結び付けたことは、自分のそのときの考え方と矛盾してない。むしろ考え方に沿っていると思っています。そのこと、よかった、と思っているのです。

 それはひとつには、俳句は大勢の人が作っている世界であるということ。しかも、そのことと合わせて、いまの時代になるとよけいそれが痛感されるんですが、俳句を作るということは十分に平和な行為です。俳句を宣伝の武器として戦争をするということはまずないわけだ。大勢の人が俳句を作っていられるこの平和な社会を好んでいるということに私も参加している。これは私が、戦争のない平和な社会をつくりたいと考えてきたことの、もちろん全面的じゃないけれど、かなりの充足になっていると思ってますよ。

 口はばったく言えば、私は平和な世の中ということは草の根を大事にすることだと考えています。上っ面の人だけの平和なんてのはだめだ。その草の根を大事にするということは俳句をやることと密接にかかわっているわけです。これは私が俳句専念を決めたときに考えていたことでもあります。

 俳句というのは日本語の根っこの部分でしょう。五七五がそうですね。日本語表現の根っこの部分に身を置いているということが、自分も草の根の一人だということに通じる。協力したり、励ましたりもできる。ときにはいい句を作って、刺激にもなれるわけだ。そういうことができて、いっしょに平和を大事にしているということは、〈水脈の果〉の句を作ったときに決意した自分の考え方と現在とそんなにずれてはいない。そう思ってます。

私も、草の根のひとりとして、俳句を作り、読み続けていこうと思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000