FacebookKNOB ノブさん投稿記事 より·
2021年冬至
みな違うそれぞれを、分かちあい、讃えあい、感謝しあい、祈りあい、、、笑い響きと共に
りーこワケワケさんのワケワケの森、結びにはぐるぐる渦巻きエネルギーのストーンサークルより 冬至の再生した光を浴びながら、りーこさんをはじめ、太極拳のやまだひろこ先生、舞の木村差代子さん、そして、ご縁をいただいたおひとりおひとり、沢山のピンク法螺貝さん、、、有り難き美しき時をご一緒させていただきました。
みなさままっこと弥栄!!おめでとうございます。最幸なる時をいただきました。
古事記の岩戸開き神話の古語では、閉ざされた岩戸の前でアメノウズメが舞い、八百万の神 共に咲いき(わらいき)とあります。
岩戸の向こうから聴こえる楽しそうな賑やかな笑い声、それに心動いたアマテラスは岩戸をそっと、、、心に花が咲いてゆく 咲く(わらい)
子ども時代になかなかみせてもらえなかったテレビ
土曜日にはおばあちゃんの家で家族親類共にドリフターズをみては笑って、幸せなきもちのまま、9時すぎには夢の中へ
志村ぁっっっ~思わず叫んでしまったあの頃(笑)
りーこさん😊
自ら体験したことを豪快に志村けんが降臨し笑いに変えてゆくけれど、同時に実は本当に繊細でみなひとりひとりを氣づかう方。
大爆笑の渦の後、火打石からの御火下には世界の様々な場や聖地のエネルギーの合わさった御水。ピンク法螺貝はその中にピンク法螺貝の響きから、、仏事、神事の始まり。
場は一氣にみな揃っての静寂と祈り
テレビのチャンネルを変えるがごとくのこの切り替も凄まじく奇跡的。
そして、響きとやまだ先生、差代子さんそれぞれの舞での感謝の祈り
ピンク法螺貝を通したひとりひとりのお身体への木の響き(これは秘するいのちの合体共振でした)そして、瞬時にまた笑いの花が✨
御火の中に入れられた精麻、そしてひょうたん。最後に真ん中のひょうたんから消えた火が蘇り美しく!!
まさに火(カ)と水(ミ)の結び太陽からの光も本当に凄かったです。
結びのストーンサークルの高台の地には、同じように冬至の光を拝する沢山の方々。
みな輪になり、やまだ先生御指導の縦横のエネルギー統合の太極拳、差代子さんのアワの唄と、ハッピー音頭(タイトルを忘れてしまいました~すみません)
白髭を生やした翁の方。みなさんはなんの集まりですか~?
怪しい集まりです~(笑)と翁は~みんな楽しそうで良いですね。
縄文の民も、こんな風に輪になって踊り歌っていたでしょうね!!~と
ストーンサークルに来られていた民俗学の方々、アイヌのエカシもたまたま(魂魂)
場に共振するように響きわたった数十のピンク法螺貝の響き。
大地が振動し、海の中でクジラの唄を聴いたらこんな感じ???
その場にてご縁をいただいた方々も輪の中に入り、響きを。
今日はまた何かの始まりだ!!これは凄い!!
俺たちラッキーだったな、きて良かったと、嬉しそうな男性の方々。
本当にそれぞれの目が開くような時。目覚めとは、、、
世界の裏世界や今起きているようなこと、宇宙の地球の今、いのちについての根元的なこと、、、
様々な情報集め、そういう今の真実を知った目覚めの形もいいけれど、、、
木も植物も、鳥や虫、石も水、火、、、
なんの情報も外からの知識もなく、みなそのままに
宇宙的な最先端テクノロジーもいらず、気候変動だと大騒ぎすることなく、ウィルスも遥か古代から数えきれないほどにあったもの、、、
共にたんたんとそれぞれのいのちを、今を生き、時が来たら大地へ天へ
潔く、今を瑞々しく、それぞれのいのちを
自分を思い出すなんて、実はとっても簡単にシンプルなのかもしれません。
笑って、響いて、舞って、、、
幸せの青い鳥 探し求めなくても、もうすでにあった!!!
すぐ近くに 自分の中に そんなことを確信した
弥栄なハッピーな冬至をいただきました。
みなさまありがとうございました。KNOB拝
https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/200603300000/ 【「岩戸開き」の呪文】より
「十種の神宝」(とくさのかんだから)という祝詞(のりと)がある。
日本の古神道(物部神道)の呪術とされ、新嘗祭(冬至祭)の前日に斎行される「鎮魂祭(みたましずめのまつり)」の際に奏上される祝詞である。
詳しい内容については、各自で調べていただくこととして、ここではその祝詞(呪文)の核心部分である「一から十までの数」の意味合いについて論じてみたい。
この「一から十までの数」とは、文字通り「一・二・三・四・五・六・七・八・九・十」のことであり、その読みは「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と」、あるいは「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・たり」が主流である。
この一から十までの数を唱えることで、「それまで弱まっていた〔魂の力〕を、再びよみがえらせることができる」と、簡単に言えばそのような解釈がよくなされている。
それは、冬至の前日に唱える祝詞なので、冬至の太陽の復活祭(新嘗祭・・一陽来復の儀式)に向けての呪文と理解すれば、上述の解釈にもつながってくるわけだ。
ところで最近、「岩戸(いわと=一八十)」という言葉や数にこだわっていると(関連記事・3月18日の日記)、まるで導かれるようにして、これにまつわる2~3冊の書籍に出会った。それらの書籍には、この「一から十までの数」について、面白いことに同様の意味合いが記してあった。
ここかしこを拾い集めてまとめてみると以下のようになる。
この古神道の呪術とされる「十種の神宝」の祝詞は、「岩戸」に隠れた「天照大神」を誘い出すための祈祷文であり、もともとはユダヤ人(古代イスラエル人)が使用していたヘブライ語だった。
ヘブライ語的に「一から十までの数」の発音を修正していくと、
「ひぁ・ふぁ・み・よっ・つぃぁ・ま・なーね・やぁ・かへな・たうぉ」
となり、さらには
「 ヒァファ ミ ヨツィァ マ ナーネ ヤカヘナ タゥオ 」
と発音される。また、これを意訳すると
「誰がその美しいかた(女神)を連れ出すのでしょう。彼女が出てくるために、誘いにいかなる言葉をかけるのでしょう。」
あるいは、これを大和言葉であらわすと、
「たが、そのうるわしめを出すのやら。いざないに、いかなる言葉をかけるやら。」
と美しい詩文となり、「岩戸神話」において祝詞を唱える祭司の「アメノコヤネ」が、岩戸に隠れていた「天照大神」を誘い出そうとした言葉としてふさわしくなってくる。
さもありなん!と私は感じた。この文章に触れた皆さんはいかがですか?。
さて、この「十種の神宝」の呪術については、実に様々な流派があり、全体を把握するのは一筋縄ではいかないが、以上のことを知っていることで、少しは判断の材料になるのではないかと思う。ちなみに、この「十種の神宝」は、「三種の神器」と同じく、いわば日本国の「至宝」ということができる。
私自身の経験では、かつて「竹内文献」で有名となった「皇祖皇大神宮」(茨城県磯原)の権宮司さんから、この「数」の唱え方を直に教わったことがある。そこで注目したい点は、その「一から十までの数」を唱える前に、「ン」の発音をしてから「ヒフミヨイムナヤ・・・」と唱えるところだ。
おそらくこの「ン」の発音は、「数」では「0」を意味していると思う。この、おそらくは「0(=ゼロ)」を認識の視座に据えて、次の「一」からの数を唱えるという祝詞は、竹内家に伝わる祝詞以外に私自身は今まで見たことがない。これは「十進法」という数学的観点から見ても、整合性があると思うのである。
さらに近年になって、「十種の神宝」の呪術をある人から伝授されたが、それには、いわゆる密教などで使用されるような「印」があった。ひとつひとつの「数」に、それぞれに対応する「印」があるのである。(それがなかなか難しくて・・・。そのため、今はほとんど忘却の彼方へ・・・。)
・・・ということで、「岩戸開きの呪文」と題して記してきたが、楽しんでいただけましたか?この日本列島には、まだまだ隠された謎が沢山あるのである・・・(笑)。
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