https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/23684454?categoryIds=595109 【淡路島への取材旅行】
Facebook木村 正治さん投稿記事 ~淡路島への取材旅行・1~
大阪講演会の翌日11月15日から、市民メディアのスタッフの皆さんと淡路島へ1泊2日の取材旅行に訪れました。
数ヶ月前に淡路島に行きたいのだが何か良い場所はありませんか、と橋爪香菜子さんから問われて、私がふと8年前に女性経営者達と訪れた不思議な能力の備わる魚谷佳代さんの
話をしたところ、ではその魚谷佳代さんを訪ねて色々とお話を聞こうということになって実現しました。
魚谷佳代さんは食品会社を淡路島で経営しながら、日本古来の歴史を踏まえた様々な活動もされています。
約束の時間に魚谷佳代さんの会社を訪ねると、偶然が重なり日本で唯一、ヘブライ語を知悉
されている第一人者の藤森三千雄先生と、日本の古来の歴史を取材中の映画プロデューサーのシャロンギドン氏と合流しました。
まるで私達を引き合わせたかのような、不思議なお導きのような偶然の出会いでした。
魚谷佳代さんは8年前に会った私の事を「あ、この人覚えてるよ。」と覚えていてくださりました。
8年前に魚谷佳代さんに案内されて祭祀の場がある山に登った際に、祀られている岩に魚谷佳代さんが祝詞を唱えている最中に私がその岩から浮き上がる模様から人の姿を見出だし
見えるがままにスケッチしたのですが、それが添付画像中のスケッチ図です。
まるで太古の高貴な人物のようでした。
8年前にこのスケッチを祝詞を唱え終えた魚谷佳代さんに見せたところ、
「ぎゃあああああ、このようなスケッチを書いたのはあなたが初めてです。」と驚かれました。今回もその祭祀場に行こうという事になりました。
その前に魚谷佳代さんの会社にて少し話を聞いたのですが、不思議な事に魚谷佳代さんが
説明を始めると、何故か私の目から涙が滲み溢れてしまいました。不思議でした。
何故だか分かりません。
私はめったに人前では涙は見せないようにしていますが、この時は不思議に、平凡な言葉
で話している魚谷佳代さんの話が始まった瞬間に涙が滲んできたのです。
私は何に感応したのでしょうか?
その時の魚谷佳代さんの説明は以下の内容です。
~淡路島がくにうみの島と言われる理由。~
聖書のイザヤ書の記述によりますと、今から2700年程以前、北イスラエルの人々
はアッシリアに、南ユダの人々はバビロンの奴隷となっておりました。
ある朝、神の兵隊によってアッシリアの兵は一人残らず全滅し、北イスラエルの民は自由の身となったのです。
そこで神はイザヤに申し伝えました。
あなた達は元のカナンの地に帰るのではなく、東方の日の出づるところ(日本)に神が用意した島々がある。
皆で葦舟をつくり、そこへ行って新しい国生みをせよと・・・・・・。
皆はそれぞれ大きい葦舟、小さい葦舟を作り東方へと旅立ったのでした。
途中、嵐にも遭いながら大勢が亡くなりました。死体を葦舟には乗せておけず海へと葬ったのでした。又、途中、沖縄にも奄美大島にも、又、九州を北上して日本海の方へ、山口、島根、出雲、丹後半島へと、しかしながら一番多くの人々は黒潮に乗りますと淡路島の沼島、由良、菰江にとたどり着いたのでした。
生き残った人々は菰江の海岸辺りの地下にお墓のようなシンボル的祭壇を作ったのでした。
又、生き残った人々は産めよ増やせよ地に満てよと繁栄を願ったのです。
この一連の国生みという大業の先頭に立ち、イザヤ様は一代で礎を作られました。
そしてその亡骸の御陵(みささぎ)は淡路島多賀一宮のイザナギ神宮に古来よりず~っとお祀りされております。
我が日本という国はなんと素晴らしい歴史を所有する国なのでしょう。
洲本市由良 魚谷佳代拝
・・・・・以上が魚谷佳代さんが読み上げた説明で、私の目に涙が滲み出て止まりませんでした。何か共有する磁場、波動が満ちるのでしょうか。
その後、説明にもあったお墓のようなシンボル的祭壇を訪れて、祝詞を唱え、じっくりと説明を受けた後、ホテルのロビーにて魚谷佳代さんと藤森三千雄先生とをシャロンギドン氏が取材撮影しました。
通訳は橋爪香菜子さんが見事にこなし、また途中から私がヘブライ語の日本の第一人者
である藤森三千雄先生に質問しながら、いつしか話が白熱し、いつしか私と藤森三千雄先生の対談のようになり、実り多い時間となりました。
ちなみに藤森三千雄先生は94歳ですが、かくしゃくとされた紳士で若く見えます。
ご自身で120歳までは生きると宣言されました。
その後、凄い展開となり、シャロンギドン氏が取材撮影したこの一連の映像をイスラエルにて上映することになりました。
ホテルのロビーの取材を終えてシャロンギドン氏は
「ふう~、このロビーだけで1週間分の仕事をしたよ。しばらくゆっくりできるね。」
とご満悦でした。確かに中身の濃い時間でした。
新たな平和の礎が広がれば良いですね。
シャロンギドン氏は翌日から四国に渡り、徳島県の剣山に登るとのことでした。
私が昨年8月に剣山に登った事を伝えると興味津々の様子でした。
取材撮影を終えてからは宴会にて皆さまと語らい、素晴らしい洲本の湯に浸かり、翌日の
日程に備えました。私は夜に3回、翌朝1回の計4回入浴をしました。
2日目の模様は次回以降にて投稿します。
~淡路島への取材旅行・2~
市民メディアのスタッフの皆さんと取材旅行に訪れた淡路島の2日目、11月16日は
前日の取材が予想以上に長引いたので早朝から魚谷佳代さんのご案内のもと、シオンの山と
称される祭祀場に参りました。
山の入り口にある池の畔にイザヤさんに協力してナフタリ族を率いてきた7人の聖女を祀る
祠があり、皆さんでお参りし、魚谷佳代さんが祝詞を唱え始めると池の魚が跳ねる音が静寂の中に響き、更には何かの存在を感じさせるような風が吹き抜けて行きました。
居合わせた一同が皆、「あっ!」と感じた一瞬でした。
竜宮乙姫や宗像三女神をお祀りしているそうです。
更に山の入り口付近に魚谷佳代さんの先祖が祀った仏系の神様にお参りし、魚谷佳代さんが祝詞を唱え、いにしへの話を聞きました。
葦舟で淡路島に入ってきた一団が「ユッラー!」と叫んだそうですが、古代ヘブライ語でそれは「ワンダフル!」という意味だそうで、以来この地が由良という地名の起こりになったそうです。
そこから山の斜面を登ると日本とは思えないような風景が広がり、8年前にも案内された祭祀場に歩いて行きました。
「ハレルヤ~ヤッハウエ。ハレルヤ~。ハレルヤ~ヤッハウエ。ハレルヤ~。」と魚谷佳代さんが独特の旋律で歌い、また祝詞を唱え祈りを捧げました。
ムー大陸やアトランティス大陸が沈む前からあったとされる祭祀場の岩に8年ぶりに辿り
着きました。
魚谷佳代さんが祝詞を唱える中、私は目を凝らし岩を見つめていましたが、8年前とはまた少し違った姿に見えたので魚谷佳代さんに8年前とは違うように見えますよと伝えて見えるがままにスケッチしました。
それが添付画像3つ目の画像です。8年前にスケッチしたものを添付画像4つ目に添えました。
「年月が経てば見え方も違ってきますから。」と魚谷佳代さんは言いました。
スケッチを終えて魚谷佳代さんに見せると8年前と同様に声を挙げて驚かれました。
高度な意識体は岩に降臨するようです。
高度な意識体は体がないために人間がきちんと祀る事で鎮座するとのこと。
この岩は宇宙から見れば地上で最も輝いた光を発していると魚谷佳代さんは説明します。
高度な意識体を神と呼ぶならば、その神の意志を受けて地上で作業をするのが私達人間の役割だと思います。
これからはそのような神と人間との共同作業、つまり神人合一が求められると感じています。清々しい良い時間が流れました。
予定を変更してまで私達一行をご案内頂いた魚谷佳代さんに心より感謝申し上げます。
シオンの山から戻った後は淡路島を南に移動しましたが、その模様は次回以降に投稿したい
と思います。
~淡路島への取材旅行・3~
市民メディアのスタッフの皆さんとの淡路島への取材旅行2日目の11月16日は魚谷佳代さんのご案内によりシオンの山の祭祀場をお参りした後は、淡路島を南下して最南端のサービスエリアから鳴門海峡を眺めながら歓談しました。
早朝からシオンの山に登る前に宿泊先のホテルの露天風呂に浸かりながら眺めた日の出が格別に美しく、まるで日の丸そのものでした。
私は全く日の出を意識せず朝の露天風呂に入ったのですが、まさに私が露天風呂に入った瞬間から日が昇り始めました。
他の宿泊客は露天風呂に辛抱強く待機して日の出を待っていた方々もいて、「丁度良いタイミングで来たね。」と言われました。
ひときわ大きく淡い蜜柑色の日が昇り、鳥が鳴き声を響かせて二羽が横切っていく姿は絵に
なる光景でした。
また前日夜の宿泊先での食事で食べた玉ねぎがとても軽やかで甘く美味しかったのですが、淡路島の玉ねぎは良質です。
淡路島がいにしへの世に御食国といわれた理由も分かる気がしました。
淡路島最南端から鳴門海峡を眺めると、やはりここまで来れば徳島県に渡りたいという衝動に駆られます。
昨年夏はここから徳島県に渡り、最初は室戸岬を目指していたのですが途中で気が変わり
剣山を目指して進路を西に変えました。
鳴門海峡からは北上して帰路につき、途中でイザナギ神宮にお参りしました。
私は8年ぶりのイザナギ神宮でしたが、この地にイザヤさんの御陵(みささぎ)が古来よりずっとあるとの事で、悠久の時間を感じます。
時系列が前後する画像も添えていますが、あっという間の2日間でしたが皆さんと楽しく有意義な時間を過ごしました。
0コメント