Facebook竹元 久了さん投稿記事 🌷【良心に恥じない生き方】
東京大学医学部名誉教授、矢作直樹氏の心に響く言葉より…
私は「お天道さま」という言葉が大好きです。
どこか妙に懐かしい響きがあり、どんな時でも私たちを見守ってくれる存在感が滲み出ているからです。
お天道さまという言葉を知らない若い世代も多いかもしれませんが、この言葉には深い意味があります。
天道とは仏教における「六道」の一つです。
そもそも六道は人間が輪廻によって生死をくり返すと言われる六つの世界であり、それは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道です。
天道は太陽そのものを指すと同時に、天の神(万物支配の神)を指します。
科学では天体が運行する道と解釈されます。
昔は悪いことをすると「お天道さまが見ているからね」「罰当たり」と叱られるのが普通でした。
多分ばれないだろうと思ったところで、人間のやることを天はお見通しなのだというわけです。
事実、誰も見ていないと思っていても、お天道さまだけでなく誰かが見ていたりしますから、悪事はすぐにばれてしまいます。
「良心に従って行動せよ」という言葉にも、近いニュアンスがあります。
「良心に恥じない生き方」とは、お天道さまに恥じない生き方ということであり、「誰も見ていなくてもズルや不正はするな、いつでもあなたを見ている存在があるよ」という意味です。
そしてお天道さま=良心という構図でわかるように、お天道さまはどこか遠くの空高くにいるのではなく、私たちのすぐそば、つまり私たちの胸の内にいつもいる、そう表現しているのだと思います。
『おかげさまで生きる』幻冬舎
因果応報という言葉がある。
よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。
仮に、この世において、悪逆の限りをつくした者が、その報いを受けずのうのうと暮らすことができたとしても、そのツケは来世において必ずやってくる。
誰も見ていないときの行いこそがその人の人格や品性を決める。
「お天道さまが見ている」
良心に恥じない生き方をしたい。
https://www.idex-jpn.com/topics/detail/343 【お天道様が見ている】より
<お天道様が見ている>
皆さんおはようございます。
なんのために働くのか」(致知出版社)より抜粋 その6著者:北尾吉孝氏
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「天知る、地知る、子知る、我れ知る、何ぞ知ることなしと謂うや」
これは後漢書や十八史略の中に出てくる言葉で、「誰も見ていないと思ってもそんなことはない。天が知ってるし、地も知っている。お前も知っているし、私も知っている。どうして知るものがないなどと言えるのか」という意味です。
一人でいて誰も見張られてないからといって何をしてもいいわけではない。人は見ていなくても、天は必ず見ているのだと考えました。まさに「天知る、地知る」の世界です。「君子は必ずその人を慎む」と言うように、自らを律するという意識を持たなければいけないのです。
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ついつい魔が差してしまい誤ったことをしてしまいます。そんな時に、
「このくらいはいいじゃないか!」、「誰も見ていないじゃないか!」という具合に、もう一人の自分が誤った行動を正当化しようとささやいてきます。
また、正しいことをやっている時にも、もう一人の自分がささやいてきます。
「無理すんなよ!」、「何の得があるんだ!」、というい具合に、闇の道に引きづりこもうとします。
人間は誰かが見ていなければ、自己を正しくコントロールできな弱い所があります。だから、自分がやっている行動を知っているのは、自分だけではない。「天が見ているんだ!」と思い、自分を律していくことが大事であると思うのです。これが難しい。
幼い頃に「お天道様が見ている」ってことを言われていたような気がします。だから、嘘をついたり、食べ物を残したり、いじわるしたり、というようなことをしてはいけないと子供心に思いました。
お天道様は太陽ですから、太陽そのものが神様ですよね。日本は、森羅万象、どんなものにも神様が宿るっていう八百万の神様ですので、人間の力の及ばない偉大な力に対して畏敬の念を持っていました。だから、「陰日向なく」なんて言葉があるのだと思います。
お天道様に恥じないような生き方をしていこう。自分に正直に、自分の良心に恥じない生き方をしていこうと思います。
http://rinnou.net/cont_04/myoshin/2012-06c.html 【御天道様が見てござる】より
岐阜県 ・瑞雲寺 高田慈雲
myoshin1206c.jpg 先月の21日、多くの人の心を躍らせたのは金環日食です。今回のように日本列島の広範囲で見られたのは、なんと932年ぶりのことだそうです。
新聞やテレビで、日食を見る時には目を傷めるので必ず専用のグラスで見るように……と注意を促していました。あわてて専用グラスを買いに行きましたが、どこのお店も売り切れで残念ながら手に入れることはできませんでした。当日、日食の時間になって外に出てみると、太陽が照り、絶好の観測日和です。一瞬太陽を見てみますが、まぶしいだけで何も見えません。あきらめて部屋に戻りテレビをつけると、美しい金環日食が映し出されていました。映像とはいえ、とても感動しました。
今から三十年ほど前、夏目雅子さんが三蔵法師に扮した『西遊記』という番組が放映されておりました。その中のシーンで日食の日に三蔵法師が妖怪に捕らわれ、火あぶりにされる寸前に呪文を唱えると、太陽が欠け始め、段々と暗くなっていくシーンがありました。あわてた妖怪たちが太陽を返してくれと頼むと、三蔵法師がまた呪文を唱えて太陽を元に戻し、無事に助かったという場面を覚えています。不思議な妖術を使うといわれる妖怪にとっても、太陽は操ることのできない偉大な物のようです。
太陽のことを別の呼び方で、御天道様(おてんとうさま)と呼びます。頭に御をつけ下には様をつけて、敬い親しんでよぶ呼び方です。子供のころ祖母から、「誰も見てないから悪いことをしても分からないと思っていても、お天道様が見てござるよ」とよく言われました。お天道様は私たちのことをすべてお見通しということでしょう。子供心に、何か神秘的で、そんなこと嘘だろうと思う反面、大変恐ろしい言葉でした。
私たちの心にも太陽のような、大きくて、暖かくて、明るく光るものが入っているように思います。その太陽のような心を大いに出して生活をすれば、満足感のある一生が送れることは間違いありません。
しかし、皆既日食の時のように何かに隠されて見えなかったり、金環日食のように周りだけが姿を現わしたり、部分日食のように一部分だけが見えたりと様々な日があります。
また、日食のように他のものに隠されて見えなくなるだけではなく、自分のエゴに隠されて光を放てない時も多くあるように思います。そんな時はどこにいても「御天道様がみてござる」と戒めることも、満足感のある良き一生を送る近道ではないでしょうか。
半信半疑な思いですが、本当にお天道様は何もかもお見通しかもしれませんよ!
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