https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12438734925.html 【最古の文明を遺したシュメール人とは日本の漁師さんのご先祖さま!?】より
アフリカから最初に出て行った現生人類とは日本人の直接の先祖で、男性遺伝子 Y-DNAではCまたはDを持っていた。Cは海沿いに日本列島に到達した海の民、Dは内陸部を東に向かった山の民であり、約4万年前に日本列島で再会し、旧石器時代人、そして縄文人と呼ばれ、さらに日本人として互いに仲良く現在に至っている。
特に真っ先にアフリカを飛び出した海の民が途中メソポタミアなどに立ち寄ったとすれば、世界最古の文明を遺すことが可能であり、シュメール人と呼ばれた可能性がある。そしてシュメール人は日本列島に到達して、北九州市門司区、下関市の彦島や角島などに岩刻文字(ペテログラフ)を遺している。
すなわち、下関市彦島の岩刻文字がシュメール人、すなわち縄文人(海の民)の手によるものなら、今まで日本の縄文時代には無かったとされる日本文字(神代文字)の一つが存在したことになり、神代文字の豊国文字(参考)などと比較検討せねばならない。
そうであるなら、シュメール人の末裔とは現代の日本人の漁師さん達になることになる。ただし、ペテログラフの解読結果からは、山の民と融合した日本語の祖語より前段階にあるのかも知れない。
彦島の岩刻文字(ペテログラフ)(参考)
下関市の彦島のペテログラフ(1924年に発見)の解読結果(参考)
南回りで日本列島に最初にやって来た人類は航海にたけた海の民であった(参考)ので、さらに彼らは太平洋に拡大してポリネシア人となり、さらに南米のインカやマヤの文明を作ったと考えられる(参考)。
下関市の角島のペトログラフ岩
下関市の角島の「つのしま自然館」のシュメール人?の人面石....懐疑的な意見が有るが否定し切れていない(参考)
福岡県北九州市門司区藤松3丁目2のペテログラフ(参考)
雑談
下関市豊北町の角島の対岸の地名"特牛(コットイ)"も、「神に捧げる牡牛」を意味するシュメール語の「コッテ」から転訛したと言う説もある(参考)。
参考
① 「日本人シュメール起源説」の謎(1998.1、抜粋)
・現在の歴史学が“世界最古”とする文明はシュメール文明である。シュメール文明は、シュメール人によってメソポタミアの最南部、チグリス・ユーフラテス川の下流域に築かれた文明である。
シュメール人は、遥かな古代、どこからともなくこの地に姿を現し、何の手本もなしに、独力で人類最初の文明を築き上げ、今から4000年前、突然その姿を消してしまったとされる。
・20世紀になって欧米考古学者、言語学者、オリエント史学者によって解読され始めたシュメール人の文字と言語は、次のようなことが明らかになっている。
【1】シュメールの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立した
【2】シュメール文字は現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ
【3】シュメール文字は子音のみならず母音をも記す(シュメール周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記する)
【4】シュメール語は膠着語である
※ 日本人は漢字仮名まじり文章で生活しており、日本語の文法は膠着語(にかわで接着するの意で、テニヲハの接着語によって単語がぺったりとくっつくさまを示す)系統に属する。さらに日本語は、母音が非常に強調される特色がある。
・日本において、シュメール文明についての研究は、戦前早くから進められてきた。「スメル学会」や「バビロニア学会」が組織され、何冊もの研究報告が出版されていたのである。
だが、そんな研究報告の多くがあまりにも驚異的な内容を含んでいたので、戦後の“実証主義”の歴史学のなかで、ほとんど故意に抹殺されてしまった。そこに共通する論点が、だれもが予想もしないような「日本人シュメール起源説」だったからである。
もっとも、それを最初に唱えたのは日本人ではなかった。元禄時代、日本にやってきたドイツ系のオランダ人歴史学者ケンペルである。日本の歴史を研究した彼は「高天原はバビロニアにあった」とし、「日本人は、はるか西方のその源郷から渡来した」と提唱したのである。
・原田説は論拠として「シュメールの日の神ウト、海の神ヤーなどが、広く日本で崇拝された痕跡があること」、「創世神話、イシュタル女神の冥界下りなど、シュメール神話の多くが、日本神話に取り入れられていること」、「古事記のイザナギノミコトの服装が、シュメール君主の服装に合致すること」、「シュメール人は元来海辺の民で、航海術にたけていたこと」、「日本語の地理的名称にシュメール系の言葉が多いこと」──などをあげている。
・三島氏によれば天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いずれも“天から降られた神”を意味している。とすれば、古代の日本に天皇をいただいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──ということになる。
② シュメール人の謎(参考)
「日本人はどこから来たのか」 寺社仏閣 古墳 日本人はどこから来たのか。寺社仏閣、古墳など史跡をめぐりながら考える
・シュメール文明
歴史学で世界最古とされるメソポタミア文明。これは現在のイラク、チグリス川、ユーフラテス川の間に栄えました。そのメソポタミア文明の中でも初期、紀元前3800年~3500年頃に興ったのがシュメール文明です。
出土したシュメール文明時代の像。当時のシュメール人を象ったものなのであろうか。異様に目が大きくグレイのようです。
シュメール文明は、シュメール人によってメソポタミアの最南部に築かれましたが、不思議なことにこのシュメール人というのが出自不明の民族でどこからやってきたのか判っていません。そして突然現れた彼らは、その後の文明にも引き継がれてゆく高度な発明を次々に遺します。彼らの多くの発明によりそれ以前と人類の生活は一変してしまったのです。
例えば1分は60秒、1時間は60分という60進法もシュメール文明の発明とされます。天文学が発達していたため12か月の倍数かつ両手の指の10本という数の最小公倍数から来ていると言われています。
このシュメール文明の遺構から数万点にも及ぶ粘土板が発掘されており、文字が記されており、今も解読が進められています。その解釈には様々あるようですがこれらをシュメール文書と呼びます。中には神話も書かれており、そのシュメール神話には、天空神アヌを頂点として多くの神々が語られています。この神々の総称をアヌンナキと呼びます。神話以外にも当時の文明レベルを知る手がかりが秘められています。
粘土版のシュメール文書の解釈の中でもゼカリア・シッチン(1922~2010)という研究者が発表した訳文は大変な注目を集めることになりました。以下のようなものです。
・神々は別の惑星からやってきて、猿と自分たちの遺伝子を合わせて人間を作った 。
・肉眼では見ることのできない冥王星や海王星について、既にそれはの知識があったと思わせる点があった 。
・ニネヴェという都市で見つかった粘土板群から、ニネヴェ定数という甚大な数値(195兆9552億)が出てきた。この数値は、地球の歳差運動の周期で割り切れると同時に、様々な惑星の公転周期で割り切れる数だった。本当だとすると、古代人が先端的な天文学の知識を有していたことになる。
おおよそこのようなものです。文書の解釈については諸説あるので慎重になるべきですが、このような内容の文書が本当に紀元前40世紀に書かれたとなると無視できるものではありません。
神が人間を創造した。
現代の宗教でもそう信じる者がこれだけ多いわけですから、古代に同じような考えがあり、それを粘土板に記したとしても何の不思議もありません。しかし出自不明でどこからともなく突然現れ高度な文明を築いたシュメール人、彼らが自分たちの事を「混ざり合った人」と呼び、別の星から来た存在によって猿と遺伝子を掛け合わされて創られたと信じていた、、、あまりにもリアルな話に震えますね。。
このシッチンという学者の説、詳細にはどのようなものなのでしょうか。
③ アフリカから最初に出てきた現生人類は日本人であり、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布していた旧人類のネアンデルタール人とも最も深く付き合った(参考)。
④ 日本全国の神代文字を刻んだペトログラフは海の民(現在の漁師さん)の海人族安曇氏によるものか(参考)
⑤ 下関市の彦島に世界最古の文明を作ったシュメール人のペテログラフ(岩刻文字)を刻んだ岩がある
http://nozomigakuen.lekumo.biz/blog/2019/03/post-5baf.html 【聖徳太子の地球儀】より
前回、日本語のルーツがシュメール語という「トンデモ説」を書きましたが、モンゴル語と日本語は文法が似ているので、単語さえ覚えればなんとかなると司馬遼太郎が言っていました。司馬遼太郎は今の大阪大学のモンゴル語学科で学んだので、ある程度真実でしょう。モンゴル語なら「トンデモ説」にならないかもしれません。ただ、文法や語順が似ているからと言って、ルーツと言えるかどうかは疑問です。日ユ同祖論というのもあります。「ユ」はユダヤですね。これは「トンデモ説」ですかね。
大阪城の博物館にある屏風絵に長篠合戦を描いたものがあり、信長の家来の中に六芒星の紋の入った羽織を着ているものが何人かいます。安倍晴明の家紋は五芒星で有名ですが、六芒星は晴明のライバル蘆屋道満の家紋です。晴明との術比べに敗れたあと、道満は在野の陰陽師となったらしい。その子孫として土師氏などがあり、それらが信長の家来になったと思われます。戦場に出ているのは、「気象士」としての役割だったのかもしれません。一方の信長は、源平交替思想で、清盛の平氏、頼朝の源氏、平氏である北条氏、源氏の足利のあとを継ぐために平氏を名乗ったようですが、元は越前の織田剣神社の神官の家系で、越前守護の斯波氏の守護代になりました。尾張も斯波氏が支配していた関係で織田氏も尾張に移ったのでしょう。本来は藤原氏か忌部氏だと言われています。忌部氏であるなら、朝廷の祭祀を担った一族なので、陰陽師とのつながりもありそうです。ところが、なんとこの忌部氏が実はユダヤ系だという「トンデモ説」があるのですね。で、ユダヤの王家の紋章が六芒星です。ダビデの星として今のイスラエルの国旗にも描かれています。ここで、信長の家来に六芒星軍団がいることとつながってしまうのです。
日ユ同祖論というのは、古代イスラエルの十二支族のうち、十支族が消えてしまったのですが、そのうちの一つが日本にやってきた、というやつです。秦氏の正体だという説もあります。今の京都のあたりをねじろにした一族で、その本拠地が「太秦」と書いて「うずまさ」と呼ぶところです。東映の撮影所のあったところで、今は映画村になっています。中国経由で秦の始皇帝の子孫というふれこみでやってきたらしいのですが、もっと西の方のにおいがします。秦氏の基を築いたのは「弓月臣」と言われていますが、中央アジアには「弓月国」がありました。秦氏の氏寺である広隆寺にある井戸が「いさら井」と言うのは「イスラエル」の音と似ています。八坂神社も古くは祇園社と言いましたが、ユダヤの民にとっての聖地「シオン」に「祇園精舎」の「祇園」の字をあてたのではないか、とも言われています。祇園祭が国際色豊かなのも、そのこととなんらかのかかわりがあるのかもしれません。
さらに諏訪の地にまでユダヤの民族が行き着いたということで、諏訪の祭りとユダヤ教の神事との類似点が指摘されます。ユダヤでは羊を生け贄として神にささげたのですが、日本には羊がいないためなのか、諏訪では鹿の頭をささげます。ご神体が守屋山でそれをまつっていたのが守矢氏、聖書でアブラハムが行ったのはモリヤ山。七年に一度の大祭、御柱祭りは、樹齢百年以上のモミの大木に人々がまたがって、急斜面をすべりおりてくるやつですね。けが人は言うまでもなく、死者さえ出すことがある、危険きわまりない奇祭ですが、これもソロモン王が神殿を建てたときの故事と結びつくとか。ただ、「似ている」というのは根拠としては実は弱い。英語の単語のいくつかに日本語と似ているものがあったからと言って、同じ起源をもつものとは言えません。
聖徳太子もキリスト教との類似がよく言われます。馬小屋で生まれたとされるキリストに対して、うまやどの皇子という名もあやしいといえばあやしいし、どちらも「復活」しています。太子の母は、救世観音が口から胎内にはいって、太子を身ごもったという話もありますが、これはキリスト誕生なのか、お釈迦様なのか。摩耶夫人も白い象が胎内にはいる夢を見て懐妊したとか。むかしの聖人には、そういう伝説がくっついてくるのでしょうか。そういえば、キリストも若いころの十何年間は、何をしていたかわからない空白の時期とされていますが、なんとその間、キリストは仏教の僧になって修行していたという、大胆きわまりない説もあります。キリストが誕生したときにやってきた東方の三博士も、実は仏教の僧だったとか。そこまでいかなくても、聖徳太子はむしろお釈迦様とのダブルイメージがあると言っていたのは梅原猛です。
ただ、この時代、ネストリウス派のキリスト教が中国にやってきているわけですから、小野妹子がキリスト伝説をもってきていても不思議はありません。斉明天皇となると、キリスト教どころか、ゾロアスター教の影響を受けていたのではないか…というのが松本清張説です。『火の路』という小説仕立てにしていますが、説得力がないわけでもない。飛鳥にはいくつか妙な石造遺物が残っています。酒船石とか、亀石とか猿石とか。益田磐船というのもあって、これはゾロアスター教の拝火壇なのだとか。『続日本紀』には「波斯人」が日本に来たという記述もあり、これはペルシャ人のことなので、ゾロアスター教が伝わっていてもおかしくないのだそうな。これはNHKでドラマ化されました。主役は栗原小巻で、芦田伸介も重要な役どころでした。
東大寺二月堂のお水取りもゾロアスター教とのかかわりを言う人がいます。正倉院にはペルシャ由来の文物も数多くあるのですから、これも可能性なしとは言えません。松明が燃えさかる光景がよくニュースで流れますが、東大寺修二会というのは、火と水の儀式であり、火だけでなく、水や土を大事にするゾロアスター教と結びつきそうです。伎楽だって、古くは「くれのうたまい」と言いましたが、外国の代表として「呉」と言っているだけで、むしろ「胡」でしょう。インドかペルシャあたりのものが中国経由でやってきたと考えられます。そもそも唐自体がシルクロードを通じてペルシアのあたりとつながっているのですから、影響があってあたりまえです。オーパーツより可能性が高い。これは「時代錯誤の遺物」「場違いな工芸品」と訳すのでしょうか。なぜ存在するのか、どのようにして作ったのかわからない遺物で、未知の超古代文明の証拠とかいわれます。ムー大陸が描かれている地球儀なんて、いかにもうさんくさいでしょ。
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