http://kamuna.net/?tag=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%88%9F 【「人類最古段階の長距離航海」を再現する プロジェクト】より
与那国島で3万年前の舟を復元してきた!
といって、意味が通じるだろうか?
僕自身も3万年前といってもピンと来ないし縄文時代がモダンだという感覚には到底たどり着けるはずもないのだし。
でも、どうやら人類学、考古学の世界では3万年以上前に人類が海を越えて日本列島に移り住んだことが近年の研究でわかっているというのだ!
じゃー、3万年前の舟を復元して実際に航海を再現しようじゃないか!という博物館の研究チームのプロジェクトが立ち上がった。。
簡単に言うとこんな感じだが、本当は世界的に注目されている大真面目な研究だ。
人類学、海洋民族学、海洋考古学、古海洋学、分子人類学、集団生物学、進化人類学、行動生態学、シーカヤックの第一人者、カヤックビルダーの第一人者、探検家、冒険家・・・。日本中のその道の一流の専門家が参加している。
何しろ人類最古の舟を再現して台湾から与那国までの100km以上の海を渡り旧石器時代の時間に触れようとするのだから。
丸木舟、獣皮舟(動物の皮で作る舟)、竹イカダなど先住民が使っている舟が候補に挙がるなか、道具を使わずに長距離航海が可能な葦船(あしぶね)が第一候補となり葦船の専門家の僕が製作者として実際に復元することとなった。
3万年前の舟を復元するのに条件が二つ。一つは現地で手に入る材料を使うこと。もう一つは当時あったとされる道具(簡単な石器や貝殻など)でつくれることだ。
その上で古代の舟を設計しなければならない。責任は重くのし掛かる。
与那国で取れる船の素材は「蒲(ガマ)」を選んだ。秋の終わりにフランクフルトのような穂で有名なあれだ。葦よりも浮力があり手で簡単にちぎることができ与那国の湿原に見渡す限り群生しているのが決め手となった。
そのガマを束ねるのが植物、与那国文化に詳しい地元の方が教えてくれたツタだ。半分に割けば扱いもよく、十分な強度がある。
ガマは十分な浮力があるのは去年実験済み。
あとは、ツタでどうやって船に仕上げるかだ。半年以上考え続けた結果あるイメージが頭で出来上がっていた。ポイントはツタの結び方。いかに強く縛れるか、ゆるまないか、切れないかが重要だ。
あとは葦船つくり20年の経験を駆使し実際に組み上げてみればわかる!
浮かべてみればわかる!
失敗を恐れずまずはやってみる!
3日間かけて試行錯誤の結果、葦船「ナーマ」が誕生した。
地元与那国の祭事のやり方で進水式が執り行われた。
透きとおる無垢の海に古代のロマンを滑らせる。
見事に浮かんだ!
十分な手ごたえだ。改良の余地はあるものの海を渡れる実感に触れた。
それから、5日間漕ぎ続けいろいろな実験を繰り返しデーターを取った。
草を束ねた古代の舟にまたがって、透明感のある空、海、風に抱かれるのは悪くない。しかも、それが歴史を紐解くことになるのであればなおさらやりがいがある。
今回の旧石器時代の舟作りの再現で僕が感じたことは、おそらく3万年前も今も人間の持っているポテンシャルは変わらないんじゃないかということだ。
限られた条件の中で目標に向けて試行錯誤を繰り返し達成していく。
それは、今も昔も未来永劫変わるまい。ロマンはエネルギーだ!
そう感じた与那国タイムスリップ・プロジェクトは幕を閉じ、来年までまた計画を練る日々へと姿を変えた。
また、会おう与那国!
来年はこの舟に改良を加え新たな3万年前の古代の舟で与那国から西表島まで漕ぎ渡る計画だ。
*このプロジェクトは現代科学博物館人類学海部陽介氏が提唱する「人類最古段階の長距離航海」を再現する プロジェクトです。
https://www.youtube.com/watch?v=FSjz08dVAK0
超古代文明?謎の古文書が示す古代日本の真の姿|羽賀ヒカル×小名木善行
今回は神社チャンネルの羽賀ヒカル先生に出演して頂きました。今回は「古代文献」というテーマで小名木先生は歴史の観点から羽賀先生にはスピリチュアルの観点から古史古伝に記された様々な日本の歴史を紹介しています。古史古伝とは一体何なのか、またそこにはどんなことが書かれてあったのか、古史古伝に関する第一人者の方全てに会われてきた羽賀さんから秘密について紹介して頂いています。ぜひ、最後までご覧ください。
<目次>
00:00 はじめに
01:14 印象的な古史古伝の第一人者
10:01 宮下文書の面白いところ
17:00 稲作文化からわかる古史古伝
「むすび大学」は日本人が今こそ学ぶべき真の教養を身につけるための教育系チャンネルです。歴史、哲学、宗教、文学、政治、ビジネスからテクノロジーまでジャンルは問わず、日本が誇る“結び”の精神によって古今東西の学問を和合させて、新しい文化の創造を目指します。
超一流の教養人から、あらゆる学問のつながりを学ぶ知的ハイ!な体験を、あなたに。
興味のあるテーマから、ぜひご視聴してください!
【公式HP】http://musubi-ac.com/blog/
https://www.og-cel.jp/search/1211918_16068.html 【「海の道」 海洋民族としての日本人】より
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周囲を海に囲まれた日本。はるか遠い昔、海を通ってこの島国にたどり着いた祖先たちと、世界の民族との間にはどのような関わりがあるのか。海を通して日本人のルーツを見つめ、海の民としての存在をいま一度考えてみたい。
日本列島最西端の与那国島は、私にとって思い出深い島である。自分が海の人類学に進むきっかけを与えてくれた場所といっても過言でない。1974年、日本への返還2年目で、まだ車が右側を走っていた時代に、大学生の私は沖縄にあこがれ、八重山列島の鳩間島で1ヶ月を過ごした。その旅の最後に、何かに惹かれるように与那国に来た。
2013年、その与那国を故あって3回も訪れた。一度は町民の方に文化講演会を依頼されて、「与那国島と南太平洋 ~琉球列島への最初の人類移動を考える~」という話をさせてもらった。そのとき、学生時代に買った『与那国の歴史』(琉球新報社)という書籍を持っていった。その表紙の裏にある鉛筆書きのへたくそな字をお見せしたかったからだ。曰く「與那国島は日本の果てではない。ここから日本が始まるのだ!」と書かれていた。今思うとずいぶん気負っていたものだと思う。しかし与那国から日本を考えるという情熱は間違っていなかったと思う。自分をいま一度鼓舞するために、あえて島民の方々に見ていただいたのだ。
人類の移動――アフリカからはるか太平洋までの道のり
実は、与那国をたびたび訪れたのには訳がある。最近琉球列島で3万年以上前の人骨や石器の発見が相次いでいる。その時代は後期旧石器時代に相当するが、その頃は地球上に氷河期が訪れていた。氷河期には海水面が低下して北海道はサハリンと陸続きとなった。シベリアからマンモスを追ったハンターが北海道には歩いて渡ってきたであろう。一方、朝鮮半島と北部九州の連続性については、専門家の意見が割れているらしい。ただしはっきりしているのは氷河期の最盛期でも琉球列島は台湾や中国大陸とはつながらなかった。つまり琉球列島の旧石器人はかならず海を渡ってきたのである。
人類は700万年前にアフリカで誕生した。しかし今地球上で生きている人類はその直接の子孫ではなく、約20万年前にアフリカで再び進化した新人の子孫である。そしてこの新人こそ最初に確実に海を越えた人類なのである。その証拠はオーストラリア大陸から上がっている。
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