Facebook澤江 昌範さん投稿記事 〜 逆手の法則 〜
仏教のなかには、「托鉢(たくはつ)」という「行」があるりますね。
笠をかぶったお坊さんが、手に鉢をもって家々を回り、お布施を頂くという行です。
お釈迦さまは、托鉢に向かうお弟子さん達に、こう言っていたそうです。
「お金持ちの家ではなく、貧しい人達の家を回って托鉢をしてきなさい」
普通に考えれば、お布施をいただくのですから、お金持ちのところに行くのが常識かと思いますが、お釈迦さまの思いは別のところにあったようです。
『貧しい人がなぜ貧しいのか?』
それは、自分のためにしかお金を使わないからで、その人たちに「与える喜び」を味わってもらう機会を生みだすのが、托鉢の真の目的だそうです。
こういうお話しがあります。
「神社のご神体が鏡なのは、なんでだと思いますか?」 鏡は、『この世界はすべて逆なのだ』ということを教えてくれているんだそうです。鏡に映すと、右と左が逆になるように。
神社では、お願いをしにくる人の願いが叶うんじゃなくて、神様の願いを聞きにきてくれる人の願いが叶うんだそうです😃逆なんだそうです。
神社で売られているお守りも。お守りに守ってもらおうと頼る人が守られるのではなく、このお守りを守ろう守ろう、大切にしようと思う人が守られる。逆なんだそうです。
神様の願いを聞きにきてくれる人というのは、自分の願いだけを言いに来る人ではなく、みんなの幸せを願いにくる人なんだそうです。
だから、本来神社では、「神様のお手伝いができますように。 日本が、そして世界が少しでも良くなるように挑戦しますから」こう祈ると良いそうです。
反対が多いんですネ!そして表裏一体なんですネ!☺️
http://gendaihaiku.blogspot.com/2011_04_03_archive.html【耕衣の運動 ―〈茶化し〉】より
もう十年と少し前のこと、船橋で「おおいと」という句会に参加していた。そのなかのメンバーの一人、徳永希代子さんは耕衣主宰の「琴座」(リラ座)同人。彼女から句集『櫻麻』(さくらお)をいただいた。
驚いたのは永田耕衣の序文であった。私の付箋がその句集にまだ残っている。「耕衣、必死で書いている 涙無くして読めぬ!」「永田耕衣の必死が造語を生むのだ。」とメモ書き。
今、その付箋を読み返しても、私の思いは変わらない。この序文は白隠禅師の画賛と墨跡のことから始まる。続いて白隠禅師作の「道謡」とくる。道行「お夏清十郎」を擬した法話と思えばよい。白隠の文を、耕衣は長々と引用して(止まらなかったのであろう)自身の俳句観を書く。
―《人生の危機の魅力》は時々刻々の《魅力》でありつつ、常住《生死》に関わる《無常》の《美》である。ソレは創造としての《奇襲》表現の品位、その妖気の不可思議を糧としてコノばあい、《俳句文学》を現成する。(後略)※19
そして徳永さんの句の紹介に移るが、出だしを引用すると、
―徳永希代子コタビの新句集『櫻麻』(さくらお)の句句に瞠目すれば、妙にもカカル《怪笑》寄りの《不可思議》に出遇う《有時》にめぐまれるようだ。(後略)※19
句の紹介は作者に沿いながらも換骨奪胎ありで、縦横無尽の体。ときどき仏教用語を交えながら、テレビの「女性のアナウンスの語調テンポ」にまで話が及ぶ。だが、団扇をくるっと回したように、柳宗悦からシンラン(親鸞)、一休、岸田劉生となだれ込む。また一転して徳永さんの句の紹介になる。
山姥も人恋しさに真綿引く 希代子
虎が獲物にとびつくように、耕衣の解説が始まる。
―自己《奇襲》的な《茶化し》が目立って面白い。ソレは《自受用三昧》でもあろう。(中略)能楽「山姥」は幾たびも観たが、《人生》の地獄極楽一如の極美地獄ではなかったか、と思い出す。《人恋しさに真綿引く》と「山姥」を見ぬいた希代子は、《俳句》を《人恋しさ(ナツカシサ)》故に作っていると思う。《俳句》は《人生愛》のエロチシズムに於いて存在する、いわば句的哲学であると野老は思い定めている。ソレは《人生》の《危機愛》にアソビ込む志向の好み方をいうに等しいテツガクでもあるからだ。そのアソビ方に《極美》的快感が恵まれるのだ。 ※19
ほとんどの俳句結社の主宰の序文は、読むほうが恥ずかしくなるほど美辞麗句を並べる。主宰は人生の達人なら、弟子は非の打ちどころのない生活者という具合である。もううんざりして序文などに期待していなかった私であったが、耕衣は違った。一所懸命、汗して書いている、と思ったのだ。一弟子の序文に耕衣の名著『一休存在のエロチシズム』と同質の文体と、そして同じ熱意を感じとるのだ。
この序文にはテーマの運び、強調の《 》、そして、言葉は遅い!とでもいうようなカナの使用など、耕衣の運動があますことなく感じられる。耕衣の汗を感じてしまうのだ。
耕衣の句集『而今』は道元の『正法眼蔵』の「山水経」からとっている。
―而今(にこん)の山水は、古仏の道現成なり。ともに法位に住して・・・・・・
『正法眼蔵』を、私は語意を深く考えないで読んできた。いわゆる読み散らかし、という読み方である。その道元を耕衣は「道元さんの文章は、威厳があり過ぎて近寄りにくいということがありますが、私は道元さんにはユーモアというものがあると思うんですね。」と言う。
道元にユーモアを見る、とは今まで誰が言ったであろうか。耕衣のこの発言は道元という運動体のことでもあるのだ、と思う次第。私は、道元を周期的に読み散らかしてきたが、実は、道元の運動を楽しんでいたのだ。
道元のユーモアに対して耕衣は〈茶化し〉を掲げ、これを「諧謔二字の深化俗化的代名詞」と言う。春陽堂刊の『永田耕衣』の対談で、村上護の、〈茶化す〉は運動であり、「般若心経」の空に近いものか?との問いに耕衣はこう答える。
―近いというより全く同質の空です。諧謔ということが、本質的に俳諧の世界に一本通っていますね。それを俗にまでぶち破ると〈茶化す〉という言葉になる(後略)。
「般若心経」や「空」のことはここでは立ち入らないでおく。それよりも白隠、盤珪などの近世の禅僧と禅文化との係わりを重視したいのである。また耕衣偏愛の俳人・上島鬼貫も禅の人であり、盤珪ともども耕衣が生まれ育った土地の傑物である。
さて今回の稿は、今後どのように展開するのか?書きながら一向に見当がつかないでいる。されば耕衣の句を一句、
近山が唇吸い合うや桃の花 冷位
道元『正法眼蔵』の「山水経」にある「青山常運歩」(山は歩く)にエロスが加わった一句である。
そして一枚の禅画。伊藤若冲が描いた達磨図。
ギッター・コレクション展より
禅宗の開祖の達磨、面壁九年の座禅を行じた達磨は江戸時代中期の京の絵師・若冲によって、このように描かれた。「脚下照顧」なのであろうか?達磨の目の運動に注目。「諧謔とは〈茶化し〉である」、真理はそのことによって「人間の基本的な卑俗の世界」に入っていける、と。耕衣の俳句に通底するものがある。 (続く)
※19 徳永希代子句集『櫻麻』 琴座俳句会刊 より
※20 『永田耕衣書画集』 永田耕衣書画刊行委員会 より
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