マノマノ稲穂@manomano_farm
想いは言葉にした方がいいです。
あなたの胸の中にある気持ちを言葉にしなかったら、それは無かったことになります。でも勇気を出して言葉にすればその瞬間からメッセージが生まれるのです。そのたった一言で人生が変わる人が必ずいます。
想いを言葉にしよう。言葉は世界を変える力がある
和みmessage✧︎︎︎︎@nagomu_toki
良い言葉や前向きな言葉は励みになり願う方向へ意識が向かう
何度もリセットしながら前へ進む勇気をくれる
心が静止している人や後ろに向いている人はそんな言葉に傷つく…
傾聴し ただただ存在を認め 共感する
相手の心が 温かくなる言葉に変換していく そっと優しく寄り添えたらいいな
片柳弘史@hiroshisj
頭で考えた言葉は、相手の頭にしか届きません。相手の喜びや苦しみを、自分自身の喜びや苦しみとして受け止めたとき、心の底から湧き上がる言葉だけが相手の心に届くのです。「どう話そうか」と考えるより、まず相手の気持を受け止めましょう。今晩も皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
神との対話@kamitonotaiwa_
プラス思考の最高のかたちは、感謝の言葉だ。「人生で成功させてくれてありがとう、神さま」そういう考え、思いを口にし、それに従って行動すれば、すばらしい結果を生む。結果が欲しいからそう言うのではなく、結果がすでに生じているとほんとうにわかっていて口にするのであればうまくいく。
https://www.townnews.co.jp/0304/2018/01/01/412866.html 【『伝える』とは何だろう
言葉に託し『伝える』心】より
俳人 中西夕紀
何度も推敲を重ねて、自分の思いを十七文字に託す。20代後半、長野県松本で宮坂静生氏の講座を聞き、俳句を始める。同氏主宰の俳句会”岳”で学んだ。そして東京で藤田湘子氏、名古屋で宇佐美魚目氏を師事し、2008(平成20)年、町田市で主宰する俳句会”都市”を立ち上げた。
「最初は感じたことなどを十七文字にするのは楽しいの。でもね、だんだん言葉を生み出すのが苦しくなるのよね」。文字数が限られているため、動作やモノに託して自分の気持ちを表すのが俳句だという。ちょっとした不安、ちょっとした悲しみ、ちょっとしたうれしさが俳句の十七文字に込められている。
「作品は作者の手を離れると、もうどうしようもないの。どう詠まれるかは詠み手に委ねられているからね」。こういうことを言いたかったにも伝わらなくて残念ということも多いという。「でもね、詠み手のおかげで作品がどんどん膨らんでくることもあるの。作った本人も気が付かなかったことを指摘してくれたりね」。宇佐美氏には「小さく伝えて大きく開いてもらえ」と言われた。十七文字という小さな言葉の裏にはたくさんの要素があり、詠んだ人の体験に合わせて、それぞれの世界で鑑賞してもらい、句は成長していく。
もちろん、詠み手に句の価値をすべて託すわけではない。自分の気持ちを整理し、表現したい感情を呼び起こす。一瞬をとらえた感情を季語や助詞、動詞、名詞を駆使して、伝えたいことをはっきりさせていく。そぎ落として、そぎ落として伝えたい気持ちが表れてくる。「『伝えたい』という気持ちがなければ、句にならないわ。まずは『伝えたいんだ』という気持ちが湧いてこないと」
表現者として作り出した作品には責任がある。「へんな作品は世に出せないでしょ」。発表した句の後ろには出せなかった句がいっぱいある。「駄句をたくさん作らなきゃね。でないと良句はできないわよ」。思ったことはどんどん句にしていく。後で、こんなこと言ってはダメだなと発表せずに引っ込める。『伝える』という行為も、「待てよ」の延長線上にある。「これは私の思いなのかな、これで伝わるのかな」と推敲を続ける。それが作者としての責任。
”片手から両手にもらひ桜貝” 中西夕紀
多くの人がそれぞれの経験に合わせて句を解釈していく。片手は父なのか、恋人なのか、桜貝を両手でもらったのは子どもなのか…。選び抜かれた言葉で作った句は、多くの人の心の中でも広がっていく。
http://kntより73.blog.enjoy.jp/blog/2022/07/post-ea4b.html 【「言葉の力」・「俳句の力」《癒し》】より
7月11日に、鎌倉八幡宮の「直会殿(なおらいでん)」で開催されたヘルマン・ファン・ロンパイEU名誉大統領と高野ムツオ日本現代詩歌文学館館長(「小熊座」主宰)の講演(俳句ユネスコ登録推進協議会と国際俳句交流協会の共催)を拝聴しました。
この講演会は、「言葉の力」がテーマでしたが、両氏のお話から「俳句は癒しになる」という印象を受けました。
ロンパイ氏は次の自句を引用し、「自然を観察して俳句を詠むことによって、人は謙虚になる」と言われました。
ロンパイさんのお考えに共感し、俳句を世界に普及する一助となればとの思いで、2017年頃から草の根運動の記事を「俳句HAIKU」に書いています。
An old dog faithfully
plodding at his master’s side,
Growing old together.
忠犬や主人に沿ひて相老ひて
(訳:薫風士)
犬や猫などペットを飼っている人は沢山いますから、ロンパイさんはそのことを詠まれたのでしょうが、ひょっとして愛犬「チュヌ」をスポークス・ドッグにした「チュヌの便り」のことも小耳に挟まれたかもしれないなどと、我田引水の解釈をしています。(お笑)
「ポーランドの旅(写真と俳句・講演のことなど)」をご覧下さい。
ロンパイ氏が東京新聞に投稿された俳句の試訳をしました。
ここをクリックて、記事の詳細をご覧下さい。
A sunny wheat field
Strewn with senseless death
Hungry for peace
陽に煌めく麦畑
遠近(おちこち)に意味なき死
平和に飢ゑつ
上記の和訳は、5・7・5の定型に捉われず原句のニュアンスを訳出した薫風士の試訳です。
原句は「5・5・4」音節ですから、「俳句」と言えるでしょうが、この試訳は「10・10・7」のリズムですから「俳句」というより「三行詩」というべき翻訳です。
俳句は省略の文芸ですから、悪く言えば片言であり、その解釈は読者次第です。英語などの俳句を翻訳する場合は、日本語としての俳句の形式より、作者が原句に込めた思い・句意を訳出することが大切だと思います。
高野氏は東日本大震災に遭い、自宅へ徒歩で帰る途次にも自然に俳句が浮かび力づけられたと、「俳人の『俳』は人に非ずと書く」と冗談気味に言われたのが印象的でしたが、この言葉と津波を詠んだ次の俳句と関連付けて深読みすると、この俳句の面白さ・深さがわかるでしょう。
・車にも仰臥(ぎょうが)という死春の月
(高野ムツオ)
1790
高野ムツオ氏の俳句はここをクリックしてご覧になれます。
ここをクリック(タップ)すると、HIA 国際俳句交流協会HPの記事「ファンロンパイ旋風」で、ファン・ロンパイ夫妻の来日・俳句交流の状況などの写真をご覧になれます。
・川柳の友を偲ぶや文化の日
・ヨイクの日和平祈るや朧月
・夏休み孫の成長我が癒し
・大人びた言葉口真似夏休み
・「ちなみに」が口癖の子や風涼し
(薫風士)
ここをタップして、ウクライナ応援句をご覧下さい。
ここをクリック(タップ)して、「『花祭』の俳句《21世紀の宗教・世界平和を考える》」をご覧下さい。
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