FacebookIyo Ishizimaさん投稿記事【本当にあった悲しい話】サーカス象のケニー
『サーカスに動物を使うのは、かわいそう』と言われたら、『なぜ、かわいそうなの?』と疑問に感じるかもしれません。
2017年にアメリカの大手サーカス「Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus」が閉鎖された背景には、”サーカスに動物を使わないでほしい”という市民運動および需要減少、そして様々な国や都市で動物サーカスへの規制が強まっている事などがありました。
なぜ、動物サーカスが追い詰められているのか。
その理由は、日本ではほとんど知られていない、動物サーカス団の“恐ろしい調教方法”にありました。
※この物語は、ケニーという実在したサーカス象の生涯に基づいて作ったお話です。
https://nyniche.com/1-18-17-room-with-celeb-97-ringling-bro/ 【「リングリング・ブラザース」サーカス閉鎖は、私に何を教えてくれたか。無力で無名のただの一市民? でも、その一人一人が世界に影響を与えることが可能だということ】より
え? 146年もの歴史を誇る動物サーカス団「リングリング・ブラザーズ」が、閉鎖?
2017年1月14日の晩、突然舞い込んできたニュースに、キョトンとなった。
建国から241年しか歴史のないアメリカで、146年も続いた伝統が断ち切られたのだ。各地を巡業してショーを披露し続けてきた大手の動物サーカス団が閉鎖する時代が、やってきたのだ。
そんなことって、ある?
市民運動が世界を変えていくなんてこと、本当にあるの?
私たちは動物のために抗議し、サーカスの舞台裏でどんな虐待が行われれているかを一般の人たちに伝えてきた。その草の根運動が広まり、大衆が動物サーカスを求めなくなっていき、この結果を招いたのだ。
ヴィオラ・デイヴィス、アレック・ボールドウィン、オリヴィア・マン、デミ・ムーア、パメラ・アンダーソン、リッキー・ジャーヴェィスなどの有名役者や歌手ピンクなど、動物サーカスへの疑問を意思表現してくれたセレブもいる。
でも今回ばかりは、この結果を招いたのは、活動し続けた一般の人たちだと思う。
私は、この草の根運動に関わってきた一人だ。
それは、18年前の冬のことだった。
リングリング・ブラザーズのケニーという3歳のサーカス象が亡くなったというニュースを耳にした。
私は小さいときから、なぜか象の瞳に魅かれて、象も、クジラのようにスピリチャルな生き物だと感じていた。そして親になると、他人であっても子供の惨事のニュースには耐えられなくなるものだ。私はちょうど長女を妊娠していて、人間でも動物でも子供が絡む惨事には、なおさら敏感になっていた時期だった。
亡くなった象の赤ちゃんケニーのことを調べていくうちに、サーカスで曲芸する象の人生がいかに過酷なものであるかを知り、「こんな人生ってある?」と、泣き崩れた。
ケニー、そして同じような扱いを受けている他のサーカス象のことを思うと、3日間、夜も眠れず、ひたすら泣き続けた。
1998年、ケニーは病気で、震えて、立つことも難しく、まっすぐ歩けない状態だった。食べず飲まずで、直腸から大量の血が出ていた。
でも、その日、3回あったショーに引き出され、2回のショーでパフォーマンスを披露し、その日の晩、監禁された檻の中で死んでいった。
最後の最後まで曲芸を強いられ、心にも体にも傷を負って、母親から離れて、独りぼっちで、檻の中で、3歳で亡くなった。
まだ母乳を楽しんでいるはずの年齢で、縄や鎖で縛られ、電気棒で突かれ、労働を強いられるだけの人生だった。
野生では、女の子は生涯、男の子はティーンエージャーになるまで、母親の元からいっときも離れず一緒に過ごす。乳ばなれするのは5歳から10歳の間。
本来なら、まだ母乳を吸っているベイビーなのに、サーカスでは生後21か月で、母親から引き離される。
調教として、まず最初にやることは、象のスピリットを壊すこと。
英語では”Breaking”と呼ばれる。
それは母親と赤ちゃんの絆を壊すことから始まる。人間の社会と同じだ。
支配者に恐怖心を抱かせ服従させるには、まず、母親の愛から子供を奪うことから始まる。
コンクリートの上で足を縛られ横になることもできない立ちっぱなしの姿勢で、一日中過ごさせ恐怖を植え付ける。
それを半年続けると、象の本来の好奇心や人間に向かって闘う気力が消え、叩かれたり鋭利な武器で突かれる痛みを避けるために、奴隷としてトレイナーの言うなりに服従する子供になる。
象の肌は人間のように、ハエがとまったことも感じるほど敏感だ。
だから、「ブルフック」と呼ばれる先端が鋭い金属の爪になっている武器。この尖った鉤に、繊細な耳のあたりの皮膚をえぐるように突き刺さされるときの激痛といったら強烈だ。
タイなどでは「アーチストの象」として、人間のように絵を描く象が観光客を喜ばせているが、やはりそれも過酷な調教が裏で行われ、絵を描く象の横には必ず、ブルフックを手にした調教師がいる。
象、トラ、ライオン、すべてのサーカス動物たちの虐待をやめさせたい。
でも、いったい自分に何ができるのだろう?
何もせず、ただ心を痛めて見つめているだけなんて人生は、私には考えられなかった。
私の街ニューヨークにサーカスが来るたびに、連日、会場に足を運んだ。一人でもこの事実を伝えられたら、一人のマインドでも”種”を植えることができたらと願って、調教中の赤ちゃん象の写真や自作のサインを持って路上に立ち、舞台裏で何が起きているのかを知らせるフライヤーを配った。
最初の頃は、ほんの一握りの抗議者しか、「リングリング・ブラザーズ」の会場には来なかった。それでも、じわじわ、情報が広がっていったのだ。
そして、2013年、私は突如として、大きな成果を目の前にした。
その年のNYでのオープニング日、ブルックリンのバークレイズ・センターには、なんと200人以上の抗議者が集まったのだ。
子供のバレリーナたちも素敵な手書きのサインを持ってやってきて、とびきり素敵なリズムで”Hey, Hey, Ho, Ho, Ringling Brothers Got To Go!(ヘイ、ヘイ、ホー、ホー、リングリング・ブラザーズは退散しなきゃ)”と歌いながら会場を回り、何も知らずにサーカスを観に来た子供達まで一緒になって、そのチャントを口にし始めた。
スーツ姿で、唖然と立ちすくんで私たちを見つめるサーカスの重役らしき男たちの呆然とした表情。ようやく、私たちのメッセージが「リングリング」サーカス側へも届いた、と感じた瞬間だった。
NYに近年は、真冬にやってくるリングリング。情熱的な活動家たちは、極寒の中、何時間も無償で立ち続けた。私も寒さで、足の付け根が痛み出したこともあったが、私なんかより数倍も貢献する人たちばかりだった。
友達のトミーは、寒くてもフライヤーを渡しにくいからと手袋をはめずに素手で雪の中、立ち続けて、舞台裏の真実を伝え続けた。
そして、ロードアイランドに引き続き、なんと大都市ロサンゼルスでも2014年、「ブルフックの使用禁止令」が成立した。ブルフックなしでは象の曲芸は無理なので、サーカスツアーが回れる都市が減っていき始めたのだ。
そして、2016年10月、ニューヨーク市議会はついに、サーカスの動物使用を禁止する条例案について公聴会を開催したのだ。
ロージー・メンデス議員が提案した条例案は、市議会衛生委員会の委員長コリー・ジョンソン議員の最大の協力を得て、盛大な公聴会となった。
サーカス側の重役たちも証言したが、禁止令賛成の市民側の勢力に圧倒された。
もう、この時点で、彼らのビジネスに将来はないと、彼らは悟ったのだと私は思う。
私は珍しく体調を崩して熱があったが、自分の住処であるニューヨークでの動物サーカス禁止令という、夢にまで見た展開に賛成を示さないわけにはいかなかった。
動物愛護団体LCA (Last Chance for Animals)の創立者で俳優のクリス・ディロスから預かった声明文を読んで、高熱も、自分の下手くそな英語にも負けずに、市議会の公聴会で証言した。
(著者のニューヨーク市議会・公聴会での証言ビデオ)
他人に、動物サーカスに行くな、とは言わない。
ただ、虐待が行われているという真実を伝えて、あとは本人が決めればいいと思っている。
私は人の自由意志を尊重しているので、自分の子供であっても、どう行動すべきか、どう考えるべきかを教えないで本人に自分の意志で決めさせる。その結果、娘は菜食主義になったし、息子は肉食。
それでも、私の息子は9歳のとき、私に何も言わずに象のポスターを自分で作成して、「クラスのみんなに話したいことがあるから”ショー・アンド・テル”をさせてくれ」と、彼の通うNYの公立小学校の先生に自ら申しこんで、私を驚かせた。
「彼はすごかったよ。
まず、みんなに、”リングリング・ブラザーズ・サーカスが好きな人は誰?”と聞いて、全員が手を挙げた。
すると、彼は力強く宣言したんだ。
”オーケー、これから僕は、君たちのマインドを変えてみせよう!”とね」
と、小学校の担任の先生が私に教えてくれた。
息子がスピーチを終える頃には、クラス全員が「Ringling Bros. sucks! (リングリング・ブラザーズはダメだ!)」と叫んでいたという。
サーカスに行く予定だったクラスメートの2~3人が、親に真実を伝え、家族は鑑賞しないことになったと、息子が言っていた。
こうやって、少しづつ、私の周りの人々が変化していくのを、私は見つめてきた。
初めての子供を身ごもりながら、象の赤ちゃんを思って泣き続けた3日間。
あのときは、まさか、こんな勝利が18年後に待ち受けていたとは想像もつかないことだった。
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