【スピリチュアル・ケア】
「私は誰?」「なんのために生きるの?」「人間に生まれ、人間として生きるとは どんな意味?」「毎日繰り返される命の営みの意味は?」「死んだ後 どうなるの?」
人間誰しもが抱える問いではないでしょうか?
Wikipediaは 「上のような問に 真正面から対面し、探求し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることを スピリチュアルケアと呼びフィジカルケア、メンタルケアに勝る人間の究極的ケアとも言われる」と紹介しています。
「その基本方針は人生のあらゆる事象に意味や価値を見出すことができるような、適切な思考法や有益な情報を効果的に伝えることによって、対象者が自分自身で、「心の免疫力」や「心の自己治癒力」を高めていくよう導くことである」とも紹介しています。
人生への意味や価値を見失えば「心の免疫力」や「心の自然治癒力」が弱まると言えます。
思春期は 「人生に対する 根本的問い」を問い始める時と言われます。
思春期の私は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。
太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし退学届を出したりもしました。
自殺未遂もしました。
嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて 呼吸を止め やり過ごし 耳に蛸ができるほど「生きる意味、生きる意味」を問い続けました。
生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら時を送り続けました。
このような様を、レギオン(新約聖書の物語: 自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ 吠え続ける悪霊)に譬えられました。
私の救いは「視点変更」でした。
「生きる意味を問うもの」から神から「生き方を問われるものになろう」と決めクリスチャンになりました。問を一旦神棚にしまいこんで生き抜いたと言えます。
年を重ね、今一度問い直す時が来ました。
「人生への意味や価値は 自分で創り出すもの」これが私の見つけ出した答えです。
そのためには 魂やハイヤーセルフに繋がり 自己一致をすること。
選択の主体としての自分を取り戻すことがだいじです。
みなみ心理健康オフィスは 本来の自分を取り戻し「人生のあらゆる事象に意味や価値を見出す」ことができる自分になるよう スピリチュァル・ケアを心がけています。
私は基本的に宗教は嫌いでした。生きることも死ぬこともできない ニヒリストには 愛も、宗教も不要でした。愛を語る武者小路実篤、大嫌いでした。ジェンエアー、赤毛のアン ・・・見向きもしませんでした。
しかし裏返せば 愛に飢え渇き、真理を渇望し続けた 青二才の 血みどろの茂垣だったとも言えます。
物心ついた小学生時代は生きる屍でした。犬だけが友達だった。そんな犬も野犬狩りの対象となりました。床下に逃げ込んだのを引きずり出され 、悲しい声を上げても 非情に 檻に入れられ、連れ去られた。悲鳴を聞いても 私は何一つできない 無力な 存在でした。
見殺しにした原初の痛みを 今も手放せていません
小学高学年からささやかなレジスタンスが始まり 思春期はニヒリスト
受け取れば在る 愛も (母と兄を殺した)デビルチャイルドという信じ込みを持ってしまった私には 決して受け取ってはならないものでした。
「神は愛」を語るキリスト教なんて とんでもない世界でした。
友人に「教会の掃除を手伝って」と頼まれ、 のこのこついて行ってしまいました。
だが、そこに居た太宰治フアンの青年たち(定時制高校の生徒たち)と意気投合し 、ことも在ろうか教会に自分の居場所ができてしまいました。
しかし 私は アンチクリスト的な本を読んでは 彼らにぶっつけ 議論のためにそこに通いました。
自分は門外漢だと結論付け そこを去ることを決めた時 ある青年が真っ蒼な顔をして 「説得しようとした傲慢」を 謝りました。
同じころ 映画[バラバ]を見て イエスの代わりに赦された男のドラマに涙を流しました。(仏教的には「捨」というのでしょうか)
私は「クリスチャンにしようという」働きかけのエネルギーをみな取り払われることになりました。
このベースがあったが故に「意味を問う」生き方から 神から「どのように生きるか」を問われるものになろうと 視点変更が可能となり、 啓示された神を信じることを選び 、大学・大学院で学びクリスチャンワーカーになりました。
人を変えることはできないというのは鉄則です。
然し相手が変わっていくことを選びとれるように 自分の学びをシェアーすることは可能であり 、喜びであり 、命の証ともいえると思います。
またキリスト教では自己神化を 絶対的な罪だと考えます。
夢実現のお伽話は沢山ありますが 人間の一番醜く最悪な欲は「神のようになりたいと思うこと」とお伽話の世界ですら 語られます。
一番素朴な宗教は 畏敬の念 と言えるのではないでしょうか
それであるにもかかわらず 多くの宗教家が 自ら信じる信仰を絶対視する愚か、弱さを憂わずにはおれません。
宗教に対して
①努力をせずに拝んでコトなきを得ようという姿勢が好きになれない、
②心が弱い人がはまるもの、
③人の心の隙間に漬け込んでマインドコントロールをし、教祖・教団のロボットにされてしまう、
④人が潜在的に持っている恐怖心を利用する悪の集金組織、
⑤友達がいない人たちの拠り所など 悪感情を聞くこともあります。
「宗教は阿片」も 強烈な批判です。
然し私は 仏教に対してはそんなイメージを持っていました。
諦めを説き、忍耐を勧め、無智、貪り、怒りを滅するを求め。。。。。。。。。
足るを知る=現状に甘んじろではないか などとも思っていました。
然し今は 足るを知る=セルフエスティームだと知りました。
キリスト教的には自分を愛するように隣人を愛しなさいという教えです。
ありのままの自分、ありのままの世界を愛しなさいということです。
私の実感では愛はパワーです。目覚めた行為です。巷に蔓延する悪感情も 単なる杞憂です。
私の宗教体験からは決して当てはまりません。
【キリスト教とのお別れ】
いきなり始まった霊現象は神観、人間観、世界観の全てを覆しました。
まさに想念破壊の痛みをモロに経験したと言えるのでしょうか?
中学時代 生きる意味を求めて堂々巡りをし続け ふとしたことから プロテスタントの教会に出会いました。その教会には夜学に通う 勤労高校生が10名近く集っていました。
彼らの多くはニヒリストであり 私はその仲間に入ってしまいました。
彼らは熱心に求道生活を送っていましたが 私はアンチクリスト的な本を読んでは彼らと牧師に議論を吹き掛け続けました。その果てに 私は門外漢だから去る旨を告げました。
すると一人の青年が 真っ蒼な顔をして「傲慢な態度を許して下さい」「自分は説得できると思っていた」と謝りました。
私には 彼がなぜ謝ったのかさっぱり解りませんでしたが 心が揺すぶられてしまいました。
それ故生きることも死ぬこともできない 悶々とした毎日の突破口を キリスト教に そして視点変更に求めました。
「生きる意味を問うもの」から(神様に)「生き方を問われるもの」になろうと決め クリスチャンワーカーになるべく 結婚とほぼ同時期に 大学と院での学びを始めました。
赴任教会での働き以外に 日本キリスト教団の働きも、兵庫教区の働きも担いながら 家庭と教会生活中心の毎日を歩み続けました。
然しプロテスタントとはカソリックにプロテストすることで生まれた 言葉中心、左脳中心の信仰共同体です。
教団内には分派、徒等が沢山生まれ、言葉中心の礼拝には霊性が乏しく 教会内のグループはサロン化し、教会活動を精一杯しても 満たされる思いになれませんでした。
それなりにいろいろ学ばせてはいただきましたが どうしても納得がいかない教義に「時」に対する 概念があります。
キリスト教における「時」の流れは直線的です。輪廻転生の考えもありません。
大宇宙の公理は回転なのに!そして創世記では一日の時の循環、一年の時の循環を語るのに!!何故か時間軸は直線です。
【キリスト教とのお別れ~その②】
私がキリスト教に躓き始めたのは 霊性のなさ、教義に対する不信、そしてリーダーたちに対する不信と世俗化にあります。
教団総会、教区総会、教会役員会など メイン会議の前には 俗世界とおなじように 教団、教区の権力(お金)を握るべく 根回しが横行し どこにも分派が生まれ、徒党が組まれ 教会のリーダーたちが競い合う姿をいやというほど見てしまいました。
世俗化こそ 教会を去ることになった 決定要因かもしれません。
特に 聖職者といわれる牧師(ファミリー)への侮蔑の思いが強いです。
最後に出会った一人をご紹介しましょう。
夫婦と、娘3人の家族でした。 夫も妻も 各々が「自分たちは本来離婚していてあたりまえの関係だ」と私に語りました。
然し教会員の前ではおしどり夫婦を演じます。
長女はうつ病。カウンセリングをして欲しいということで 引き受けたものの、娘のカウンセリングが終われば 必ず母である牧師夫人が カウンセリング内容を聞きたがり、自己正当化のために私の居室に居座り続けます。
遂にたまりかねて 両親の問題が 娘を追いこんでいると言ってしまった翌日から 彼女は顔を合わせても視線を反らし 挨拶さえも返さなくなりました。
次女はストーカー事件を引き起こし 警察沙汰にさえなりました。
次女の保護を要請されたり、私の夫までも相手との折衝にかりだされたりしました。
牧師は教会員がいない場では 常にビールを片手に、まるでアルコール依存症を疑いたくなる感じでした。
私が関わっていた求道中の青年に セクハラ事件を起こし 大問題となり青年の自宅に謝罪に行く故 同行を求められたりもました。
牧師は玄関先で土下座をして謝りました。
にもかかわらず 後の牧師の話では 悪いのは青年の方になってしまいました。
こんなどさくさの中で私は教会を去ることを決めてしまいましたが 洗礼を希望していたこの青年はうつ病になったと聞きます。
キリスト教とお別れする気持ちが強まるなかで 残された人生を 如何に生かされるのかを ずいぶん問い続けました。
プロフィールにも書いたように私は人並み以上に いわゆるトラウマというものを持っています。
それが私の人生の特徴かもしれません。
その人生で出会った大きなものが キリスト教と心理療法でした。
二大特徴の一つであるキリスト教に失望すれば 残されたものは心理療法しかありません。
人生で得た心理療法を 人生へのお返しとして これからのライフワークとしようと決めました。援助者になろうと決めたわけです。
人の援助がしたいと願うからには 自分がとことんクリアリングされる必要があります。
もちろん教育面接類のこと、頭蓋仙骨療法、箱庭療法 各種ワークショップの参加、その他いろいろ自分の浄化のためにしましたが、 スリーインワンコンセプトの一人セッションをまるで仕事のようにやり続けました。
その技法で、僧坊筋にあった スタックポイントを外した時 身体ががたがた震え 座りこむと同時に 直径30センチくらいの白昼光、次いで鮮やかなアメジスト色の光が セットで2回、次の日に一回輝き 基底部から前につんのめるような感じで エネルギーが上がり始めました。
クンダリーニが覚醒したのだそうです。
キリスト教とのお別れが霊現象の始まりになった ということでしょうか。
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