Facebook諸富 祥彦さん投稿記事·
こんな時にこの一冊!
という本がネットで紹介されていました
https://www.gentosha.jp/article/15019/?fbclid=IwAR2BMOZQl9FXE315QXzgU3f3QBVxVMZmuGdMO389LfSkdjn2wJS-pkG6VHg 【『夜と霧』のフランクルが説く「本当に幸せな人」の考え方 諸富祥彦】より
「悩みから逃げず、きちんと悩める人にだけ濃密な人生はやってくる」。そうおっしゃるのは、心理学者でカウンセラーの諸富祥彦先生。とはいえ、やみくもに悩めばいいわけではありません。「正しい悩み方」があるのです。著書『悩みぬく意味』は、その具体的方法を伝授してくれる本。いつも悩みがちなあなたにぜひ読んでいただきたい本書から、一部をご紹介します。
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「私」でなく「人生」の立場に立つ
フランクルの思想の中でも、読者に大きなインパクトを与えたのは、次のような言葉です。
「あなたがどれほど人生に絶望したとしても、人生があなたに絶望することはない。人生があなたに期待をしなくなることはけっしてない」
「私たちが人生に『イエス』と言えなくても、人生は私たちに『イエス』と言っている。自分のこんな人生にいったいどんな意味があるのだろう、とふさぎ込み、絶望していたとしても、人生は『イエス』と語りかけてくれる」
「何かがあなたを待っている。誰かがあなたを待っている」
これらの言葉に共通するレトリック。それは「私」(もしくは「あなた」)と「人生」(もしくは「誰か」「何か」)との位置の転換です。
「私」の立場から見るのではなくて、「人生」の立場に立ってみよ、という立脚点の変更の要請です。
「私」が「人生」に期待するのに先立って、「人生」が「私」に期待している。
「私」が「人生」にイエスと言えなくても、それに先立って、「人生」は「私」にイエスと語りかけてきてくれている。
こうした言葉によって、フランクルは、「私」(もしくは「あなた」)と「人生」との位置を180度転換せよ、と迫ってきているのです。
要するに、フランクルは、こう言うわけです。
生きるとは、私たちに絶えず送り続けられてきている「人生からの問い」を引き受けて、それに責任を持って「答え続ける」ことである。
私たちは、人生全体をかけて、このことをやりぬかなくてはならない。
フランクルのこの考えを真に受け入れることは、しかし、私たちの生き方、「人生への構え」そのものに、ある根本的な転換をおこなうことを意味しています。
私たちはふつう、人生を「自分のしたいこと」をしていく場だと考えています。
自分の夢を実現する。希望や願望を実現し、目標を達成していく……。そんなものだと考えているわけです。
もちろん、自分のしたいこと、やりたいことを実現していくことは、それ自体悪いことではありません。しかし、「幸福になりたい」という人間の欲望には際限がありません。
ある地位を手に入れたらもっと高い地位が欲しくなる。
ある程度有名になれたらもっと名声を、と思ってしまう。
それが世の常で、だから「幸福になりたい」という欲望に駆り立てられている人は、どこまでいっても心の底から満たされることがありません。絶えず「何か足りない」「どこか満たされない」という欠乏感を抱き、「永遠の不満の状態」に陥ってしまうのです。
「欲望の虜」では幸福になれない
幸福は、それを求めれば求めるほど、私たちの手からスルリと逃げ去ってしまう、という人生のこの逆説的な真実。すなわち「幸福のパラドックス」。
古来、哲学者たちはこの人生の真実を説き、その罠に陥ることのないよう人々を戒めてきました。フランクルもまた、人生のこの罠から人々を解き放とうとします。
そのために、「人生への基本的な構え」「基本的な人生哲学」を180度、転換することを求めるのです。
つまり、「私のしたいこと、やりたいことをするのが人生だ」という人生観から、「私のなすべきこと、私がこの世に生まれてきたことの、意味と使命とを実現していくのが人生だ」という人生観へと転換すること。
こうした生き方の転換が、「欲望の虜」となり「永遠の不満の状態」にイラだちながら生きる状態から脱け出して、「私は、なすべき時に、なすべきところで、なすべきことをしている」という深い「生きる意味の感覚」に満たされて生きていくことができるようになるためには必要なのだと、フランクルは言うのです。
これまでの心理学では、次のように自問するよう促してきました。
「私が、ほんとうにしたいことは、何だろう」
「私の人生の目標は何だろう。どんな希望や願望を実現したいのだろう」
これは、言わば「幸福の獲得を目指す問い」です。しかし、このように自分に問うていくと、私たちの欲望はかき立てられ、ますます「欲望の罠」にはまってしまいます。
そこでフランクル心理学では、これを逆さにし、次のような問いに変えます。
「私は、この人生で何をすることを求められているのだろう」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰だろう。その人は、どこにいるのだろう」
「その誰かや何かのために、私にできることは、何があるだろう」
フランクル心理学では、絶えず、このように自問しながら生きていくように勧めるのです。
つまりフランクルが私たちに求めているのは、「欲望や願望中心の生き方」から「意味と使命中心の生き方」への転換です。
「人生でしたいことをする生き方」から「この人生で果たすべき使命を果たしていく生き方」への転換です。
そうすることではじめて、私たちの人生は、欲望への執着から解き放たれ、深い生きる意味と使命の感覚に満たされた人生を送ることができるようになるのです。
https://www.gentosha.jp/article/15038/ 【たった15分で悩みが軽快!今すぐできる「フォーカシング」 諸富祥彦】より
「フォーカシング」を体験する
これから、自分が今、悩んでいることを一つ取り上げて、それについてフォーカシングをしてみましょう。以下に、基本的なインストラクションを示します。
やってみて、「一人ではなかなかうまくいかない」とか、「これでいいのかどうか、よくわからない」と思われる方も多いかと思います。けれど、私のこれまでの経験では、ポイントさえ押さえておけば、最初から一人でできる方も少なくありません。まず、15分ほど時間をとって取り組んでみましょう。
(1) 何か、気になる問題、あなたを今困らせている「悩み」を一つ、とりあげましょう。
最初の練習ですので、あまり深刻ではない問題、「ちょっと気がかりなこと」くらいがちょうどいいでしょう。たとえば、先に例として示した「ちょっと気がかりな友だちのこと」くらいが、ちょうどいいと思います。
(2) からだの感じに注意を向けてみましょう。
(1)で選んだ悩み、少し気になることをありありと思い浮かべていると、「からだのどこに、どんな感じが生じてくるか」を確かめてみます。
「あのこと(あの人)について私の内側は、どんな感じでいるのかな」と、自分の内側に問いかけてみましょう。その問いに自分で答えようとしないで、それに対する反応が内側のほうから自然と返ってくるのを静かに、根気強く待ちましょう。
(3) 何かが出てきたら、それがどんなものであっても、ただそのまま認めましょう。
「あなたはそこにいるんですね。知っていますよ」──そんな姿勢でどんなものが出てきてもただそれをそのまま認めていきましょう。
(4) 出てきた「それ」の側にいて、関心を注ぎつつ眺めているような姿勢でいましょう。
しばらく「それ」の側にいて、関心を注ぎつつ、そこから何かが出てくるのを待っていましょう。無理に頭でこじつけて考えたりしないように。
(5) その感じにぴったりくる言葉、イメージ、音、動作などを探してみましょう。
何か出てきたら、そのまま受け止めましょう。
「うまくやる」必要はない
(6) 出てきた言葉、イメージ、音、動作などを、ほんとうにそれがぴったりくるかどうか、自分の内側に戻して響かせてみましょう。
「これでぴったりかな」「部分的にはいいけど、もっと何かある、ということはないかな」「もっとぴったりくる言葉やイメージはないかな」と自分の内側にたずねてみましょう。
(7) もうじゅうぶんにやれたという感じになるまで繰り返して、出てきたものを受け止め、味わいましょう。
(8) 出てきた言葉やイメージ、音、動作などが抽象的すぎて、それが自分の生活にとってどんな意味があるのか、気になった時は、こんなふうに自分に問いかけてもいいでしょう。
「生活の中で、それと似たものはないかな」
(9) じゅうぶんにやれたという感じが得られたら、「もっとそこに何かないかな」と内側の「それ」にたずねましょう。
「もっとある」と答えが返ってきたら、それに注意を向けましょう。ないようであれば、そろそろ終わりにしてもいいかどうか「それ」にたずねてみましょう。
(10) 終わってもいい、という答えが返ってきたら、今自分がいるところに目印(一番ぴったりきた言葉、イメージ、音や動作など)を付けましょう。
そして、出てきたすべてのプロセスに感謝して、ゆっくりと終わりにしましょう。
フォーカシングは、ひとりでおこなうこともできますが、もし可能であれば、誰か信頼できる人に側にいて聴いてもらえるといいでしょう。聴く人は、そこで出てきた言葉をゆっくりといっしょに繰り返してあげるといいでしょう。余計な心配やアドバイスはせずに、ただ、相手が言った言葉をそのまま繰り返すだけです。それ以上のことは、一切する必要がありません。
今、フォーカシングを体験してみて、いかがだったでしょうか。
自分の内側に、ぐっと深く入っていくことができたでしょうか。
とりあげたテーマ(悩み)について、自分の内側はどんな感じでいるのか、こころの声を聴くことはできたでしょうか。
何か、一つでも、気づきやヒントのようなものは得られたでしょうか。
うまくやる必要はありません。
我流でもいいので、今、あなたを困らせている「悩み」について、自分の内側の声を少しでも聴くことができればそれでいいのです。
https://www.gentosha.jp/article/15037/ 【不安、孤独、絶望…心が壊れそうなときは「脱同一化」が効く! 諸富祥彦】より
ネガティブから距離をとる
「脱同一化」というのは、「私」が「死にたい気持ち」や「圧倒的な孤独感」に圧倒され、覆い尽くされ、翻弄されている状態、すなわち、「私」がそういった否定的な気持ちと「同一化」してしまっている状態から「私」を引き離し、否定的な気持ちから距離を取ることです。さまざまな悩み苦しみや否定的な気持ちと、一定の距離を取り続ける「こころの姿勢」を保つことです。
自分の心の内側から、死にたいとか、つらいとか、もうだめだとか、あいつを殺してやりたいとか、一生憎んでやるとか……どんな気持ちがどれほど出てきたとしても、それがどんなものであったとしても、ただそれを「あぁ、こんな気持ち、ここにあるなぁ」と、「ただそのまま認めて、眺めていく」のです。
何が出てきても認める。ただそのまま、認めて、眺める。解釈したり、いじくったり、考えたりせずに、ただそのまま、認めて、眺める。
たとえば死にたい気持ちが湧いてきたら、「あぁ、死にたい気持ち、ここにあるなぁ」と、なにかものごとを観察するかのような姿勢で、ただその気持ちの存在を認めて、眺める。あるいは、どうしようもなくさみしい気持ちが湧いてきたら、「あぁ、さみしい気持ち、ここにあるなぁ」と認めて、眺めていく。ただひたすら、この作業を続けていく。それだけのたいへんシンプルな方法です。
なぁんだ、そんなこと、と思われたかもしれません。しかしこれが、やってみると意外に難しく、しかもものすごく大きな効果を発揮するのです。
「脱同一化」こそ、どんな最悪の状態になっても、何とか日々をしのぎ、持ちこたえるための「こころの姿勢」を体得していく最強の技法です。
たとえば、次のような「最悪の状態」の時のことを想像してみましょう。
お金がない。仕事がない。友人もできない。恋人はいないし、結婚なんておぼつかない。親も冷たい。自分でも自分のことが才能があるとも魅力があるとも思えない。
あぁさみしい。いくら待っても、誰からも、電話もこなければ、メールもこない。たまに来たと思ったら、迷惑メールだけ。こちらから電話できる相手もいない。
あぁさみしい。圧倒的に孤独だ。こんなただただ孤独な状態のまま、日本人の平均寿命まで、あと40年も生きていかなくてはならないと思うと、たまらなくなる……。いっそ、死んでしまえればどんなに楽なことか……。
こんな「最悪の状態」にあなたが今、なっているとします。
これが「魔法の言葉」だ
そんな時、次のように声に出して言ってみるといいでしょう。
「私は私である。私は“死にたい気持ち”を持っている。けれど私は、“死にたい気持ち”ではない」
「私はここ。死にたい気持ちはそこ」
「私は私である。私は“圧倒的な孤独感”を持っている。私の中には“圧倒的な孤独感”がある。でも私は、“圧倒的な孤独感”ではない」
「私はここ。孤独感はそこ」
そう言いながら「どんな気持ちであっても、ただそれを、認めて、眺める」姿勢を反復して身につけていくのです。
大切なのは、反復練習です。毎日、毎日、家の中でも電車の中でも、思いついた時に、まわりの人に迷惑がかからないような仕方で、繰り返していきましょう。
実際に、声に出さなくても、心の中だけでつぶやきながらおこなっていけばいいのです。
毎日毎日、おこなっていると、いつの間にか、「死にたいようなつらさ」や、「圧倒的な孤独感」から、少しずつ、「距離」がとれるようになってきます。しかも、反復練習しているので、ひとりでにそのようなこころの構えが自動発動するようになってきます。
死にたくなったら、「あぁ、死にたい気持ちが出てきたなぁ」と観察するような姿勢で認めて、眺める。もうだめだ、と思ったら、「もうだめだ、という気持ちがあるなぁ」と観察するような姿勢で認めて、眺める。ただただひたすらこれを繰り返していくのです。
少しからだを動かしながらおこなうと、よくわかる、という方も少なくありません。
今、その場で立ち上がって、目の前に、実際の自分がいて、「いっそ、死んでしまいたい気持ち」や「どうしようもなく、さみしい気持ち」を抱え込んで座っている、と想像してください。そして、距離を置いて立ったまま、「その悩み苦しんでいる自分」に向かって、一歩下がりながら(スウェーバックしながら)こう言ってみるのです。
「私はここ、苦しい気持ちはそこ」
「私はここ、死にたい気持ちはそこ」
「私はここ、さみしい気持ちはそこ」
この方法をふだんから反復練習して身につけておくと、たとえばつらい気分で沈み込んでいる時に、ふと魔が差して、電車に飛び込んでしまいそうになった場合などの、緊急避難の方法としても、有効です。
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