Facebook人の心に灯をともす 投稿記事 【待つことの大切さ】
渡辺和子氏の心に響く言葉より…
幼い時、父は私をある神社に連れて行ってくれて、「ここに祭ってある神さまは待つことが大嫌いだったから、ごらん、今でも境内には 松の木が一本も植わっていないだろう」 と言った。
父の思い出はごく少ないのに、なぜかこの会話が今日にいたるまで記憶に残っている。
「だから人を待たせてはいけないよ」と言おうとしたのか、それとも「神さまにしては忍耐力がなくておかしいね」と言いたかったのか、平常から口数の少ない人だったから、教訓めいたことをつけ足さなかった。
「果報は寝て待て」などという諺が日本にあったのかと疑うほどに私たちは今日、早く結果を見たいと焦り、待つことを罪悪視するまでになっている。
それはめまぐるしい変動の世に当然のことであり、寝て待っている間に事態は変わってしまうのではないかという不安と、結果を今すぐこの眼で見なければ安心できないという不信感のあらわれでもあろう。
コンピューターはたちどころに運勢、結婚の相手、成功疑いない事業をはじき出してくれ、乗り物はおろか銀行の窓口にいたるまで、とにかく待たないですむように、 待たせないですむようにという配慮がされている。
四季を問わず店頭にある野菜、果物類は、自然の破壊と相まって日本特有の季節感、それは待ちこがれたあかつきに、はじめてしみじみと味わうことのできる春夏秋冬のあの美しい味わいをとりあげてしまった。
結果を焦る人々に応えて登場したインスタント文明の落とし子として、そこには自分の欲望と、その欲望の対象との間に時間も距離も置くことができないジェネレーシ ョンが生まれた。
新聞を賑わす非行、犯罪の数多くは、知能犯というよりもむしろ一時の衝動を抑えることのできない人たち、つまり自分に「待った」をかけることがないままに突っ走った人々の姿でしかない。
待つということは、この不完全な世の中に神仏ならぬ身で生きている者にとっては 逃れられない宿命だと思う。
短い一生だから待ってなどいられないと言うかも知れないが、そんな短い、死でピリオッドが打たれるような人生だからこそ、ままならぬことも多いのだ。
待っている間はたしかに辛い。
しかし待った後の喜びは待たずして得られた喜びと、その質において異なるのである。
そうだとすれば、待たないですむ世の中であるかのように子どもたちに教えてはいけない。
ほんとうに子どもの幸せを願う親、教師であるならば待つことの意味と、待っている間のすごし方を自分の生き方で見せるはずではないだろうか。
教育そのものが待つことを必要としている。
それは種まく者にいつも求められる忍耐と謙虚さであり、蕾(つぼみ)が内からの力で自然にほころびるのを待つ信頼にも似ている。
死んだ後に墓の傍に小さな松が植えられるような、そんな生き方をしたいと思う。
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渡辺和子氏は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏の次女として生まれた。
1936年2月26日に起こった陸軍の青年将校のクーデター未遂事件「2.26事件」で、渡辺総監は殺害されたが、その場面を渡辺和子氏は目撃することになる。
まだ、9歳のときだった。
待つことが苦手な人は多い。
たとえば、エレベーターに乗ったとき、「閉」ボタンをすぐに押してしまう人。
一般的エレベーターのドアが開いている時間は、約4~5秒だという。その何秒かを待つことができない。
あるいは、メッセージを送ったのに、すぐに返事が返ってこないとイライラしてしまう人。
また、レストランやカフェ、あるいは役所や銀行などの窓口で少し待たされると激高してしまう人。
そして、人との待ち合わせで、1分でも待たされると怒りだしてしまう人。
「人生の「ねじ」を巻く77の教え」(ポプラ社)の中にこんな文章があった。
『動物には「待つことのできる動物」と「待つことのできない動物」がいます。
ネコやネズミは「おあずけ」することができない。イヌの場合は、簡単な訓練で20秒は待てる。サルは1分、チンパンジーは5分と聞いています。人間はさまざまです。
赤ん坊をはじめ、これに近い人は、しばし待てずにダダをこねます。
いずれにしても、「待つ」というのは高等な精神活動ですので、これができるような人間性を磨かねばなりません。とくに最近は、待てない社会になりつつあります。
みんな日々の生活や仕事に忙殺され、せっかちになる度合いが高まっているのです。』
昨今は、教育も、会社における研究投資も、すぐに結果を求める傾向にある。
「機が熟すまで待つ」、というのは成功するための大事な視点であり、余裕のある大人の対応だ。待てない人は自己中心的な人。
自分のペースでないと納得できず、イライラしてしまうからだ。
そして、一代で会社を大きくしたような経営者にありがちなタイプの人は、待てない。
仕事に限らず、すべてに対してスピード感が優先され、同時に「待つこと」は時間の無駄という意識があるからだ。
スピードが優先される時代だからこそ…今一度、待つことの大切さを心に刻みたい。
FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事
迷った時は、「どちらが楽か」ではなく「どちらが楽しいか」で決めてみる。
「どちらが正しいか」ではなく「どちらが温かいか」で決めてみる。
「どちらが得か」ではなく「どちらが徳か」で決めてみる。
「どちらが失敗しないか」ではなく「どちらが後悔しないか」で決めてみる
※白山比咩神社「加賀国一宮」
http://youtu.be/fnvA-MmBd_w
初めて参拝しましたが、和合、調和、統合のククリ(ムスビ)の力に満ち溢れていました。夫婦のすれ違いや人間関係で悩んでいる人、パートナーと出会いたい人にもお薦めな気がします。家族内、人と人、国と国の争いが増えてくる時代だからこそ、一度訪れてみてほしい場所です。
Facebookごとう 孝二さん投稿記事 I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜
「令和おかげ参り・ええじゃないか」もし、あなたが、ある日、神さまに、
「日常の全てのくだらないことから、自由気ままに、解放してあげるよ」って言われたら、どうします?
上司へのストレス、旦那へのストレス、日常生活へのストレス、明日の仕事の心配、お金の心配、人間関係の心配、あなたを縛る法律、あなたを縛る義務、身分制度・・・、
現代社会には、あまりにも多すぎる束縛があり、もう僕らはヘロヘロだ。
でも、そんな、全ての束縛からの解放行事が、江戸時代にはあった。それが、おかげ参り。
全ての、あなたを縛る、「~ねばならない」から、完全に解放される行事だった。
おかげ参りとは、江戸時代に3回、60年周期で発生した、伊勢神宮参拝の熱狂的ブーム!!
当時の人口の、実に6人に1人が参加した、国家的な一大行事だった。
ある日、日本各地で、空から神のお札が降ってくる。人々はそれを、神のお告げとして、仕事を放り投げて、人間関係も放り投げて、義務も、上下関係も、何もかも放り投げて、踊り狂い歓喜し、伊勢神宮を目指した。だって、「神さまが呼んでいる」のだから。
何もかもを、神さまのせい(おかげ)にして、おかげ参りに参加したのだ。
庶民A
「え?明日の仕事はどうするのかって?知るか!こっちは、神さまに呼ばれとるんじゃい!!」
商人B
「ん?私が急に抜けたら、誰がガストの皿洗いをするのかって? 知るか!誰でも洗えるだろ、そのくらい。 こっちは、あの、カ・ミ・サ・マ、が呼んどんじゃい、止めると罰当たるぞ!!」
全員
「さぁ、どいたどいた。今すぐ自由気ままな旅に出なきゃならんのじゃ!
(しつこいようだけど)なぜなら、神さまに呼ばれたのだからな!」
江戸時代の庶民の信仰は厚く、次のような風潮が広がって行った。
一、店長(主人)はバイト生(奉公人)が伊勢神宮に行く事を止めてはならない。
一、親は子供が無断で伊勢神宮に旅立っても、怒ってはならない。
一、旦那さまは妻が急に伊勢神宮へといなくなっても、とがめてはならない。
それどころじゃない。職場から無断で居なくなって、数週間後にひょっこり帰って来ても、
「伊勢神宮に行ってきた証拠(お札)」さえ見せれば、誰も怒らない。
しかも、おかげ参りに行く人は、パスポートなしでも関所を越えられる。さらに、お金が無くても、全然平気。沿道沿いの人々が食事、宿、ワラジ、衣類、案内、と、何から何まで、至れり尽くせりで奉仕してくれたのだった。これらの背景にはやはり、神さまの存在があった。伊勢に行く人々を助ける事は、神さま的に、徳が上がるぞという雰囲気や、おかげ参りへの参加を止めた奴は、神の天罰が当たるぞ的な雰囲気が広がっていた。
そう。「伊勢に行って来ます」とさえ言えば、全てのサポートを受けられたのだ。
お金の心配をしないで良い、日常の仕事を気にしないで良い、身分制度を気にしないで良い、子育て・家事・雑務を気にしないで良い。ただただ、神さまのサポートを信じて、伊勢に旅に出よう。それが、おかげ参りです。
江戸時代に3回起こったおかげ参りは、庶民のガス抜きのようなものでした。
世の中にガスがたまると、60年に1度、自然発生的に、おかげ参りが起こりました。
それは、ある一定量のフラストレーションがたまると、
自然に発生する社会的現象なんです。
人類の歴史上、ガスがたまると、絶対に起こって来た、出来事なんです。
この社会におけるガス抜きとは、群衆が行う、「世直し」の事です。
外国ではその世直しを、暴動や革命などのような、「暴力」という形で行いました。
でも日本のガス抜きおかげ参りは、笑いながら、歌い、踊り狂って、伊勢へ行進し、
それはまるで、ディズニーのパレードのような「おまつり」として、表現しました。
日々の日常を忘れて、ココロの底から楽しむ事で、
日本社会はガスを抜いて来たのです。
おかげ参りとは、なんと誇らしい、先祖の文化なのでしょうか。
さて、ひるがえって、最近の日本の雰囲気は、どうでしょうか?
雇用格差、増税、コロナウィルスでの自粛、マスク着用…
今、まさに、過去の社会において、たまったガスが爆発したように、
いや、それ以上に、現代日本の社会的フラストレーションはたまっています。
もう、爆発寸前!
ただ、ここで、暴動や、ストライキ、デモという形で、このガス抜きを表現しては、
まったくもって、日本の文化が台無しになります。
日本には、日本の知恵があるんです。
日本の「世直し」があるんです。
エレクトリカル・パレードがあるんです。
日本には、おかげ参りが、あるんです。
それが、令和おかげ参りです !
あなたにも、不満は沢山あるでしょう。
あの神話でのアマテラスの岩戸から出てきたきっかけはアメノウズメの裸踊りでのみんなの笑いからでした!
あなたはせめて、笑いましょう。
江戸の庶民は、おかげ参りの道中で、こう歌い踊りました。
たまにはサボったって、えぇじゃないか、えぇじゃないか♪
変わらない世界も、えぇじゃないか、えぇじゃないか♪
全てを楽しみゃ、えぇじゃないか、えぇじゃないか♪
今が楽しけりゃ、えぇじゃないか、えぇじゃないか♪
あなたが抱える、様々な不安や心配ごと。
それらを少しわきにおいて、令和おかげ参りに出かけませんか?
不安は全て未来への憂いから起こります。
喜びは全て今にしか起こりません。
ただ、日本には、日本のやり方があるんです。
あなたの周りに、今にも政治への怒りで爆発しそうな人が居たら、伝えましょう。
「とりあえず、俺たちは楽しんでみないか?」
「踊ろうよ、歌おうよ、日常の全てから解放されて、みんなでワイワイ楽しもうよ!」
「行こうぜ、おかげ参り!!どうにかなるさ、その後の日常なんて。」
ある天才科学者の計算では、「場」の構成要素の13.7%が変われば、
全てがひっくり返るそうです。
日本人の、たった1,800万人の「気」が変われば、この国は良い方向へ進み始めます。
令和おかげ参り。
そんな素敵な文化が日本にはあるんだよという事だけでも、 知らせたいのです。
ええじゃないか!
ええじゃないか!
「さとうみつろうブログ 笑えるスピリチュアルより」
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