http://www.cna.ne.jp/~mirai-mu/dainigeijyuturon-saiko.htm 【俳句第二芸術論再考】より
向 井 未 来
いわゆる第二芸術論が俳句界を震撼させたという俳句史上の重大事件を知ったのは、俳句を習い始めて7、8年経ってからのことであった。その数年後、東京へ出かける機会があり、三省堂神田本店で偶然文庫本の『第二芸術』を見つけ、すぐ買った。第二芸術論の文庫本を手に入れてから2、3回読み返したのだが、現実の俳句世界の実態にかんがみ、99パーセントそのとおりだと真摯に受け止めざるを得ないのであった。俳句に対する論難をいとも簡単に認めてしまうのは、私が専らに俳人を目指す者でないからなのか、それとも大多数の俳人が信奉して疑わない全体主義が肌に合わないからなのであろうか。
第二芸術論の原文を読んでみて私なりに気になっていたことが1つあった。この文章を書くにあたってそれを確認するため、今またもう一度読み直しているところである。
気になっていたこととは、第二芸術論は俳句の全部について否定したのではなくて、現代俳句に限って否定したのではないかということであった。サブタイトルに「―現代俳句について―」とあったことも引っ掛かりの原因だったかもしれない。
『第二芸術―現代俳句について―』は先ず、有名無名の俳人15人の作品を1人1句ずつ掲げ、現代俳句は名前を伏せれば誰の作か識別がつかないとの批判的な論旨を展開してゆく。そのあとは俳句の近代芸術として独立し得ない質の希薄さ、技術習得制度の封建的なる様を明快に論断するが、それはすべて当時の現代俳句に矛先が向けられているように見えるのである。
桑原武夫著『第二芸術―現代俳句について―』(講談社学術文庫)の中からいくつかの記述を次に引用する。
「現代俳句の芸術としてのこうした弱点をはっきり示す事実は…」
「現代俳句はまず署名を見て、それから作品を鑑賞するより他はないようである。」
「ともかく現代の俳句は、芸術作品自体(句一つ)ではその作者の地位を決定すること
が困難である。…作者の俗世界における地位のごときものによって決められるの他は
ない。…」
そのほかいろいろと俳壇内部が、いかに非近代的なしきたりに溺れたままの社会であるかを述べた後、「…秋桜子が(略)…。また氏は芭蕉を絶対視せず、現代俳句はむしろ〈さび〉〈わびしさ〉を捨てて、明るさを取るべしとする。私はこの意見の進歩的なるを認める」
と一度は現代俳句を部分的に肯定したかに見えたが、続いてすぐ、「しかし、それで現代俳句が芸術として救われ得るであろうか。…秋桜子が、絵画に学べ、と教えていることに注目したい。…およそ芸術において、一つのジャンルが他のジャンルに心ひかれ、その方法を学ばんとすることは、…常にその芸術を衰退せしめるはずのものである」
と揶揄し、ついに次のように断じるのである。
「…私は現代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するがよいと思う。…」
以上のように文中には《現代俳句》という言葉が随所に使われ、決して発祥以来4、5百年にも及ぶ俳句の全部を否定するものではないようなのである。しかし結局受け取る俳人側には、俳句のすべてが否定されたような印象に映ったものと思われる。
ところが何度読み返してみても、優れた日本文明評論書とも言える『第二芸術』の中では、作句技術習得のための旧態依然としたシステムを非難しているにしても、芭蕉以後を批判しているのである。
「…芭蕉以後に整備が一層進んだ徳川期封建体制下にあって、芭蕉を捨てなかったため
にその後の俳人が堕落した…」ことを指摘し、「…俳人は党派をつくらざるを得ないがその党派は、西欧で言えば神秘化のために古い権威を必要とし特定の保護聖者をいただく中世職人組合的なそれであり、その聖者が芭蕉なのである」と、旧システムと偶像崇拝主義をやり込めている。
その後俳人側から必死の反論が開始されたようである。しかし、《掲出された有名大家の句は優れたものが選らばれておらない》との橋頭堡を築いたところまでは勢いもあったが、その後次第に反論は入り口にとどまってしまったような観がある。
と言うのは、先ず有名大家側の選ばれた句が適切でないと反駁し弁明はしたものの、重厚な日本文明批評が展開されている第二芸術論に立ち向かうにしては、それだけではいささか論拠が弱すぎた。なぜなら著者が現代俳句は第二芸術だとの結論にもって行くための書き出しであろうから、あえて作者名がすぐには分からないように、やむを得ず大家の一句は一般には知られていないものを選んだに違いないからである。問題は当時の有名大家が素人と区別のつかない駄句を、安易に量産しているところにあるだろう。
私のさほど長くも深くもない俳句経験からしても、今日でも一流有名大家の秀句と無名作者の秀句を並べられたら、優劣のつけがたい可能性のほうがずっと高いと認めざるを得ない。違っているのは、50数年前の『第二芸術』に取り上げられた作品が大家の作としては一段レベルの低いものだったろうだが、50数年後の現在は素人のレベルが上がっているために、大家のレベルに何ら見劣りがしなくなっていると言えることなのである。
こうした現実、素人の作句レベルが予想以上に向上した結果、日々大家なみの秀句が大量生産されるようになり、大家と素人の実力差がほとんど区別しがたいまでになっている現実は、いみじくも第二芸術論が指摘しているように、今日といえども署名がないと大家と素人の作品の区別がつきにくいという証しにほかならない。すなわち50数年前の現代俳句世界と現在の俳句世界が、そっくり同じ様相を呈したままなのである。
実際、大家が以後の手本となるような優れた一句を作ってみせれば、それを手本にたちまち素人が同じようなレベルの秀句をどんどん作り出す時代だと、そう考えればおかしくはない。小説や映画やテレビドラマの脚本はそうは行かない。短詩型文芸以外には起こり得ない現象である。
さて、第二芸術論への反論が入り口にとどまってしまっていて肝心の反論が尽くされていない理由としては、『第二芸術』で述べられている次の、「…芭蕉以来の俳諧精神の見直しは、これからの日本文化の問題を考えてゆく上に、不可欠である。…」
「…俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事だ…」
などの根本問題が、未解決のまま先送りされてしまっている事実を挙げることができる。
私が三省堂神田本店で桑原武夫著『第二芸術』が平積みされていたのを見つけたのは、ちょうどその頃が第二芸術論が書かれて50年目に当たっていたからだったと後で知った。俳句総合月刊誌上などでも第二芸術論が賑わっていたのはそのためだったようである。
そのころは、50年前を知る老大家を中心に俳人の意気盛んな様は大変なもので、《あの第二芸術論の指摘にもかかわらず今日ますます、往時にも増して俳句ブームは衰えるところを知らない》と俳句総合誌上で豪語していた。事実現今、俳句人口の7割が女性と言われるものの、高額懸賞金付きの大会は引きも切らずに催され、俳句総合月刊誌の種類は10冊を越えるそうである。まことに、先進諸外国に対しては完璧な封鎖社会であった、
あの江戸元禄のころの俳諧世界にも劣らないほどの賑わいぶりである。
高額懸賞金付き俳句募集を否定しはしない。俳句の性質上秀れた一句は、ただそれだけで著作権を主張できる価値を十分に持っているからである。第一芸術(?)である小説界などでは賞金受領は当たり前のことと受け止められている。名を冠し業績を顕彰する目的の文学賞にも、副賞として現金(小切手)が贈られることは普通のことである。
かのノーベル文学賞の副賞は巨額だが、仮に将来、日本の短詩型文芸のいずれかの分野が日本民族の伝統的芸術として世界的な認識が高まり、ノーベル文学賞が与えられることになるとすれば、短詩型文芸のもつ集団芸術としての性格上、流派か団体が受賞するのが妥当だと思われる。なぜなら、今後も集団伝統芸術としての側面を強調するあまり、個の芸術としての反面をあくまでも覆い隠そうとするならば、もし個人が授与の指名を受けたときには、当然辞退しなければならないジレンマに陥ることになる。
かつて高浜虚子が文化勲章を受賞したとき、「本来、正岡子規が受けるべきであった」と述懐したそうであるが、ノーベル文学賞に値する個人的資格者としては、俳句で言えば現在のところ芭蕉と正岡子規の2人だけが該当すると思われる。
話が飛躍してしまったが、要は公募俳句大会で傑作とされたならば歳時記編纂時には採用すべきであろうし、選句にあたった大家は、もし一流作品がないと判断したならば迷わず《該当作なし》としなければなるまい。小説界の芥川賞や直木賞はそうしている。俳句だけに毎回々々、おびただしい数の、賞の有る分だけ一流作品が生まれつづけるはずがない。逆に言えば今日も今後も有名大家は、いかなる機会にも駄句を吐いてゆめゆめ自己の作品の総評価を二流たらしめるべきではないだろう。
ところで、俳句の優劣を分ける基準となれば、残念なことに現在は結社誌の数ほども流派が分かれすぎてしまっていて、どんな句がどう秀れているのか未だに標準が定まっていない有り様である。そのため今後も小説などの文学賞とは違った意味での、つまり、それぞれの流派の師祖(たかだか2、3代を溯っただけの始祖だが)を顕彰するための公募大会が各地に増え続けることになるだろう。結局、秀れた文明批評書『第二芸術』が50数年前に指摘したように、「…古い権威を必要とし特定の保護聖者をいただく中世職人組合的…」という第二芸術的側面は残されたままなのである。
『第二芸術―現代俳句について―』は99パーセントは的を得た論であるが、残り1パーセントに俳句が文学たり得る望みがかかっているように思われる。その1パーセントが何であるかはいつか探り当てられなければなるまい。その1パーセントの何かの発見に望みをかけて、99パーセントの不合理を少しずつ改善して行けば、今後の日本語使用民族の英知の発展のために、俳句もまだまだ捨てたものではないと評価されることになるだろう。その1パーセントが《芭蕉に還れ》ということでないことは確かである。
なぜなら、『第二芸術』の著者は、「…芭蕉を捨てなかったためにその後の俳人が堕落した…」と指摘しているからである。
《川柳誌『すずむし』2000年3月号掲載》
0コメント