純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している

http://www.aritearu.com/Influence/Francis/PhotoAssisi/Brother.htm  【映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」】より

私が初めてアッシジの聖フランシスコを知るきっかけとなったものです。映像・音楽・

役者・脚本が見事に溶け合い、素晴らしい叙情詩に創りあげており、聖フランシスコ

の実像にも限りなく近く迫っています。他にもフランシスコの映画はありますが、この

作品ほど感動を覚えるものは無く、傑出したものと言えると思います。特にフランシス

コを演じるフォークナー、音楽のドノバンが素晴らしい。

フランシスコを演じたフォークナーですが、まるで聖フランシスコの魂が舞い下りて

きたかのような、演技を超越した次元に立っていたのではと思わずにはいられません。

彼自身の俳優としての、また人間として未来、その全てをこの映画に注ぎ込んだので

はないでしょうか。一世一代の演技とはこのことを言うのでしょう。

(K.K)

青春映画の古典となった「ロミオとジュリエット」の成功でいちやく名を高めたフランコ・

ゼッフィレッリ監督作品。13世紀のイタリアを舞台に、実在した聖人フランチェスコの愛

と苦悩の青春時代を描いた大作である。1200年、中世イタリアの都市アッシジ。隣国

との戦争に出かけていたフランシスコ(グラハム・フォークナーは、熱病におかされて帰

ってくる。何週間も生死の間をさまよったあげく、彼は精神的な目ざめを覚えた。自然の

中に愛や平和を見て、本当に人間らしく生きたい! そして美しい娘クララ(ジュディ・バウ

カー)との出会い、雪でおおわれた白い野原にサン・ダミアノ教会の再建を目ざすのだが

・・・・・「人生は美しい、私にとって美がすべてだ」と語るゼッフィレッリ監督らしく、生きることのすばらしさ、愛の尊さを訴えかけ、四季をとらえた美しい映像は自然への讃歌である。2人の新人スターの初々しい魅力もあって、さわやかで感動的な青春映画になっ

ている。語りかけるような音楽は、シンガー・ソング・ライターのドノバンが歌っている。

同映画パンフより・・・渡辺 了

2012年7月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

原罪の神秘

キリスト教の原罪、先住民の精神文化を知るようになってから、この原罪の意味するところが何か考えるようになってきた。

世界の先住民族にとって生は「喜びと感謝」であり、そこにキリスト教で言う罪の意識が入る余地などない。

ただ、新約聖書に書かれてある2000年前の最初の殉教者、聖ステファノの腐敗していない

遺体、聖フランシスコと共に生きた聖クララの腐敗を免れている遺体を目の前にして、彼ら

の魂は何かに守られていると感じてならなかった。

宇宙、そして私たちが生きているこの世界は、未だ科学的に解明できない強大で神秘な力

に満ち溢れているのだろう。

その神秘の力は、光にも、そして闇にもなる特別な力として、宇宙に私たちの身近に横た

わっているのかも知れない。

世界最古の宗教と言われるシャーマニズムとその技法、私が感銘を受けたアマゾンのシャ

ーマン、パブロ・アマリンゴ(NHKでも詳しく紹介された)も光と闇の二つの力について言及している。

世界中のシャーマンの技法の中で一例を上げれば、骨折した部分を一瞬にして分子化した

のちに再結晶させ治癒する光の技法があれば、病気や死に至らせる闇の技法もある。

これらの事象を踏まえて考えるとき、その神秘の力が遥か太古の時代にどのような形で人類

と接触してきたのか、そのことに想いを巡らすこともあるが、私の力の及ぶところではないし、原罪との関わりもわからない。

将来、新たな遺跡発見や考古学・生物学などの各分野の科学的探究が進むことによって、

ミトコンドリア・イブを祖先とする私たち現生人類、そしてそれより先立って誕生した旧人と言われる人たちの精神文化の輪郭は見えてくるのだろう。

しかし私たちは、人類・宗教の歴史その如何にかかわらず、今を生きている。

原罪が何であれ、神秘の力が何であれ、人間に限らず他の生命もこの一瞬・一瞬を生きて

いる。

前にも同じ投稿をしたが、このことだけは宇宙誕生以来の不変の真実であり、これからも

それは変わらないのだと強く思う。

最後にアッシジの聖フランシスコが好きだった言葉を紹介しようと思います。尚、写真は

聖フランシスコの遺体の一部で大切に保存しているものです。

私の文章で不快に思われた方、お許しください。

☆☆☆☆

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを    分裂のあるところに、一致を  迷いのあるところに、信仰を  誤りのあるところに、真理を   絶望のあるところに、希望を        悲しみのあるところに、よろこびを  闇のあるところに、光を    もたらすことができますように、助け、導いてください。

神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。

自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ

永遠の生命によみがえることを 深く悟らせてください。

☆☆☆☆

(K.K)

2012年4月11日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映画「ブラザーサン・シスタームーン」

アッシジの聖フランシスコは神が創造した全てのものに神の息吹きを感じた、と表現してもいいかも知れない。しかしサイトでも書いたように、私はその気づきとは違う次元、世界がありのままの姿で映し出されている次元にフランシスコが立っていたのではないだろうかと感じてならなかった。

純度の高い鏡を持つ者においては、世界に存在するすべてのものが、その存在の重みそのものを映し出している。

純度の高い鏡、それはアニミズムにも共通している。岩田慶治氏は「木が人になり、人が木になる」の中で、アニミズムを次のように語り、この鏡の模範を鎌倉時代の禅僧・道元に見いだしている。

☆☆☆☆

「自分が鏡になってそこに天と地を映すといっても、鏡になるための・・・そのために精進努力する・・・手がかりはない。

しかし、それにもかかわらず、自分のまえに、自分にたいして、天と地ではなくてそれが一体となった全宇宙が訪れるということは、そのとき、自分がすでに鏡になっていたということである。

いわゆるアニミズム、あるいは本来のアニミズム経験というのは、木の葉のさやぎ、川の流れの音、あるい草葉の露に全宇宙の規則をみることであって、その経験の時・処において、宇宙との対話が成立しているのである。

つまり、自分が鏡になって、そこに天地を〈同時〉に映しているということである。」引用終わり。

☆☆☆☆

しかし、この鏡を持つということは別の姿を映し出すことになる。フランスの哲学者でレジスタンスでもあったシモーヌ・ヴェイユは逆にこの鏡のために、人々の不幸がそのままの重さで映し出され彼女を苦しめた。しかしそれでも彼女は力強く言う。「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である」と。

聖フランシスコにとって心の故郷であった10坪にも満たないポルチウンクラの教会、そこでヴェイユは生まれて初めて何かの力に逆らえずひざまずく。

自分に何が出来るか、それは決して大げさなことでないかも知れない。公園でガラスの破片が子供たちを傷つけないよう拾っている人もまた偉大な聖人だと私は思う。世間から大きな賞賛を受けなくとも、どれだけそこに心を込めているか。

映画「ブラザーサン・シスタームーン」は私にとって、「ラ・マンチャの男」と並んで生涯大事にし続ける映画かも知れない。

☆☆☆☆

「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ

神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。

わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。

太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。

わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。

月と星はあなたのけだかさを受けています。

わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。

風はいのちのあるものを支えます。

わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。

水はわたしたちを清め、力づけます。

わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。

火はわたしたちを暖め、よろこばせます。

わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。

大地は草や木を育て、みのらせます。

神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、

病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。

終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。

わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。

この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。

大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。

神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。

第二の死は、かれを損なうことはありません。

神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、    

感謝します。

☆☆☆☆

(K.K)

2012年4月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

モーリス・ズンデル神父(1897-1975)

昨年の12月21日に簡単にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しましたが、神父はそのユニークな思想のため教区を追われ、各地を転々とさせられます。私は神父の生涯を振り返ると映画「ラ・マンチャの男」を思い出さずにはいられません。

「ラ・マンチャの男」は「ブラザー・サン シスター・ムーン」と共に私の宝物ですが、「ラ・マンチャの男」の主人公セルバンテスは公衆の面前で教会批判の演劇をし、従者サンチョと共に投獄され、宗教裁判にかけられます。

獄中で裁判を待つ間、他の囚人がセルバンテスが大事にしていた脚本を燃やそうとしたとき、セルバンテスは弁明を求めます。

この弁明が「ドン・キホーテ」で、この物語の登場人物の役を囚人一人一人に与え、演劇を通して自身の潔白を訴えていく物語です。

映画の主題歌「見果てぬ夢」も素晴らしく、いつまでも心に響いてやまない作品です。

話を元に戻しますが、もしズンデル神父が中世に生きていたら、間違いなくセルバンテスと同じように異端として宗教裁判にかけられていたことでしょう。

しかし彼の視点はどこから産まれたのか、それはもしあると仮定するならば、あらゆる宗教の下に共通の地層(泉)、そこにまで彼自身の根っこが伸びていたのではないかと感じてなりません。

ズンデル神父に限らず他の宗教の偉大な魂はこの根源的な地層(泉)まで自身の根っこを伸ばしており、その宗教をより洗練されたものへ深めていった。

ズンデル神父で言えば、聖書の言葉に新たな生命を吹き込んだとでも言えるのかも知れませんが、それは聖書の言葉を文字通りに受け取るのではなく、その背後にある真意を汲み取ることができたとでも言っていいかも知れません。

勿論、この共通の地層(泉)が本当にあるかどうか私にはわかりません。

ただ、これからも既存の宗教や世界の先住民たちの偉大な魂は、この地層(泉)に触れ、私たちに新たな生命を吹き込んでいくように感じてなりません。

最後にモーリス・ズンデル神父の言葉を紹介しますが、ズンデル神父がヴァチカンの黙想指導に招かれたのは死の3年前のことでした。

☆☆☆☆

聴くこと! 何よりも貴い、何よりも稀な、しかし、何よりも必要な行為。いのちの深淵をあかししてくれるのは、ただ沈黙だけである。

☆☆☆☆

(K.K)

2013年2月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

(大きな画像)

アンドロメダ銀河(写真はNASAより引用)

実はこれは「スター・ウォーズ」の暗黒の世界なのじゃ・・・・じゃなくてハーシェル宇宙望遠鏡が赤外線で捉えたアンドロメダ銀河の姿なのじゃ。

前にもこのアンドロメダ銀河は40億年後、天の川銀河に衝突すると書いたけど、それよりずっと前に太陽はどんどん膨らみ地球も灼熱の世界になっているから、人類はドラえもんの「どこでもドア」を発明してどこか遠くの星に移り住んでいるかも知れない。

でもアンドロメダと天の川が衝突したらどうなってしまうんだろう。うるわしきアンドロメダ姫に出会えるんだろうか、

そして織姫と彦星の運命はどうなってしまうんだろう。

僕の予想では織姫と彦星は何千年も待った夢をやっと叶えることが出来ると思うけど、いざ一緒になったら「こんな人とは思わなかった」なんて「スター・ウォーズ」のような戦いの場にならないとも限らない。

さて現実的に銀河同士が衝突したら地球の、太陽系の運命はどうなってしまうのだろう。

もし太陽を「スイカ」と同じ大きさと考えたら、なんと、たとえ衝突しても広い太平洋に「スイカ」という太陽が3個しか浮いていないほど宇宙空間はスカスカのままなんだ。これじゃいくら他の銀河が天の川に衝突したとしても、星と星がぶつかるなんてゼロに等しいよね。ちなみにこの「スイカ」のネタは先に紹介した「宇宙を感じる七日間」から盗み取ってきました。

さて、この銀河には不思議な秘密がある。それは銀河の中心近くで回っている星と、銀河の端っこで回っている星の公転速度が同じということなんだ。

うーん、わからないな。だって太陽の近くにある水星と遠くにある海王星の速度は9倍くらい違うんだよね。遠くの星ほど太陽の引力が弱くなり公転速度も遅くなる。銀河系だって、中心から遠くに離れた星ほど速度が遅くなるんじゃないの?

この問題は天体物理学者を毎夜悩ませてきたけど、その時に彼らの夢に出てきたのが映画「スター・ウォーズ」

だったんだ。暗黒物質、ダークエネルギー、やっぱり「スター・ウォーズ」は偉大だよね。じゃなくていろいろな観測結果からそのような存在を考えないと、つじつまが合わないようなんだ。

実際に銀河全体や宇宙に暗黒物質やダークエネルギーが満ちていたとしたら、水星も海王星も何故同じ公転速度にならないのか不思議だけど、でももっと不思議なことは宇宙が速度をあげながら膨張している事実などが観測されていることなんだ。え? 速度を上げながら? そんな馬鹿な。

ちなみに厚木に住む世界的に有名な異端の宇宙学者・古賀博士によると、暗黒物質やダークエネルギーではない別の可能性があるとの話だけど、博士から聞いた話は全て「吐かせ」て正気に戻すことが学会、じゃなくてマンションの自治会では慣例になっているようだから無視するのが一番だろうね。

まだまだ宇宙ってわからないことだらけだよね。でも知的に宇宙・世界の真理に迫ることは、神や創造主を感じることとは別次元のような気がする。

人類は「知性の進化」ではなく、ただ単に「知の継承」で現在のような文明を築きあげたかも知れないし、逆に幸せを感じる世界からどんどん離れていっているような気がする。

あーもう頭が痛くなってきた。もうここは布団に入って映画「ブラザーサン・シスタームーン」の夢を見るしかない。

2013年10月3日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した写真です。

本日10月3日の夜明け(4時46分~6時38分)の光景です。

本日10月3日は、映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」でも有名なアッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)が亡くなった日ですが、彼がよく唱えていた「平和を願う祈り」を掲載させていただきます。私は頭では素晴らしい「祈り」と感じていても、実際に行動にうつすことができません。しかし、この祈りを体現できている方は、たとえ世に知られていなくとも、聖フランシスコと同じようにひとりの聖人であることは確かなことだと思います。

☆☆☆☆

神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。

    憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように    

いさかいのあるところに、赦しを  分裂のあるところに、一致を  迷いのあるところに、信仰を 誤りのあるところに、真理を 絶望のあるところに、希望を 悲しみのあるところに、よろこびを 闇のあるところに、光をもたらすことができますように、助け、導いてください。

神よ、わたしに 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 望ませてください。

自分を捨てて初めて 自分を見出し 赦してこそゆるされ 死ぬことによってのみ

永遠の生 命によみがえることを 深く悟らせ てください。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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