https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130967301?__ysp=5Zyw5q%2BN56We44GM6a2U5aWz44O744OA44O844Kt44OL44O8IOmsvOWtkOavjeelng%3D%3D【お稲荷さんを信仰していますが、こんなことを言われました。
破壊の神だからやめたほうがいい!家庭を崩壊するというのです。そんな話を聞いたことがありますか?】より
ベストアンサーd_i********さん
稲荷信仰は実は、ウカノミタマとダキニの二大派閥があります。
で、ダキニとは鬼子母神のことで、由来はヒンドゥーの殺戮の神カーリー(ダーキニー)です。
神道に組み込まれ、害はなくなったので、ご安心を。
ってか、由来で言うなら、七福神の大黒様は、カーリーの夫、世界の破壊者、ヒンドゥー教三大主神「破壊の神」シヴァなんですけど(^^ゞ
Facebook平木 大士さん投稿記事
検証ほつまつたゑ122号➀ イナリ考 ~稲荷信仰~『検証ほつまつたゑ』の第122号(令和4年8月号)に掲載していただきました!
今回は、ホツマツタヱからみる稲荷信仰(いなりしんこう)についてまとめました!
↓詳しくはブログをご覧くださいl
https://ameblo.jp/navihico-8/entry-12761464606.html?fbclid=IwAR1z4g--uNVcyBGktICSwf8yCHJQClRbEMxaN0gxCWHAN-IelfXvwTMG7yI 【検証ほつまつたゑ122号① イナリ考 ~稲荷信仰~】より
『検証ほつまつたゑ よみがえる縄文叙事詩』というホツマツタヱ研究同人誌の第122号(令和4年8月号)に掲載していただきました!
表紙は、ホツマツタヱのソサノヲとイフキドヌシの再会のシーンだそうです。
ホツマツタヱの漫画化企画も進んでいるらしくすごくすごく楽しみです!
さて、今回はホツマツタヱからみる稲荷信仰(いなりしんこう)についてまとめました!
いつものように、記事の内容をブログでも公開いたします。
イナリ考 ~稲荷信仰~
天照大神の時代におこった反乱勢力『ハタレ』のうちキクミチの一団が皇軍にくだって
カダマロの祖先・ウケモチを祀ったのがホツマツタヱにおける稲荷信仰のはじまりだといいます。
キクミチは「キツネ」が憑いたとされる一団であり頭目の3兄弟は「ミツキツネ」ともいわれます。
長男はヤマタ 次男はハナヤマ 三男はアスカノにわかれて、それぞれ祭祀をおこなったそうです。
なかでもハナヤマは、京都・山科盆地の「花山」といわれこれがのちの伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)へつながるといいます。【伏見稲荷大社・奥宮の磐座】
稲荷信仰は、一般的には伏見稲荷大社の創建(711年)とともにはじまったといわれます。
山城国風土記によると稲を積みあげるほど裕福だった秦伊侶具(はたのいろぐ)が餅を的にしたところ餅が白鳥となって飛び翔けて山の峰におり『伊禰奈利生(いねなりおひき)』したので、ここに「伊奈利社」を築いたそうです。
『伊禰奈利生』は稲が生長したのか白鳥が子を生んだのか諸説ありますが、この故事からあたりを「鳥部(とりべ)」ともいったようです。
ホツマツタヱには『たはたのとりお おわしむる』とあり皇軍にくだったキクミチには
「田畑を荒らす鳥を追い払わせた」といいます。
「田畑の収穫率(とり)をあげる仕事に就かせた」のでしょうか。
「とり部」となったキクミチは稲荷山の西麓(深草)に暮らしたのかもしれません。
【お塚(命婦谷)】
『たねかしまつる いなるかみ のりゆみひらき もちまてに』
『さびらきまつる ゐなるかみ』
ミカサフミによれば、2月に稲種の発芽をうながし4月に早苗を植える行事を司るものを
『いなるかみ』といったようです。これも「稲が成る」からでしょうか?
2月は、「のりゆみ=流鏑馬」をおこなう『むままつり(馬祭)』もひらかれたといいます。
これが、稲荷神社の祭礼・「初午祭(はつうままつり)」となるようですね。
『もちまてに』は弓矢を「両手(まて)に持つ」実りが「満ちるまで待つ」の意味があるようですがこれが、「餅を的にする」に変化したのかもしれません。
【本殿前の狛狐】
東寺(とうじ)の社伝によれば伏見稲荷大社の創建は弘法大師・空海(くうかい)によるといいます。
空海は縁故の深い老翁神をもてなして北東の長者邸に停泊いただいたそうです。
そして、五重塔の建築資材を稲荷山から調達したさい 方位守護として山上にご鎮座いただいたのを伏見稲荷大社のはじまりとするようです。
老翁神は「稲束を荷った姿」だったことから「稲荷大神」といわれ長者邸は「伏見稲荷大社御旅所」になったそうです。
4月の祭礼・「稲荷祭(いなりまつり)」では伏見稲荷大社から東寺の御旅所まで神輿が渡御するといいます。
【伏見稲荷大社御旅所】
別伝によれば稲荷山にいたのは荷田竜頭太(かだのりゅうとうた)という神であり空海との出会いによって真言密教に帰依したといいます。
こちらも「稲を荷っていた」から「荷田(かだ)」というようです。
荷田氏といえば伏見稲荷大社の社家として知られますが創建以前から暮らしていた土着の氏族とされるそうです。
空海の母方にあたる阿刀(あと)氏は荷田氏の流れをくむらしく空海と荷田氏は血縁で結ばれていたようです。
カダ(荷田氏)の血が流れる空海をカダに仕えたキクミチの末裔(秦氏)が支援するのもうなずけます。
【東寺・五重塔と八島殿】
田畑の豊穣を祈るという日本古来の稲荷信仰は空海が大陸よりもちかえった地母神・荼枳尼天(だきにてん)と習合して仏教寺院にもひろがったようです。
野干(やかん・ジャッカル)に乗る姿を描くことでキツネは眷属であると伝えようとしたのでしょうか?
稲荷大神とキツネの主従関係は、カダとキクミチの登場するホツマツタヱでなければわからないといいます。
ただ、仏教の不殺生の教えによって豊穣の返礼としてキツネの巣に供えられていた「ねずみの油揚げ」が豆腐の「あぶらあげ」に代わったようです。
【熊鷹社】
また、空海は荼枳尼天によって「タントラ(性秘儀)」も持ちこんだようですね。
密教では、欲望を否定せずうまく付き合うことで悟りをひらいたりあらたなものを創造する活力としていたようです。
真言第一祖・大日如来(だいにちにょらい)につづく真言第ニ祖・金剛薩埵(こんごうさった)の化身といわれる愛染明王(あいぜんみょうおう)も「愛欲の境地にいる」といいます。
この愛染明王は、別名を吒枳王(だきおう)というそうです。
「ダキ尼」も「ダキ王」もみずからの欲望の炎に焼かれたような赤い姿で描かれています。
これは、ハタレも悩まされたという日に3度の高熱なのでしょうか?
どこか、鳥居の「赤」にも通じていそうです。
【千本鳥居】
山上での祭祀をおこなっていた伏見稲荷大社は室町時代のなかごろに麓に遷座したといいます。
しかしすぐに、応仁(おうにん)の乱がおこり麓も山上の社もことごとく焼失したそうです。
復興のさいには境内にあった本願所に東寺管轄の『愛染寺』をおいて荼枳尼天を祀り
熱心な勧進をおこなったといいます。
欲望渦巻く戦乱の世を欲望を「糧」とする仏を祀ることで切り抜けたのかもしれません。
【愛染寺があったとされる拝殿の北側】
『いろかえて さきみたれたる きくみちの ここさわゆくや
ひめおとり むらくもたびや ほたるびの わらひあざけり
いかりびの あおたまはけば』
ホツマツタヱでは、キクミチの暴れる姿をこのように描いています。
『ひめおとり(姫を娶り)』から「狐の嫁入り」の騒がしい様子だとか、『たび(灯火)』
『ほたるび(蛍火)』『いかりび(漁火)』『あおたま(青魂)』から「狐火」のこととされる一節です。
これを「性」の儀式をおこなっていたとするならば、「いろ(愛欲)」によって肌の色を赤く火照らせたり「いろ(夫婦)」をかえて「みだれる(和合する)」ことで「ひ(霊)」の活力を満たしていたのかもしれません。
【伏見神寶神社のモニュメント】
「性」の価値観は 時代や民族や宗教によってかわるため 良し悪しは一概にはいえません。荼枳尼天ももとをたどればインドの一部地域で信仰されていた地母神が魔女・ダーキニーとして仏教やヒンドゥー教にとりこまれやがてタントラの女神となったようです。
なんにせよ、異なる風俗をもつものが朝廷に迫ってきたという危機感は伝わってきます。
興味深いのは、『タントラ』とはサンスクリット語で「糸」「織機(はた)」の意味もあるそうです。『ハタレ』「秦氏」の「はた」ともつながりそうですね。
【お滝(弘法之滝)】
伏見稲荷大社は稲荷山の3つの峰にそれぞれ上・中・下の社を祀っていたといいます。
食を司る
「御饌神(みけつかみ)」が「三狐神(みけつかみ)」になったといわれるようですが
これも、キクミチ頭領の3兄弟・「ミツキツネ」によるのでしょう。
祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたま)佐田彦大神(さたひこ)大宮能売大神(おおみやのめ)
にくわえて田中大神(たなか)四大神(しの)だそうです。
【稲荷山・上社神蹟(一ノ峰)】
『佐田彦大神』はハタレ討伐に功労のあったイフキドヌシとソサノヲのことでしょうか。
『大宮能売大神』はハタレとなったモチコ・ハヤコ姉妹のことかもしれません。
『田中大神』は稲につく虫をはらう「カセフのマツリ」をはじめたオホナムチ(大己貴命)
のことでしょう。
『四大神』はモチコ・ハヤコの子であるホヒ・タケコ・タキコ・タナコの4子でしょうか?
もしくは『シノミヤ』の留守をあずかったヤマクイ(大山咋神)かもしれません。
シノミヤ候補地のひとつが山科盆地の「四ノ宮」だといいます。
また、佐田彦大神はカダマロ大宮能売大神は天照大神の妃として入内したカダの娘・アチコかもしれません。
【大岩大神の磐座】
祭神は、記紀にも社伝にも残っていないためさまざまな論争があるようです。
けれども、ホツマツタヱをひもとけばすべては『ハタレ』の動乱にはじまることがわかり
祭神の由来まで見当がつけられそうです。
明治時代に廃仏毀釈がおこなわれると伏見稲荷では「お塚」や「お滝」という民間信仰が隆盛したようです。
ひとびとの欲望までも救うという密教の教えは往古のキクミチとも呼応していまでも「連綿と」続いているのかもしれません。
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