和して同せず。吾であり宇宙である。
命という字は人が一を叩くとかきます。
私は一を求める歩み、真実の一に出会う歩み、命の歩みを 歩み続けてきました。
人間は 一人一人ユニークで独自の存在のように見えながら 関係存在であり 相互作用、相互依存なしに 存在できません。
命の営みそのものは 代謝機能を持ち 全てが循環しています。
細胞から構成される人体は 元素から成り、 全てがエネルギー(粒子であり、波動)であることを示唆し まるで宇宙の全てと相似形を成すかのようです。
きらきら光るプラウナやオーラも タオの概念も それを裏付けるかのようです。
タオの概念に沿うと この私は陽と陰 光と水、遠心力と求心力 義と愛、男性性と女性性、西洋と東洋、左脳と右脳、分析と和合etcの調和、バランス として存在します。
二元的一元であるという意味です。
https://www.sankeibiz.jp/express/news/160117/exg1601171430003-n1.htm 【タオイズムを呪術化した道教の世界 太極・陰陽・五行・気・道士・神仙・風水・奇門遁甲 松岡正剛】
より
道士や方士がいる。護符や巫咒(ふしゅ)を重んじる。五嶽を崇め風水を展示して、太極に回帰する。ときに五斗米道や太平道を謳った。「タオイズム」といえば無為自然の老荘思想を含むけれど、「道教」というともっと呪術的であり、衒学(げんがく)的だった。
吉岡義豊さんに道教を教えられ、すぐにぞっこんになってアンリ・マスペロを読み耽り、「遊」で道教を特集した。ジョセフ・ニーダム夫妻(夫人が中国人)に現代の科学技術の目から見る道教の凄みを解いてもらったときは、目を洗われた。その後、道教というものは神仙タオイズムと陰陽タオイズムに分けてさかのぼってみたほうがいいと思って、けっこう二つの系譜を追った。そこには五行や易学や奇門遁甲や錬丹術が絡まりながら噴き出ていた。壮観だった。
すべては「道(タオ)」をめぐってはいるのだが、そこには北斗崇拝・山岳信仰・蓬莱山幻想・鉱物フェティシズム・清談思想が派生して、道教を一筋縄ではいかないものにした。道教の神々も階層性がない。陶弘景は『真霊位業図』で元始天尊を最高位においたけれど、ほかに太上道君や霊宝天尊や太上老君も並んできて、さらに関帝(三国志の関羽)なども加わって、神々は乱舞することになったのである。
それでも道教の根本に「気」があることは一貫してきた。道教は「元気」と「玄気」を問う身体哲学であり、「まじない」や「おはらい」を重視する民間信仰であり、自然界にエネルギーの流れを読む観天望気のタオ・マジックなのである。ぼくは詳しくないけれど「接して漏らさず」を極上とした閨房術や性愛術にも長けていた。
とはいえ、屈原や李賀や李白の漢詩を読むにもタオ感覚は欠かせない。ぼくは中国を儒教や仏教だけで見るのは気がすすまないのだ。のみならず日本の神道や岡倉天心の茶の思想にも道教の霊気が入りこんでいることも感じたいほうなのだ。
【KEY BOOK】「気の思想」(小野沢精一・福永光司・山井湧編/東京大学出版会、1万800円、在庫なし)
「気」の概念は古代中国の根本哲学である。すでに『春秋』左伝に「陰・陽・風・雨・晦・明」の6つの天の気が論じられ、『淮南子』に「神気・生気・合気・望気」が、孟子に「浩然の気」が論じられた。これらの気の源を「道」や「太極」だとみなしたのがタオイズムであり、道教だった。道教研究には「気の思想」は欠かせない。それなのに「お元気ですか」を交わすくせに、日本人には「気の正体」がわかっていない。ふつうタオイズムは、老子と荘子に発して「道」や「無為自然」を謳ったものと見られているが、実際の歴史上の道教は教団や道士によってかなり神秘主義的な装いと方術を展開してきた。そこにはタオカリグラフィを駆使した護符や、偽経をものともしない呪法が乱舞した。本書は吉岡義豊らの先駆的研究を継承して、初めて道教の歴史的な変遷と実態を通観したもの。話題の3冊だった。
最も新しい見方で道教世界を案内してくれるシリーズだ。1「仙境往来」、2「道法変遷」、3「老子神化」、4「飛翔天界」、5「神仙幻想」という構成で見当がつくように、けっこうタオイズムの独特のセンスに分け入ろうとして執筆されている。たとえば1の田中文雄の「仙境往来」はトポグラフィとしての桃源郷モデルの変遷を追ったもの、5の土屋昌明「神仙幻想」は玄宗皇帝が希代のタオ皇帝だったことを劇的に証しているものだ。どぎまぎさせる5冊だった。
父君がエジプト学者で、本人はハノイの極東学院に入ってコレージュ・ド・フランスの中国学者になった。主著の『道教』は、わが国では幸田露伴の『論仙』と並んで長らく古典的な名著だった。このなかでマスペロは道教を「神々を人間に近づけ、ついに体の中にまでとりこんだ宗教」だとみなした。不老不死に徹した道教が異様だったのである。『道教の養性術』(せりか書房)の翻訳もある。昭和3年に来日して3年滞在したのが日本道教学の基礎になった。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)
■まつおか・せいごう 工作舎時代、慶應大学の三田図書館で『道蔵』の図像篇を端から端までカメラで複写した。マガジン「遊」に掲載するためである。以降、“道教漬け”になり、今では道教関係の本が500冊以上ある。最新の千夜千冊は1598夜「不思議の国のアリス/鏡の国のアリス」(http://1000ya.isis.ne.jp/)
0コメント