Facebook福田純子さん投稿記事【笑顔の一語🍀一恵】🌈88
「裁く」と心が「砂漠」になります 人に対して許す事が出来なければ 許せない自分をまず許す」 そして頑なな自分の心は亡くす つまり「ゆる死」ましょう Junko
Facebook虎澤 扶充代さん· 7年前この日の思い出を見る
魂を揺さぶる言葉たち2015年7月12日 ·「友達のABC」
A ccepts you as you are あなたのあるがままを 受け入れ、
B elieves in "you" あなたを信じ、
C alls you just to say "HI" あなたには、気軽に"やあ"と声をかけ、
D oesn’t give up on you あなたを、見放すことなく、
E nvisions the whole of you (even the unfinished parts) あなたの全てを見つめ、欠点でさえ
F orgives your mistakes あなたの過ちをゆるし、
G ives unconditionally 無条件に与え、
H elps you あなたの力になり、
I nvites you over あなたをあたたかく導き、
J ust "be" with you ただ、いっしょに居てくれたり、
K eeps you close at heart あなたの心に近くあって、
L oves you for who you are あなたが あなたであるゆえに愛し、
M akes a difference in your life あなたの生活に、刺激も与え、
N ever Judges 決して、裁かず、
O ffers support 支援することを惜しまず、
P icks you up あなたに勇気を与え、
Q uiets your fears あなたの恐れをしずめ、
R aises your spirits あなたの精神を鼓舞し、
S ays nice things about you あなたにふさわしい助言を与え、
T ells you the truth when you need to hear it あなたに必要がある時には、真実を伝え、
U nderstands you あなたを理解し、
V alues you あなたを尊重し、
W alks beside you あなたのそばを歩み、
X -plains things you don’t understand あなたの理解が 及ばないことを教え、
Y ells when you won’t listen and あなたが耳を 傾けそうにない時には叫び、
Z aps you back to reality 現実に戻すために、あなたをコントロールする
"Flexible people don’t get bent out of shape." 融通のきく友達は、かたちにこだわらない。ささいなことで笑いあい ささいなことで喜びあい ささいなことも楽しみあい
ささいなことで感動しあいささいなことも助けあえる そんな友達に出逢えたこと
そんな友達がいてくれること ほんとに感謝してる。
Facebook天外 伺朗 さん投稿記事
7月9日(土)は、札幌で天外塾「宇宙の流れに乗る生き方塾」第3講。前月に、癌患者のために開発した「死と再生の瞑想ワーク」を実施したが、これがすさまじい効果を生むことがわかった。
このワークは、四つの長いスートラを108回となえる、という苦行。さすがに毎日108回は大変なので、36回づつ唱えていた塾生が次のような報告をしてくれた。瞑想を始めてすぐに、取引先の客に癌が発覚するという共時性があった。その人は恩人なのだが、酒を飲むと悪口と自慢が始まるので、苦手だった。ところが、人が変わったように、悪口も自慢も出なくなったという。もちろん癌になったことで、意識が変わった可能性はあるが、私には「死と再生の瞑想ワーク」の効果のように思えた。
8月27・28日に岐阜の船戸クリニックで、この瞑想法と、ラムダスが開発したバルド・トドゥルを用いた「死の瞑想」、「リバーシング(再誕生)ワーク」などを組み合わせた癌患者のためのワークショップを開くが、募集前に満席になってしまった。半分は医療者が来る。来年の1~3月、茅ケ崎で通いで同じワークを行う(全3回)。会場は、駅から徒歩5分。歩いてこれる程度の癌患者に来た欲しい。
詳細とお申し込みは下記:https://officejk.jp/seminar/detail15/?fbclid=IwAR1bDbsf9wRz93acNpQNBzKlwlI3bg0XdNdOMzW9fT49OfUGlufu-i0Kwqs
【「死と再生の瞑想ワーク」セミナー】より
2023年1月13(金)開講
「実存的変容」をキーワードにして、多くの本を書き、様々な瞑想ワークをご提案してまいりました。じつは、この言葉に最初に出会ったのは、医療の世界でした。
心と身体の関係を研究しておられた池見酉次郎医師(1915~1999)が、癌の自然退縮には患者の「実存的転換(変容)」が必要だ、という発見をされたことを伝え聞いた時です。
1997年からは、それを中心に「ホロトロピック」と名付けた医療改革運動を進めてまいりました。
医師が患者の「実存的変容」をどうしたらサポートできるか、自らの変容にどう向き合うか、などを学ぶため、ハワイで引退生活を送っていた、伝説のセラピスト、吉福伸逸(1943~2013)を呼び出して、年に二回のセミナーを開いてもらいました。
2006年にソニーを引退し、活動分野を教育改革、企業の経営改革などに拡げましたが、
驚いたことに、そのすべての分野で「実存的変容」がキーワードになりました。
2005年から開講した「天外塾」は、当初は経営塾だったのですが、次第に塾生の「実存的変容」をサポートするセミナーに変身していきました。
いまでは、10人の講師を擁し、札幌、鹿児島を含め年間17のセミナーを展開しております。
その間、塾生の「実存的変容」のサポートの手法は、かなり磨きがかかりました。
2000年には、天外はインディアンの長老から「聖なるパイプ」を拝受し、長老として人々に祈りを捧げる、という人生が加わりました。
その体験が、「天外塾」の内容に一層の厚みをもたらしました。
2022年4月、医療改革の仲間、船戸崇史医師の著書『「死」が教えてくれた幸せの本質』の出版記念講演を聞いて、これぞまさしく「実存的変容」の神髄だ、と気づいた天外が開発したのが、本セミナー第2講でご提供する「死と再生の瞑想ワーク」です。
今回、それを中心に三回のセミナーを組み立てました。
まさに、池見酉次郎から始まった「実存的変容」の旅が故郷に戻った、という感じです。
皆様のご参加をお待ちしております。
https://innochi.co.jp/blogs/%E5%AE%9F%E5%AD%98%E7%9A%84%E5%A4%89%E5%AE%B9%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B%E3%81%8B/ 【ただいま絶賛発達中【実存的変容はいかにして起こるか】】より
「実存的変容はどのようにして起こしたらいいですか?」
今日出たバイオレゾナンス医学会で天外伺朗さんの講演を受けて聴衆者から出た質問だった。僕は「魂が発達する」という言葉で普段表現しているのだが、ティールや成人発達などの理論が外国から活発に入ってきて、ポリヴェーカル理論のような神経系としての理論も流行っていて、その恩恵として「大人も組織も死ぬまで発達する」という人の意識の前提が生まれているのは本当に素晴らしいことだと思うけれども、やはりそこは根源が二元論の国からうまれている理論理屈なので、理論>実践という印象が否めないというのが正直な感想である。
一回死んで生まれ変わるような内側から沸き起こる、全く想像もつかなかった自分に生まれ変わるという体験を起こすためのテクノロジーを体験的にいくつか知っている。
実存的変容を起こすためのテクノロジーとして僕が最もピュアで本質的だと感じているのは、O・ドナルド・フレッドソン博士の「オリジナルプレイ」だ。あらゆる困難な環境の子どもたちとの遊び、そして野生動物との遊びの中から生まれ、合気道や書道の中にその真髄があることを見出して、さらに合気道をも超えるくらいの「身体知性」を獲得しているフレッドさんが直接来て、オリジナルプレイが日本に紹介されていること、来年もまた来日されることは本当に日本のチャンスだ。ぜひ多くの人、特にリーダーや教育に関わる人に出会って欲しい。
それと同じくらいに僕の中で大切なのが吉本伊信さんの内観法だ。出張に行く人なら東横インには必ず内観の本がおいてあることを知っていると思う。7日間、ひたすら3つの質問を自分にしていく集中内観は、まさに死なずに死を体験する日本から生まれた世界の宝だと感じているが、先日、世界に内観を普及している青山学院大学名誉教授の石井光さんから「あの3つの質問を作るのに吉本伊信さんが20年かかった」と聞いて、衝撃を受け、また目が覚めるような思いをした。集中内観は多くの人に体験して欲しいことだが、しかし本当の内観は日常でそれが続けられるかどうかであって、そこに本当に難しさを感じている、私は。
ただ、心と精神の大掃除という意味では、集中内観という日本の宝を、日本人の多くが経験することなく終わるというのは、とてももったいないことだと思う。
もちろん、他にも優れたテクノロジーがあるのだけれど、本当に実存的変容を望むのなら忘れていけないことがあって
「実存的変容を意識すると、実存的変容は起こらない」
というパラドックスがあることだ。つまり
「発達するために発達に取り組んでいる人は発達できない」
という事実があって、逆にいうと
「実存的変容とは、変容などを望むような余裕があるときには生まれない」
というのが多いように思う。
だから、実存的変容を起こしたこともないうちから、実存的変容を起こすための勉強だけして知識が先についていしまっていることがすでに「ハンデ」としてあることが、現代生活における大人の発達にむけての大きな壁となっている。
実存的変容を起こしたければ、子どもと本気で遊び、子どもとともに遊びをとしてフロー状態に入ってみることがもっと身近な方法で、発達障害と言われる子どもたちと遊べる環境にある大人などは、最もその大きな自己変容のチャンスを身近に得ているということを思い出して欲しい。
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http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/kannsya.htm 【感謝の瞑想】
https://tanemurafumitaka.com/index.php?QBlog-20200909-1 【実存的変容に関するわかりやすい見取り図『分離から統合へ 「人類の目覚め」を紐解く二つの異なる切り口』】より
ティール組織が多くの人に関心を持たれたこと、
これまでの組織や働き方が見直されていること、
マインドフルネスなど精神や意識への関心が高まっていること、
地球規模での環境問題や持続可能性などへの意識が高まっていること、
AIの登場で、人間の可能性が見直されていること、
などなど、いろんな要因が組み合わさって、人類がどこへ向かうのかは興味深いところです。
哲学的な探究や、思想的な探究がされていますが、本書は、「人類の目覚め」に関して、”スピリチュアル領域”でどのようなことが語られているか、”学問領域”でどのようなことが語られているか、をわかりやすく紹介しています。
僕たち人類は、いよいよ本当の意味で進化するときを迎えました。
統合して目を醒ましていくほど、「自分が宇宙だったんだ」ということがわかってきます。
という本書の帯に書かれていることを読んだだけでも、”あー、そういうことね、うんうん”
と受け取る人と、”おいおい、大丈夫か?頭おかしいんじゃないか”と受け取る人の顔が目に浮かぶようです。
さてさて、この内容が”スピリチュアル領域”、”学問領域”を代表してよいかは、個人的には疑問がありますが、それでも述べられていることはわかりやすいです。
超ざっくりいってしまうと、抑圧されてきた自分や自己というものから、自分を解放させていって、自己超越や精神の自由を手に入れていこう、というストーリーです。
ざっくりしすぎていてごめんなさい。
学問領域ということでは、トランスパーソナル心理学やインテグラル理論、ホリスティックな領域の研究、宗教学の研究などが関わってくると思うのですが、深淵で複雑な世界がもっともっと展開されています。なので、もっと踏み込んで欲しいという思いがあります。
まぁ、怪しい領域、怪しい世界だなと、正直思います。本の表紙からして、何やら怪しい雰囲気が漂っているのを感じ取るのは、僕だけではないと思います。
でもだからこそ、そこが面白くて好きなんですけどね。
本当にそうなのか、本当にどこまで言えるのか、科学や学問としてどこまで迫ることができるのか、そんなことを頭の片隅に置きながら、意識の変容や人類の目覚め、なんていうことを考えています。
分離から統合へ、というのは一つの思想やトレンドとして、ポストモダンを乗り越えようとする試みで、新実在論などからのアプローチもありますね。
また、世界を見れば、二極化、格差の拡大、分断、なんていうことが語られやすくもなっていて、統合だったり、大きな物語への憧れなんかもあるのではないかと思います。
本来の自己に気づく、自己超越の世界を感じる、悟りにいたる、そんな世界の入り口を、わかりやすく示していて、これをきっかけにもっと深めてみるというのはよいのではないかと思います。
天外が、「人類の目覚め」と表現しているのは「実存的変容」と呼ばれており、まだ「自我」のレベルの範囲内です。「3・学問系」のコンセンサスとしては、いま人類が直面している意識の変容は、表現は夫々に違いますが、この「実存的変容」です(注:「実存的変容」…フレデリック・ラルーは「グリーンからティールへの変容」、クレア・グレイブスのスパイラル・ダイナミクスでは「ティア1”生存のレベル”からティア2”存在のレベル”へ」、ケン・ウィルバーは「後期自我から成熟した自我へ」、深層心理学では「シャドーの統合」…などと呼んでいる。)
(p.5)
結局のところ、
フレデリック・ラルーやクレア・グレイブスやケン・ウィルバーの思想を深めた方がよいとは思うのですが、実存的変容を切り口に、人類の目覚めとして、関心がもたれている領域の見取り図は得られます。
マニアックな世界ですが、スピリチュアル的な目醒めに興味がある人がいれば、読んでおいてもいいかな、という本です。
https://www.yayamaclinic.com/weblog/detail.php?no=91&key 【天外伺朗さんのインターネットの記事を見て「悟り」について考えてみた】より
天外伺朗さんは気功やバイオレゾナンス医学の活動を通じて様々に指導していただいている方です。天外さんのグループと一緒にマチュピチュやセドナに旅行したこともあり、個人的には兄貴のように尊敬しています。
(あの旅行は楽しかった。今でも思い出すとニンマリしてきます)
天外さんの3月23日のfacebookの記事に小池龍之介さん(個人的には存じていません)が解脱に失敗して、懺悔されているという記事があり、これに続いて「サンガ」というブログの佐藤由樹さんの記事を読んでみました。
(一連のインターネットの操作は優秀なサポーターの三宮弥生さんがやってくれています)
思い出したことは、四十年以上前に九州大学で心療内科を創設された池見酉次郎先生に「先生、悟りってなんですか?」と質問した時のこと。池見先生は医学者でありながら、高僧のような方で、心の問題、人生の問題など何でも質問すると深い答が返ってくる方でした。深いという意味はその時わからなくても、何年もたってからやっとわかってくるということです。先生は私の質問に対して、「大悟十八、小悟数知れず」とお答えになりました。私は、「へー、悟りとは大小あって、何回もあるんだ」と妙に納得しました。そして「小悟とは日常生活での気づきもその一つです」と言われました。大悟の内容についてはいわれませんでしたが、癌が自然退縮した患者さんにみられる「実存的変容」が大悟の一つだろうと思っています。大悟十八の十八は出典がどこなのか先生がご存命中に問うことを忘れていました。
悟りや解脱は大小何回もあるんだと気が付くと、あまりそれにこだわらなくてもよい気がして、「人間死ぬまで発展途上人」を自分の基本原則にしています。天外さんは「意識の成長進化」という受け入れやすい、よい言葉をつくられていますので、いつも使わせてもらっています。
では「人間死ぬまで発展途上人」を実現するにはどうすればよいだろうというテーマが生じてきます。
現在の時点での結論的認識を述べてみたいと思います。それは「天地自然の理を自分の心身にしみこませていく鍛錬という身体活動が必須で、坐って瞑想することも大いにやるべきだが、それだけでは車の両輪にならず、片輪走行で進んでいくことは難しい。」ということです。
古代ヨーガの修行者はこのような認識を確立していたようです。それはサマディ(=三昧)という深い瞑想の境地にはじっと坐ってそうなる「サビカルパ・サマディ」とその状態で日常の生活や動作が行える「ニルビカルパ・サマディ」の二つのサマディ状態を示す言葉が残されていることでわかります。
「サビカルパ・サマディ」と「ニルビカルパ・サマディ」は一続きの意識のモードなので画然と分けられるものではありませんが、瞑想を続けていると、何となくその違いがわかってきます。坐って真言(マントラ)をとなえながら瞑想状態に入ると次第に真言を発声できなくなり、手足も動かしたくなくなってきます。それは一種の至福感を伴いますが、私のテーマの一つである武道では、この状態では相手の攻撃を受ければ間違いなく死ぬでしょう。そこで立禅という立って行う瞑想を行うことになります。
これも続けていると忘我の境地とクリアな意識の両方が生じてきます。立禅も筆者の親しくさせていただいている仏在住の空手十段で自成道創始者時津賢児さんは一日連続8時間の立禅を一時期されていたそうです。
筆者は1~2時間の立禅はやっていましたが、職業柄時間がとれず8時間の立禅は未知の境地です。しかし気功法の小周天法や大周天法をやりながら小さな動きで立禅をすることにより、ニルビカルパ・サマディが徐々に心身に現れてくるようです。この状態で体を動かすと自然に太極拳のようなゆっくりしたなめらかな動きとなります。体の全ての関節が一つの動きに連動しています。これを繰り返していると、太極拳のゆっくりした動きは意図的にそうしたのではなく、ニルビカルパ・サマディの状態で動くと自然にそうなるのだと思えてきます。
筆者の体験を述べてきましたが、気功の生徒さんに教えると再現性をもってそうなるので、これは有効な訓練と考えているところです。このような状態で生じる認識を天外さんは身体智とか無分別智と言われています。筆者は合気を発現していると思っています。それはこの状態に入ると相手が無力化してしまうことでわかります。イメージで言うと、相手を霧に包むと風がスーッと吹いてきて(自分で吹かせようとするのではない)、その風に乗って霧とともに相手が動いてしまう状態と言えます。これは合気道の師である松葉一路先生から教えていただいた技を生み出す元技(もとわざ)の一つである「霧導」という技になります。
話しを戻しますと、小池龍之介さんは、もっと身体性、鍛錬といった要素を組み込まれるとよいのではないかと感じられました。また解脱失敗と言われることも大悟の一つではないかと思うのです。「最終解脱者」と自称して大事件を起こした方がいました。悟りや解脱は認識の力が高度化すること。心の内の無明が明となること。英語ではenlightenmentといいます。
「明りで照らす範囲が広くなると、明かりが届かない闇の部分はさらに広がるので、どこまでいってもきりがない」これは天外さんの説明ですが、私はいたく納得し、気に入っています。
釈尊や空海大師に、「悟られた後、わからないことがもっと増えましたか?」と問うてみたいところです。
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