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【更新】広範な視野と微細な歴史の積み重ねにより、近現代のまったく新しい見方を提示した哲学者ミシェル・フーコー(1926-1984)。多くの人を魅了して止まないその思想の鍵となる概念が「生権力」です。いまや社会を覆い尽くし、私たちの「生」に介入し続けている生権力とは、一体どのようなものなのでしょうか。明治大学政治経済学部教授 重田園江先生にお聞きしました。
https://www.toibito.com/inte.../social-science/politics/3505 【生権力はいかに作動しているか【前編】】より
身体刑の時代
――フーコーの『監獄の誕生』は国王の暗殺を企てたダミアンが四つ裂きにされる描写からはじまるそうですね。両腕と両足を馬に引かせてもぎ取るというのはどう考えてもやり過ぎだと思うのですが、こうした刑が執行されたのはなぜなんでしょうか。
フランス革命以前には、ダミアンの例に限らず、国王の権力を誇示するために華々しい身体刑が行われていました。絶対王政は過去のものとなりましたが、過剰な殺し方をしたり遺体を傷つけたりということ自体は今でも結構あると思うんです。最近もアメリカで、逃走しようとした黒人が警官に60発以上撃たれて死亡した事件がありましたよね。ロシアのウクライナ侵攻でも、殺した後に遺体をさらに損傷するといったケースが報告されています。そこには相手への憎悪や恐怖、あるいは集団心理といった偶発的な理由があったと思われます。ダミアンの処刑がそれらと異なるのは、偶発的なものではなく、この時代の身体刑には体系的な意味があったと考えられる点です。
――体系的な意味、といいますと?
たとえば現代の日本の死刑は絞首刑が採用されていますが、それは受刑者の苦痛が最も小さい――薬物の方がましだとか、いや電気だとかという議論も含めて――とされているからです。ではなぜ苦痛が小さいものを選ぶかというと、死刑の目的が「殺すこと」にあるからですよね。
でも、中世から近世のヨーロッパではただ殺すだけではなく、どのようにして殺すか、さらには殺した後にどうするかということまでが刑の中に含まれていた。権力者と犯罪者の対決においては、死は終着点ではなく一つの通過点のように考えられていたんだと思います。だから死んだ後も刑罰がつづくのです。逆に言うと、死刑が殺すことだけを目的とするという刑罰体系は、極めて近代的なものだともいえるわけです。
――そういえば日本の武士も、切腹なのか打ち首なのかによって意味合いがぜんぜん違っていたといいますね。
それに、死んだ後「さらし首」にするでしょう。さらし首って、抑止効果もあるかもしれないけど、侮辱を与えてるんですよ、死人に。死後に侮辱を与える刑は今では考えられないし、むしろ許されないことになっていますが、当時はそれに何らかの合理性があったんだと思います。
――ダミアンの処刑が公開で行われたのは、要するに見せしめということですか。
そういう面はもちろんあったと思いますが、それだけで説明しつくすことは難しいですね。というのも、公開処刑には大きなリスクがあって、観衆が暴れ出すことがあるんですよ。たとえば処刑人がもたついたり、首尾よく執行できなかったりすると、興奮した民衆がその処刑人を処刑台から引きずり降ろして殺したりもしました。
混乱に乗じて受刑者が放免されることもあったようですが、それが目的というより、おそらく突発的な激情でしょう。そういった危険性があってもやるのは、権力の側にとってそれを上回る利点があったからだと思うんですけど、それが現代の私たちに理解できるものかどうかはわかりません。
中世には動物裁判というのもあって、動物も人間と同じように被告にされました。人殺しの動物を処刑するといって、実際に豚を縛り首にしたりしています。今だと考えられないですよね。でも、それが当たり前の社会で暮らしていると、誰も変だと思わないんでしょう。結局、道義的に何が正しいか正しくないかというのは、時代によって相対的だということです。
――時代や社会によって犯罪の定義が異なると。
そう。それに、処罰の仕方も社会によってまったく違う。まったく違うんだけど、近世のヨーロッパと江戸時代の日本はなぜかよく似てるんですよ。その話はいつかまとめたいと思っているのですが。
――ヨーロッパでは罰の種類がたくさんあり、犯した罪に見合った罰が与えられるようになっていたんですよね。
罪と罰との対応というのは身体刑の時代のひとつ後、啓蒙主義の時代ですね。身体刑の時代は罪と罰とがつり合うというより、罪に対して常に罰が過剰になるよう設計されていました。その方が王の権力を効果的に示せるので。つまり、身体刑はやる方もすごく大変なんです。体力も技術もいるし、手間もかかる。だから、処刑人というのは相当訓練された人じゃないと務まらなかった。
江戸には処刑人の家系というものがありましたが、パリでも代々処刑人をやっていた有名な一家の例があります。その辺もよく似ているのですが、パリの処刑人の中には医者をやっている人もいたようです。
――え、医者ですか? 真逆の職業のように思えますが。
医者というのは人体の専門家ですよね。一方処刑人は、拷問吏を兼ねていました。彼らは最終的に殺すにしても、すぐに殺してしまってはいけないし、痛めつけ方を知っていないといけない。死なない程度に十分に痛めつけるには、やはり人体の構造や機能に詳しくないとできないわけです。
――なるほど。身体刑というのはある種の儀式のようなものだったんですね。「ショー」とまで言うと言いすぎかもしれませんが。
罪人の身体を使って権力の華麗さを示すわけです。それが頂点に達したのが絶対王政で、ダミアンの処刑が行われたのもまさにその時代です。絶対王政では「王殺し」が一番の重罪で、ダミアンの事件は未遂に終わったけれど、この時代に王を傷つけようとすること以上の犯罪はない。なので、それに対しては、考えうるかぎり最強度の罰を与える必要があったわけです。
監獄と学校
――近代になるとそうした身体刑が監獄に罪人を収容する監禁刑に変わるわけですが、この変化が起きたのはなぜですか。
明確に一つの理由があるわけではないと思います。これに限らず、フーコーの著作には「なぜか」はあまり書かれていない。「なぜか」ではなく、「何がどう起きたのか」を著述していくのが彼のスタイルで、しかもそれが突然起こったと強調するのが好きなんです。監禁刑に関しては、18世紀の終わりくらいに突然広まったと書かれています。
――ということは、フランス革命のあたりですね。
そうですね。フランス革命ではマリー・アントワネットやルイ16世がギロチンにかけられたわけですけど、ギロチンというのは苦しませずに殺す道具なので、その時点でダミアンの例のような過剰に見える身体刑に対する違和感が出てきていたと考えていいと思います。
――監禁刑というのは、罪人の身柄を拘束することで、近代人の最大の権利である自由を剥奪するという理屈ですよね。
建前はそうなっていて、今でもそういわれていますけど、フーコーはこれを完全に否定しています。ただ自由を奪うだけなら、島流しでもガレー船でもいいわけですから。彼は、監獄は、学校や工場や軍隊や病院と同じく、「規律」というテクニックで管理されている場所だといいます。つまり監獄にとって、自由を奪うことは本質的ではなく、そこは規律権力が作動している数多くの例の一つに過ぎないというわけです。
実際、刑務所と学校って似てますよね。整列させて「気を付け」「休め」といった号令をかけたり、そろって体操させたり。工場もそうですけど、これはつまり、全員に同じ動作をさせることで、身体に規律を覚え込ませるための場所だというわけです。
――そういうことだったんですね。
規律は最小限の労力で最大限の秩序と力を引き出すことを目指すテクニックで、「生権力」の一タイプなのです。つまり、個々の身体に働きかけ、特定の仕方で生●き●さ●せ●る●権力です。なので、そこでは身体をいかに痛めつけるかではなく、いかに活用していくかが重要になります。
『監獄の誕生』の巻頭には、17〜18世紀のさまざまな「正しい姿勢」を解説した図が載せられていますが、私たちは、たとえば字の書き方だったら、鉛筆は人差し指と中指でこうもって、親指はここで、反対の手は紙を抑えて……といった感じで習いますよね。そうでなければ、もっとめちゃくちゃな書き方をしているはずです。あるいは、人と話すときにはちゃんと座って、相手の話を「うんうん」とうなずきながら聞くっていうのも習っているからできるわけで、中世の農民は教室みたいな場所にずっと座ってなんかいられなかったと思いますよ。
――ある意味、私たちは調教されているんですね。
そういうことです。兵士の例がわかりやすいんですけど、たとえば三国志に出てくるような昔の武将って、戦列の一番前に出てくるじゃないですか。派手な格好をして甲冑を着て、誰よりも目立っている。それだと敵にも真っ先に狙われて危ないんだけど、当時はこうした武将の力量が勝敗を決めた。大将の首を取るのが戦闘だったのです。そのため、古代ローマもそうですが、体格がよくて知略にも優れた超人的な戦士が求められていました。
でも、近代はそうじゃない。近代の戦争では兵士がずらっと並んで鉄砲で撃ち合うわけですから、全員が同じように撃てなければいけないんです。つまり、まわりと同じように動ける兵士こそが必要とされる。
――超人的な能力は必要ないと。
抜きんでた能力もつ存在=英雄が活躍したのが昔の戦争で、近代の戦争は逆に、規格品のように同じ動きができる兵士がいっぱいいる方が強い。こうした変化は社会全体の工業化とも関係していて、画一的に「調教」された人間が同じように行動することで集団の目的を達成する、というのが近代という時代の特徴だと思います。
――学校で規格品のような生徒を育てることが、そのまま、規格品のような兵士を生み出すことにつながっているんですね。
工場で働く人もそうです。それこそ戦後の集団就職の時代なんかには、工業化された社会がそういった規律的な人材を求めていたといえます。それが現代ではポスト工業化社会となり、個性の時代だとか言われているわけですけど、ではその現代において規律的ではない、「個性的」な人間が求められているかというと、あまりそんな感じもしないですよね。
規律とは何か
――権力というとふつうは全体を一元的に統治する強大な支配者、それこそホッブスの「リヴァイアサン」みたいなものを想像しがちですが、規律によって作動する権力というのは、それとはかなり違いそうですね。
ぜんぜん違います。たとえば、学校の中で起きてることって、外の人にはまったくわからないじゃないですか。だから、いじめとかがきっかけで学校の内情が報道された時に「なんでこんなことが!?」とみんな驚くんですけど、規律には閉鎖空間のなかで独自に進化していくという特徴があります。
たとえば、ポニーテールは禁止だとかっていうのも、元々はおそらくなかったんですよ。それをあるとき誰かが思いついて、男子生徒がうなじに欲情するから、というので規則になった。そんなことを本気で言ってるんですよ! 欲情してるのは規則を作ったあんただよって言いたくなるんですけど。
――そういえば最近、髪の毛がもともと茶色い生徒が、規則だからというので黒髪に染めさせられていたというニュースがありましたけど、それもおかしな話ですよね。
そうですね。元々は髪を染めるのはダメだという話だったのが、いつのまにか髪が茶色なのはよくないということになって差別問題にまで発展したわけです。規則というのは少しずつ変わっていくものなので、先生たちもどこでおかしくなったのか気づかなかったのかもしれません。理由があることとそうでないことの違いが誰にもよくわからない。閉鎖空間の中はそうなりやすいんですよ。
――外部の目が入らず、おかしいと指摘されることもないから、独自の「進化」を遂げていくわけですね。
それは官僚制にも当てはまると思うんですよね。官僚制も規則がどんどん増えてくじゃないですか。それが作られたときには多分合理性があったんでしょうけど、時代や環境が変化していくうちに、何のためにあるのかわからなくなる。
――規則のための規則になっていく。
規律は元々修道院から来たといわれています。修道院の規則は細かい上に厳格だから、やってる人たちもなんでここまでって思ってたんじゃないかな。あとは軍隊もすごいですよね。
規律というのは要するに、何らかの目的を達成するために集団生活の中で生まれてきたものですが、それが体系化されて社会のあちこちに広まったのが近代だということだと思います。
――社会の中で人びとの行動を規制するものとしては昔から法がありますが、法と規律はどう違うんですか。
法というのは一般化するんですよ。憲法を見ればよくわかりますが、ある人にはこうだけど別の人にはこうだというのではなく、すべての人に対して同じように適用される。つまり例外を設けないわけです。それに法においては、条文に書かれている「してはいけないこと」以外はしてもいいことなんです。
それに対して規律はある特定の場所や場面における決まり事なので、無限に「すべきこと」を定めていきます。そのうえ恣意的な判断による例外がよく生まれます。こいつは俺に従順だから見逃してやろうとか、逆に生意気だから厳しくしてやろう、みたいに。そうやって元々のルールから逸脱したものがまた新しいルールになっていくという側面があり、それも法とは大きく違うところです。
行政機関「ポリス」
――規律による権力を、監獄や学校といった特定の場所ではなく、社会全体において作動させる装置として「ポリス」というものがあったそうですが、具体的にはどういったものなんですか。
ポリスは厚生労働省と財務省と国土交通省と経産省をあわせたような機関です。そこに内務省が加わっている。つまり内政に関わることを全部やる役人です。王権の行政機関として最初にパリで作られ、その後他の地域にも広まりました。
――現代の警察みたいなこともやるんですよね?
ポリスという名称から、そこはよく勘違いされるところです。たしかに警察業務もやることはやります。でも警察って悪いことした人を捕まえるという感じですよね。それよりは秩序の維持というか、悪いことをしそうな人がいたら阻止するというイメージ。なので、スパイ活動なんかもやります。
内務省的というのはそういうことで、単に犯罪者を捕まえるのとは性質がちょっと違う。どちらかといえば予防ですね。予防と管理。その意味で、あまり法的な存在ではありません。法というのは違反者を取り締まるためのものなので、ポリスは法的というよりは行政的な存在。ポリス役人は行政全部を担っているような人たちです。
――公務員は公務員ですか?
そうなんですけど、革命以前のフランスの場合は「官職売買」といって、お金で官職を買うんですよ。出世したければ最初に低い官職を買い、そこでお金を貯めて上の官職を買うということを繰り返す。なので、現代の公務員とはかなり異なります。
たとえば日本の公務員はおかしなことをしたらすぐ懲戒免職になるけど、それに比べて、ポリスの役人ははるかに自立しています。なんせお金を出して買った身分ですから。もちろん、王様が「こいつは駄目だ」といって首にすることもあるけど、国権からもある程度独立した、今見ると宙ぶらりんな存在なんです。
ちなみにフーコーが著書でなぜポリスを取り上げたかというと、一つの機関としてまとまっている分、見やすかったからだと思います。厚労省とか財務省みたいに分かれてなくて、内政に関する権力の特徴が全部ポリスの中に含まれていたから注目したんだと思うんですよね。なぜこんな奇妙な機関があったのだろうと。
――逆に言うと、現代はポリスがしていたことをいくつかの機関が分担しているわけですね。ポリスの役人はどれくらいいたんですか?
数はよくわかりません。ポリスは一番上に警視総監(ポリス総代官)がいるピラミッド型の組織なんですけど、そのピラミッドの下の方の役人は、自分の仕事を補佐する者を自分で勝手に雇うんです。そういった非公認の者まで合わせると、何人いたかっていうのはちょっと数えられない。ただ、フランス革命が近づくにつれてどんどん増えていったようです。
――そういえば「鬼平犯科帳」でも、鬼平が昔捕まえた罪人を手下にして情報を集めたり、取り締まりを手伝わせたりしますよね。
そう、まさに鬼平の世界ですよ。ちょうど同じ時代に、同じようなことが、パリと江戸で起きていた。こういう仕組みがいつからあったのかはよくわかりませんが、少なくとも都市化の中で形成されたものだということはいえると思います。
――そもそもの前提として、都市化ということがあるわけですね。
その点は本当に重要です。この30年いろんなことを学びましたけど、結局、近代は一から十まで都市化がきっかけですよ。都市に人が集まってこなければ、規律なんていらない。農村を規律化することは不可能です。だって、朝9時に畑に集まれといったって、雨が降ったら何もできないんだから。それに農夫って、夏と冬で生活がまったく違うんですよ。夏はほとんど寝ないで働くけど、冬は逆に16時間くらい寝ている。起きていてもやることがない。こういった自然に大きく左右される生活では、規律化は起こりません。
都市が発達してあちこちから人が、それこそ価値観も生活習慣も違うような人がやってくると、すぐにケンカや殺し合いをはじめる。彼らはどこにも根を持たない人びとでした。あるいはスラム地域には娯楽がないから、朝から酒を飲んでいる。そういう状況にいかに対処して治安を維持するか、さらには都市の生産性を高めていくかとなった時に、はじめて規律やポリスが必要になるわけです。
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