「生きていくこと」・「死んでいくこと」の意味

Facebook稲福 薫さん投稿記事 『わたしは死なない。わたしはすでに死んでいるから。』

それになると、ニサルガダッタ・マハラジが言った この言葉の意味がわかる。

そのもの(ぽっかり穴=無限なるもの=神=真我)になると、わたしという存在はこの世のすべてを超えていることに気がつく。

この世はすべて有限であり、わたしだけが無限なるもの。

そして、この世のすべてがわたしの中で起こっては消え去る。ただ、わたしだけが無限に存在する。

肉体も有限なるもの。肉体がわたしだと勘違いするから病気になる。

そして、わたしという存在は、死に至る病気になって消え去るものだと、思考が勝手に思い込んでいるだけだ。

わたしは死なない。わたしはすでに死んでいるから。本当のわたしになると、肉体も病気も消え去る。これが、病気の唯一の解決方法。

無限なるわたしの中では有限なる病気も幻と消え去る。それを頭で理解してはいけない。

実際に、それになるしかない。

それには、頭の思考が消えないといけない。

それが一点集中見る見るで、思考が消えた空っぽになること。思考が消えたら、実在するものだけが顕わになる。

雲が消えると、青空が現れるように。雲が青空を引っ張り出すことは決してできない。

雲は青空の出現を邪魔する存在でしかない。雲は自分(=個人=思考)が消えないといけない存在であることに気づかないといけないのだ。

それは事実だから必ずそうなる。


https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/?page_id=1151 【「生きていくこと」・「死んでいくこと」の意味】より

第39回(令和元年度)全国高校生読書体験記コンクール県入選

小林楓河さん(新潟県立高田北城高等学校)

 二〇一六年五月の終わりに祖父は亡くなった。祖父は若いときから病気がちだった。入院はいつものことだからとあまり心配はしていなかった。しかし私と祖父の別れは突然やってきた。その日学校だった私は、迎えに来た母に連れられ危篤の祖父の元へ急いだ。ベッドに横たわる祖父に駆け寄り、じいちゃんと声をかけたが反応はない。そっと祖父の頬を触ってみた。人は死んでしまうとこんなに冷たくなってしまうものなのかと驚いた。祖父は何か別のものに変わってしまった。私は悲しかった。大切な人の死はとても辛い。死ぬ、ということはその人のすべてが自分の目の前から突然消えてなくなってしまう。二度と会うことはできない。私は今まで人の死なんて別の世界の出来事だと思っていた。考えても分からないことだからだ。だけど祖父の死によりそれは私の世界に入り込んできた。

 今年で祖父が亡くなって三年が経つ。六月には三回忌法要を行った。私はこの春高校生になった。祖父が亡くなったあとに祖母から聞いたあの話を思い出した。当時中学生だった私は祖父とあまり話さなくなっていた。そんな頃に祖父は亡くなった。祖父が亡くなったあと、祖母に高校生になった私の姿を見るために病と闘い頑張って生きていたと聞かされた。祖父の気持ちも知らずに私は忙しいことを言い訳に自分のことだけを考え生活していた。もっと祖父と向き合うべきだった。

 私は祖父の死で「生きていく」「死んでいく」ことについて考えるようになっていた。そのヒントを私に教えてくれた一冊の本がある。

 ある夏の日、三人の少年達がその中の一人の少年の祖母の死をきっかけに死に興味を持ち始める。少年達は人が死ぬ瞬間を見てみたいという願望にとらわれた。そして一人暮らしのおじいさんが死ぬその瞬間を見届けるために観察を始める。なんだかとても不謹慎な始まりの本だ。しかし、いつしか少年達はおじいさんにとって大切な友達に変わっていく。そして、夏が終わりに近づいた頃おじいさんは死んでゆく。少年達はおじいさんの生と死から大切なことを学び、人として大きく成長し、未来に向かって頑張っていこうとする物語だ。私はこの本から「生と死」の役割を教えられた気がする。

 私は祖父が生きているとき、何かしてもらうことは当たり前だと思っていた。感謝の気持ちがなかったわけではない。でも本当に感謝の気持ちを持つようになったのは祖父が亡くなってからだ。失って初めて祖父の存在の大切さに気づいた。当たり前すぎて私はそのことになかなか気付くことができなかった。でももう伝える手段はない。いなくなってからでは遅いのだ。だから私は思う。祖父は死ぬことで家族の大切さを私に教えてくれた。また、祖父の死で私は、人生はある日突然終わりが来ること。私達は限りある命で今を生きていることに気付かされた。そして生きていられることに感謝し今この一瞬を大切に生きていかなければならないことを教えられた。

 この夏三年ぶりにこの本を開いてみた。今の私の心にある言葉が訴えかけてきた。「死んでもいい、と思えるほどの何かを、いつかぼくはできるのだろうか。たとえやりとげることはできなくても、そんな何かを見つけたいとぼくは思った。そうでなくちゃ、なんのために生きているんだ」私はこの言葉にはっとした。大切なことを忘れていたからだ。「死んでもいい」と思えるほどの何かを見つけるために、これからは自分がどう生きたいかを真剣に考えてみようと思う。与えられた人生は一度きりだから。

 私は思う。「死んでいく」とは生きていく人にたくさんのことを教え、伝え、大切なことを気付かせ、そしてこの世をまかせ去っていくことだと。そして「生きていく」とは亡くなっていった人の生き方や考え方を心に刻み、いつ死んでも悔いが残らないように精一杯生きていくことではないか。生きている以上誰にも必ず死は訪れる。だから一生懸命生きていかなければいけない。


https://shins2m.hatenablog.com/entry/2020/09/06/120000 【死を乗り越える空海の言葉】より

生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死んで死の終りに冥し(空海)

一条真也です。言葉は、人生をも変えうる力を持っています。

今回の名言は、空海(774年~835年)の言葉です。空海は平安時代初期の僧で、「弘法大師」として知られる真言宗の開祖です。日本天台宗の開祖である最澄と共に知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられています。

「生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死んで死の終りに冥し」は、空海の『秘蔵宝錀』に出てくることばです。人間は誰しも暗闇の中から生まれてきて、死ぬときはまた暗闇に帰っていく。なぜ、人は生まれて、死ぬのか? それは誰にもわからないという意味です。わが家の宗派は真言宗であり、空海はいつか真正面から取り組んでみたい聖人でした。つねづね、わたしは「空海ほど凄い人はいない」と思っていました。それで、『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)という監訳書を上梓しました。

また、かつて、わたしは『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を書きましたが、ブッダが開いた仏教と、わたしたち日本人が信仰している仏教は根本的に異なる宗教であると考えています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきです。

日本一の弘法大師像の下で世界平和を祈念する

「太子信仰」という言葉に象徴されるように、聖徳太子を巡る伝説は多いことで知られます。まさに日本の歴史に燦然と輝く存在ですが、その聖徳太子に勝るとも劣らない超大物がもう一人います。「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっている弘法大師・空海です。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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