Facebook藤島 寛高さん投稿記事「鳥居」と「命」の意外な関係

豊国文字では、「○○の命」の「命(みこと)」を意味する、特殊な文字が存在します。

それが、鳥居の形にそっくりなのです。(画像参照)

豊国文字は、象形文字であり、自然界に存在するものの形を、そのまままねて文字にしたとありますから、ニニギの命の時代にはすでに鳥居があったことになります。

(豊国文字がニニギの時代に作られたことは前回記事のとおり)

つまり、「命」と呼ばれるほどの立派な人物の宮殿や、神様のお社には、入口に鳥居のようなものが立てられており、鳥居の形を見れば「ああ、偉い人のことね」と誰もがピンときたということが、これで分かります。

逆にいえば、神社がユダヤ由来であるという説や、怨霊を封じ込めるために鳥居が建てられたという説は、間違いであることになります。

この「命」が、現在でも「敬称」という形で残っているのは、自分以外の存在を、敵視することなく、見下すことなく、まず尊敬をもって接するという精神姿勢から来ており、外国人であっても「○○さん」と呼ぶことが、日本人の最大の長所であるといえます。

これさえあれば、世界から戦争は無くなると思うのですが・・・・

つまり武器は不要であるということですね。


https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/jinja_no_namae/torii 【鳥居について】より

私たちが神社にお参りをするとき、まず鳥居を目にします。鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物ともいえます。鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神様がお鎮まりになる御神域として尊ばれます。また、特定の神殿(本殿)を持たず、山など自然物を御神体、または依代よりしろとしてお祀りしている神社の中には、その前に鳥居が立てられ、神様の御存在を現すものとして重視されています。

鳥居の起源については、天照大御神あまてらすおおみかみが天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。

鳥居は、その材質・構造も多種多様で、それぞれの神社により形態が異なります。一説には六十数種類の形態があるともいわれており、代表的なものとしては、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明しんめい鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神みょうじん鳥居があります。このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風はふのついた山王さんのう鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。

起源や形態などさまざまではありますが、鳥居を見ると神聖さを感じるのは、我々日本人の共通した考え方ではないかと思います。


https://news.mynavi.jp/article/20121226-a166/ 【神社に必ずある「鳥居」 その起源を皆さんはご存知だろうか】より

 お正月の初詣で神社の鳥居をくぐった人も多いだろう。ところで鳥居の起源とはそもそも何なのか。

 鳥居の起源は諸説ある。神社の門を「通り入る」が転じて「とりい」になったとする説や、天岩戸に籠ったアマテラスを誘い出すために神々が鳴かせた常世長鳴鶏(とこよながなきどり)の止まり木に由来するという説。

 また、柱を神々が降臨する依代と考えることと鳥居を結び付ける説などもある。その形は60以上あるといわれるが、横木が直線の「神明鳥居」と、横木が反り返った「明神鳥居」に大別される。

※週刊ポスト2013年1月1・11日号


https://lambda-domain.com/ryo1blog/kami-mikoto/ 【神と命(みこと)の違い】より

今回は番外編ですが気になったので少しだけ触れておきます。

天地のはじめでは伊邪那岐、伊邪那美は「神」であった。一方、島々の生成では「命」になっている。

使いわけているからには意味がありそうである。

神 (神道) - Wikipedia

「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものである。例えばイザナギ・イザナミは、現れた時の神号は「神」である。別天津神より「国を固めよ」との命令を受けてから「命」に神号が変わっている。その他、『古事記』では特定の神格についてはそれぞれ神(かみ)なのか命(みこと)なのか決まっている場合がほとんどで、きっちり使い分けされているが、『日本書紀』では全て「ミコト」で統一した上で、特に貴い神に「尊」、それ以外の神に「命」の字を用いている。

特に貴い神には大神(おおかみ)・大御神(おおみかみ)の神号がつけられる。また、後の時代には明神(みょうじん)、権現(ごんげん)などの神号も表れた。

その他ネットで見るかぎり霊的存在としての「神」と働き(体)としての「命」という違いがあるようで、神のほうが命よりも上位とされるようである。「霊」は「体」よりも上位ということだと思われる。

ミコトを「ミ」と「コト」にわけると「ミ」は御、身、「コト」は事や言、などになるので上の解釈のようになるとのこと。日本語というのは一文字、二文字の「音」に多くの意味があるので意味が重複している。普段はあまり意識しないことである。

天地のはじめのところは簡単にまとめただけであったが、これらの神々の名前そのものにも意味があるようでそれを理解するのは大変である。古事記は深く読もうとすると神道や言霊などに関連がでてくる。

とはいえ深入りすると収拾がつかなくなりそうなので将来の課題として今回はここまでとします。

https://zatugakuunun.com/yt/gyoukai/2415/ 【日本の神様の名前に「みこと」が付く理由】より

日本には日本武尊(やまとたけるのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)など

神様の名前には「みこと」がついています。

なぜ日本の神様には「みこと」がつくのでしょうか?

みことの意味

ヤマトタケル

引用元:wikipedia「ヤマトタケル」

「みこと」とは「御言葉」「御行為」という意味。

みことの「み」は尊敬の意味を表す接頭語で「こと」は「言」「事」の意味があります。

なので、「言葉」「行為」の意味が考えられ「みこと」とは「御言葉」「御行為」という意味になります。

発言、行為をなさる神という意味から神様の敬称として、神様を「みこと」と添えて呼ぶのです。

みことの漢字

命 尊

神は尊んで呼ぶので「尊」、神の御言葉=御命令という意味で「命」が付けられている。

「みこと」には日本武尊には「尊」、大国主命では「命」の漢字があてられている。

「尊」「命」については日本書紀に

【大変貴い(たっとい)お方は「尊」といい、それ以外は「命」といい、共に「みこと」と呼ぶ】

と書かれています。

神は尊んで呼ぶ言葉なので「尊」をあてられ、

神の御言葉は御命令と同じ意味なので「命」とそれぞれあてられているのである。


https://ugaya.jimdofree.com/2017/03/21/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%95%E3%81%A8%E8%B1%8A%E5%9B%BD%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E3%81%9D%E3%81%A3%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AA%E4%BB%B6/ 【ヒエログリフと豊国文字がそっくりな件】より

このことを最初に指摘したのは徳政金吾氏であり、その著書『古代埃及と日本』のなかで「日本人エジプト起源説」を展開しています。

つまり「日ユ同祖論」ではなく、「日エ同祖論」だというのです。

そして、この説を支持しているのが、ウエツフミ研究の第一人者・吾郷清彦先生です。

その著書「古史精伝ウエツフミ 付録」のなかで、「サ・チ・ト・ヒ・yi・ヨ・ラ・ロ」の文字がそっくりであると指摘しています。(右図参照)

ご存知のようにアラブ人とユダヤ人とは“犬猿の仲”で、宗教も言語も異なる異民族であり、かれこれ2000年以上も宿命の対決が続いています。

この2つを混同することから古代史の大混乱が始まったのです。

というよりは、ユダヤ人が意図的に混乱させている可能性もあります。

この説に感銘を受けてか? 「ツタンカーメンはアメワカヒコである」とする説まで登場しました。

アメワカヒコは、ニニギより前に日本国を統治しようとして失敗しています。

http://21seikinokadai.blog15.fc2.com/blog-entry-50.html?sp

そういえば、聖徳太子は

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや云々」

という書簡を遣隋使に持たせました。

このとき聖徳太子は、唐土のことを「半西」と書いて「もろこし」と読ませ、ペルシャのことを「西極」と書いて「とおつくに」と読ませているのです。『神代皇代大成教序』より

つまり、中国とは西の極みであるエジプトに至る道の半ばであるということです。

もうお分かりですよねえ、聖徳太子が本当に書簡を渡したかった相手とはエジプトであり、ここを「日の没する国」と呼んでいたのです。

聖徳太子が目論んでいたのは、同祖国と交易するための「遣エジプト使」であり、このことを中国人に察知されて潰されたのだというのが真相のようです。

正倉院の宝物殿にペルシャ産のガラス・コップなどが収納されているのは、日本とペルシャが交易していたことの証しです。

さらに、古代エジプトの創生神話にも「ヘリオポリス」と「ヘルモポリス」という2つの都市が存在していました。

◆ヘリオポリス・・・・「太陽の町」と呼ばれ、太陽神ラー=天照大神が支配する国。有名なオシリス/イシスもここから生まれた。つまり「日出づる国」=日本のことか?

◆ヘルモポリス・・・・「大地のはらわた」と呼ばれたマイナス・イメージの国(日本では黄泉津国)。智慧の神トト(日本では大国主)が支配する。つまり「日没する国」=中近東(シナイ半島)のことか?

ちょっと話はそれますが、ここでアラブ人について説明しておく必要があります。

アラブ人とは「アラビア語」を使い「アラーの神」を信仰する人たち(イスラム教徒)のことで、遊牧民なので中近東全体に広く分布しており、もともと砂漠に国境はありませんでした。

ここから「アラブはひとつ」という思想が生まれました。

つまりエジプト人もサウジ人もイラク人もひとつの民族なのです。

アラーの神とは、太陽神ラーと同一であり、だからいまでも日の出と正午と日没(を含めた日に5回)には必ずお祈りが行われます。

彼らが豚肉と飲酒と浮気を極度に嫌っているのは、弥生人たちが肉食をしなかったことと似ています。

つまり古代エジプト人の末裔たちと考えてもよいと思います。

問題は、エジプトと日本、どちらが先に登場したのか?ですが、他のいろいろな説を総合すると、下記の仮説が生まれます。

◆まず古代エジプト人がナイル川流域に降臨して、ピラミッド文明を残す。

◆この一族(天孫族)が、東遷して日本国を建国する(BC660年頃)。ここから弥生時代が始まる。

◆それまで日本国に居たヤソマガツ(縄文人)たちが追い出されて、中近東に逃げ延びユダヤ人となる。

◆ユダヤ人たちは、再び祖国・日本を目指す。(シオニズム)

もしこの仮説が正しいとすると、

「弥生人とエジプト人は同祖」であり「縄文人とユダヤ人は同祖」である、ということになります。

なんだか、これが一番スッキリする説明のように思えるのですが、テーマが大きすぎて充分に論破できません。

引き続き証拠を収集して、確固たる説に仕上げたいと思いますので、情報をお持ちの方はコメント欄からお寄せください。

ちょっとだけ次回を予告しておきますと、古代エジプト人たちが信仰していた「オリオン座」。

それが日本にも残っているかどうかがポイントとなります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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