山是山水是水

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

山是山水是水

 「山は山、水は水」という『教え』です。異論ありませんが、これほど人間は、ものを素直に(=あるがままに)見ることができないのですね。

 禅の修行をすると、山は山、水は水の段階を経て、山も水も同じものに見えるようになり、さらに修行を重ねると、再び山は山に、水は水に見えてくる、新しい境地に達するというのです。元に戻るのではないようです。新境地としての「山是山水是水」。

 とんちで知られる一休さんのエピソードが浮かびます。

 旅をしていた一休さんが、ある村に立ち寄ると、そこでぐにゃぐにゃに曲がりくねった松を見つけます。一休さんは村人たちを集めて言いました。

 「この曲がりくねった松をまっすぐに見たものに、褒美をとらせよう」それを聞いた村人たち、「やった、褒美がもらえるぞ!」と、なんとかして曲がった松をまっすぐに見ようと、知恵をしぼります。

 片目をつぶって見てみる者。寝転がって見る者。近づいて見る者。遠ざかって見る者。首をかしげて見る者・・・。村人たちはさまざまな方法を試しますが、誰一人、松をまっすぐに見ることはできません。

 そうこうしていると、大人たちが騒がしいのを聞きつけて、村の子供たちがやってきます。そして、子供の一人が、曲がりくねった松を指さして言いました。

 「うわー、この松、めちゃくちゃ曲がってるね!」

それを聞いた一休さんは、手をたたいて喜びました。「見事じゃ!これがまっすぐに見るということじゃ」

ありのままを見ることが「まっすぐ」=素直ということです。

ところが、他人に求めがちなまっすぐは、こうあるべきだと考える自分の思いの投影に他なりません。山は山で本分を全うし、水は水でわが本分を全うしているのですね。

https://zengo.sk46.com/data/yamahakore.html 【山是山水是水】より

山やまは是これ山やま、水みずは是これ水みず

『雲門広録』、『大慧武庫』、『宛陵録』他

〔雲門広録、巻上〕

上堂云。諸和尚子莫妄想。天是天地是地。山是山水是水。僧是僧俗是俗。良久云。與我拈案山來看。

上堂じょうどう云いわく、「諸もろもろの和尚子おしょうす、妄想もうぞうすること莫なかれ。天てんは是これ天てん、地ちは是これ地ち、山やまは是これ山やま、水みずは是これ水みず、僧そうは是これ僧そう、俗ぞくは是これ俗ぞく」。良久りょうきゅうして云いわく、「我わが与ために案山あんざんを拈ねんじ来きたり看みよ」。

案山 … 主山に対して、その手前にある低い山。按山。客山。

『新版 禅学大辞典』には、「諸法実相の立場からは万法事事が独立して絶対的なものであることを示す語。対語の『山是非山、水是非水』は、真如の立場からみれば、万法は同一体であり、山や水というのはあくまでも仮の名であるということ」とある。【山是山水是水】

入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「山は山として、水は水として完結している」とある。【山是山、水是水】

柴山全慶編『禅林句集』には、「現實そのままが眞實の相。悟りの妙相」とある。【山是山水是水】

『禅語字彙』には、「山は山、水は水で、各其本分を示して居る」とある。【山是山水是水】

芳賀幸四郎『新版一行物』には、「……一度は万人、万物みなこれ平等無差別であることに徹し、貧富・美醜・大小などの差別を取捨する念慮や執着心を超克した上で、男は男、女は女とその差別を認め、美しいものは美しい、醜いものは醜い、善いものは善い、悪いものは悪いと判断して、いささかのまぎれもない境涯に到ること、これが大切である。この境涯に達してはじめて、自然と人生との豊かさが本当にみえ、かつ味わいうるようになるのである」とある。【山是山水是水】


http://www.issakinenkan.com/diary/%E4%BF%B3%E4%BA%BA%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%AB%82%E6%B0%8F%E3%81%8C%E6%8F%90%E5%94%B1%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%80%E8%8C%B6/ 【俳人長谷川櫂氏が提唱する新しい一茶】より

9月16日、今年3回目の一茶記念館講座は、現代の俳壇をリードする長谷川櫂さんをお招きし、「新しい一茶」と題してお話いただきました。

今回ご講演いただいたきっかけは、長谷川さんが昨年発表した「新しい一茶」(河出書房 日本文学全集12)です。同書では、一茶の評価が、これまで、俳句の歴史の中で、三大俳人と呼ばれる芭蕉や蕪村に比べ一段劣るとされていることや、子ども向け、ひねくれ物の俳人で、正統の流れに属さないとされてきた位置づけを見直すことが提唱されています。

一茶は俳句の歴史における要石のような存在である。というのが長谷川さんのお考えです。近世俳諧を創った芭蕉、そしてそれを受け継いだ蕪村は、和歌の時代からの古典に精通し、古典を下敷きに俳句を作りました。

一方、庶民階層出身の一茶は、彼らのような古典の教養を当初は持ち合わせていませんでした。また、一茶の活躍した文化文政時代は、文化の大衆化が進展した時代でもありました。「近代」を大衆化の時代と捉えると、この時代、古典を知らずとも理解できる、簡単な言葉で素直な心情を詠んだ一茶の俳句は、最初の近代俳句といってよいのではないか。すなはち、俳句の近代化は一茶により始まったということになるのです。一茶俳句の特色である、誰にでも分かること、そして正確な心理描写は、近代文学の必須要素であると長谷川氏は言います。

しかし、一茶自身は、その点に無自覚で、そうした俳句を詠もうとして詠んだのではありません。大衆を導く為に、「写生」を提唱し、俳句の近代化を理論として打ち立てたのは、やはり正岡子規ということになります。

長谷川さんは、その後と現代の俳句の現状についても述べられました、子規の理論を継承・発展させた高浜虚子の死後、様々な俳人が様々な考えを主張するようになり、現在の俳壇には批評が失われてしまったため、全体のレベルが低下してしまっているのではないかということです。

虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」という分かりやすい方法論は、それゆえに弊害も多く、長谷川さんは、俳人飯田龍太の言葉「感じたものを見たものにする」をひいて、うまい俳句の作り方は、写生ではなく、逆に「ボーッとする」ことで、心に浮かんだものを掴むことだとも述べられました。

非常に中身の濃い充実した内容で、講演後は、今までに例を見ないほど質問が出るなど、大変好評な講演会となりました。

https://www.minyu-net.com/serial/hosomichi/FM20200406-475653.php 【【旅の終わりに】俳人・長谷川櫂さん(上) 『時の激流』どう生きるか】より

はせがわ・かい 1954年、熊本県生まれ。東大法学部卒。読売新聞記者を経て、創作活動に専念する。「朝日俳壇」選者、サイト「一億人の俳句入門」で「ネット投句」「うたたね歌仙」主宰、「季語と歳時記の会(きごさい)」代表、俳句結社「古志」前主宰、東海大特任教授、神奈川近代文学館副館長。読売新聞に詩歌コラム「四季」連載。蛇笏賞、奥の細道文学賞、ドナルド・キーン大賞選考委員。「俳句の宇宙」など著作多数。66歳。

 松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出て330年の節目に開始した連載「おくのほそ道まわり道」は、白河や須賀川、福島など県内各地をはじめ、奥州・北陸のかなたまで俳聖の足跡をたどり、名句誕生の地を訪ねてきた。そして前回「むすびの地」大垣に至り、いよいよ終幕を迎えた。この旅の余韻の中、俳人の長谷川櫂さんに、芭蕉は「おくのほそ道」の旅を経て、どう変わったのか、何をつかんだのか、この旅の意味について聞いた。

 「おくのほそ道」を紀行文だと思っている人が多くいます。しかし、これは文学作品です。芭蕉が奥州・北陸を旅したのは事実です。ただ、その旅を素材にして練り上げた文学作品と割り切って考えないと、何かもやもやしたものが最後まで残ります。「おくのほそ道」をたどる場合、純粋な旅の記録である「曽良日記」に沿って歩くと、芭蕉が書いた本文からどんどんはずれ、逆に本文通りに行こうとすると、決してたどれない場所があります。

 最初と最後に川

 さて、文学作品にはテーマがあるわけですが、「おくのほそ道」の最大のテーマは「時間の猛威」です。

 人間は皆、時間の中で生きている。そして、時間の流れによって、世の中はどんどん移り変わってしまう。人間は年を取って死に、また新しい人が生まれる。この変転極まりない人間界が、時間によって出来上がっている。そんな時間の猛威の中で、人間はどうやって生きていったらいいか、はかない人生を人間はどう生きればいいのか―。

 これは原文にはっきり書いてあるわけではありません。全体を読んで浮かび上がってくる「おくのほそ道」の壮大なテーマです。

 「おくのほそ道」の旅は、江戸の深川を出て、150日ぐらいかけて大垣に到着します。この旅の前と後とで芭蕉は、一体どう変わったのでしょう。つまり、芭蕉はこの旅で何をつかんだのか。それを探求することが、この作品と取り組むときの正面玄関だと思います。芭蕉がつかんだことによって「おくのほそ道」は出来上がっているわけですから。

 これは気付かれていないことですが、非常に分かりやすい切り口があります。「おくのほそ道」の旅は、深川から隅田川をさかのぼって始まる。一方、旅の終わりの大垣では、芭蕉は船に乗り揖斐(いび)川を下って伊勢へ向かう。要するに、川で始まって川で終わる物語です。

 川は一体何を表しているのかというと、時間の大きな流れだと考えられます。芭蕉だけでなく、鴨長明の「方丈記」も「行く川のながれは絶えずして...」と始まっている通り、日本文学において、川というのは時間の比喩です。その川に浮かぶ船というのは、人生、人間の比喩であるわけです。

 この、時間を表す川の場面で始まり終わる構成は、「おくのほそ道」で芭蕉がつかんだことを考える上で、大きなヒントになると思います。

 かるみをつかむ

 二つの場面で、芭蕉は1句ずつ残しました。出発の時に詠んだ句は〈行春(ゆくはる)や鳥啼(なき)魚(うお)の目は泪(なみだ)〉。最後の大垣で残した句は〈蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ〉。ともに、集まってくれた門人らとの別れの句です。

 別れというのは、時間の激流の中の人間が、必ず体験しなければならないことで、生き別れも死別もあります。その別れにどう対処していくか。これが、時間の中をどう生きていくのかという問題の、具体的な問いになるわけです。

 この二つの句を見比べると、明らかに感じが違います。最初の〈行春や―〉は、漢字が多く、漢詩の一節のような印象があります。最後の〈蛤の―〉は、平仮名が多く、調べも非常になだらかです。それに「ほそ道」の原文を見ると分かりますが、〈行春や―〉は1行で書いてあるのに、〈蛤の―〉は3行の分かち書き、和歌の昔ながらの書き方になっています。

 つまり、ともに別れの句でありながら、出発の時の句は非常に重たい句になっている。これに対し結びの時の別れの句は軽い句になっている。この重さの違いが、芭蕉が「おくのほそ道」の旅を続け、つかんだものなんですね。それが、いわゆる「かるみ」です。150日の旅を続けているうちに、芭蕉の句というのは、これほど軽くなったということです。

 ただ、それは単に言葉の表現―漢字が多いとか、分かち書きであるとか、調べがなだらかだとかという俳句の表現の問題ではありません。芭蕉の人生観そのものです。芭蕉は、この旅で何かを見つけて吹っ切れた。それによって、俳句が軽々としたものになっていったのではないか、と推測できるわけです。

 この二つの句によって浮かび上がる、芭蕉の人生に対する考え方の違いが、「おくのほそ道」の成果と言えるのではないでしょうか。

https://book.asahi.com/article/11645386 【切れ字が生む 沈黙の世界と対話 長谷川櫂さん】より

 言語化することで失われてしまう言語以前の世界に、言葉で触れるにはどうしたらいいか。こんな難問への答えを、俳人の長谷川櫂(かい)さん(64)が評論『俳句の誕生』(筑摩書房)で鮮やかにまとめた。鍵になるのは「切れ字」が生み出す「間(ま)」だ。

 芭蕉の句、〈古池や蛙(かわず)飛びこむ水のおと〉について、弟子の支考による『葛の松原』の記述から、「芭蕉は古池を見ていたわけではない。部屋の中での句会で、カエルが飛び込む音を聞いて作った」と分析する。

 「古池や」の「や」は間を生み出す切れ字。この1字によって、芭蕉の心は実在の空間から離れ、心の世界に浮かぶ古池、にたどりついた。それは、言葉の理屈の介在しない「空白の時空、沈黙の世界」であり、その世界でこそ詩歌が生まれる、というのだ。

 実作者としてはどのように沈黙の世界と対話しているのか。俳句を作るときの心の状態は「心がさまよっている、ぽーっとしている」という。意図してそういう状態に自らを置くこともできるが、日常生活のなかで突然、そういう状態が訪れることもあるという。他人との会話の途中や車の運転中、あるいはジムで運動しているときにも。

 2015年発表の句集『沖縄』にはこんな1句を収めた。

 《夏草やかつて人間たりし土》

 沖縄本島のかつての激戦地を訪ねた際に作った句だ。脳裏に戦争をめぐる様々な場面や言葉が次々と浮かんでは消えていった。たどり着いたのが切れ字の「や」と「かつて人間たりし土」という言葉だったという。夏草が茂る実在の風景から、死者たちの血や骨が土を覆う過去へと読者は連れて行かれ、おびただしい死を前に人間が抱く、言葉に尽くせない悲しみや怒りを受け止めることになる。

 『俳句の誕生』では、現代の俳句について〈大衆化が極限にまで進み、内部から崩壊しつつある〉と警鐘を鳴らした。〈批評と選句の能力を備えた俳句大衆の指導者だった〉高浜虚子の死後、高度成長とマスメディアの発展によって大衆化はさらに進み、批評は衰退していった、とみる。近年では加藤楸邨、飯田龍太の名を挙げ、「2人が亡くなった後には批評性を持ち、時代を代表する俳人はいなくなった」と指摘する。

 こうした厳しい批判の言葉は、自身にも返ってくるのでは。そう問うと、「言葉と俳句の歴史を踏まえ、単なる好みでない選句ができ、きちんとした評論を書く。それが批評性を持った俳人。自分はそうなりたいと思っている」と話した。

 同書は、サントリー学芸賞を受けた『俳句の宇宙』に始まる批評3部作の3作目でもある。「俳句の批評とはどうあるべきかという問いに対する現時点での答え。それがこの本です」(赤田康和)=朝日新聞2018年6月27日掲載

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