aribaba@1819aribaba
せかせかと通り過ぎてゆく人に知らせよう 一輪の花が あなたを呼んでいることを
魚を釣っている人に知らせよう 時には餌のない糸を垂れて 風の音や波の音をほれぼれと聞くことを坂村真民
一指李承憲@ILCHIjp
情緒のリズムとバランスが崩れると世の中をまともに見ることができません。瞑想で心の安定を見つけると、自分の内面にある愛と平和が見え始めます。愛と平和には条件がありません。もともとただそこにあるものです。ただ自分の状態によって感じられたり感じられなかったりするだけです。
http://kikukoto.net/2017/08/19/mindfulness-focusing-congruence/ 【マインドフルネス/フォーカシング/自己一致】より
皆さん、とりとめなく考え事をして「心ここにあらず」の状態になることはありませんか。僕はよくあります。そんな「心ここにあらずの状態」とは対極にある「目覚めの状態」、これを「マインドフルネス」といいます。月に1回行っている傾聴の自主勉強会で、この「マインドフルネス」を取り上げてみました。
※『実践!マインドフルネス』(熊野宏明著/サンガ)より
人間は言葉によって思考します。でもときには、その言葉が頭の中にバーチャルな世界をつくりだして、現実との接点が失われてしまうことがあります。過去の失敗を何度も思い出して憂鬱になったり、将来ついての不安から抜け出せなくなったり…。そんな過去や未来や、その他あれこれではなく、「いま、ここ」の現実に気づき集中すること。それがマインドフルネスの本質です。
目は閉じていても開けていてもかまいません。
自分の呼吸に集中し、思考が浮かんでくるとそれに気づいて、また呼吸に戻るという「一点集中型の瞑想」
注意のフォーカスを自らの身体感覚や思考から、周りの世界(自分がいる部屋の空気、人、音…)まで広げていく「パノラマ型の瞑想」
これをそれぞれ5分ずつ体験してみました。
ぼく自身、これはNHKの番組や、そこに出演していた先生(早稲田大学・熊野宏明教授)の本の聞きかじりなので、マインドフルネスについて詳しく知っているわけではありません。とはいえ、「いま、ここ」に意識を集中するという体験は、傾聴や、日常のコミュニケーション、仕事への集中にも役立つのではないかと思いました。伝統的な瞑想から宗教的要素を排除したマインドフルネスは、Yahoo!やグーグルやフォードなど、多くの企業でも取り入れられているのだそうです。
フォーカシング
自主勉強会ではマインドフルネスと並んで、「フォーカシング」「自己一致」と取り上げました。傾聴(クライアント中心療法)に近い、「気づき」の技法として「フォーカシング」があります。
※『孤独であるためのレッスン』(諸富祥彦/NHKブックス)より
たとえば自分の中に、ザワザワとした簡単に言語化できないような「感じ」があるとします。その「感じ」を頭から否定するのではなく(右図)、またその感情に飲み込まれてしまうのでもなく(左図)、その「感じ」を自分の一部としてそのまま認め、対話し、丁寧に言語化する手法が「フォーカシング」です。カウンセリングが成功するとき、クライアントはこのように「自分の中にある『感じ』に気づき、それを何とか言葉にしよう」としていることが多いといわれています。
自己一致
傾聴(クライアント中心療法)の本質的な要素とされる「自己一致」も、自分のいまこの瞬間の感情に気づくという点で共通しています。これはクライアントではなくセラピスト側に求められる態度だともいえるでしょう。
「一致した(congruent)という用語は、私がこうありたいと思うあり方を表すためによく使ってきた言葉の一つである。「一致」とは、私が体験している感情や態度がどのようなものであっても、その態度に自分が気づくこと(awareness)によって、それと矛盾しないでいられるという意味である。これが実現できたとき、その瞬間、私は一つのまとまりのある統合された人間(a united of integrated person)であることができるし、どんなに深いところでも自分自身であることができるのである。わたしが他者を信頼できると経験するとき、そこにはこうしたリアリティが存在している。
(『ロジャーズが語る 自己実現の道』C.R.ロジャーズ著/岩崎学術出版社 p51)※太線は引用者
3つの共通点
「マインドフルネス」と「フォーカシング」と「自己一致」。その共通点は、「いま、ここ」の状態・感情の流れに「気づく」ということではないかと思いました。「マインドフルネス」は、気づいたうえで、思考をいったん横において、現実のできごとに集中する。「フォーカシング」は、微妙な、ザワザワした「感じ」に気づき、その「感じ」と向かい合って、それを丁寧に言語化しようとする。「自己一致」はセラピストに求められる態度として、自分の感情体験をありのままに捉え、そこに正直であること。
ぼくはとりあえず、そんな風に理解ましたが、いかがでしょうか。詳しい方がいらっしゃったら、さらに教えていただきたいところです。
https://online.samgha-shinsha.jp/contents/eca293583f9a 【熊野宏昭「マインドフルネス基礎編」[1/6]】より
熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授)
早稲田大学人間科学学術院の臨床心理学研究の教授であり、心療内科医、そして一人の瞑想者としてマインドフルネスを日々の生活の中で実践する熊野宏昭氏による、マインドフルネスの基礎からの講義をお届けする。「マインドフルネスとは何なのか?」という基本的な問いから始まり、集中瞑想から観察瞑想に至る実践の方法論を、瞑想実践を交えながら解説。マインドフルネスとはどんな心の持ち方、存在のありようなのかの紹介、そしてマインドフルネスがわれわれの日々の生活にもたらすものを「マインドフルネス瞑想の戦略」という観点から詳説いただく。最後に「アフターコロナ時代を生き抜くために」と題し、我々が不安定な世の中をどのような心持ちで生きていけばよいのか、そしてそこにマインドフルネスはどのように役に立つのかという、マインドフルネスの応用的展開にまで話が及ぶ。マインドフルネス初心者の格好の入門であり、実践者にとっては貴重な確認となる講義を全6回に分けて配信する。
第1回 マインドフルネスとは何か
■マインドフルネスとは何か
熊野 皆さん、おはようございます。今日は「マインドフルネス基礎編」と銘打ちまして、講義を進めていきます。2時間ありますので、途中でマインドフルネスの実践も行っていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
では、「マインドフルネスとは何か」というお話から始めていきたいと思います。
マインドフルネスとは何か。マインドフルネスとはまず「今の瞬間の『現実』に常に気づきを向けること」ですね。この「気づきを向ける」というのが一つのポイントです。そして、「その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様(ありよう)」となります。
マインドフルネスのルーツはブッダの教えにあります。今から2500〜2600年くらい前にブッダがこのような心の持ち方、存在の有様が大切だということを説かれて、それが当時から今に至るまでずっと実践され伝えられてきました。これから先もおそらく実践され続けていくことでしょう。
気づきを現実に向け、現実をあるがままに知覚することによって、我々は体験を感じとる力を高め、「箱の外で気づくこと」を実現できます。箱の外というのは”think outside the box”という英語の日本語訳です。箱というのは頭の中の世界のこと。つまり「頭の中の世界の外で気づくことを実現する」のがマインドフルネスの目標となるわけです。
■まずは五感のレベルに戻ること
我々は五感を通して現実を感じ取っています。現実があると五感がそれに反応して、我々の中に体験が生じます。それを感じるのが「現実に気づく」ということです。
我々は五感を通さずに現実に気づくことはできませんので、五感で感じ取った現実が、我々が把握できる生の現実に一番近いということになります。
しかし我々はすぐに何かを考え始めてしまいます。「今何をしているんだっけ。あっ、そうだ。マインドフルネス学会の研修を受けているんだった。でも2時間か。けっこう長いな」と、このようにいろいろ考え始めてしまうと私が話していることが聞こえなくなってしまったり、あるいは私が言っていないようなことが皆さんの心の中にイメージとして浮かんできたりします。現実をあるがままに知覚できなくなるわけです。
ですから「まず五感のレベルに戻りましょう」というのがマインドフルネスの一番基本的なポイントになります。
■思考やイメージがバーチャルな世界を生み出す
我々は五感で世界をとらえると同時に、頭の中で思考やイメージを作り出しています。思考やイメージはどんどん広がってバーチャルな世界を生み出します。バーチャルな世界というのは一人ひとり違っています。一人ひとり違っているけれども、その人の中ではかなり一貫しています。だから我々は自分の思い込みからなかなか自由になることができません。
我々は普段、習慣的なパターンの中で暮らしています。何かを聞いたり見たりしても、自分の持っている枠組み・パターンの中で即座に理解します。箱の外のことは見えていないので、その結果、いつも同じ失敗を繰り返したり、同じ嫌な思いをしたり、クリエイティブになれなかったりするのです。
病気というのは「箱の中」にあります。特にメンタルの病気の場合は、「箱の中で行われる同じようなパターンの悪循環」が病気の本体です。だから箱の外に出られさえすれば、自然とその病気は相対化されていずれ治まっていくプロセスに入っていけるわけです。
■感じる力が蘇ることでクリエイティブになれる
子供の頃は誰しも箱の外で生きていました。子供はあまり難しいことは考えられませんので、考えるよりも感じて現実をつかんで、それがすぐに行動に結びついていきます。それが子供の特徴です。
それができなくなってしまったのが大人です。いつ頃から大人になったかというと、おそらく小学3、4年生ぐらいでしょうか。気がついたらそうなっていたんですね。
だからもう一度、無邪気に現実をビビッドに感じていた頃に戻ってみてはどうでしょうか、というのがマインドフルネスからの提案なのです。大人としてものを考えたり見通したりする力を持ちながら、子供の感性に戻る。それによって我々はクリエイティブになれたり、世界を広げていったりすることができます。子供には目の前の感じている世界しかありません。しかし我々はさまざまな苦労をしてきて、世界にはいろいろなことがあると知っています。ですから、そこに感じる力が蘇ってくればいろいろな可能性が広がっていくのです。
■マインドフルネスの真骨頂は観察瞑想
マインドフルネスには集中瞑想と観察瞑想が含まれていますが、マインドフルネスの真骨頂は観察瞑想のほうです。観察瞑想のエッセンスは五感をしっかり使って現実をきちんととらえることなので、とにかく五感を研ぎ澄ますことが重要です。
日本文化は五感を研ぎ澄ますさまざまな機会に満ちています。武道や芸道は五感を研ぎ澄ませていなければできないような実践法ですし、お茶もお花も合気道も弓道も、実践することで五感がどんどん研ぎ澄まされていくのが素晴らしいところです。ですから、日本文化をきちんと感じながら生きていれば、自ずから観察瞑想の力は向上するし、マインドフルにもなってくると思います。
もう一つの集中瞑想のほうは、深入りすると危ない面があります。集中瞑想には我々が自分の内に溜め込んだものを解放していくような力があるからです。
リラクセーション法として応用されている自律訓練法というものがありますが、この自律訓練を実践していくと自律性解放現象という現象が起こります。
自律性解放現象とは一言で言うと「うまく出来ないなあ」という感じです。自律訓練の実践で、「気持ちが落ち着いている」「両腕・両足が重くて温かい」ということを繰り返し繰り返し10分、15分とやっていくと、途中で身体症状や気持ちの変化が出てきます。たとえば、「あ、かゆいな」とか「肩が凝っていて辛いな」「なんか体がぐらぐらするぞ」といった身体症状、あるいは、なぜかいろいろなこと――日頃気になっていることや、普段思い出したことのないようなことまで、いろいろなことがどんどん出てきたりします。これを一般的に「雑念」といいます。
比喩的に言えば、これは内側に溜め込んだ歪みが浮き上がってきた状態です。その浮き上がってきた歪みが解放されることによって我々は身軽になるので、自律訓練法ではこの自律性解放現象が起こったほうが大きな効果が得られます。
ただこの場合、「自律性解放現象につかまらない」ことがポイントです。雑念が浮かんできて、「午後はあの仕事をやらなくちゃいけないんだった。今のうちにしっかり考えておかないと午後は大変だぞ」みたいなことを考え始めると自律訓練はそこで終わってしまいます。だからそういうものが出てきたと気づいたら、「午後はあの仕事をやらなくちゃいけないけど、今は自律訓練をやっているところだから後で考えることにしよう」と自律訓練に戻る。しばらく経ってまたもくもくと別のことが浮かんできたら「いまは自律訓練中だった。このことはちょっと置いておこう」とまた自律訓練に戻る。というふうに、それては戻る、それて戻る。これを繰り返すことで一番深いリラクセーションが得られるということがわかっています。
これはリラクセーション反応と言って、ハーバード大学心身医学研究所のハーバート・ベンソン先生が定式化した方法論です。
この内側から湧き出してくる力は非常に強いので、統合失調症の人や幻覚妄想で苦しんでいる人はやってはいけないとされています。
マインドフルネスを実践していく場合でも、集中瞑想は非常に意味があるとはいえ、集中瞑想に入り込みすぎるといろいろな副作用的なもの、有害事象(ゆうがいじしょう)的なものが起きやすくなるので気を付ける必要があります。
■禅定体験
先ほど「五感を通して現実をとらえて、それが体験を作り出す」と説明しましたが、世の中には五感で感じられる世界しかないのか、というと実はそうではないことが瞑想実践の歴史の中で確かめられています。
集中瞑想で目指しているのは「五感に基づいて働いている心の働きを鎮めて、その心がもう働かないようにすること」です。これが集中瞑想の目標です。これによって、五感に基づいて働いている心のさらに奥にある、五感と関係なく現実を捉えている心が、表にわーっと吹き出してきます。これが先ほど申し上げた「内側にあるものが表に出てくる」ということの本当の意味です。
集中瞑想というのはとにかく「何もしない」という体験です。五感から入ってくる信号を絞って絞って一点に集中する。もうほとんど何も入ってこないようなところまで絞っていく。五感から入ってくる信号が絞られると、五感に基づいて働く心の働きが鎮まっていきます。だから、集中瞑想のことを別名「止瞑想(しめいそう)」と言います。それに対して観察瞑想は「観瞑想(かんめいそう)」です。だから集中瞑想と観察瞑想を合わせて止観(しかん)と言うのです。止観というのは仏教の文献にもよく出てくる言葉です。
止めるものは、「五感に基づいて働いている心」です。それを止めると、その奥にある五感と関係なしに働いている心が表にわっと出てきます。これを禅定体験と言います。宗教体験と言われるもののだいたいは、この禅定体験のことだと言えましょう。
■「箱の外で気づくこと」を実現する
少し脱線してしまいましたが、スライドに戻りましょう。
体験を感じとる力を高め、「箱の外で気づく」事を実現する。これは観察瞑想のレベルでは「五感を通して現実を感じ取る力を高め、箱の外で気づくことを実現する」でいいのですが、集中瞑想を深めていくと五感とは関係のない非常に強烈な体験が出てきますので、そういう世界もマインドフルネス瞑想の先に広がっているのだということも頭の片隅に置いておいてください。そうすれば、たとえばマインドフルネスと禅との結びつきや、マインドフルネスと空との結びつきなども少しわかりやすくなるかと思います。
今のお話は基礎編というよりも、かなりアドバンスト編のお話でした。アドバンスト編なのでよく理解できていない方も多いかと思いますが、とりあえず置いておいて、先に進みましょう。
https://online.samgha-shinsha.jp/contents/6138541cd4df 【第2回 あるがままの現実に気づきを向ける】より
日本におけるマインドフルネス研究の第一人者である熊野宏昭氏による、マインドフルネスの基本的な問いから応用的展開にまで及ぶ、格好の入門であり貴重な確認となる講義を全6回に分けて配信する。第2回。
■あるがままの現実とは何か
マインドフルネスで一番重要なのは今の瞬間の「現実」に常に気づきを向けること、そして、その現実をあるがままに知覚することであると説明しました。
では「あるがままの現実」とは一体何でしょうか?
たとえば皆さんが夜眠れないときのことを思い返してみてください。
「ああ今日は全然眠くならないな。いつになったら眠れるのかなあ。明日忙しいのにこんなんじゃ身が持たないよ。いやあ本当にちゃんと寝たいんだけどなあ。ああ、もう3時になっちゃった。どうしてこうなっちゃうんだよ」
こんなふうになりますよね。
でもこの眠れない状況をあるがままの現実として眺めてみるとどうなるでしょうか?
「眠れないっていうのはこんな感じなんだなあ。普段だったらすっと寝ちゃうのに今日は頭の中にくるくると考えが出てくるなあ。普段考えないこともいろいろと出てきて興味深いなあ。まあ仕方ないから今晩はこのまま様子を見てみよう」
皆さんも眠れないときに眠れない様子を眺めてみてくださいね。やってみるとどうなるでしょうか。実はこれをやってみると、翌日そんなに疲れていないことに気づきます。あまり眠れなかったのに朝起きたときに疲れていない。仕事も普通にできる。夕方ぐらいになるとさすがに疲れてくるけれども、その分、夜はぐっすり眠れる。そんなふうに過ごすことができます。
つまり眠れなくて翌日だるくて眠くて仕方がないのは悩んでいるからなのです。「どうして眠れないんだ。なんでこうなんだ。もうこんな時間だ。なんで俺はこんなにダメなんだろう」と自分を責めたり悩んだりすることが自分を疲れさせて辛くさせているのです。
■日本人の3割は不眠症
実は日本人の3割ぐらいが不眠症だといわれています。非常に多いですよね。しかしこれほど認知行動療法が効く人たちもいないと言われています。
不眠症の認知行動療法の標準回数は6回ですが、それで7割ぐらいの人がよくなります。こんなに効率のよい介入対象はないぞというくらい効くので、心理師の方はぜひ不眠症の認知行動療法をレパートリーにしてください。非常に喜ばれますし、達成感も得られます。
それはなぜかというと、不眠症の人たちは実は寝ているからなのです。寝つきが悪い入眠困難の人たちは「一晩一睡もできませんでした」と言いますが、端的に言うとそれは「嘘」です。昔、私が心療内科にいたときに教授だった末松弘行先生が九大の心療内科にいたときに、「一睡もしていない」という患者さんがいて、でも看護師さんが病室に行ってみるとぐーぐーいびきをかきながら寝ているということがありました。しかし本人は絶対寝ていないと言うので、本人に自覚できるように、寝ている間に看護師さんが墨か何かで顔にバッテンを書いたんですね。翌朝、やはり「昨日も一睡もできませんでした」言う患者さんに鏡を見せると「あれ、バッテンが書いてある」と。それで患者さんは「やっぱり寝ているのかも」と思ったらしいです。これを専門用語で「睡眠状態誤認」といいます。専門用語があるくらい一般的な現象です。
不眠症の人たちはずっと起きていると言うのだけれど、ときどき意識が落ちる。落ちてそこで数分寝る。そしてまたすっと目が覚める。落ちている間は熟睡していて記憶に残らないので、起きているところだけがつながって、ずっと起きているように感じる。どうもそういうことのようです。
誰でも眠れない経験はしたことがあると思いますが、皆さんが知っている眠れない現実はあるがままの現実ではないということを知っておいていただければと思います。
■蚊に刺されたときの一番の対処法
あるがままの現実について、もう一つ例を挙げたいと思います。
ある夏の日、皆さんが蚊に刺されたとしましょう。掻かずにはいられませんね。当然です。かゆいから掻く。十字に爪を立てて掻いたりもします。しかしそんなことをすると翌日もかゆいし、下手するとグジュグジュになってしまいます。でも掻かずにはいられない。
しかし、もし掻かないで「かゆみ、かゆみ」と唱えながらかゆみを観察してみたら、どうでしょう。心の目で観察するんです。すると3分ぐらいでかゆみがピークに達することに気づきます。かゆみを観察してみれば、最初は刺されたところがかゆいのだけれども、それからかゆみがわーっと広がって、10分も経つと「かゆみ、かゆみ、あれっ。なんとなくかゆいぐらいだな」と、あっという間に平気になります。
これが、あるがままの現実です。でもなかなか経験した人はいないと思います。なぜなら「蚊に刺されたら掻く」ことが当たり前の習慣になっているからです。
それが我々の作り出している現実です。我々は自分が作り出している現実をずっと生き続けてきているのです。
蚊に刺されるとかゆいのはなぜか。それは蚊が、人間に気づかれないで刺すために麻酔薬を、それから血が固まらないようにするための抗凝固剤(こうぎょうこざい)を刺す瞬間に入れるからです。この2つがどうもかゆいらしいんですね。とはいえどちらもごく微量です。だから10分も経てば皮膚の下を拡散して感じなくなるというのが現実なのです。
皆さん夏に瞑想する機会があったらやってみてください。今、蚊に刺されていると気づく。蚊が止まった。刺した瞬間はわからない。でも吸い始めたらわかる。「かゆみ、かゆみ」。しばらくすると、血を吸ってお腹がいっぱいになった蚊が離れていく。「かゆみ、かゆみ」。かゆみは3分ぐらいでピークに達してすっと引いていって、また「膨らみ、膨らみ」「縮み、縮み」に戻っていく。素晴らしい瞑想の練習になると思います。
■マインドフルネスで誤解されがちなこと
マインドフルネスというのは「目を覚まし、瞬間瞬間の自分に戻ること」です。
しかし、マインドフルネスというと「意識を集中させる方法」や「集中力を高めるための方法」だと思われがちです。実際、商業主義的なマインドフルネスの実践では「マインドフルネスで集中力を高めて、生産性を高めましょう」と言う人もいますが、これはバツです。観察瞑想と集中瞑想のうち、集中瞑想のほうだけを取り出していることになりますのでね。
それから、「マインドフルネスでストレスを解消しましょう」というのもバツです。
ストレス状態の逆はリラクセーション状態であり、ストレス反応の逆はリラクセーション反応だからです。生理学的にも心理学的にもストレス状態とリラクセーション状態は対照的な状態であるとわかっています。
■リラクセーションを実現するのは集中瞑想
リラクセーションを作り出すのは集中瞑想です。リラクセーションというのは不安、緊張の逆ですから、覚醒レベルが下がった状態です。普段、我々の脳は五感から入ってきた信号が全部集まる脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)が、大脳の活動を高めることによって覚醒状態を保っています。我々が目を覚ましていられるのは五感のおかげであり、五感から入ってくる情報のおかげです。だから寝るときはなるべく静かで暗い場所のほうが眠れるわけです。
つまり、五感から入ってくる信号をどんどん絞っていく集中瞑想をすることで、脳の覚醒レベルが下がってリラックスした状態を実現できるというわけなのです。先ほどお話しした自律訓練も、気持ちが落ち着いていて両腕両足が重くて温かいというところにずっと気持ちを集めて、五感から入ってくる信号を絞り込んでリラックスする状態を実現していくので集中瞑想の要素が強いものです。
■マインドレスな状態が標準の状態である
それに対してマインドフルネスは五感をフルに使って現実をきちんと感じ取っていく目覚めの状態です。瞬間瞬間、どんな現実がいま展開しているのかということを感じ取っている状態であり、瞬間瞬間の自分がそこに働いている状態である、ということです。
これの対極にあるのが「心ここにあらずの状態」です。いま皆さんの中にも心ここにあらずの状態になっている方がいると思います。「熊野先生、基礎編なのに変な話ばっかりしているなあ。わけがわからないなあ」というふうにいろいろ考え始めてしまうと、自分の考えの世界に入ってしまって、私の話は上の空になります。
これはマインドレスな状態の代表的なものです。自分が考えていることに呑み込まれてバーチャルな世界にのめり込んでしまうことを「認知的フュージョン」といいます。これはACTといわれる認知行動療法の中で使われている言葉です。「自分の思考や感情と同一化する」と言ってもいいでしょう。
それから「こんな話聞きたくないや」「不安になんかなりたくない」「痛みなんか嫌だ、とにかく早くよくなりたいんだ」と心を閉じても現実を感じられなくなります。
考えに呑み込まれることと心を閉じること、この2つがマインドレスになる理由になるわけですが、よくよく考えてみれば、我々の日常生活はそれが当たり前です。イライラすることなんかはあえて考えずになるべく気持ちを平かにしていないと仕事はできませんし、自分の考えをフルに使わないと社会の中で生活することはできません。要するに我々の標準的な状態はマインドレスな状態なのです。
ただ、マインドレスな状態がずっと続いてしまうとさまざまな問題が起きるので、ときにはマインドフルな状態、目覚めの状態に戻りましょう。一度戻ってもまた心ここにあらずの状態になってしまうけれども、そうなったらまた目覚めの状態にまた戻りましょう。それがマインドフルネスの実践なのです。
■うつ病や不安症はマインドレスによる代表的な病態
心ここにあらずの状態だと困りますよね。たとえば皆さんに悩みがあって喫茶店に親友に来てもらったとしましょう。「大事な話で君にしか相談できないんだ。よろしくね」「うん、わかった」と話し始める。しかし5分も経たないうちに友達がチラッと時計を見たり、窓の外を見たり、スマホを取り出して何かをチェックしたりしていたら、「ちゃんと聞いてくれているのかな?」と不安になりますよね。
こんな友達、頼りになりませんよね。聞いていないわけですから。
しかし我々も自分の中で同じことをやってしまっています。「しっかり集中して仕事を片付けるぞ」と思って始めたのに10分も経たないうちに「オミクロン株どうなったかな」とニュースサイトを見たりする。「そういえばメールの返事を出していなかったな」とメールを書き始めて、「あれ、いま何やってたんだっけ?」とわからなくなる。
このように、心ここにあらずになると困ることはたくさんあります。
病気になるともっとです。うつ病の大きな特徴は反芻(はんすう)です。過去のこと、後悔していることばかりをずっと考えている。そんなに考えていたら落ち込むのは当たり前でしょ、というくらいずっと繰り返し考えている。一方、不安症の人たちは取り越し苦労ばかりしています。「これがうまくいかなかったらどうしよう」「うまくいくわけない。どうすればいいんだ」。そんなことばかり考えているから今、取り組んでいることが疎かになってうまくいかないわけです。
うつ病や不安症はマインドレスによって作り出されている代表的な病態です。このような病態に対しても、心を閉じない、呑み込まれないで、目の前に現実にきちんと気づくことが必要になります。
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