Facebook清水 友邦さん投稿記事「神が宿る樹木」
樹木は神が宿る神聖な存在でした。
日本書紀に「木を伐った所、神が怒って宮殿を壊し関わった人々が次々と病気になって死んだ」と言う記述があります。
古代は神が宿る森を伐採すると祟ると信じられていました。
人々は神聖な森に祈りを捧げ大切に保護してきました。
自然を人間のための道具とみなし征服しようとするのが近代合理主義の考えです。
自然に神はいないので祟られる恐れはなく、森林を伐採しても良いと考えるようになりました。
樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。森林は欲望の対象になり土地は売り渡されたのです。
江戸幕府を倒した明治政府は天皇家の祖霊を祭神とする神社を頂点にした神道の中央集権を進めました。
1906年(明治39)第一次西園寺(さいおんじ)内閣は神社合祀を全国に励行し、次の桂内閣もこれを引き継ぎました。
左脳優位の施政者により有用で価値があるものと価値がないものに分けられ明治政府の国家神道にそぐわない民俗信仰は否定されたのです。
一町村一神社として一社につき5千円の基金を用意できない場合には廃止すべきという通達をだし、廃止した神社の財産は、神林を含めて処分し、その利益を以て神職の給与の原資とするとしました。
「神社を潰して自分の俸給を上げんことのみ」努める神職、「鎮守の森」を木材業者に公売にかけ、其の売上金をネコババする役人、合祀された神社の財産の権利を主張するならず者が続出しました。
名もなき氏神を祀(まつ)る小さな神社や祠や道祖神などは真っ先に廃止の対象となりました。最初の3年間だけで4万社もの神社が全国各地で取り壊されました。
世界遺産である熊野古道が残るきっかけとなったのが神社合祀反対運動に立ち上がった南方熊楠です。博物学や民俗学、植物学の巨人熊楠はエコロジー思想と運動の先駆者でした。
熊楠は1907(明治40)年に糸田の猿神社を訪れ従来日本にないと思われた粘菌三十種を発見しました。
その中でタブノキの朽木に附いた粘菌は新種という大発見でした。
しかし猿神社は合祀のため廃止となり境内の樹木は完全に伐採され野原となってしまいました。
熊野古道沿いにある由緒ある神社群の9割が廃社となり田辺から本宮まで二十数社あった王子社で残ったのは、八上王子と滝尻王子のみになり、熊野の森は丸裸にされてしまいました。
熊楠は「回々教の婦女の前陰を見る如く全く無毛」と嘆いています。
熊野信仰は仏教や修験道や自然信仰の神仏混合だったので壊滅的なまでのダメージをうけました。
ひんぱんに神社を訪れて粘菌を採集していた熊楠にとって許しがたい悲劇的事件でした。
「こうした野蛮な行為は、この国では近年日常的におこなわれており、やがて日本人の美的感覚だけでなく、愛国的な感覚をも壊し、あともどりできないところに追い込むことになるでしょう。わたしはラスキンやカーライルと共に、近代の進化が本当の意味で人間に恩恵をもたらすものかどうか疑っています」リスター(粘菌学の権威)書簡 熊楠
熊楠は研究のための貴重な時間を中断し「世界的学者として知られる南方熊楠君は、如何に公園売却事件をみたるか」を牟婁新報(むろしんぽう)に発表して神社合祀反対運動ののろしをあげました。
翌年には合祀を推進する官吏に乱暴を働いたかどで18日間にわたった警察に拘留されています。
熊楠は森林伐採によって、生態系のバランスがくずれることを見抜いていました。
「御承知ごとく、殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」川村竹治書簡 熊楠
熊楠のエコロジーは植物生態系だけのことだけではありませんでした。動植物・菌類も含めた生物全体、人間の生活や社会や文化も荒廃していくと警告しました。
熊楠は「神社合併反対意見」のなかで神社は社交の場、儀礼の場であり、神社合祀が人々の村民の信仰心と融和を妨げ、慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を乱し、地方を衰退させ、景勝史跡と古伝を消滅させてしまうと具体的に述べています。
1 神社合祀は敬神の念を減殺する
2 神社合祀は民の和融を妨ぐ
3 神社合祀は地方を衰微せしむ
4 神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害する
5 神社合祀は愛国心を損ずる
6 神社合祀は土地の治安と利益に大害あり
7 神社合祀は史蹟と古伝を滅却す
8 神社合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す
多大な犠牲をはらった熊楠の情熱のおかげで神社合祀は終息に向かって行きました。1920年(大正9年)、貴族院で「神社合祀無益」と決議され終息しました。
しかし、それまでに7万社もの神社が廃止になりました。
神社が姿を消し、祭りが中止となり憩いの場がなくなることは若者が故郷から離れてしまうことを意味していました。それは現在も続いています。終戦後2万社以上の神社が姿を消しています。
高度成長時代に若者は都会に出てしまいました。
過疎化に伴う人口減少がおきて村の神社は祭祀が維持できなくなりました。
宮司が亡くなり後継者もいなくなると御祭神も分からなくなり神社の財産は失われてしまいました。
神社の「鎮守の森」は伐採されて売り払われ、森に住んでいた鳥や動物達も一緒に姿を消しました。
100年以上前に熊楠は生態系を破壊することの恐ろしさを危惧していました。
しかし、現在も自然の智慧を体験する聖なる場所は破壊されています。
自然生態系が失われ、それが原因で資源の奪い合いや争いが生じています。
イニシエーションが途絶えた現代人は魂を失ったように見えます。
故郷を見失えば不安の中でいたずらにさまようばかりです。
https://www.youtube.com/watch?v=vNWy_GpEz2A
樹齢300年のご神木が枯らされる(YouTube)(NNN)
■ この罰当たりめ!ご神木に除草剤注入して「枯れた樹危ない。買い取る」と業者(2012/12/26:J-CAST)
樹齢数百年の神社のご神木を次々と狙う罰当たりな事件が四国を中心に多発している。愛媛県東温市の総河内大明神社の境内にある樹齢500年以上というご神木2本が、枯木と診断され26日(2012年12月)伐採される。綿崎祥子宮司によると、2本のご神木の根元にドリルようのもので5、6か所の穴が開けられていたので調べたところ、直径5ミリ深さ4センチの穴から除草剤が検出されたという。
宮司は「悲しいを通り越して、悔しいとか空しいとか言葉にならない」と憤る。近隣住民も「このお宮さんは、あの2本のご神木で持っているようなもの。ご神木がなくなるなんて考えもしなかった」と嘆く。
愛媛、高知など四国各地で頻発
罰当たりの犯行は総河内大明神社だけではなかった。やはり愛媛県の西条市にある大宮神社でも昨年4本のご神木が枯れて伐採された。十亀博行宮司は「葉っぱだけ見ると寿命なのかなと思ったが、木の根っ子に穴が開いていることが分かり、なんと罰当たりなことをするものだと思いましたね」という。
2つの神社に共通していたのは、ご神木が枯れるタイミングを見計らって木材業者が現れ、「枯れた樹は危ない。自分たちが伐採し買い取る」とご神木を引き取っていったことだった。事件は高知県でも頻発しており、ここ数年でご神木以外の木を含めて14件が確認されている。
枯れたご神木を調査している日本樹木医会高知県支部の藤本浩平博士は、「養分を木の中へ送るのは縁の部分4センチのところで、そこに除草剤を注入されると2~3か月で枯れる」という。
樹齢数百年の大木―希少価値で高値取引
背景には樹齢数百年の大木は木材として非常に貴重で、とくに信仰の対象であるご神木となると、台風で倒れでもしない限り伐採されることはない。希少価値のため、寺や一般建築で根強い人気があるという。
コメンテーターの萩谷順(法政大教授)は「養分を送る樹皮の裏側に除草剤を入れれば、樹の真ん中はしっかりした状態が残る。それを知っているプロの計画的犯罪で、罰が当たるといいなと思う」と顔を曇らせる。
神社は樹齢数百年のご神木も含め、日本人の心のふるさとである。ここまで落ちたかと残念でならない。
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