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子供にとっての最初の行為は、息を吸うことだ。吐き出すことではない。そして老人が死ぬとき、その最後の行為が息を吐くことだ。吸息が誕生であり出息は死だ。しかしいつでもあなたは、その両方をやっている。(OSHO)
Facebook清水 友邦さん投稿記事
仏教は「この世で生きることは苦だ(一切皆苦)」と説いています。
サンキャ哲学も「楽そのものもすぐに苦にかわるので苦である」としています。
パタンジャリもヨガスートラで「全ては苦である」と書いています。
人生は思い通りにならないことが起きます。
恋愛の破綻、家庭の崩壊、離婚 倒産、破産、退職 親しい人との死別 中傷や非難、嘲罵
強制、束縛、いじめ 友達の裏切り 才能や能力の限界、 人間関係の喪失 病気や怪我による体の苦しみ 肉体は必ず老いて衰え最後は死にいたります。生老病死の四つの苦は、誰も避けることができません。しかし、誰もがこの四つの苦と直面せず避けようとします。
マインドは、あるがままが嫌いです。自己イメージに合わないことが起きるのが嫌なのです。生老病死は、痛みや恐れがあるのでマインドは避けて逃げようとします。
思考を使って感情を感じる通路を封鎖して、直面しないようにします。
なるべく楽に通り抜けようとして、それに向き合おうとはしません。生老病死を、否定的に捉えると苦しみが増します。苦悩を避けることはできません。そして苦悩には終わりがありません。生きている限り、苦しみは繰り返し訪れます。すでに起きてしまった事は、受け入れるしかないのです。
しかし、人生には到底受け入れがたいことが起きます。何をやっても避けることが出来ない時、自我の死と再生が起きます。
世の中には、病気や人生の失敗などの困難を経験して、深みのある魅力的な人物になった人が大勢います。
苦悩は、人の苦しみを感じ取れる共感能力を育てます。
自己中で思いやりに欠けていた人が、相手の立場で物事を考えられるようになった人も大勢います。自分の不完全さを認めて受け入れると、相手の不完全さも認めることができるようになります。苦悩は心を豊かにさせ、人を成長に導くことができます。
生老病死は、偽りの自我に気づかせてくれるチャンスでもあります。
自我の枠組みにゆらぎがおきると、過去に否定したエネルギーと再び出会います。
死のイメージは、過去に植え付けられた記憶からもたらされた実体のない恐れです。
すべては過ぎ去るので、あらゆる事象に実体がありません。
その衝動に気づいて、あるがままに受け入れることが出来れば、統合された自我の再生が起きます。
生老病死を、新しい自分に再生させるイニシエーション(通過儀礼)と理解して、
それとしっかり向き合い、自覚して直面すれば、意識の変容が起きます。
この世界には、宇宙全体を貫く命の流れともいうべき潮流が在って、
その生命潮流にたいする信頼を持つ事が出来れば、
より幅のひろい自己の全体性を、取り戻す事ができるでしょう。
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呼吸道の目的は自分自身を知るということです。
身体、感情、思考、時間、空間、あらゆる概念、知識 これらは全て私ではありません。
今まで自分だと思っていた私は私ではないということです。
それにはまず自分のマインド、思考を観照できるようにならなくてはなりません。
苦しみを取り去る方法は思考と一体化している偽りの自己に気がついて、今ここに在る純粋な意識と繋がることです。
しかし、物心が付いてからずっと思考と一体化しているので思考を見守るのが難しいのです。
それには体の感覚に注意を向け常に変化している呼吸から始めるのがやさしいのです。
そして呼吸は無意識と意識を繋ぐ橋渡しをしています。
自我意識を超えた状態の中で観照が目覚めることで自己の全体性が回復されます。
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