https://gakugei.shueisha.co.jp/yomimono/wakuseijunrei/45.html 【五島 日本の端っこ】より
長崎・五島列島といえば隠れキリシタンの歴史で知られる。大学時代、探検部にいたとき、OBの何とかさんという人が五島出身で島には今も隠れキリシタンがいると言い張っていた、という話を聞いて、何で今でも隠れてるの? と笑ったことがある。
でも、それもあながち冗談じゃないらしいことを後年知った。私が勤めていた新聞社の同期に五島を取材した記者がいたのだが、彼もやっぱり「いや、今も隠れキリシタン、いるんだよね」みたいなことを話していたのだ。酒の席で聞いたことなのでうろ覚えだが、隠れキリシタンといっても今は隠れているわけではなくて、江戸時代の長い潜伏の歴史の中で彼らの信仰は独特の体系をもつにいたり、元来のキリスト教とは少しちがったかたちとなり、それが今も保持されているというような話だったと記憶している。いや正直あまり覚えていない。でも、いずれにせよ、独特の文化と歴史がこの島の地層の深いところで脈々と息づいていることは想像される。
隠れキリシタンと並んでもう一つ思い出すのが、柳田国男『海上の道』に収録された「根の国の話」に出てくる三井楽のことだ。三井楽は五島列島南西部の福江島の北西に突き出した岬にある地名で、〈みいらく〉と読む。柳田は地名の音を手がかりに、この岬が、日本に昔から伝わっている常世(とこよ)信仰、すなわち海上のはるか彼方には死者たちの住む異界があるとする信仰とつながりがあることを指摘している。
たとえば万葉集には〈ミミラクの崎〉という地が登場し、『続日本後紀』にも〈旻楽(みんらく)〉という地名が出てくるが、それは三井楽と同じ。源俊頼『散木奇謌集(さんぼくきかしゅう)』に、 みみらくの我日本(わがひのもと)の島ならばけふも御影(みかげ)にあはましものを という、この島に行けば亡くなった人の顔を見ることができるそうなという意の歌があることからもわかるとおり、〈三井楽=ミミラク〉は生と死のはざまにある地としてとらえられてきたのである(柳田国男の思考はさらに沖縄の常世思想であるニライカナイや奄美地方のニルヤとの関係性につながっていく)。
三井楽が古来、人々に生と死の中間地点として認識されてきたのは、この岬が地理的に日本の端っこにあったからだろう。ミミラクという常世の国の名が地名として与えられた裏には、〈日本の西の突端、外国に渡る境の地、ぜひとも船がかりをしなければならぬ御崎(みさき)の名にしたのにも、埋もれたる意味があるのではないか〉と柳田は言う。この地の人々は先史の古(いにしえ)よりずっと、最後にこの地に係留して異国にわたっていく船を見送ってきた。船は海の波間に消えて、その後の消息は決して聞こえてこない。死んでいるかもしれないし生きているかもしれない。そして時折、海からは漂流物が届いたり、難破船が漂着したり、ウミガメがやってきたりする。そうした環境にあれば、海の向こうの見えない領域のどこかに得体の知れない未知の世界があると考えるようになるのも非常に納得がいく。
と同時に、この島に隠れキリシタンの伝統が生まれたのも偶然ではなく、この国の端っこという地理的位置関係ゆえの必然性があるのかもしれない。弾圧を受けた切支丹は西へ西へと圧迫をうけて、ついにこの先端の地で地下への潜伏を余儀なくされたわけで、それもひとつの常世の国のかたちだともいえる。私はずっとこの五島列島という地に、なにか理由不明の言いしれない吸引力みたいなものを感じていたが、それももしかしたらこの島が国の端っこにあり、そのせいで歴史という長い時間のなかで消化しきれなかった矛盾や不合理な何かが溜まる澱(よど)みが形成され、それが強力な磁場となって力を発揮しているからではないか、という気もしてくる。
というわけで、先日カヤックツアーで訪れた五島列島という地に、私はずっと引っかかる何かを感じていた。わずか数日間の海の旅でその何かは解消しなかったが、島々の間や複雑な海岸線を渦を巻くように流れる強烈な潮を経験できただけで、この地の魔力のようなものは感じられた。この潮に巻き込まれて日本の文化の澱みはかたちづくられたのか。いつかもっとどっぷりとこの地に浸かれるような旅をしてみたいという気持ちがつのった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5035066a991dcce79b252d6c5ab1bbc0127f7d42 【【地球の力を感じるジオパークの旅】大陸の影響が感じられる日本最西端のジオパーク】より
鬼岳手前の鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸は、流れ出た溶岩が約7キロにわたり露出している
日本列島と大陸との間に位置し、四方を海に囲まれた五島列島は、北の上五島と南の下五島に分けられる。その下五島エリアの島々からなる、日本最西端のジオパークだ。
五島列島の大地は、約2200~1700万年前にユーラシア大陸の一部だった。この時代に堆積した砂や泥は白と黒の縞模様の地層となり、五島層群と呼ばれる。その後、火山の噴火により溶岩台地と多数の火山島が形成された。
大瀬崎やその北の島山島(写真)などの断崖では、白と黒の縞模様の地層が観察できる
「五島列島の中心の福江島でいえば、平坦な火山台地、深い谷あいの山々、広い盆地、リアス式海岸と1時間のドライブで多彩な景色の変化が楽しめます」と髙場智博専門員。
五島列島のシンボルでもある、標高315メートルの鬼岳は約1万8000年前に噴火した火山。福江島南西端の大瀬崎では、高さ約100メートルもの五島層群の断崖が見られる。ユーラシア大陸が起源のダイナミックなその地層は、本ジオパークを代表する観光スポットだ。
文/荒井浩幸
五島列島ジオパーク専門員・髙場智博さん
空気が澄む12月頃には、大瀬崎から約70キロ離れた国境の無人島群の男女群島がはっきりと見えます。また、福江島北側にそびえ、車で行ける城岳もおすすめです。上五島はもちろん、北端の小値賀(おぢか)島まで、五島列島の主要な島々を見渡す絶景が満喫できます。
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