羽根ライン

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なるほど!!(*≧∀≦*)やっと見えてきた、超古代縄文文明!!

竹内文書が伝承する世界首都「越の国」羽根ラインは超古代文明の世界標準子午線か?

東経137度黄金比ライン

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田原赤羽根➡️こどもの国(越田)➡️梅庄➡️三ヶ根観音➡️幸田駅➡️南公園➡️岡崎駅(羽根町)➡️菅生神社➡️村積山古墳➡️奥山田の垂れ桜➡️土岐ペトログラフ巨石群➡️五宝の滝➡️金山巨石群➡️位山➡️聖域の岬

http://masa3277.konjiki.jp/2index.html 【「竹内文書の謎を解く」 著者「布施泰和」 成甲書房 】より

「竹内文書」・・・・古代日本史に興味を持った方なら誰でもその文献の名前を耳にした事があるはずである。 しかし、その書かれている内容を吟味していけば極めて「荒唐無稽」な事があり(キリストが来日して、その生涯を日本で終えた、とかモーゼが来日し古代の天皇に謁見したとか・・・・)そのあまりに極端な日本中心主義を歴史学者は「超皇国史観」と呼ぶらしいが・・・その様な事について論じている本ならば全く本書は購入する価値はないのだが、本書は勿論違う。現実にこの日本国内に存在している「遺跡群」に光を当て、遺跡周辺の地元民に伝わる伝承話を調べ上げ「竹内文書」の内容と符号する様な部分を丁寧に取り上げた信用のある良書です。

第一この著者は「共同通信社」という一流の報道局にいた「極めて物事を客観的に判断できるジャーナリスト」である。その著者が20年の歳月をかけて調査してきた努力の賜物が本書の内容であるから、読んで見ると著者の「誠意」が随所に感じられる事はすぐに解る。 それでは、まずこの優秀なジャーナリストが目を付けた遺跡の紹介から始める事にしよう。      

「尖り山」・・・果たしてこれは太古のピラミッドなのだろうか?・・・

 「尖り山」は、富山市内から南東に車で約50分の場所にあるそうだ。やはり昔から変わった山として「調査」に来る人も多いらしい。山の頂まで登るは「登山道」が整備されていて普通の運動靴でも十分行けるとの事。(興味のある方は是非登って見ては?)

だが、この山が由緒ある不思議な山である事もさながら他にも何か関連のありそうな「山」が存在しているというのだから驚きである。 それは市の西郊外にある「呉羽山」という。「竹内文書」にも登場し、天津教(平たく言えば竹内文書に書かれていることを真実と見なし、太古の天皇を崇拝する教え)の信者はこの山を「御皇城山」と呼び、太古の昔その山に天皇が建てた宮殿の屋根は「ヒヒイロカネ」といい金色に輝く金属で出来ていたという。・・・何とも不思議なお話だが・・・

 さて、話を「尖り山」に戻しましてこの山の近辺で起こったと言われる不思議な現象を本書から抜粋して見ようと思う。まず、この付近では何故か「UFO 」の目撃情報が多いそうである。

※(証言1船尾美津子さん)・・・「昭和55年2月21日午後8時頃の事です。雲一つない夜空に富山から帰宅途中に、尖り山の天辺に「オレンジ色の光」を発見、停車しました 同乗者は他に2名いました。尖り山の頂上いっぱいに燃え上がっている炎の様にも見えました。しかし、煙は立ってはいない。良く見ていると「炎」が二分されていたり、また元通りになったりしていました。後日、尖り山に登った人に尋ねると「焼けた跡」は見つからなかったといわれました。

※(証言2佐伯金三さん)・・・「1978年8月10日夜8時頃、車を運転していたら、対向車線にまばゆい「オレンジ色の光」が見えました。最初はオートバイのライトだと思ったのです。だが、近づくとそれは、キラキラ輝く「白光色の球体」で道路の上をグルグルと回っていたのです。私がさらに近づくと、ものすごい勢いで上昇し夜空に消えていきました。」

・・・他にも尖り山の東方にある山で「光る物体」に追いかけられたというグループもいたという。・・・あなたはどう思いますか?

  確かに普通の山ではなさそうである。実際にこの山の表面部分には、北側の中腹に高さ6~7m の石垣が約50m間隔で並んで段の様になっている。近くには1~2mの丸い高台がある。・・・そうである。(明らかに人口の山らしい形状だが・・・)そして極めつけの如く、富山大学人文学部の山口博教授は次の様に主張している。 「草木や土に埋もれて、基礎部分から人工なのか、上の半分からが人工なのかはわからないが、明らかに「ピラミッド」でしょう。神代の歴史を記したと云われている「竹内文書」にも書かれていますよ。」と・・・・・・(何とも夢のある話ではないか!)

・・・ではこの「竹内文書」では「尖り山」はどの様に描かれているのだろうか?・・・残念ながら「その箇所を見たことがある」という人物はいるらしいが、(滑川市の天神人祖一神宮の高畠管長さん)資料として公開する事は出来ないそうである。(戦災で焼失したとか、他の者に渡ったとか、むやみに出してはいけないとの遺言があるとか・・・) しかし、この因縁浅からぬ「竹内文書」の一部があるという。その名は「神代の万国史」-富山県立図書館に蔵書されている。-その本には「トンガリ山は上古第24代天仁仁杵身光天皇(アメノニニギノスメラミコト)の神殿のアトである。」と書かれている。・・・「神殿」-先に紹介した「呉羽山」も太古の昔天皇が建設した「宮殿」が存在していたという。(しかも、金色に輝く未知の金属で出来ていた!)ではこの「尖り山」があの「古事記」で女神アマテラスから「三種の神器」を受け取り日本国を治めよと言われた「ニニギノミコト」の為に造営された神殿だとしたら、それはどんな 物質で出来ていたのだろうか?・・・・そう言えば、皆さんはこんな「伝説」を何かの本等で読んだ事があるのではなかろうか?-「黄金の国・ジパング」ー・・・どうです。ありますよね?(中世のアラブ商人や、ヨーロッパの人々は本気で信じていたらしいが・・・)若しかするとその伝説というのは太古の昔(2~3万年前)の日本にはその「ヒヒイロカネ」で造られた宮殿やら神殿やら、何かの記念碑(モニュメント」が至る所にあったのではないか?-「黄金の国」と言われたその伝説はその名残ではないのか?-と推測するのは妄想でしょうか? 皆さんはどう思いますか? ・・・

(余談だが中国の西安郊外には、大昔天から「火を噴く籠からやって来た人々」がこの地に様々な宮殿を建てた・・・という伝説があるらしい。その伝説を彷彿とさせる遺跡群が最近ネットや書籍等でも調べたり、見ることが出来るようになった。

いつの時代に誰によって建てられたのだろうか?

   この写真では、完全なる「ピラミッド」形状をしているが、「尖り山」も表面の草木、土砂等を取り除いていけば、あるいはもしかして・・・・・何て事があるのかもしれません・・

羽のラインの「謎」・・・それは古代の光通信の跡か?

  「竹内文書」には他にも様々な伝説がある。その一つが「天空浮船」だろう。太古の昔、人々はこの乗り物に乗り世界を自由に行き来していたという。(気球とはまた違う乗り物だったようだ。)そしてその発着場(つまり古代の空港)を「羽根」と名付けたというのだ。・・・左図を見てほしい。(少し見にくいかもしれませんが)これは日本海から太平洋にかけて東経約137度11分の南北に伸びるライン上に「羽根」という名を含む地名を列挙したものである。(実は著者が発見した事である。) それは以下の様になる。

奥能登の羽根神社 137度10分46秒 呉羽山137度11分36秒 

羽根神社 137度11分24秒 小羽 137度11分40秒

岐阜県萩原町の羽根 137度11分58秒 愛知県岡崎市の羽根 137度10分30秒 

愛知県赤羽根町の光岩137度11分00秒 愛知県赤羽根町の中心137度12分00秒

これは何かの偶然だろうか?いや、そうではあるまい。著者も次の様に力説している。「いずれにしても、日本海から太平洋にかけて東経約137度11分の南北に伸びるライン上に「羽根」という地名が、何者かによって意図的に付けられた事は明らかだ。しかも経度にそってラインを引いた事に意義がある。経度は時間を正確に測る必要があるからだ。これは超古代の人々が時間を正確に測る技術を持っていた事を意味する。これは驚異的な事だ。初めて実測による日本地図を作ったという伊能忠敬でさえ、正確な時計をもってなかった為に経度の作成は出来なかったとされているからだ。少なくとも日本史を抜本的に見直す必要がある。」・・・また、こうも言っている。「あるいは、空から見ないとこの直線を目で確認出来ないという点において、天空浮船が存在したという傍証になるのかもしれない。また、もし竹内文書に書かれている様に「位山」を中心とする飛騨地方が古代王朝の首都だったとすると、位山を世界の方位、経緯度の中心に設定したとしても不思議ではない。その場合、「羽根のラインは現在のグリニッジ天文台を通る経線と同じ意味を持っていた事になる。」と・・・・・ちなみに、全国の「羽根」という地名を調べると、何れも河川の近くの開けた場所にある事が解るという。・・・あなたはどう思う?      

天柱石の謎・・・・遥か大昔のシャトル発射台?

確かにそう見えなくもないが・・・竹内文書に登場する遺跡群の中でも 群を抜いて古いものらしい・・・

天柱石・・・それは同じく富山市内から車で2時間ほどの五箇山の山奥にある。高さは約60m 、周りは本当に人気のない場所である。著者によれば、地元の人でも行った事がない。という人が多いらしい。しかし、天津教の信者達はこの場所を神聖視して年に一度お祭りを開くとの事。石の表面を良く見ると岩の所どころが赤く、錆びたようになっているとか。(岩に鉄分が含まれている?・・・やはり人工のものなのか?)

ちなみに、この天柱石の付近では「神代文字」らしきものが彫られた石が見つかるという。(興味のある方は是非、行かれて見ては?)「竹内文書」では「天一天柱に神大空の天に登る所を天一柱国と名づけ・・・」とある。つまり、宇宙から来た神が(太古の宇宙人の事?)再び宇宙へと飛び立った場所があるのだが、それがこの天柱石のある場所だというのだ。

・・・見ようによっては確かにこの岩は、シャトル型の宇宙船か何かを加速を付けて発射させる人工の建造物に見えない事もないが、本当はどうなのだろうか?興味が尽きない。・・・・・

追記 実はこの著者のブログを以下のアドレスで閲覧出来ます。このページでは先に述べた「神代文字」の写真が載せられています。

天の王朝

「最後のムー大陸・日本」より転写

ここで少し、私も面白い文字刺繍を紹介しましょう。写真を見た方ならお解りになると思うが、この2図に描かれている文字の中に、先の神代文字に良く似ている文字がある事にお気付きになったと思う。左図が「アイヌ文様」、右図があの伝説の「ムー大陸」のシンボルだという。太古の日本とムー大陸は何か密接な関係があったのかもしれない。そしてアイヌ人とは、やはり大昔ムー大陸と交易を持っていた(若しくは大陸に住んでいた?)人々の末裔であるかもしれない。・・・・

 位山・船山の巨石群・・・・・「天孫降臨」の地は飛騨だった?

この山(位山)にはあの有名な「天の岩戸」があるというのだが・・・・

 ニニギノミコトが日本を治めるべく「天孫降臨」したという伝説は有名だが、その場所は一体何処なのか?学者によって様々だが、それは宮崎県の高千穂峡、あるいは宮崎、鹿児島両県の堺にある「高千穂峰」ではないか?と様々な説がある。

 しかし、「竹内文書」では「天孫降臨」をイメージさせる描写を基に辿っていくとニニギノミコトより遥かな昔、天神第五代「天一天柱主大神躰光神天皇」の時代に「神々の(太古の宇宙人?)地球視察」があったといわれる。(今から5万年以上前?ちなみに古事記や日本書紀に登場するニニギノミコトは上古第24代の王とされている。)

さて、どの場所に降り立ったのかといえば天越根日玉国狭依国越中国の久久野山(岐阜県の船山)に大宮を建設したという記述があるそうだ。そしてこの地元には次の様な伝説があると著者は言っている。「位山の主は、神武天皇へ位を授けるべき神である。身体一つにして顔は二面、手足四つの両面四手の姿である。天の雲を掻き分け、天津船に乗って山の頂に降臨した。神武天皇に位を授けたので位山と呼び、船の着いた山を船山という。」・・・本当だろうか?

  その「位山」だが、頂上付近には天照の大神が弟のスサノオノミコトの悪事に耐えかね、この場所に隠れてしまったという「天の岩戸」があるそうです。「天の岩戸」・・・それは天照の大神の巨石神殿の入り口か何かではないか?・・と著者は推測しているようですが、本書では「中央の岩は高さ、幅、奥行きがそれぞれ4メートル位ある五角形状の家の様な形をしている。」とある。これも興味を引かれる遺跡だ。  

さて、以上何項目か足早に本書の内容を紹介して来ましたが他にも様々な遺跡群や、「竹内文書」の内容等について書かれていて大変に面白い(ただ単にという訳ではなく)事は間違いないと思います。(迷っていたら是非、購入しましょう!(笑)) ・・・

 確かに私達は学校で学ぶ「歴史」については日本の紀元前については、「縄文時代」や「弥生時代」しか学ばない訳でして・・・この様な「内容」を常識として受け入れる場合は、奇想天外な「SFもの」としか目に映らないのかもしれません。・・・ですが、良く考えてみましょう。この世界で由緒ある(というか真実であると見なされていると考えていいのかもしれませんが)「神話」や「伝説」を生んだ地域というのは、同時に列記とした「古代遺跡群」の宝庫である事を私達は忘れてはいけないと思います。(例・聖書、シュメル神話、エジプト神話、リグ・ヴェーダ神話、(インド)、封神演技 (中国)等など・・・)

 かつて英国にも留学した経験を持つあの「夏目漱石」も母校の東大の後進達の前で次の様に語っていたという・・・「足下を掘れ、そこに泉があるのだから・・・」と。 本書に出てくる遺跡群を掘り下げ、詳しく研究して行くならば、驚愕すべき偉大な英知の「泉」が湧き出でて来るのではないか?・・・と私は思うのですが・・・ (そして、私達日本人としての誇りと矜持が胸にふつふつと湧き上がってくるのではないか・・とも思うのだ)

 最後に前世紀を代表する天才科学者「A・アインシュタイン博士」の日本に対する意味深長なメッセージを紹介しつつ、文章を終えたいと思う。

 「この世界の盟主なるものは 武力や金力ではなくあらゆる国の歴史を抜き越えた 最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ 世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る

 それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない 我々は神に感謝する 我々に「日本」という尊い国を作っておいてくれた事を」・・・

彼は私達日本人に何を伝えたかったのか?「本書」を手に取りじっくりと思索してみる事は決して意味のない事ではあるまい・・・

http://izaki-office.jp/id-27988 【謎の「羽根ライン」と「竹内文書」】より

 「古事記」の神代篇。そこには、「天鳥船」という、神でもあり飛行船でもある存在が登場し、他の神を乗せて飛行するという話がある。この「天鳥船」に関しても、「UFOではないか」とする説は昔から絶えない。

 「空飛ぶ船なんて、空想の産物」と考える人もいるだろうが、そうとも言い切れない。「古事記」の時代よりも、さらに前の歴史を記したとされる「竹内文書」という古文書がある。一般的には「偽書」とされるが、そこには次のような記述がある。

 「天皇が天空浮船に乗って、登り行く(到着した)ところを『羽根』と名づける」

 この記述をもとに、全国の「羽根」という地名を探ってみると、驚くべき事実が浮かび上がる。

 石川県の「羽根」、富山県の「呉羽山」「羽根」「小羽」、岐阜県荻原町の「羽根」、愛知県岡崎市の「羽根」。これらの地点を線で結ぶと、日本海側から太平洋側までを貫く、真っ直ぐな直線になる。さらに、その直線は、東経137度11度に沿った きれいな南北の線になる。

 世界や国内にも、遺跡が“東西”に並ぶ「レイライン」と呼ばれるものは存在する。ただ、「東西のライン」であれば、まだ太陽や星を使った方角の測定で、引けないこともない。

 しかし、「南北のライン」となるとわけが違う。太陽や星から方角を測定するのとは別に、時間を正確に計る技術が必要となる。精密な時計が開発されたのは18世紀。人類が経度を正確に計る技術を得たのは、それからだと言われてきた。

 もし、この「羽根ライン」が意図的に引かれたとすれば、近代以降に開発された高度な技術が超古代に存在したか、「空から日本列島を見下ろしていたUFO」がいた可能性は捨てきれない。

 さらに、こうしたラインの存在と、「天空浮船」という記述のある「竹内文書」との一致を考えれば、天文技術どころではなく、航空技術まで存在していた可能性まで伺えるのです。

 この「竹内文書」における「天空浮船」について、幸福の科学大川隆法総裁が霊言を行った伊邪那岐命は、次のように述べています。

「そのなかには、宇宙人の話がたくさん入っておる。古代文書に書いてあるわな。『竹内文書』というやつだ。古代文字で書いてある。これには、『日本に、天空船(「天之浮船」または「天空浮船」。『古事記』では「天鳥船」とも記されている)で宇宙からやって来た話』が、たくさん載っておるよ。『竹内文書』と言うてな。主たる字体は、ムーから来ている字体なんだが、『古代における宇宙との交流の話』をたくさん書いておるものがあるんだよ」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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