https://www.travel.co.jp/guide/article/39052/ 【五島有数の絶景夕日スポット!「矢堅目」で感じる雄大な時間】より
長崎から西方に100km程、日本の西の果てと言える場所にある五島列島は、その立地から美しい夕日が見られることで知られています。その中で一番と呼び声高いのが上五島・中通島の北西部に位置する「矢堅目(やがため)公園」!まるで要塞のような巨石に隣接する断崖上の広場からは、雄大な東シナ海へ沈んでいく感動的な夕日を望むことができ、美しいマジックアワーを楽しめます。圧倒的で非日常な島の風景へ浸ってみませんか?
まるでトトロ!?島の防衛線として活躍した大巨石「矢堅目」
上五島の奈摩湾(なまわん)への入り口に位置している「矢堅目」は昔から五島列島の西方海上航路の目標になっており、その立地上から湾内に敵が侵入してこないか見張る役目がありました。そのため「(守備兵の)矢で(砦を)堅め」ていたことが、現在の地名の由来となっています。
まるでトトロ!?島の防衛線として活躍した大巨石「矢堅目」
巨石の隣に整備された「矢堅目公園」まで上がると、その全体像を見ることができます。円錐形に岩盤が組み合わさった独特の外観は、まさに要塞のよう!五島の自然が魅せる荒々しくも神秘的な地形ですね。
そんな矢堅目ですが、近年とあるキャラクターに似ていると巷で話題となっているのをご存知でしょうか?そのキャラクターとは、誰もが大好きなジブリアニメの「トトロ」!頂上付近の小さい岩が耳、中央の出っ張っている大きな岩がお腹で、トトロの可愛らしいシルエットを見事に表現してくれていますね。
まるでトトロ!?島の防衛線として活躍した大巨石「矢堅目」
日没の時間帯には、よりトトロのシルエットが際立つ瞬間なので必見!夕焼けが岩肌に反射して神々しいトトロに出会うことができますよ。
ちなみこれは、アルプスなど高山で見られるアーベントロートという現象です。山ではないものの、岩肌がむき出しになっているこの場所だから見られる特別な風景と言えるでしょう。
断崖の向こうに沈む感動的な夕日を眺めよう!
「矢堅目公園」からは一帯のリアス式海岸と、目の前には遮るものなく東シナ海が広がり、向こうに見えるのは五島列島北部の宇久島(うくしま)や小値賀島(おじかじま)。五島列島ならではの雄大なパノラマです。
そんなこの場所は、五島でも随一の夕景スポットとして知られています。切り立った断崖の向こう、雄大な東シナ海へ一直線に光の道を作りながら、沈んでいく夕日は圧巻の美しさです。一帯がオレンジ色に染め上げられるその情景に感動すること間違いなし!
また日没時のマジックアワーもとても美しいです!矢堅目公園の切り立った断崖を生かした構図で撮影すれば、人のシルエットが良いアクセントとなり、臨場感たっぷりの夕景を切り取ることができますよ。まさに最果ての夕日という表現がぴったりですね!
沈み行く最後の瞬間まで眺めていたい絶景!「矢堅目の夕日」
独特なリアス式海岸の雄大な地形と、遮るもののない日本の最果てというロケーションが作り上げる「矢堅目の夕日」。この場所だからこそ見られる感動的な情景です。
オススメは日没の1時間前に到着すること。なぜなら太陽が沈んでいく中で、刻々と景色が変化するから!沈み行くその瞬間まで、この圧倒的かつ非日常な絶景を楽しみましょう。きっと旅の思い出に温かな色彩の印象が残ること間違いなし!
https://oratio.jp/p_burari/daishizen-zokeibi 【大自然の造形美を堪能】より
矢堅目(やがため)の夕陽が見える場所から移動して冷水(ひやみず)教会堂を訪れ、矢堅目公園へ。大自然がつくりだす造形美を楽しんだあとは、宿舎で五島(ごとう)列島ならではのグルメを味わいました。
矢堅目を望む夕陽のスポット
野崎(のざき)島舟森(ふなもり)集落跡が見える地点から車で約30分。矢堅目を望む夕陽のスポットを訪れた。夕景にはまだ早いが、傾き始めた太陽が海を銀色に輝かせていた。
住所 南松浦郡新上五島町曽根郷
徒歩 ですぐ
赤ダキ断崖
視線を右に移すと、長崎県の天然記念物に指定されている赤ダキ断崖があった。岩が海中にずり落ちたように海食で削り取られたこの赤い断層は、大規模な火山の噴出口であったことを示しているという。山の緑、海の青とのコントラストが美しい。
車 で10分
冷水教会堂
「五島崩れ」で迫害を受けた冷水の信徒は、逃れてここに戻ることはなかったらしく、現在の信徒のほとんどが迫害後に平戸(ひらど)や下五島などから移住してきた人だという。1907年に建てられた現教会堂は、鉄川与助(てつかわよすけ)が棟梁(とうりょう)となって初めて手がけたものである。
住所 南松浦郡新上五島町網上郷623-2
車 で5分
矢堅目公園
奈摩(なま)湾の入口ある矢堅目は、古くからここに侵入する外敵を見張るために、矢(守備兵)で堅(砦)めたことからその地名が残されたという。夕陽のスポットから見える島影の一つがこの円錐形の奇岩であり、褐色の造形美と濃紺の海、打ち寄せる白い波が見事な風景を見せていた。
住所 南松浦郡新上五島町奈摩郷矢堅目
徒歩 ですぐ
正面に見える赤ダキ断崖
この奇岩の向こうには赤ダキ断崖が見える。午後の日差しに浮かび上がる山の緑、むき出しになった赤い断崖、そして青い海、影をまとった山肌・・・。それらが一体となり絵画のようにそこにたたずんでいる。まさに大自然がつくりだしたアートである。
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/449 【新魚目曽根火山赤ダキ断崖】より
かつての火山噴出口新魚目曽根火山赤ダキ断崖
天然記念物(県指定)
よみがな しんうおのめそねかざんあかだきだんがい
指定年月日 昭和53(1978)年3月31日
所在地 南松浦郡新上五島町曽根郷
所有者 新上五島町
最寄り駅 有川港 車で40分
曽根火山は、番岳(標高443m)と小番岳(標高320m)との間の鞍部に噴出した玄武岩質の噴石丘であり、火山地形でいう臼状火山(ホマーテ)に属し、火口は北西に開いている。最高点は海抜143mであり、噴出時には直径およそ1㎞の基底面をもっていたものと推定されるが、南側は海食により著しく削られて「赤ダキ断崖」となり、よく成層した火山砕屑物の見事な断面をあらわしている。火山砕屑物は、上下2層に識別される。下部層は、玄武岩の岩片や黒色の岩滓を含む黄~黄灰色の凝灰岩で、よく固結している。上部層は、地表にも広く分布する赤色の岩滓層で、多量の火山弾を含み、固結度は下部層に比べ低い。成層面は、断崖に向かって右手(東側)は東へ約15°傾斜し、左手(西側)は西へ10~20°傾斜する。中央部の水平に見える部分は手前へ20°傾いている。五島列島の形成を語るうえで重要な火山噴出口が残っており価値がある。
http://ojikajima.jp/nozaki 【野崎島のこと】より
小値賀町は17の島々で出来ています。本島である小値賀島東端の2キロ東に位置するのが「野崎島」です。
南北約6.5キロメートル、東西約2キロメートル、面積7.36平方キロメートルの比較的大きな島で、 南北に細長く、中央部(野首)がくびれたような形になっています。一方、野崎島にも東側の一部に、小値賀本島と同じく火山の噴火でできたなだらかな地形がありますが、それ以外は五島列島独特の急陵な地形で形成されており、小値賀島とは全く異なった景色が広がっています。
かつては野崎・野首・舟森の三集落があり、多いときには650人前後の人々が暮らしていました。現在は宿泊施設の管理関係者以外、ほぼ無人状態の島となっていますが、 神社、家屋の跡が遣っています。また、 島を歩いているといたるところで目にする急斜面につくられた石積みの段々畑の跡からは、この切り立った島を切り開き生活の場としていた人々の知恵と努力を伺い知ることが出来ます。
沖ノ神嶋神社周辺に広がる原生林や国指定天然記念物カラスバトなどの鳥類、 希少種蝶類、その他数多くの動植生物種の宝庫でもあります。 島内全域には、野生のニホンジカ400頭以上が生息し、自然のままの姿を観察することができます。
現在、野崎島は自然の壮大さを感じる場所、そして野崎の歴史を学び肌で感じ「本当の豊かさとはなにか」を考える場所として多くの人々が訪れます。廃校となった小値賀小中学校野崎分校は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」として管理され、年間を通して多くの旅行者、子どもキャンプ、修学旅行生等を受け入れ、野外学習や自然学習に利用されています。
平成19年(2007)には、野首・舟森集落跡とそれを結ぶ里道を加えた「野崎島の野首・舟森集落跡」が、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」としてユネスコの世界遺産暫定リストに追加され、2016/9より資産名称は「野崎島の集落跡」及び「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に名称変更。
そしてついに、2018年7月、中東のバーレーンで開かれていたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会により『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が世界文化遺産登録されました。『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は12資産で構成されており、小値賀町の【野崎島の集落跡】も含まれております。
また、平成23年(2011)に「小値賀諸島の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されています。
野崎島にもかつては、野崎・野首・舟森という3つの集落があり、昭和30年代には650人以上の住民が暮らしていました。戦後の復興から迎えた高度経済成長期、自給自足で暮らしていた島にも電気が通り、お金がないと生活できない社会になりました。そのころ200人程の人口だった野崎島では、現金収入を得るため多くの人々が出稼ぎにいき、そしてやがて島を離れました。高齢者も、島を出た子どもの元へ越していきました。そして平成13年、当時最後の住民であり島を守り続けてきた沖ノ神嶋神社宮司の離村により、人の営みの灯が消えました。現在は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」の管理者以外、無人の島になっています。
野崎島には、野崎集落の人々が信仰した「神道」。そして、野首集落、舟森集落の人々が信仰した「キリスト教」と2つの深い信仰がありました。島の北部、山に覆われた山中には海に向かって沖ノ神嶋神社が社殿を構え、その後方には「王位石(オエイシ)」とよばれる24mにもなる鳥居型の巨石がそびえ立ち、聖なる場所として野崎島をはじめ小値賀本島からも崇められてきました。
島の中心部に位置する野首集落跡には、潜伏キリシタンであった住民たちが建てた旧野首教会が高台から海を見渡しています。
野崎島のみどころ
野首海岸
約300 mにわたって続く広大な白い砂浜とコバルトブルーの海は思わず歓声があがる美しさです。野崎島東側の中央に位置し、晴れた日には昇ってくる朝日を見ることが出来る絶好のスポットでもあります。
沖ノ神嶋神社
慶雲元年(704年・飛鳥時代)に、小値賀島にある地の神嶋神社と向かい合う形で創建されたといわれている神社です。山道をひたすら歩き続けるとうっそうとした原生林とそびえたつ巨石「王位石」が現れ、その真下に沖ノ神嶋神社があります。最後の住人として島に残っていた神官も平成13年に島を離れました。
※コースは滑落の恐れもある険しい山道です。野生のイノシシに遭遇する恐れもあります。立て看板もなく遭難の恐れもあり大変危険ですので、現地スタッフによるガイドツアーをご利用ください。
王位石
沖の神嶋神社社殿の奥には、古来より「おえいし」と呼ばれている巨石がそびえたっています。頂上までの高さ24メートル、両柱の端から端までの幅 12メートル、頂上テーブルの広さ5メートル×3メートルというとても大きなものです。自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神嶋明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。
※コースは滑落の恐れもある険しい山道です。野生のイノシシに遭遇する恐れもあります。立て看板も少なく遭難の恐れもあり大変危険ですので、現地スタッフによるガイドツアーをご利用ください。
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