https://www.goto-maki.net/archive/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%8C%E6%AE%8B%E3%82%8B/ 【富江は「不思議な遺跡」が残る】より
謎の多い遺跡
富江町の南東部の溶岩台地が広がる海岸には、勘次ヶ城という遺跡があります。
山崎の石塁とも呼ばれ、長崎県の指定史跡になっています。火山岩でできた石垣の砦が、迷路のように積まれています。
その長さは累計すると180メートルともいわれています。現在では茂みに隠れてその完全な姿をみることは難しいものの、当時の様子を復元したミニチュアが近くに展示されています。
勘次ヶ城の正確な歴史は判明していませんが、とある言い伝えが残されています。
河童とつくった遺跡?
それは、今から150年前、腕のいい船大工だった勘次が仕事中にとつぜん行方不明になるところから始まります。町民たちによる捜索の結果、富江から遠く離れた玉之浦の小川で勘次は発見されたものの、すっかり正気ではなくなっていました。
この一件を人々は、父の代から欠かさず続けていた唐人の幽霊への供養を、勘次が仕事に没頭するあまりおろそかにしてしまったことへの祟りだといいました。
そして富江に戻ってきた勘次は人目を避けるように山崎で暮らしはじめ、日中は物乞いをしながら、夜は河童と協力しながらこの石塁を築いたというのです。
倭寇の砦として
とはいえ、勘次が石塁で暮らしていたのは事実だったとしても、私たちがその言い伝えを信じるのは、やや無理があるかもしれません。
もう少し現実的なものとしては、13世紀から16世紀にかけて東シナ海を荒らして回った倭寇の砦だったという説があります。
この海岸沿いの石蔵に、倭寇が密輸入品や強奪品を備蓄していたというのです。
もしくは、江戸時代の密貿易の拠点だったとも伝えられています。勘次ヶ城の正面の海岸には、海に向かって指をさす大きな倭寇の像が建てられています。
人々を魅了する場所
今では、勘次ヶ城周辺はサイクリングロードが整備されており、晴れた日には潮風を浴びながらサイクリングやジョギング、ウォーキングを楽しむことができます。
近くには井抗という、長崎県の指定天然記念物である溶岩トンネルも存在しています。
また、五島に故郷を持つスタジオジブリの美術監督だった山本二三さんは、その現実とファンタジーが入り混じる不思議な伝承を元に、在りし日の勘次ヶ城を想像して描くなど、そのダイナミックな風景や謎めいた歴史は、今も多くの人を魅了しています。
ぜひ一度足を運んでみてください。
https://note.com/puratto/n/n87ab44a33d67 【発見!五島古代遺跡 2】より
坂本勝
あゆみさんたちが帰った後、『奥の木場』の向こう岸がとても気になり、早く行きたくてうずうずしておりました。しかし一人で行くのも気が引けるし、誰か一緒に行ってくれる人はいないかなと思っておりました。と言っても誰でもいいわけではなく、古代遺跡に関心がある人でないと一緒に行く気にもなれないのが正直な気持ちでした。そんな時に、みきさんが旦那さんと一緒に「ねこたまショップ&カフェ」に来てくれました。みきさんは最適な人でした。あゆみさんたちが五島に来て遺跡ツアーを終えた夜に、「タイニーハウス」に来て『奥の木場』に遺跡のことも知っていましたし、またジオパークのガイドになるために五島についていろいろと勉強されている方でもあったからです。みきさんを『奥の木場』に誘ってみたら、「ぜひ行きましょう!」ということになり遺跡探索に出かけることになりました。みきさんは"軽トラの後ろに乗りたい!"といことで、荷台に乗って『奥の木場』の遺跡に向かったのでした。
「軽トラックの後ろはおもしろいです。ここまで来る道中にいろんな巨石があるのですね」
私も毎日のように畑に行くため道ですから、それほど注意深くまわりを見ているわけではありませんでした。みきさんから言われて意識して見てみると、確かに巨石がけっこうあることに気づきました。
さていよいよ川の向こう岸に足を踏み入れることとなりました。まず向こう岸から気になっていた石垣が、どこまで続いているのか歩いて見てみることにしました。石垣に沿って歩いて見ると結構長く続いています。石垣に囲まれている面積だけでも50アール以上はあると思います。相当な広さです。
石垣を歩いているとみきさんが一つの巨石に目が止まりました。、「坂本さん、この巨石すごくないですか?」確かにかなりの大きな巨石です。
その巨石の前には他よりも高く石垣が積まれていました。「あの部分は人の顔に見えないこともないですね。」
この巨石が何かは分かりませんがそびえ立つこの存在感、エネルギーの高さは一体何なんだろうと思いました。
お店で旦那さんも待たせているので、この日は石垣の向こうの巨石のそばまで行くことはやめました。次来るときは巨石に近づきたいと思いながら、お店に戻りました。
みきさんは興奮を隠しきれないような口調で旦那さんに、
「『奥の木場』に巨石があったんだよ」「見て見てこの写真、石垣にストーンサークルがいっぱいあるでしょう」(ストーサークルはエネルギーの高い場所の岩の表面にできるそうです)
それを見た旦那さんは「これは苔だよ、苔!」
旦那さんはそういうものを全く信じない人で、正反対の二人の会話が横で見ていてちょっと面白かったです。
画像2
石垣にあるストーンサークル
あゆみさんにいち早く電話で話しました。
「石垣は相当長く、広く囲まれるようにあったのですよ。ここで何か神様にお祈りをささげる神事が行われていたのですかね。そして山の方に向かったところなんですけど、大きな巨石があったんです」
「それ、本当ですか?すごいことですよ、巨石はどれくらいの高さっだのですか?」
「確か、10メートルくらいはあったと思うのですが・・・」
「ぜひ写真を送ってくだい。やはりあの場所は聖地ですよ」
奥の木塲が本当に古代遺跡だと思えてきました。
もう一度『奥の木場』の遺跡をじっくりと調べてみたいという想いがますます強くなってきました。
私やみきさんは「郷土歴史探検隊in五島」というグループに所属しています。このグループを取りまとめているのが、熊本の八木さんです。八木さんは五島に興味を持っていただいていて、五島の活性化に尽力されている方でもあります。数カ月に一度五島に来ていただいているのですが、次回五島に八木さんが来るのに合わせて、『奥の木場』そして『ゼンダナ』にもう一度探索しようというツアーを企画しました。
6月20日、2回目の『奥の木場』、『ゼンダナ』遺跡探索ツアーを実施しました。今回のこの企画に参加したのが私を含めて、みきさん、さやかさん、みほさん、八木さん、そして最強の助っ人、オオミキさんの6人でした。オオミキさんも熊本から来られていて、八木さんのお誘いで参加していただきました。オオミキさんは森羅万象、あらゆることに深い知識がある方で、私たちの疑問に即座に答えてくれます。オオミキさんが参加していただいたことで、より深い探索ツアーとなりました。
9時にネコタマショップに集合して『奥の木場』に向かいました。みきさんが前回軽トラの後ろが楽しかったというとで、なんと5人が軽トラの後ろに乗るという、交通ルール違反を犯して奥の木場に向かうことになりました(近所のおじさんが駐在所の警官が見ていたみたいだけど、大丈夫だったと聞いてきました。止められたら完全にアウトでした。あぶない、あぶない!)
画像3
『奥の木場』の畑まではお店から15分くらいかかります。細い山道なので軽自動車でないと厳しい道のりです。山の中を潜り抜けていく軽トラの後ろは、遊園地のアトラクションのような感覚で楽しかったと思います。
峠を越え、『奥の木場』の盆地に入り、今でも住まれている住居を過ぎたところに「新田神社」があり、その横にお地蔵さんが祀られている社があります。オオミキさんがここでお参りしましょうということになり、まずお地蔵さんの前に置かれている湯飲みをきれいにし、掃除をするところから始めました。「こういうところをきれいにすることはとても大事なことなのですよ。きれいにすることで山の神様が喜んでいただけます」
掃除をしてから、オオミキさんが祝詞をあげ、皆で感謝の気持ちを込めて手を合わせました。
画像4
私の畑、「ぷらっと農園」にやって来ました。みなさんがここに来るのは初めてだったので、「ブロードキャスター」と「アトリオ」の説明をしました。オオミキさんは「アトリオ」を見て
「この管は銅ですね。銅は金と同じと書かきます。この管が銅であることがポイントですね。それと6です。管が6本というのが空間にいい影響を与えるのです。今日のメンバーが6人というのも意味があるかもしれませんね」
それを聞いて「本当だ、6人だ!」と驚きを隠せませんでした(あゆみさんたちと遺跡ツアーした時も6人でした)。
画像5
アトリオに手をかざす6人
遺跡の前の川にやって来ました。ここに来るといつも気持ちのいいエネルギーが流れています。「ここはまさにレムリアですね」「竜神様がいますよ」さやかさんとみほさんはテンションが最高潮に上がっていました。(さやかさんとみほさんは竜が見えるみたいです)
川を渡り、石垣の中へと足を踏み入れました。石垣の中の空間は凛とした癒しのエネルギーが満ちていて神聖な場所であると感じます。
オオミキさんがあるポイントに立ち止まって、「スマホを貸してみて」と言って、日の差し込む方向に向かって写真を撮りました。その写真にはとても不思議な現象が写っていました。とてもきれいな光が写っているのです。「すごい!こんなきれいな光が写るなんて!」この光は精霊か何かじゃないのかなと私は思いました。みなさん各々のスマホで、オオミキさんに撮ってもらいました。おもしろいことに同じ光のものは一つもなく、それぞれ違う色の光が写っていました。光の写真をよく見てみると、その人の写真の光にはパターンのようなものがあることに気づきました。私の写真には紫色の光が主に映っていたのでした
。
「スマホにはその人のエネルギーが入っているから、その人の特徴的な光が写るのですよ」とオオミキさん。。
自分でオオミキさんを真似して撮ってみました。ほんの少しだけ光は写るのですが、オオミキさんほどは映りません。魂のレベルが高いと写る光の量も違うのでしょうね(私はまだまだのようです)。
画像6
私のスマホで撮った奥の木場での写真
巨石の前にやって来ました。すばらしい磐座です。オオミキさんが磐座の前の石垣のところで立ち止まって、「ちょっと待ってください」と言って祈りを始めました。祈りが終わって、「これで大丈夫、いいですか、ここに入る時、左足から入ってください」 石垣から先がまさに神聖な場所のようです。
「ここから先はあまり大きな声を出さず、静かに入っていってください」
みなさんそれぞれ左足から入り、磐座の上まで静かに登っていきました。
磐座の上にそびえたっている杉の木を見て、「この木を御神木にしましょう」
みなさんそれぞれここで手を合わせてお祈りを捧げました。とても幸せなエネルギーに満たされた気分になり磐座を下りました。
画像7
奥の木場の磐座
聖地の中には誰が捨てたかわからないがゴミが捨ててありました。「ゴミを拾ってきれいにすることはとても大事なことですので、いつでも心掛けてください」 私たちはゴミを拾いながら川のある方に向かいました。
川を渡る時、ハートの形をした石を見つけました。その石を聖地に入る目印にしました。
軽トラックの荷台に乗って「ねこたまショップ&カフェ」に向かう途中に、不思議なことがありました。来るときにはなかったはずの折れた枝が道を塞いでいたのです。オオミキさんがそれを見て「ここでお清めをする場所なんですよ。ここから先に行くとき。ここで手を洗ったり足を洗ってから入るようにしてください、それをこの枝が教えてくれたのです」 ここはちょうど川のあるところでした。川を境に神聖なる場所の入り口だと思いました。神社に必ずあるお清めする場所がここにあたるのでしょう。
この場所を離れて再び細い山道を進み下界へ戻りました。
お昼は「ねこたまショップ&カフェ」で食べ、空腹を満たしました。
オオミキさんにはどうしても聞きたいことがあったので、それを聞いてみました。
「オオミキさん、先ほど行った『奥の木場』を起点にそこから一直線に、『笹岳』、『ゼンダナ』、『鬼岳』、『黄島』と並んでいるのですが、これには意味があるのでしょうか? これは五島のレイラインなのでしょうか?」
「縦のラインも何か意味があると思います。縦のラインも大事ですが、見落としがちなのが横のラインです。五島は北緯33度ラインにあります。北緯33度ラインは特別な場所が集結しており、地球上で神様が何が起きてもまず最初に守られている場所が33度ラインなのです」
日本の33度ライン周辺には、阿蘇や弊立神宮、四国の剣山、和歌山の熊野本宮、伊勢神宮、と繋がっていきます。世界四大文明であるエジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明は33度ライン周辺です。エルサレムやチベットも含まれます。アメリカ大陸ではアメリカインディアンの聖地、セドナもこのライン上にあります。33度ラインは地球上でエネルギーの高い場所でもあり、聖地と呼ばれる場所が多いのも特徴です。そのライン上に五島が含まれます。五島はそのライン上にある島なのですから、古代文明があっても不思議ではありません。まだ気づいていない文明が五島にはあるのではと、よりロマンが広がってきました。
午後は『ゼンダナ』に向かいました。私にとっては2回目の『ゼンダナ』です。2回目ということもあってイノシシ除けの柵のところまではスムーズに来れました。ここからは道なき道を進んでいきます。永冶さんが結んでくれたリボンを頼りに、途中迷うところもありましたが、歩き始めてから30分ぐらいで「割石」のところまで来ることができました。何度見ても迫力のある巨石です。随分前に置かれたと思われるお供え用の湯飲みがありました。ここでも一同でお祈りを捧げました。
画像8
ゼンダナ 割石
「割石」から少し離れたとこには古代の星座が記されている「剣石」があります。時代は定かではないが何千年、何万年前にこの巨石に当時の星座が彫られているという事実に、古代から現代への悠久の時代の流れを感じます。
みほさんはここで一つのミッションを果たすことになります。みほさんは富士山の浅間神社に行ったとき、竜神様がついてきたそうです。その竜神様はどうも五島に行きたかったようなのです。友人のさやかさんが今度奥の木場とゼンダナに行く話をしたら、「私も行きたい」と自然と口から出たそうです。そして剣石のある場所で富士の竜神様は、みほさんから離れこの時を待ってたかのように自由に飛びたったそうです。このゼンダナには富士山の竜神様とツインの竜神様がいて、そのために五島に来たかったようなのでした。みほさんはこの時自然と目から涙がこぼれたと話していました。このことは後日聞いた話で、私はそんな大切なミッションが行われていたなんて、全く知りませんでした(なぜ富士山の竜神様が五島に?この理由は後ほどわかります)。
「割石」からかなりの急坂を上り、歩くこと30分ぐらいで平坦な場所に「七夕石」と呼ばれる石の集落群に出ます。ここから少し上ったところに前回あゆみさんたちと来た最終ポイントとなる石があります。今回の目的の一つがその先に行ってみることでした。あゆみさんが異次元の扉と呼んでいたその石のその先は、神道のようにまっすぐ坂道が続いています。あゆみさん達と一緒に来たまなみさんが、夜にその先を歩いている夢を見たと話していました。この先何があるのかとワクワクしてきました。そこから10分くらい歩いたところに少し平坦なところに出ました。大きな木がありその横の場所でオオミキさんが「ここは特にエネルギーが高いです。そこに立ってください、エネルギーが広がっていますよ。」 まず八木さんが立たれました。八木さんを写した写真にはきれいな光が広がっていました。他の人もオオミキさんに撮ってもらうと、それぞれの違うエネルギー(光)が写っていました。私は一本の矢のような光が写っていました。この場所は特にエネルギーが高かったのだと思います。
画像9
画像10
画像11
もう少し上ったところに大きな1本の木があり、この木をゼンダナの御神木にしましょうとオオミキさんが言われました。その場所から東南方向に福江の町が広がっているのが見えます。御神木の木から福江の町を見渡せる方向に向かって、オオミキさんは祝詞をあげられ、みんなで祈りを捧げました。するとオオミキさんの口から天からのメッセージが下りてきました。
「五島には7つの台風から五島を守った一族がいます。樋口の一族と唐の一族。レムリアの血筋を引く一族で、この一族がここゼンダナで東の方向に向かってお祈りを捧げて自然災害から守ったと言われました。東とは日本、日いづる国をお守りすることが御神体であるこの山のお役目だったと言われました。御神体であるこの山にはお祈りをする場所として入る許可をいただきました。しかし『奥の木場』は慎重に入らないとだめです。誰でも気軽入る場所ではありません。今でも昔の御霊が住んでいます。御神体であるこの山に入ることは許可を得ているので、誰でも祈りの場として入ることができます。ただここまで来る人はそういないと思います」
後日さやかさんは樋口一族について調べました。
樋口一族は昔、富江におり、その後長崎に移ったと言われています。樋口グループは現在では長崎の大企業で、「ジョイフル」などを経営しています。また「おくんち」が行われる諏訪神社とも関係が深いそうです。さやかさんが諏訪神社に行った時、諏訪神社の寄付された中に「樋口グループ」の名前を見つけて、諏訪神社のつながりを確信したと言っていました。唐の一族はについては今のところ何もわかっていません。
「台風から守る」ということから、すぐに奥の木場の私の畑に立っている「アトリオ」を連想しました。信じられないかもしれませんが、アトリオは台風の進路を五島から遠のけてくれる働きをしてくれます。進路が変わる場面に何度も遭遇しました。「アトリオ」は現在の樋口一族、唐の一族かもしれないと思いました。
オオミキさんからのメッセージで特に私が気になったのは『奥の木塲』の御霊です。一体どんな御霊があの場所にいるのだろうかと思いを巡らせました。後日あゆみさんに
「オオミキさんから『奥の木場』に御霊がいると言われたのですが、どんな御霊なのか調べてもらえますか」と話しました。
「わかりました」とダウジングで調べてみますねと言われて、次の日このように話されました。
「調べたら『奥の木場』にはレムリアの精神性(スピリット)が今も存在すると出ます。宇宙の神々のスピリットに今でも繋がっているようです。9000年前から長い年月をかけてレムリア人の末裔が養ってきたスピリットが、今でも『奥の木場』の聖地に息づいているという意味ではないでしょうか。人間の霊には反応がありませんでした。
『奥の木場』の「岩山」ですが、人工的に作られたと出ます。つくられた時期は9000年前、この「岩山」はピラミッドとして役割を果たしていたみたいです」
「9000年前って、気が遠くなるような昔じゃないですか」
私はとんでもないすごいものにかかわり始めたんじゃないかと身震いを覚えました。
後日あゆみさんから、私が最も見たかった聖地が結ばれた日本地図の写真を送ってもらいました。あゆみさんたちが五島に来るきっかけを作った地図であります。この日本地図はあゆみさんの昔の活動仲間で、方位学と聖地の関連性を研究されている方が作ったものです。「『奥の木場』にはびっくりするようなトンデモない遺跡があるに違いない」とあゆみさんに話された方です。
この地図をじっくり見てみると、びっくりしすぎて体中の力が抜けました。その地図の一番西側、福江島に一つだけ地名が書かれています。それがなんと『奥の木場』なのです。福江島にはいろんな地名があります。それなのにです。ただ一つだけ『奥の木場』と書かれているのですからびっくりです。あゆみさんが『奥の木場』に何か史跡のような場所はないですかと、何年も前から聞かれてていたのはこういうことだったのかと理解しました。
奥の木場から、九州は高千穂、弊立神宮、中国地方は厳島神社、京都は貴船神社、和歌山の熊野本宮大社、奈良の宇陀水分神社そして富士山が繋がっています(五島と富士山が繋がっているからこそ、富士山の竜神様は五島に来たかったのでしょうね)。奥の木場は何千何万年前の昔、レムリア文明の中心的な場所だったかもしれません。その奥の木場の聖地が私の畑の裏にあるのですから。なんという宿命でしょうか。
画像12
画像12
オオミキさんはこんなことも言われました。
「あの場所で坂本さんが農業していることにも意味があるのですよ。坂本さんだからあそこで農業ができるのですよ。誰でもあの場所できるわけではないですから」
10年前に原発事故の影響で群馬から五島に移住したのも意味があったと感じますし、私が『奥の木場』のこの場所を選んで農業しているのも運命的なものを感じます。神様に導かれたとしか言いようがありません。
あゆみさんたちが五島に来ることがきっかけで、五島の古代遺跡発見という、とてつもないエキサイティング体験をさせてもらいました。前回のあゆみさんたち、そして今回のオオミキさんたちとの遺跡めぐりは、私の新たな可能性の開拓の旅でもありました。
私はただ遺跡めぐりで終わらそうとは思っておりません。大事なのは現代の私たちの生き方だと思っています。レムリアの時代は命を大切にし、愛を育んだ文明だと言われています。現代社会の私たち現代人がもっとも欠けているもの、それがレムリアの精神性だと思っております。奥の木場というレムリアのスピリットを感じられる場所で、レムリアの精神性を育む場所にしたい!今という混沌とした時代に最も必要なものと感じます。五島から日本の明るい未来、本来の人間性を取り戻す役割を果たしたい。その想いが今回の検証ツアーでますます強くなりました。私の夢は始まったばかりです。
https://www.youtube.com/watch?v=pIUA0gTvOyY
https://www.youtube.com/watch?v=BXHaTzRtZ9s&t=7s
0コメント