烏瓜枯れ木に灯る赤提灯♪・夜神楽

https://plaza.rakuten.co.jp/tennanshou/diary/202112140000/ 【烏瓜枯れ木に灯る赤提灯♪】

植物名:カラスウリ(烏瓜):別名カラスノマクラ:タマズサ(玉章)

科属名:ウリ科カラスウリ属

開花期:8月~9月

結実期:10月~12月

特徴等:本州・四国・九州・中国に分布する蔓性の多年草で、平地や山地に自生しています。雌雄異株で巻きひげを他の植物に絡ませて蔓を長く伸ばして成長します。蔓の長さは3~5mで木に絡んで高く登ります。葉と対生に出る巻きひげで他の植物に巻きつきます。葉はハート形で3~5つに浅く裂けています。花冠は直径10cm位で真っ白く花弁が5裂し裂片は糸状(レース状)に細かく垂れて開花します。開花は日没後で朝には萎んでしまうためこの美しい花の存在は余り知られていませんが、秋に朱赤色に熟れる実は5~7cmの俵型で馴染み深いものです。種子は光沢のある黒褐色でカマキリの頭や大黒天を想像させる形をしています。名前の由来は樹上に何時までも赤い果実が残るのをカラスの食べ残しと見立てたものと言われています。

​​烏瓜​​ぽっぽと火照る​​​​懐炉かな音符​​​​​

​​何時ものウォーキングコースを一寸離れて、目的地の木田山の道端に今年も​「烏瓜」​の実がぶらりぶらりと揺れているのを発見出来ました。

当地では余り見られなくなった烏瓜の蔓も花も実も全てが私にとっても希少価値もので、とても愛着を感じているのです^o^。

すっかり枯れ葉が目立ち始めた山野では、一際真っ赤な実が目立っており、早いか遅いかの内に何がしかの標的に成ってしまうのではと心配が尽きません。

その前に見つける事が出来てとてもラッキーですし、おまけに熟しきれないで、青いままの実まで見られて、この素敵なコントラストに暫し足止め状態でした。

もう少し山道を進んだ崖下の竹やぶの中でも、数個の真っ赤な実がぶら下がっており、遠目で眺めるより仕方ありませんでしたが、喉から手が出る程の悔しさです。

幸いな事に、手の届く範囲にあった数個の実をちゃっかり失敬して家へ持ち帰ってきて、実の中に潜む「打ち出の小槌」を沢山取り出して身近な人に配っているのです。

昨今の冷たさや寒さが実に浸みてきており、真っ赤な頬を更に赤くして、寒風に晒された真っ赤な実が愛おしい限りです。

今朝も寒空の下で、寒さ知らずの真っ赤な実がぽっぽっと我が身を焦がしながらも存在感を高めている事でしょう^0^。

因みに、俳句では「烏瓜」の他に「玉瓜」や「玉章」は晩秋の季語になっていますが、「烏瓜の花」は晩夏の季語になっています。​​

​​早朝5時の空は晴天でしたが、寒気の影響でしょうか薄っすらとした雲くもりに覆われており、美しくて神秘的な星星の瞬ききらきらも疎らでも魅惑的な雰囲気が漂っていましたどきどきハートびっくり目がハートハート(手書き)。

幸いな事に冷たい北風は吹いておらず、何故か深々と放射冷却もされているようで、寝起きの体を刺激する程に非常に冷たくて寒いもののとても穏やかな水曜日の朝を迎えましたびっくりスマイル。

あれ程に騒がれていたふたご座流星群も残念ながら見る事も出来ずじまいでしたが、なんせ『只の流れ星ぞ!』と負け惜しみしている我が家の早起き鳥でしたうっしっし。

今朝の最低気温が2℃と予報されていた通り、その冷たさ&寒さに震えながらも早朝の天体観測に余念のない早起き鳥でしたが、底冷えのつらさに今朝は早々の退散となりましたわからんウィンク。

しかしながらも、南の空低くに少なからずの存在感をしめしているオリオン座星の雄姿もおうし座星の存在も、増してやふたご座星の存在も確かめての事でした目がハートうっしっし。

他方では頭上に移動してきた北斗七星星の大熊座が大きな柄杓を掲げながらも、北極圏からの寒気のお土産を惜しげもなく降り注いでいるようで迷惑千万と言った処でしょうか泣き笑い。

今朝も不同なる北極星星の存在を確かめながら、何時しか広大なる宇宙へと宇宙遊泳飛行機の妄想の世界へと旅立っていく我が家の早起き鳥でしたダブルハートハート(手書き)スマイル目がハートウィンク。

今日は広く高気圧に覆われる為に愛知県や三重県では概ね晴れて日差し晴れ晴れ晴れに温もりを感じられるが、岐阜県は雲くもりくもりが多くなる予報です。

それでも、当地の日中の最高気温は13℃位迄上がる予報で、温もりある日差し晴れ晴れ晴れに恵まれる為に寒さ知らずで過ごせそうで実に嬉しい限りです目がハートウィンクスマイル。

幸いな事に今日は会社ОB会のテニステニスの練習日になっており、先週は病院通いの為に欠席したので何故か懐かしい感じのする再開で不思議と体がときめきますわからんびっくりウィンクスマイルうっしっし。

何れにしても、余り張り切らずに、歳相応の頑張りで、怪我をしないように気を付けて、いい汗を流して楽しんできたいと思うばかりですハート(手書き)ダブルハートどきどきハート。

テニステニス後は、何時も通りで不要不急の用事以外は外出を出来る限り避けて、テニス疲れを癒しつつ在宅でゆっくりとのんびりと休養&静養して明日へ鋭気を養いたいと思います怒ってるあっかんべーぷー。

皆さんも、コロナ禍の中で今週末頃からの​は本格的な冬将軍との戦いとなるので、健康管理&風邪を引かないよう気を付けて、今日も一日ご安全にお過ごし下さい!!。


Facebook長堀 優さん投稿記事

高千穂神社での対談が無事終了いたしました。三木歩さんはじめ多くの方々のご尽力によりつつがなく終えることができて感謝しかありません。ありがとうございました。

 緊急事態宣言が明けるのを待ち、慎重に進めたため、告知が直前になったにもかかわらず、多くの方に集まっていただきありがたいことでした。

 北は青森、南は奄美大島まで、岡山から思いもかけず、御歳九十七歳の天眞如先生もお見えになりびっくりでした。

 後藤俊彦宮司様とは、日本に本当に必要なものは何か、その大切なものが今いかに危ない状態なのかという話を中心にじっくりと話し合うことができました。

 今日はこれから幣立神宮から宮崎の神社巡りをして帰途につきます。

 後藤俊彦宮司様の日本に向けた真摯な想いが多くの方に伝わりますように、ありがとうございました。

 勇壮かつユーモラスな夜神楽にも感動しました。歌舞伎など日本の伝統芸能のルーツを見る思いがしました。

https://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura_taji.htm 【高千穂神楽 手力雄(たぢからお)の舞】より

手力雄(たぢからお)の舞は、手力雄命(たぢからおのみこと)が天照大神が隠れている天岩戸を探し当てるところをあらわした舞です。

鈴と紅白の岩戸幣を持ったこの舞は、静と動の折り合いが見事に調和した神楽舞いでです。

 手力雄命が持つ岩戸幣には冠がついています。青幣の山冠は天と水とを、赤幣の横冠は地と土を表し、分け幣の手では青幣を立て赤幣を肩に当て或いは鈴を一緒に横にして舞われる。 ここでは青幣が山、赤幣は畑の象徴と説明される。

しかし、ここでは鎮魂と復活という日神信仰を基調とする岩戸五番のなかの一つとして舞われることから「鈿女(うずめ)」のタマフリに対して幣を用いての天地の祓い神楽として解するのがよりふさわしいように思える。

「柴引」「戸取」「舞い開き」を普通岩戸三番と称し、これに「伊勢」と「鈿女(うずめ)」を加えて岩戸五番という。

「手力雄の舞」は本来伊勢神楽と同一の舞であり、三十三番の数に合わせて後に創案されたものである。

同じ手力雄の舞でも「手力雄」で用いる神面は白面であるのに対して「戸取」で用いる神面は赤面である。これは戸取りという神楽の性格上、渾身の力をこめられるため面(おもて)が紅潮した状態を表している。

上記解説は、下段記載「神楽三十三番 高千穂夜神楽の世界(後藤俊彦・武田憲一著) 鉱脈社」を参考にした。

高千穂神楽の一般的な番付では24番目に舞われる舞です。

高千穂神楽 手力雄(たぢからお)の舞

 

DANCE OF TAJIKARAO

Tajikarao was a god known for his great strength. when the sun goddess Ammaterasu hid herself in a cave,Tajikarao went searching for her.Tajikarao suspected that Amaterasu hid in Amano−Iwato cave.This dance depicts Tajikarao listening for any sound and that would Prove that Amaterasu was actually in the cave.

https://www.youtube.com/watch?v=nwX43xk_0ws

https://www.morotsuka-tourism.jp/spot/kagura/ 【諸塚の神楽・夜神楽】より

https://www.youtube.com/watch?v=ppZn4T8TrSk&t=2s

諸塚神楽の特徴

諸塚神楽は、宮崎県北部エリアの神楽の中でも異色で、その大きな特徴は他に類のない200体を越す神楽面が残ることにあります。大きく分けて3つの流派(桂・戸下・南川)があり、各集落の住民の献身的な努力の上に今日まで伝承されています。

神楽の夜は「脇宿(わきやど)」が開かれたり、セリ歌で盛り上がったりと神と人がともに舞い遊ぶ特別な一夜となります。

~ご参拝いただく方へのお願い~

諸塚の神楽は、各集落の住民の献身的な努力の上に今日まで伝承されている神事です。そこに参加させてもらうという気持ちでご参拝いただきますようお願いします。地元では、お供えとして焼酎(2升程度)かそれに相当する現金を持参する習わしになっています。

●書籍『諸塚神楽と人々の暮らし 百彩の森から』出版

文:高見乾司 写真:狩集武志 鉱脈社刊

>> オンラインショップ「もろつかストア」にて販売中

●諸塚神楽の紹介パンフレットをWEBから見ることができます。

>> もろつかebooks

国選択無形民俗文化財(平成5年11月26日指定)

宮崎県重要無形民俗文化財(平成3年11月1日指定)

集落ごとの夜神楽

戸下神楽(としたかぐら)

宮崎県諸塚村荒谷(あらだに)地区にある戸下(とした)集落にて行われる神楽で、現在は集落の9戸を中心に継承されています。

戸下集落の鎮守、白鳥神社(しらとりじんじゃ)の春季例大祭に併せて毎年夜神楽が奉納されており、集落にある公民館には屋外に張り出す形で神高屋(みこや)が建てられ、お昼から翌日の朝まで真冬の寒い中舞が続きます。

毎年奉納されるのは「普通神楽(ふつうかぐら)」と呼ばれ三十三番ですが、集落の大願成就の年などに行われる「大神楽(おおかぐら)」では三十三番がさらに細かく分かれた五十番と大神楽でしか行われない「山守(やまもり)」を合わせた神楽五十一番が奉納されます。

大神楽の最初に舞われる山守は、日本でただひとつ、戸下神楽にしか残っていない貴重な番付。かずらを巻いて実際に山から下りてくる山の神に、神楽を舞わせてほしいと神主が説得を試みるお話で、なかなか納得しない山の神と説得をつづける神主を見守る重要な番。この番付を見るために、全国から多くの観客とカメラマンがやってきます。

平成27年(2015)には、言い句、禰宜歌(ねぎうた)、唱経(しょうぎょう)を記した本を戸下神楽保存会が発行。神楽の伝承に努めています。

※戸下神楽会場(神楽の日のみ)、しいたけの館21(通年)にて販売中

戸下集落に隣接する南川地区では南川神楽が継承されており、戸下神楽とは同流派といわれています。

戸下神楽には南川神楽の、南川神楽では戸下神楽の舞手が顔を出し、にぎやかな一夜となります。

諸塚の方言でいうと、かてゃりもどし。

「うちのお祭りにきてもらったから、お返しにそちらのお祭りに遊びにきました」

何かをしてもらったら、きちんと返す。諸塚村の相互の助け合いの気持ちも一緒に伝わっている伝統行事です。

かてゃり=混ぜる、交ざる

毎年1月最終土曜日開催

南川神楽(みなみがわかぐら)

南川地区の5つの集落持ち回りで毎年実施されているのが南川神楽。

民家やセンターの庭に神高屋(みこや)が設けられ、受け持ちの集落の神社に奉納する形で夜通し行われます。

南川神楽の特徴は、荒神。昔からの地神様で、「七荒神八稲荷」といわれています。

「三宝荒神」の番付では、三柱の荒神様がそれぞれに神主と問答をします。神主は荒神様に無断で神楽を始めたことを詫びつつ説得しますが、荒神様は怒りを露わにして抵抗し、周囲の観客もそれに賛同し、囃し立てます。見どころの多い夜神楽の中でも、特に人気が高い番付です。

若い世代が多い地区で、舞手となるほしゃこ(奉仕者)が多く、戸下神楽のほしゃこも「かてゃりもどし」にやってきて賑わいます。

毎年、2月の第1土曜日開催

桂神楽(かつらかぐら)

江戸末期、神官宅の火災でそれまで伝えられていた記録が消失してしまったため、口伝とそれを筆写したわずかな記録しか残っていません。

元々は、立岩地区の桂集落にある桂正八幡神社に奉納されていた神楽で、この神社は南北朝時代に関東かつらぎの国から勧請されたと伝えられています。

諸塚に残る他の二つの神楽とは趣を異にしていて、椎葉村や高千穂町の神楽と同じ系統といわれています。

特徴は、ゆっくりとしたリズムの勇壮な舞。

遷宮や集落の大事、お日待ちの願成就などで奉納される大神楽のみが夜神楽となり、通常は春秋の例大祭で昼神楽として三番のみが奉納されます。

不定期開催

諸塚神楽の歴史的背景

 神楽の語源は、「神座(かみくら)」から転じた説が一般的ですが、神楽の記述の最古は、高千穂神社の「十社大明神記」(1189)で、そのころの高千穂地方(現在の西臼杵郡および諸塚村、熊本県蘇陽町の一部)には、すでに存在していたようです。

 神楽は、もともと社寺が保持し、修験者たちが担っていましたが、幕末から明治初期にかけて、時代の変化と共に社寺の影響力の衰退と修験道の廃止とともに民間に流布し、住民主体に変化していったものと考えられます。

 庶民に普及するにつれ、本来の宗教的修験道的な色合いが薄れ、庶民の文化を支える農林漁業と密接に関連するようになります。分類すると、その地域の文化によって山岳神楽と農耕神楽、漁師神楽とに大きく特徴づけられます。また冬の夜神楽の形態は、春の昼神楽と違って宮崎県では県北部の山間部にしかありません。

 宮崎県北部の夜神楽で国の重要文化財に指定されているのは、高千穂と椎葉、米良の3つです。

 高千穂地方とは、もともとは阿蘇山と祖母山までの中間の区域のことをいい、江戸末期には現在の諸塚村を含む高千穂、日之影、五ヶ瀬の4町村にあった旧18村のことを言ったようです。これらの地域は、その神社が鎌倉期に熊野神社に寄進されたこともあって、地域信仰に熊野信仰が色濃く反映され、諸塚山や二上山では山岳修験者信仰が盛んに行なわれたようです。その過程で神楽が伝承され、県北部に限定して夜神楽が伝わっているものとされています。先ほども記述した最も古い神楽の記録があることからも、それが証明されます。

 特に高千穂神楽の特徴のひとつは、仏教や修験道の影響を排し、天孫降臨の記紀神話を強く出しているところです。吉田神道の影響を受けた神道化が顕著で、岩戸を中心にしたいわゆる「出雲流」です。椎葉神楽が、神道化の影響が薄く、狩猟文化の影響を色濃く残しているのと対照的です。

 諸塚神楽は、同じ高千穂地方の中でも異色で、その大きな特徴は他に類のない200体を越す神楽面が残っていることです。神楽のはじめに行う「舞入れ」では、神面が一同に並んで道神楽が舞われますが、他の神楽では見られない圧倒的に壮観な舞です。これは、明らかに修験道神楽のなごりです。

 一部神道化も見られますが、この原始神楽の原形を残す多くの面と壮観な舞い入れが諸塚神楽の大きな特徴です。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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