https://ameblo.jp/takatoshigoto/entry-12631860961.html 【黒田杏子の世界 — 俳句を貫く身体性の輝き —】より
ここ十年来、日本語ブームが続いている。近刊の「文藝春秋」季刊秋号『素晴らしき日本語の世界』では、斎藤孝氏と書道家の武田双雲氏との対談「身体的日本語論」における「身体性をもつ言葉」への志向に刮目した。筆勢などに言葉の記号性を超えた個人の身体性を顕現しうることにおいて肉筆は活字に優ると言って良い。しかし、例外もある。活字であってもそれらを口ずさむときに体感される音律によって詩歌の言葉はまさにその身体性を発揮する。寄稿者の多くが日本の伝統的詩歌に触れるなど様々な形で言葉の音楽性について言及していたゆえんでもある。
さて、前述の「文藝春秋」季刊秋号では俳人としてただひとり黒田杏子氏が「手紙を書こう」という特集に「その日、生きた証として」という文章を寄せている。「もんぺスーツ」で「四国八十八カ所遍路吟行」など、行動派俳人としてすでにその作風は身体性に裏打ちされている。
近著の随筆集『俳句の玉手箱』(飯塚書店)では、ドナルド・キーンや瀬戸内寂聴をはじめ、その幅広い交流を通して氏の日本文化に寄せる並々ならぬ思いが伝わってくる。それにしても、こうした氏の情熱はどこからやって来るのか。
秋声を聴く辺地をゆき辺地をきて 杏子
あとがきに「〈観察〉は森羅万象あらゆる存在との出合いの原点」とあるように、俳句を通した山川草木との対話によって風土と一体化するような魂の交流こそ心強いものはない。〈身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな〉(『花下草上』角川書店)と近作の〈花冷えや身の奥底に鐘の音〉(「俳句」七月号・角川書店)との共鳴は〈観察〉を超えて〈観音〉へ至る。小島ゆかり氏が「黒田杏子は季語を生きる人」と評したことをなるほどと思いつつも、例えば次の句などに、季語や客観写生を貫道して溢れ出る物の見えたる光をこそ感じて止まないのである。
花びらの渦のこの世にかぎりなし 杏子(同前)
http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/archives/5729961.html 【ドナルド・キーン先生との出会いと別れ】より
(11月13日)往復書簡では俳人の黒田杏子さんはドナルド・キーンの死による喪失感と養子のキーン誠己さんが設立した記念財団への想いを託している。
(第5信~未来への遺産~黒田)
(ドナルド・キーンの死) 2019年2月初めに誤嚥性肺炎で再び入院したドナルド・キーンは、2019年2月24日早朝、96歳で死去した。誠己さんはマスコミ各社の取材に応じ「知り合ってから12年と3カ月。長いようで短く、短いようで長かった。普通の親子以上の、密度の濃い親子でした」と述べた。「お別れの会」は4月10日午後、東京・青山葬儀所で開かれ、冷たい雨の中1500人が参列した。
『キーン先生の「お別れの会」も実に愉しく忘れられない時間。「日本の皆さまに感謝」というメッセージ。一幹のしだれ桜が印象的な祭壇の両側に大型スクリーン。そこに先生憧れのかのプリマドンナ、マリア・カラスの映像と共に永遠の歌声も流れたのでした。紋付袴姿の喪主キーン誠己さんの謝辞に感動しなかった参会者はおられません。コロンビア大学の愛弟子の方々も男性女性、世界中から参列。見事な日本語に圧倒されました』
(記念財団の設立) キーン誠己さんは今年5月、父の業績を顕彰する一般財団法人「ドナルド・キーン記念財団」を設立した。
『記念財団もスタート。その理事に加えていただきました。世界に門戸を開き、自由平等かつ創造的なその活動の場が、キーン先生の神聖な書斎を事務所として出発。この発想が実に素晴らしい。先生の遺された世界は厖大(ぼうだい)。私は先生が独自の眼で蒐められた書画骨董・焼物などの公開をとりわけたのしみにしています。講演をされ、交流を深められた記録が日本中に映像・音声共に保存されているはず。財団としてその全記録をまとめられ、「ドナルド・キーンの日本」(仮題)とでもして公開できたら・・・と希っています』
『日本中で実践されたライブ講演と交流の記録こそ「未来への遺産」であり、私たち日本人にとっての「玉手箱」。英訳をつけられれば「世界遺産」です。日本文化の伝道師ドナルド・キーン先生記念のこの財団の活動に、私は日本中の方々、とりわけ未来を拓く若い方々が心を寄せられ、共に活動してくださることを確信、期待しております』
(第6信~地を這うように~誠己)
『父はもらった手紙、特に作家たちの書簡は大切にしてコロンビア大学の東アジア図書館に寄贈しました。それは1000通近くあり昨秋オリジナルを特別に見せてもらいましたが、谷崎、川端、三島、安部(公房)、司馬(遼太郎)、大江健三郎、小田(実)と目も眩むほどでした。言うまでもなくすべてが手書きで、特に三島からの100通以上の手紙は量も質も圧倒的な迫力でした』
手紙や葉書を書きポストに自ら投函すること、郵便局に行くことも大好きでした。ドナルド・キーンにとっては好き嫌いの対象というよりも日常生活の最重要の行動でもあったようです。誠己さんはいつか「ドナルド・キーンと手紙展」と題して手紙や写真を展示する企画展の開催を思い描いておられるとか。
『ドナルド・キーン記念財団がささやかながらようやく船出しました。(黒田)先生にも理事になっていただき、父は喜んでいるに違いありません。設立の一番の理由は、遺族として父の思いを直接反映できる組織があるべきと考えたからです。すでにあるコロンビア大学のドナルド・キーン日本文化センターやドナルド・キーン・センター柏崎、東京都北区中央図書館など関連機関と協力し合い、あるべき姿を模索してまいります』
『父は自らの業績を、天才的努力を積み重ねて成し遂げた人でした。きっと私にも地道に地を這うように、できる範囲で皆様の助言や協力のもと、小さくとも愛される財団に育てなさいといっているように思います』
誠己さんは「未来への遺産」、「世界遺産」、「ドナルド・キーンの日本」と夢は大きく『頑張りましょう』と黒田さんへの第6信をしめくくった。『頑張りましょう』は父が時として口にした言葉とか。そして「往復書簡」の最後を『父から発せられるとそこはかとない明るいユーモアが漂っていて大好きでした』との一文で飾った
http://ooikomon.blogspot.com/2020/04/blog-post_30.html 【黒田杏子「蕗のたう母が揚げますたすきがけ」(「藍生」5月号より)・・】より
「藍生」創刊三十周年記念5月号(藍生俳句会)、特集は「母」、それに絡む黒田杏子論など。現代俳句協会主催の今年の現代俳句大賞は、黒田杏子。さすがに現俳協らしい、いわゆる俳壇的な垣根を超えての授与である(慶祝)。特集冒頭は黒田杏子「無名の俳人」には、
母からの手紙、はがきはすべて捨てていない。「杏ちゃん、句作と会社の仕事。どうぞ身体に気をつけて。自他共に納得できる作品をめざして精進して下さい。いい句に恵まれることをお母さんはいつも祈っています。謙虚に先人の名句に学んで、あなたならではの俳句が生まれるものとを信じています。焦ることはありません。人と競う必要は全くありません。素直に大らかにゆっくりと精進してゆくことが大切。杏ちゃんにはその性質が子供のときから備わっていました。人と競うのではなくあなた自身をゆっくり高めてゆけばいいのです」
無名の俳人、齋藤節。母を想えば勇気が湧く。お母さんありがとう。
とあった。
ほかに筑紫磐井「黒田杏子論ーその新・宇宙論」は「なんと30年前に執筆された原稿です」とキャプションが付されている。「俳句空間」第16号(91年3月刊・上掲写真)その「俳句空間」(弘栄堂書店)は毎号、注目の作家2名の100句選と作家論一篇を掲載していた。この時の、黒田杏子100句選は岩田由美選、黒田杏子論が筑紫磐井だったのだ(この号の編集協力委員は阿部鬼九男・夏石番矢・林桂だった)。その論が本誌に再掲載されているのだ。その論の多くは、黒田杏子の第一句集『木の椅子』に触れながらのものであったが、いまだに出色の黒田杏子論になっていよう。その結びは、
(前略)その意味では黒田杏子の言葉への関心と実践は、その文学的な志向と、一方で愛好者層の人気を二つながら可能にしているのである。(中略)少なくとも、黒田杏子がこのような言葉の危うきに遊び続ける限り、彼女の芸術的な良心と大衆性が共存し続けるという至福は今後も味あわれ続け得るのではないか。
と記されてあり、30年前の予言は見事に当たっていよう。以下はその論中の句から、
鳥の名をききわけてゐる諸葛菜 杏子
文月やそばがらこぼす旅枕
この家のまひるは寂し茗荷の子
涅槃図やしづかにおろす旅鞄
ダチュラ咲く水中に似て島の闇
摩崖佛おほむらさきを放ちけり
瓜を揉むやふたりのための塩加減
★閑話休題・・・各務麗至「壊れやすきは漢よこころは龍を思ひ」(「戛戛」第120号より)・・・
「戛戛」(詭激時代社)は、各務麗至の個人誌である。かつて三橋敏雄を唯一の師としていた人だ。小説家である。今号の「新しい生活」はとりわけ私小説的である。二十年来の妻の透析、加えて脳梗塞。さらには、彼の心筋梗塞による手術、闘病など。その「あとがき」には、
(前略)妻は、その後ー不自由ながらもできることからすこしづつ動いてくれるようになり、時間や気持に私も少し余裕がもてるようになった。(中略)
今回一変した日常の中で書きあがった私小説風といいたいような作品だが、私には肩の力が抜けた、何だかエッセー風でもあるこの自由さが気に入った。文学性とか個性とか拘りとか、そういうものを全く意識しなくてよかった。
言葉遣いやその斡旋に躊躇や息遣いや不安がそのまま文章表現上での文(あや)や奥行きとなって深み重みを齎してくれるようでもあって、否々ー、己惚れてはいけなかった。それは、只単に書き切れていないのに頭の中にに生じる忖度の思いが加わるかも知れなかたのだ。
とあった。
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