わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった

Facebook近藤裕子さん投稿記事 ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず

          ー方丈記ー

枕草子、徒然草、とともに 日本三大随筆の一つと言われる 鴨長明の〈方丈記〉の出だしの文章。

行く川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて 久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

晩年の鴨長明が過ごした小さな方丈の庵が この随筆のタイトルになっています。

鴨長明が生きた時代は 源平合戦や 天変地異など 五大災厄のあった時代でした。

そのさまは世の常ならず。山くずれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり,ーーーーー。と続きます。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて いづ方へ去る。また知らず仮の宿り、誰がために心悩まし、何によりてか目を喜ばしむ。ーーーー。

絶望感の末の無常観。まさしく今、と重なります。祈るしかない人の世。

今有る事に感謝して 今日も過ごしたいと思います。


Facebook岡部明美さん投稿記事

私たちの心は不意打ちにとても弱い。人の心はそんなにも傷つきやすいのに、痛みには予告がないのだ。

生きてゆく中で、人は幾度もこの突然の痛み、傷を経験しているから、自分を守るために鎧を着る。

二度とこんなに悲しい思いをしたくないから。二度とこんな痛みは感じたくないから。

鎧を一枚一枚重ねるごとに、人は臆病になっていく。

でも、どんなに用心深くなっても、人は、人との関わりなしに生きていくことはできないのだから、突然の傷から人は永遠に逃れられないのだ。

無傷で生きていくことができないのなら、せめて上等な傷を負いたい。

その傷が、自分を成長させ、人生をより深く生きていくために必要だったと、後で思えるような傷・・・・

『私に帰る旅』(岡部明美著/学芸みらい社)より

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【pain】

君を失った時に 手のひらから  世界も一緒にこぼれて落ちた  何も感じられない

街へ出ればいつもと同じ様に  意味のない仕事に追われて走る  何も聞こえない

二度と立てぬ痛手なのに  受け入れてく不思議だ人は  追いつけない この悲しみ

後に残して  君の部屋の窓辺に 車とめて  つくはずもないのに あかりを探す

何も見えない  思い出は 砂に書いた文字のようにあらわれてく

いつも二人 波打際 歩いていたね  もろくつよく  二度と立てぬ痛手さえも

受け入れてく不思議だ人は  追いつけない この悲しみ 後に残して、、、

作詞・作曲・歌:浜田省吾

https://www.youtube.com/watch?v=Tlo3MJfK_H4

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この曲を泣きながら何度も何度も聴いていたあの日々が

すでに遥か遠くになっていた

桜舞い散る夜、一通の訃報が届いた。心がし〜んとなった。


aribaba@1819aribaba

念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった  坂村真民

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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