野の花を見よ

Facebook新田 修功さん投稿記事 · 明け渡し……⁉️🤗🙏

賢者の一言 山川亜希子

あまり自分で選択しようとしなくても、「そのときどきに宇宙が与えてくれるものを受け取ろう」という生き方でしょうか。

そんな生き方も少し、あなたの視野に入れてみてください。

「出会った人が運命の人」より

………………………………✨✨✨

レベルの高い賢者の皆さんは、ほとんどこの「明け渡し」について言及されています。

小林正観さんも、「おまかせで生きる」ことを提唱されていました。

以前もご紹介しましたが、マイケル・シンガーさんは「サレンダー」という本の中で、「明け渡しの実験」なるものを修行として取り組まれて、自分の好き嫌いで物事を選択することをやめて、流れのままに身を委ねるとどうなるかという実験をされました。

その結果、思ってもいなかったような成功を手にされています。

ノンフィクションの体験談なので、一気に楽しく読めてしまいますよ。

日本の諺にもありますね。

「下手な考え休むに似たり」🤣

今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕


https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12443819519.html 【「神様におまかせで生きる」と花一面の春が運ばれてくる。】より

愛する魂の冒険者たちへ霊感が開かれると五感も自ずとはらはらと開いて

なんとも美しく芳しい花びらが現れます。

みんなで世界に花一面の春を運びましょう!

(香咲弥須子さんの言葉)

僕は幸運にも、幸せな大富豪の皆さんや、成功者の皆さんに、取材などでお目にかかり、お話を聞いたり、雰囲気を感じたりする機会に恵まれてきました。

それでわかったことの一つ。

それは、そうした方達は誤解を恐れずにいえば「信仰心」を大切にしている、ということでした。

自分は自分で全力を尽くして生きるけれど、「おまかせの境地」にも至っている。

自力を超えたところは宇宙を信頼して、ゆだねているんだなあ・・・

そして、生きることを楽しんでおられました。

目に見えない、神様、天使、精霊、ホーリースピリット、根源の存在、そうしたものを信じていく。守ってくださること、愛してくださることに感謝する。

そうすると、不思議なことですが、「ご加護」を受け取れて、いろんなことがうまく運ぶようなんです。

冒頭の一文と、以下の文章は、

NY在住の作家・講演家で、国際的に活躍する香咲弥須子さんによる

「ホーリースピリット」についての文章です。

何度か読んでいると、突然、文章の奥にある、意味が現れてくる、不思議な文章です。

以前にも載せましたが、ご好評につき再度、載せさせていただきますね。

〜〜〜

私たちの心には、こんなにも愛されていると知っている場所があります。

愛されている、守られているということを確信しているということは、すなわち全てを知っていると言うことです。それはまた完璧な安らぎでもあります。

ホーリースピリットとは何でしょうか。ガイド、天使、精霊、などと、呼び方を変えても結構です。どれも同じもの、どれも同じ、真実のメッセンジャーです。

「奇跡のコース」ではこう言っています。

ホーリースピリットは、幻想と真実の間の、仲介者です。

ホーリースピリットは、「実在」と「夢」の間の隔たりに、橋をかけます。

神がホーリースピリットに授けた恵みを通して、知覚が、叡智へと運ばれます。

その恵みとは、真実を求めてホーリースピリットを頼ろうとする、すべての人に対する、ホーリースピリットからの贈り物なのです。

あなたが自分で作り出した、自分自身についての恐ろしいイメージや数々のドラマ、

誰かについての恐ろしいイメージやドラマの代わりに、ホーリースピリットが与えてくれるものを受け取ってください。

ホーリースピリットは求める意欲があれば誰にでも感じられます。

そして、どんな問いかけにも答えてくれます。

ホーリースピリットと共に生きる生き方は、「自分1人で生きる」と意気込む生き方とは違っています。

1人ではないことを知っている生き方です。

いつも一緒に歩いてくれる存在がいることを感じ、その存在と語り合いながら生きる生き方です。

(「『奇跡のコース』ほんとうの自分を思い出す瞑想ガイドCD」より)

これは香咲弥須子さんの瞑想CDに収録された言葉です。


https://fdpalette.jimdofree.com/2018/12/25/%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6-%E7%A5%9E%E6%A7%98%E3%81%A8%E6%89%8B%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%94%E3%81%86/ 【はだかんぼうになって、神様と手をつなごう・・】より

『あたま』と『こころ』と『からだ』を重くするような『石』と『風船』を、パァ~っと手放して・・

『ありのままのはだかんぼう』になって、神様と手をつないでダンスを踊ろう!!。

『石』は・・

『〇〇になったらどうしよう』という『不安』や『心配』や『不信』

『〇〇であらねばならない』『▽▽してはいけない』『〇〇は◇◇というものだ』という『ルール』や『教え』による『抑圧』や『禁止』

『過去』の『失敗』や『過ち』による自分を責める『後悔』や『罪悪感』や自分をおとしめる『自己卑下』

『過去』に自分自身や家族やたいせつな人の『こころ』や『からだ』を傷つけられたことによる『怒り』や『憎しみ』や『恨み』

であり・・

これらが『無意識』のうちに、ぼくらの『あたま』を悩ませ『こころ』を重くし『からだ』を不調にさせて『今、ここ!!』を生きられなくさせてるよ。

『風船』は・・

『〇〇でなければ、イヤだ』『〇〇でなければ、しあわせになれない』という『思い込み』や『執着』

失ったものや無くしたものへの『執着』や果てしない『悲しみ』や『喪失感』

であり・・

これらが『不満』や『欠乏』や『悲しみ』ばかりをつのらせ、目の前にある『しあわせ』や、やってくる本当の『しあわせ』を気づけなくさせ『無意識』のうちに『苦しみ』ばかりを感じてしまい『今、ここ!!』にある『しあわせ』に『感謝』できなくさせているよ。

実は・・

この『石』は辛い『過去』からやってくる『おそれ』や『苦悩』や『罪悪感』であり、この『風船』は『未来』にかなえたい見果てぬ『野心』や高い『理想』であったり『過去』からひきづっている『執着』だったりして・・

たいての人はこんな『石』や『風船』を『無意識』のうちに、にぎりしめていて、目の前のことに集中しているつもりでも、半分ぐらい『うわの空』になっていて『モヤモヤ』『イライラ』『ビクビク』『ドキドキ』しながら『今、ここ!!』を完全に生きていなかったりするよ。

さらに・・

まわりの人に嫌われたくない、仲間はずれにされるのがこわいから、すこしでも素敵な自分やいい人でありたいと思ってしまい、人の目を気にせず『ありのままのはだかんぼう』のまま生きることができない人がほとんどだよね。

でも・・

こうして『本当の自分』にウソをついて『偽りの姿』でいようとしていると『魂』でもある『命』を殺しているのと同じになり『からだ』と『こころ』は苦しくなってしまうんだよ。

こんな『石』や『風船』をにぎりしめ『偽りの姿』の自分でいると『あたま』と『こころ』と『からだ』はスッキリせず、重く苦しくなってしまうんだ。

なので・・

この『石』と『風船』を手放して、あいた両手で神様と手をつないでごらん!!。

自分にウソをつくことをやめて『ありのままのはだかんぼう』の自分になって、神様とダンスを踊ってごらん!!。

そうすれば・・

『あたま』と『こころ』と『からだ』を重くするものを手放すことができ、スッキリして『今、ここ!!』を生きられるようになるよ。

この世は、何が起こるかわからないものだし、なるようにしかならず、なるようになってしまうもの。

だから・・

どんな『状況』や『環境』にあったとしても、まずは一旦、受けいれて・・

今、目の前にあるする必要があること、したいこと、自分にできることに『こころ』をこめて、精一杯、やったら、あとはもう、神様におまかせしてしまおう!!。

あのね・・

海でおぼれそうになったとき『パニック』になって『バタバタ』して、自分の力だけで、なんとかしようと必死にもがけばもがくほど『ブクブク』沈みやすくなってしまうこと知っていた?

むしろ・・

すこしだけ『こころ』を落ち着かせて、深呼吸したら『もう海に身をまかせよう・・』と、全身の力を抜いて、空を見上げ胸を大きく開くと、体がプカ~っと浮いてくるんだって・・

そしたら、手足をめいっぱい広げて『背浮き』という状態になり、できるだけゆっくりした呼吸を繰り返しながら『浮いて待て!!』の体勢のまま、静かに潮の流れに身をまかせていると、どこかの岸にたどりつくことができるんだって。

このときする必要あることは、落ち着いて全身の力をぬいて仰向けになったら、あとは『生きて還る』という『希望』を持ち続け、ゆったりした呼吸を繰り返し、神様を信じきって『安らいでいれば』いいんだって・・。

もし・・

どうにもならない『ピンチ』にみまわれ『苦しさ』や『辛さ』に耐えきれず押しつぶされそうになってしまったら「エ~~イ、もう、どうにでもなれ、神様におまかせしま~~す!!」という開き直りの『境地』になってしまえると・・

海におぼれそうになったときと同じように、神様に救ってもらえるということなんだ☆。

こいうことを『諦観(ていかん)の境地』ともいうよ。

もはや・・

自分の『意思』でなんとかすることはできず『自然』の成すがままにまかせるしかないという感じで『もう、自分ひとりでなんとかしようとすることをあきらめた、や~~めた!!』って感じで・・

ジタバタしたり抵抗したりせず、すっかり『現状』や『環境』を受けいれてしまえば、むしろ、穏やかにいられるから、自然に『いい方向』に導かれていくという感じだよ。

ぼくロンパーの『諦観』の解釈は・・

この世には『光』があれば必ず『影』があり、『表』があれば必ず『裏』もあって、いいことが起きることもあれば、悪いことだって起きてきてしまう・・どちらか一方を無くすことはできないってことなんだ。

だから・・

いくらイヤなことであったとしても、それを抹消することはできないんだから、それをなくそうとすることを諦(あきら)めて、そのことを認めて受け入れて、よく観ながら・・

目の前のする必要あること、したいこと、自分にできることに精一杯、励んでいれば、イヤなことはそのうちどこかに消えていってしまうという感じだよ。

『光』が『影』を観ている

つまり・・

『光』も『影』もあるのがこの世のなかであり・・

すべてがあって『オールOK!!○(まる)』ってことがわかるようになれば『光』が『善悪の判断』を超え『影』をただ観ていることで『陰陽の統合』がなされるということなんだ。

あと・・

『諦観(ていかん)の境地』は『人事を尽くして天命を待つ』とも関わりがあって・・

どんなことでも、努力したり、祈ったりしてきたことが、どんな『結果』になろうとも『こうなったのも自分がまいた種が因をなしているのだろうし・・』または『これも天のさだめ』として『魂』を成長させてくれる『ありがたい』ものであると、受けいれられると『胆』がすわり『もう、こわいものなどない!!』という境地になれるってことなんだと感じているよ。

すると・・

助けてくれる人が現われたり、しばらくしているうちに『現状』や『環境』が上向きになり、なんとかなるんだ☆。

つまり・・

今までのように『あたま』をつかってあれこれ考え、何かを得ようとしたり、何者かになろうとすることをあきらめたおかげで『自我』や『執着』から解放され・・

なにものにも囚われなくなり・・

神様の『守護』のもと『自由』で『安らいだこころ』のまま、神様が望まれている姿になっていけるということであり『本来の姿』の自分にもどり『自然に還っていく』ことができるようになるということなんだ。

ここでいう、何かを得ようとしたり、何者かになろうとするのは・・

成功

お金持ち

ステキなパートナーや家族がいる

地位や名誉がある

立派な人柄

美しい容姿など・・

人からうらやましがられる人になろうとすることであったり・・

人から嫌われない人になろうとしたり

ものごとを自分のおもいどおりにしようとすることであり・・

これらのことにぼくらは、いつだって囚(とら)われてしまうんだ。

もちろん・・

人からうらやましがられる人になろうとすることは少しも悪いことではなく、そのために努力することは素敵なことではあるけれど、そのこと  ばかりに囚われてしまうと『本当の自分』を見失ってしまうことがあるってことなんだ。

すると・・

『あたま』と『こころ』と『からだ』はスッキリせず重く苦しくなってしまうだ。

でも、もし・・

あらゆる囚われから自分を『自由』にしたいのであれば『石』と『風船』をにぎりしめていた手をパァ~っと放して、あいた両手で神様と手をつないで・・

自分にウソをつくことをやめて『ありのままのはだかんぼう』の自分になって、神様とダンスを踊ってしまえばいいんだ☆。

もう『不安』や『心配』や『不信』も『罪悪感』も、背負っている『苦悩』(依存関係にあるもの)も手放し『図太い神経』をもって『気』を楽にして、すべてをおおいなる神様におまかせしてしまえば・・

要らない『プライド』もすっかり捨てられて、どんな自分でも『卑下』せず『ありのままのはだかんぼう』でいることに寛いでいられるようになるから、自分にも人にもウソをつかずに『こころのまま』に自由に生きられるようになるんだ。

だから・・

もう『ありのままのはだかんぼう』の自分でいい!!・・と『覚悟』を決めてしまえばいいんだよ。

そうして・・

神様がさしだしてくれるどんなものでも『ありがたく』いただくことができれば、自然の『流れ』のままにあるだけで『本来の姿』の自分にもどることができ『自分らしく』しあわせに生きていけるようになるよ☆。

あのさ・・

自然界の『生き物』たちは、ありとあらゆる変化のなかで、どんなに厳しい『状況』や『環境』におかれたとしても、それも、自然(神様)があたえてくれる『無条件・無償の愛』としてありがたくいただき『ありのままの姿』を美しく輝かせ『命』を嬉々と燃やしながら、さまざまな『進化』をとげてきているよね。

これは、まさに・・

シンプルにナチュラルに神様に身をまかせ『はだかんぼうになって、神様と手をつないでいる』ということなんだ!!。

だから・・

ぼくらも、どんなに辛く苦しいことがあったとしても、そこには、必ず『魂』を成長させてくれる『気づき』や『学び』があり、自分を強く賢くする『チャンスとチャレンジ』があるんだとおもえれば『失望』することなく『夢』や『希望』をもちながら・・

今、目の前にあるする必要があること、したいこと、自分にできることに『こころ』をこめて、精一杯、やり続け『だいじょうぶ・だいじょうぶ!! すべて、うまくいく!!』という『境地』になって、神様に身をまかせていれば、神様が自然な『流れ』をつくってくださるから、それにポ~ンとのってしまえばいいんだよ。

こうやって自然の流れのままにあると『魂』は『進化』をとげることができるんだ。

ここで、ひとつ補足しておくね・・

『夢』や『希望』と見果てぬ『野心』や高い『理想』は、大きく違っているよ。

『夢』や『希望』は、自分が好きなことや得意なことを楽しんでしていると、自分の『種』のなかにある『特質(個性・才能)』が活かされ『しあわせ』に生きられるものだんだ。

だけど・・

見果てぬ『野心』や高い『理想』は、自分のもっている素晴らしい『特質(個性・才能)』に気づくことができず、人がもっている『特質(個性・才能)』を素晴らしいと思い込み、自分も「あんなふうになりたい・・」と、むなしい努力を重ねたり『理想』を追い求めることをいうよ。

『本当の自分』ではなく、自分にウソをついて『偽りの姿』になろうとしているから『しあわせ』を得るどころか『苦しみ』を感じるようになり、神様があたえようとしてる『愛』や『贈り物』もいただくことができなくなってしまうんだ。

だから・・

ぼくら人間も、自然の一部であり自然界の『生き物』たちと同じなんだってことに気づいて『自然のルール』にしたがい、神様に身をまかせていれば『本来の姿』にもどり『自然に還る』ことができるってことなんだよ。

こんなふうに自然に身をまかせることを『無為自然』というよ。

『無為』は『意図や作為のないさま』という意味で『無為自然』は『なんら作為をせず、あるがままの状態』のことをいうんだって・・。

自然界の『生き物』たちは、みんな自然の恩恵を受けて生かされ、なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為し『イキイキ』暮らしていているよね。

これが・・

『作為的なことはなにもせず、ただそこに存在しているだけですべてを為している』ということであり『無為自然』にあるということなんだよ。

人でいえば『悟りの境地』に達することができると『無為自然』にあることができるんだって・・。

『悟りの境地』というと、なにやらとても難しいことのように感じるけど・・

幼かったころのきみを思い出してみて・・

いつでも『あたま』はからっぽで『こころのままに』素直に正直に『今、〇〇した~~い』とおもったら、何も考えずに、したいことをして、目の前のことに、いつも『集中』していたよね。

『自分の力』だけではできないことは、お母さんやお父さんや近くにいる人に手伝ってもらったり、助けてもらったりして・・

どんなに小さなことでも楽しみを見つけて、精一杯、今を生きていたよね。

こんなふうに、素直に正直に『ありのままの自分』を『無邪気』に生きているだけで、お母さんやお父さんの『無条件・無償の愛』によって生かされ、安心していられることが『悟りの境地』に近いともいえるよ。

こうして・・

『無邪気』なこどものように生きていれば、すべてが自然に為され、きみにとって一番、いいように神様がしてくださるから、安心していてだいじょうぶ!!・・ってことなんだ。

でも、もし・・

すこしでも『このままでいいのかなぁ~?』とか『したいことだけしていて、だいじょうぶかなぁ~?』と疑いの『こころ』をもってしまうと、神様は、さっと手を放してしまうから、気をつけてね!!。

なぜなら・・

神様と手をつなぐということは、神様を『信じきる』ということだからだよ。

信じれば信じるほど、そして、安らげば安らぐほど、楽しい気分になって『ワクワク』すればするほど、神様と強い『信頼関係』ができるよ☆。

でもね、これって、実は・・

自分のもっている『個性』や『才能』の『素晴らしさ』と『強さ』をきみがきみ自身で信じきってあげられるかどうか?ってことでもあり・・

『ありのままの自分』になることで人に嫌われてしまうことを『おそれ』たり、自分が好きなことをするだけで失敗せずに『自立』できるか『不安』におもう気持ちをすっかり手放すことがたいせつになるよ。

もし・・

『本当の自分』を押し殺したまま生きるのが苦しすぎるのにこのまま我慢するか・・それとも、崖からポ~ンと飛び降りるほどの『勇気』を迫られ『本当の自分』を生きるかの『選択』をせまられたら、きみならどうする?

すごくすごく『勇気』がいることかもしれないけれど、崖から飛び降る(もちろん、本当に崖から飛び降りることではないからね・・)と決めると、いつの間にか羽ができて『本当の自分』を自由に生きられるようになるよ。

そうすれば、ずっと『楽に』生きられるようになるんだ。

だから・・

力(りき)んで抱えていた『石』も、にぎりしめていた『風船』も手放して『楽に』なってごらん!!。

『あたま』であれこれ考えることをいっさい、やめて『今、ここ!!』を生きることと『ワクワク』楽しくなることだけに『専念』していれば・・

神様が手をにぎってくださるから、あとは『ありのままのはだかんぼう』になって『ルンルン気分』でダンスを踊っていればいいんだよ。

そしたら・・

もうこわいものなしだよ・・なにしろ、神様と手をつないでいるんだから・・☆。

とはいっても・・

簡単にそうできないから、この世で生きるのは、たいへんだったりもするんだよね。

でも、だいじょうぶ!!。

そんなときは、自然に触れるといいよ。

ぼくらは自然のものなんだから、自然のなかで『五感』をすましていると『あたま』が静かになって、神様と『ひとつ』になりやすくなるから、もう、あれこれ考えることをやめて自分を解き放ってあげよう!!。

『あたま』と『こころ』と『からだ』を重くするような『石』と『風船』を、パァ~っと手放して・・

『ありのままのはだかんぼう』になって、神様と手をつないでダンスを踊ろう!!。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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