https://www.aozora.gr.jp/cards/000269/files/1543_24303.html 【般若心経講義 高神覚昇】より
第四講 永遠の生命
舎利子ヨ。
是ノ諸法ノ空相ハ。
不生ニシテ不滅。
不垢ニシテ不浄。
不増ニシテ不減ナリ。
すでに私は『心経』の肝腎要かんじんかなめとなっている、いや、仏教の根本思想であるところの「色は即すなわち是れ空、空は即ち是れ色」(色即是空、空即是色)ということについて、一応お話ししておきました。そしてそのとき私は、一くちに「空」といっても、その空は「般若の空」で、有う(存在)に対する無む(非存在)というような、そんな、単純な空という意味ではない、ということをお話ししておきました。ところが、これについて古人はこういう貴とうとい言葉を残しています。
智慧と慈悲 「色即チ是レ空と見れば、大智を成じょうじ、空即チ是レ色と見れば、大悲を成ず」
と、いっておりますが、これは非常に考えさせられる言葉です。というのは、いったいここにいう大智とは、大きい智慧ちえ、すなわちほんとうの智慧のことです。次に大悲というのは大きい慈悲、すなわちほんとうの慈悲のことです。仏教では、その智慧も慈悲も、共に空という母胎から産まれてくるものだというのです。いったい世間のものは、みんな十人十色で、どれだけ大勢おおぜいの人が集まっていても、寸分たがわぬ、同じ人間は、一人もありません。「似たとはおろか瓜うり二つ」などといいますが、よく見れば、どこかきっと違っている所があるのです。単に、顔や形のみではなくて、人間の性質も気心も、また文字通り、千差万別です。したがって、病に応ずる薬が、それぞれあるように、人間の身の悩み、心の悶もだえを、救う仏にもまたいろいろ変わった相すがたがあるわけです。
「釈迦しゃか 阿弥陀あみだ 地蔵 薬師と変れども 同じ心の仏なりけり」で、結局、数あるもろもろの仏は、ことごとく皆同じ心、すなわち慈悲という精神、大慈大悲のこころの顕あらわれにほかならぬのであります。ところが、慈悲といっても、それは決して智慧のない慈悲ではないのです。仏教では、これを「愛見の大悲」といっておりますが、ほんとうの慈悲は、盲目的な愛、母牛が仔牛こうしを甜なめるような、そんな愛ではないのです。真の智慧によって、裏づけられているほんとうの愛が、すなわち仏教の慈悲なのです。だから、少なくとも仏教では、慈悲と智慧とは二にして一だというのです。今日、仏といえば、誰しも、すぐに観音さま、地蔵さま、阿弥陀さまといったような、いかにも微妙端厳みみょうたんごんな、やさしい容姿すがたの仏を思い起こします。しかし、仏さまのうちには、不動明王というような、見るからにいかにも恐ろしい仏もあります。「あれでも仏さまか」と疑うほどの恐ろしいお容貌すがたの仏さまがあるのです。もっとも、同じ観音さまでも、やさしい顔や相すがたの仏さまだ、とばかり思っていると、中には「馬頭観音」とて、不動明王にも、勝まさるとも劣らぬ、恐ろしい姿をしている観音さまもあります。武蔵野むさしのなどを散歩していますと、よく路傍の石碑いしにきざんである、この仏のおすがたを見うけるのですが、とにかく、仏さまなら、もう阿弥陀如来にょらいだけでよい、大日如来だけでよい、釈迦如来だけでも結構なようですが、衆生の機根万差きこんまんじゃですから、これを救う方にもいろいろな形をした仏があるわけです。仏教では、三世に亙わたり、十方に遍あまねく、たくさんの仏さまが、おられると説いているのです。けだし、これは果たしてどんな意味なのでしょうか。
厳父と慈母 いったい、私どもの家庭、それは単純な家庭もあろうし、複雑な家庭もありましょう。またよい家庭もあろうし、悪い家庭もありましょう。だが、なんといってもまず私たちの理想の家庭というのは、両親も揃そろい、子供も幾人かあるという、朗らかな団欒だんらんの家庭でしょう。ところで、子に対する親の愛ですが、親の目には幾人子供があろうと、その間には甲乙、親疎の区別はありません。もっとも、父親の子供に対する愛の態度と、母親の子供に対する愛の態度とは、おのずからその愛の表現において、そこに一種の区別がありましょう。「厳父」の愛と、「慈母」の愛、それが区別といえば区別です。それは叱しかってくれる愛と、抱いてくれる愛です。叱ってくれる愛、それは智慧ちえの世界です。批判の世界です。折伏しゃくぶくの世界です。抱いてくれる愛、それは慈悲の世界です。享受の世界です。摂受しょうじゅの世界です。
父はうち母は抱いだきて悲しめばかわる心と子やおもうらん
で、父は打ちとは、叱り手の愛です。それは哲学の領分です。母は抱くとは抱き手の愛です。それは宗教の領域です。智慧の哲学と、慈悲の宗教とは少なくとも仏教においては、二にして一です。「かわる心と子や思うらん」といいますが、それはつまり子供の僻目ひがめです。事実は、父も母も、子のかわいさにおいては、なんら異なっているところはないのです。ある時は叱り、ある時は抱く、それで子供は横道にそれず、邪道に陥らず、まっすぐにスクスクと伸びてゆくのです。
うたたねも叱り手のなき寒さかな
と、一茶さもいっていますが、たしかに叱り手のないことは、淋さびしいことです。大人おとなになればなるほど、この叱り手を要求するのです。頭から、なんの飾り気もなく、自分の行動を批判してくれる人が、ほしいのです。蔭かげでとやかく非難し、批判してくれる人は多いが、面と向かって、忠告してくれる人は、ほんとうに少ないのです。だが、叱り手を要求する私たちは、一方においては、また、黙って抱いてくれる人がほしいのです。善よい悪いは、十分わかっておりながらも、頭からガミガミ叱らずに、だまって愛の涙で抱擁してくれる人もほしいのです。
この寒さ不孝者奴めが居おりどころ といった、愛の涙もほしいのです。
是れきりでもうないぞよと母は出し
小言をいいつつも、やはり、わが子かわいさに、財布へそくりの底をはたいて、出してくれる、母の慈愛もほしいのです。不孝者奴と罵ののしりつつ、もうないぞよと意見しつつ、なおもわが子をば、慈愛の懐ふところに抱いてくれる親の情けは、否定しつつ、肯定しているのです。智慧の涙と、慈悲の涙、たといその表現の相すがたにおいては異なっておろうとも、その心持には、なんの違いもないのです。
亡くなった老父のこと いまから二十数年前に亡なくなりました私の父は、こんな歌を私に残して逝ゆきました。
父は照り母は涙の露となりおなじ慧めぐみにそだつ撫子なでしこ
誰だれが詠よんだ歌だか、私にはわかりませんが、たしかにかみしめ、味わうべき歌だと思います。厳父の心と、慈母の心を、一首の和歌に託して、現わした古人の心もちが、優にやさしく、また尊く思われます。今日、三人の子の父となった私には、今さらながら、亡くなった父の慈愛、母の情が沁々しみじみと感ぜられるのです。「子を持って知る親の恩」とは、あまりにも、古い言葉です。しかし、やっぱり、子を持って知る親の恩です。子をもつことによって、はじめて私たちは、亡くなった親のありがたさ、もったいなさを、沁々と追憶するのです。だが、
さればとて石碑いしにふとんもきせられず
です。なつかしい、恋しい、両親への追憶に耽ふけるにつけても、私は、厳父の心、慈母の情を通じて、そこに哲学としての仏教、宗教としての仏教のふかさ、尊さを、今さらながら見直しつつ、沁々と味わっているのであります。
仏心と親心 話はつい横道へそれましたが、私どもの家庭の、この厳父の心を、そのままに写したのがあの不動明王という恐ろしい仏です。厳父に対する慈母の心を、そのままに現わしたのが、観自在菩薩かんじざいぼさつというあのやさしい仏です。しかもそれはいずれも「同じ心の仏なりけり」です。いずれも「慈眼視衆生じげんじしゅじょう」の仏心の顕現あらわれであります。古来、「般若はんにゃは仏の母」だといっていますが、般若こそ、まことに一切の諸仏をうみ出す母です。諸仏出生の根源です。あの慈母の権化ごんげ、観自在菩薩が、深般若波羅蜜多じんはんにゃはらみたを行ぎょうじて、一切は空なりと観ぜられた、ということは、実にそこに深い意味があるのです。空を観じて空を行ずる。因縁を観じて因縁を行ずる。空観より空行へ、因縁観より因縁行へ、そこに哲学として仏教宗教としての仏教の立場があるのです。古聖が「色即チ是レ空と見れば、大智を成じょうじ、空即チ是レ色と見れば、大悲を成ずる」といったのは、まさしく、こうした境地を、道破したものであると思います。
たいへん前置が長くなりましたが、すでにお話ししました「因縁」の原理や、ただ今申しましたその話をば、とくとお考えくだされば、これから申し述べることは、自然ハッキリわかってくるのです。さて、ここに掲げてある本文は要するに、「五蘊うん」によって、作られている諸法ものはみな空である、という、その空の相すがたについていったものです。つまり眼に見える有形の物質と、眼に見えぬ無形の精神とが、集まってできている、この世界じゅうのあらゆる存在は、皆ことごとく空なる姿、すなわち「空なる状態」にあるのですから、生ずるといっても、何も新しく生ずるものではない。滅するといっても、すべてが一切なくなってしまうのではない。汚きたないとか、綺麗きれいだとか増ふえたとか、減ったとかいうが、それはつまり個々の事物に囚とらわれ、単に肉眼によって見る、差別の偏見から生ずるのであって、高処に達観し、いわゆる全体的立場に立って、如実にょじつに、一切を心の眼でみるならば、一切の万物は、不生にして、不滅であり、不垢ふくにして、不浄であり、不増にして不滅だというのであります。ところで、ここには、否定を表わす「不」という語が六つあります。いわゆる「六不」ですが、しかしこれはあながち六不に局かぎったことではなく、いくつ「不」があってもよいわけです。八不、十不、十二不という語が、お経に出ておりますが、いま『心経』は、この「六不」によって、一切の「不」を代表させているのであります。で、結局は不の一字さえわかれば、一つの「不」で結構なのであります。いま試みに不生、不滅という語をとって考えてみましょう。さてこの不生、不滅という語を、もう一度他の語で申せば、「生滅を滅し已おわる」すなわち「生滅滅已めつい」ということです。あの「いろは歌」でいえば、「うゐのおくやまけふ越えて」という句に当たるのです。うゐのおくやまを越える、ということは、つまり生死しょうじに囚われる迷いの心を、解脱するということです。しかもそれが不生不滅という意味です。生滅を滅し已おわるということです。しかし、一歩退いて考えまするに、「生滅」ということは、変化ということで、少なくとも変化は、生滅によって起こるものです。「無常」、「変化」、「流転」、いずれもそれは疑うべからざる現前の事実です。したがって生滅を滅するとか、あるいは不生不滅だとかいうことは、いかにも、合点のゆかぬことのように思われるのです。まことに、一応は無理からぬことであります。しかし再応、これを吟味しますと、それは、なにも不合理な不可解なことばではありません。すなわち「生滅を滅し已る」ということは、要するに、生に囚われ、滅に囚われる、その「囚われの心」、「執着の心」を離れるという意味なのです。芭蕉は、俳句の心は「無心所着」といっていますが、この「心に所着なし」という境地が、生滅を滅し已るという世界で、ものにこだわりのない日本人の明朗性も、ここにあるのです。ゆえに不生不滅ということは、むかしから仏教学者は、波と水との関係のように解釈しています。波という現象の上から見れば、生滅起伏もあるが、水という本体そのものの上には、なんらの変化はないという立場から、「生滅」と「不生不滅」を眺ながめて、現象と本体の関係において見てゆくことも、もちろん、必要ではありましょう。しかし、これと同時に、私どもは、生じたといっては喜び、滅したといっては悲しむ、その「囚われの心」、「執着する心」、その「迷いの心」を否定するという意味で、この「不生不滅」の原理を味わってゆかねばならぬと思います。かの「エネルギー不滅の法則」が、科学的真理であるように、また、宇宙の万物を構成する電子の量が、一定不変であるというように、「因縁」の集合によって、できている一切のもの、「空の状態」における一切の事々物々は、ことごとく不生不滅です。不増不減であるのです。
かく申しますと、人あるいはいうかも知れません。「それは宇宙の実相すがたは、不生不滅かも知れん。いや不生不滅であるだろう。しかしわれわれ個人には、やはり依然として『生滅』という事実があるではないか。生きたり、死んだりする事実があるのじゃないか。われわれは、そんな宇宙がどうの、不生不滅がどうの、空がどうの、般若がどうのというような、自分らの生活と、全く縁の遠い理窟りくつを、聞こうとは思わないのだ」と難詰なんきつせられる方があるかも知れませぬ。が、しかしです。「無用の用」こそ「真の用」ではありませんか。理窟と見るは所詮しょせん僻目ひがめです。「空」の原理、「不生不滅」の真理、それは偽ることのできない道理です。いや、どうしても疑うことのできない事実です。仰せの通り、われわれ個人には、生き死にがあります。「自分の家」では、赤ん坊が生まれたかと思うと、「隣りの家」では、悲しい不幸が起こっているのです。人に生死があるように、世間にもまた生滅があります。
しかしその生死の根本を尋ねたならばどうでしょうか。道元禅師ぜんじはいっております。
生をあきらめ死をあきらめる 「生を諦あきらめ、死を明らむるは、これ仏家一大事因縁なり」
と。だがしかし、生を諦め、死をあきらめることは、豈あに独ひとり仏弟子でしのみに局かぎらんや、です。それは、万人の必ず心すべきことではないでしょうか。しかも「生死しょうじを諦めた人」こそ真に「生死を見ざる人」です。生死を見ざる人こそ、実に「生死に囚とらわれざる人」です。しかも、この生死に囚われざる人にして、はじめて「不生不滅」の真理を、まざまざと味わうことができるのです。
身はたとい武蔵の野辺のべに朽ちぬとも留めおかまし大和魂
の辞世を残し、悠々ゆうゆうとして刑場の露と消えたあの吉田松陰、松陰先生こそ、実に生死に囚われざる人です。生死を怖おそれざる人です。生死に随順しつつ、生死を超越した人です。不生不滅の真理を体得した人、いわゆる死んで生きた人であります。生前その妹さんに贈った手紙のうちにこんな言葉があります。
死なぬ人 「さて死なぬ(不生不滅)と申すは、近く申さば釈迦、孔子と申すお方は、今日まで生きてござるゆえ、人が尊みもすれば、有難ありがたがりも、おそれもする。楠正成公じゃの、大石良雄じゃのと申す人は、たとい刃ものに身は失われても、今もって生きてござるではないか」といっていますが、たしかに、それは味わうべき言葉だと存じます。またその愛弟子の一人、品川弥二郎に贈った手紙のうちにも、
「死生の悟が開けぬようでは、何事もなしえない」
ということを、細々こまごまと教えていますが、わずか三十歳の若さで、国事に斃たおれた吉田松陰こそ、まことに生死を越えた人です。生死をあきらめた人であります。
「われ今国の為に死す。死して君親に負そむかず。悠々たり天地の事。鑑照神明にあり」
(吾今為レ国死。死不レ負二君親一。悠々天地事。鑑照在二神明一)
といった、かれ松陰の肉体は消えました。しかし、その君国のために生きんとする、尊き偉大なる精神は、今日もなお炳乎へいことして明らかに、儼然として輝いています。
私どもは五十年、七十年と限られた肉体的生命だけをみて、人生を判断せずに、もっと「永い眼」で人生を見直さなければなりません。スピノーザのいわゆる「永遠の相において」人生を眺めなければなりません。自己の永遠の生命を信ずる者は、「不生不滅」です。そこには生死はありません。生死を達観して、人生永遠の生命に目覚めざめることが、なんといってもいちばん大切です。肚はらができたというのは、所詮この境地を指していったものです。いまや世界は共同の運命を自覚して一体となりつつあります。世界が真に一つの世界になりつつあるのです。松陰の出た明治維新当時と、今日の日本とは、その世界的地位において、たいへんなひらきがあります。しかし、わが日本民族が真に生くる根本的態度についてはなんら変りないと存じます。私どもは永遠の不朽の生命を深く信ずることによって、あくまでわれらに課せられた世界的使命たる、平和な文化国家の創造のために邁進まいしんしたいと思うのであります。
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