もしあなたが悲しい気持ちなら

Facebook・Taiki Shimizuさん投稿記事 ◾️もしあなたが悲しい気持ちなら

もし悲しい気持ちになったとしても、あなたは「低い波動」の中にいるわけではありません。あなたは病んでいるわけでも、壊れているわけでも、悟りを開いていないわけでも、癒しから遠いわけでもありません。

あなたは「エゴに囚われている」わけでも、「分離した自己」に囚われているわけでもありません。悲しみは 間違いではありません。なぜなら、それは人生があなたの中で動いているからであり、人生が間違いであるはずがありません。

あなたはただ悲しいと感じている、それだけなのです。

それは、プレゼンスという生き生きとした映画のスクリーン上で繰り広げられる感情の状態であり、それだけです。

すべての波は海に受容されていて、すべての雲は空に受容されているように、私が悲しみを受容できないことさえも、今 受容されています。あなたは今、悲しみに祝福されたのです。

久しぶりにブログ更新〜続きはこちら〜

https://ameblo.jp/taiki-ism/entry-12702730052.html?fbclid=IwAR1tVeI3sDh5tNAqXKMBX0rpnvvglCEcr5-8JUHwUuHIJZfzmfc2XvgsVnM 【もしあなたが悲しい気持ちなら】より

コロナは七十六万二百  コロナは六十三万二百  コロナは三十七万十九

コロナは六十七万四千  コロナは八十三万五百  コロナは六十三万十五

かへれ、こまどり、アカシヤづくり。 赤の上着に野やまを越えて

コロナは三十七万二千  コロナは八万三千十九  コロナは十万八千二百

コロナは三十七万二百  コロナは三十七万二百 ( 宮沢賢治 / 「太陽マヂックの歌」より )

◾️もしあなたが悲しい気持ちなら

もし悲しい気持ちになったとしても、あなたは「低い波動」の中にいるわけではありません。あなたは病んでいるわけでも、壊れているわけでも、悟りを開いていないわけでも、

癒しから遠いわけでもありません。

あなたは「エゴに囚われている」わけでも、「分離した自己」に囚われているわけでもありません。悲しみは 間違いではありません。

なぜなら、それは人生があなたの中で動いているからであり、人生が間違いであるはずがありません。あなたはただ悲しいと感じている、それだけなのです。

それは、プレゼンスという生き生きとした映画のスクリーン上で繰り広げられる感情の状態であり、それだけです。

すべての波は海に受容されていて、すべての雲は空に受容されているように、私が悲しみを受容できないことさえも、今 受容されています。あなたは今、悲しみに祝福されたのです。

◾️友達が死にたいとき

友人が人生に "終わり "を感じたとき、 彼らが生きる意味を見失ったとき、あなたのシンプルな傾聴が最大の薬になります。彼らと一緒に泣いてください。一緒に考えてみてください。一緒に黙っていましょう。彼らを「助けよう」などとしないで、彼らの今の姿を目の当たりにしてください。

あなたが彼らを愛していること、そして彼らがそばにいてくれることを望んでいることを伝えてください。どんなに辛くても、彼らの気持ちを認めてあげてください。

彼らの経験に耳を傾けてあげてください。彼らはアイデンティティの危機を経験しています。これは終わりではなく、最後のシーンでもありません。今、賢い答えやスピリチュアルな答えを提示してはいけません。あなた自身を提供してください。

助けて「あげよう」としたり、説教したり、教えたり、説教したりしないでください。

彼らを裁いたり、彼らの考えや願望が間違っていると感じさせたりしないでください。

彼らを受け入れるだけでいいんです。そうすれば、彼らは孤独を感じることはありません。

そうすれば、彼らは自分自身の本質に触れ、勇気に触れることができます。

辛い気持ちに耐えて前に進むことができるように。空が激しい嵐に耐えて進んでいくように。

もし友人がこの人生に「終わり」を感じたとき、彼らの世界がもはや意味をなさないとき、彼らをもっと愛してあげてください。  

彼らの正直さ、真実を語る勇気に敬意を表しましょう。

すべての偽りや嘘についに「終止符」を打ち、新しい友達が生まれようとしています。

脱皮するのは痛くて怖いことですが、古い皮を纏ったまま生きるのは結局もっと辛いことなのです。

友人が聖なる深みに触れ、神々に向かって "もうこの人生は終わりだ!"と叫んでいるときに、彼らは人生ドラマから抜け出そうとしています。

彼らは問題を通して、問題を越えていこうとしています。

自分が自由になるのではなく、自分から自由になろうとしているのです。

https://ameblo.jp/3838fan/entry-11512090710.html 【イーハトーボ農学校の春】より

太陽マジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。

とりとんのみやけん倶楽部-nougakko-gakufu

(楽譜の歌詞=コロナは七十六万二百)

 わたしたちは黄いろの実習服を着て、くずれかかった煉瓦(れんが)の肥溜(こえだめ)のとこへあつまりました。

 冬中いつも唇が青ざめて、がたがたふるえていた阿部時夫などが、今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにか笑っています。ほんとうに阿部時夫なら、冬の間からだが悪かったのではなくて、シャツを一枚しかもっていなかったのです。それにせいが高いので、教室でもいちばん火に遠いこわれた戸のすきまから風のひゅうひゅう入って来る北東の隅だったのです。

 けれども今日は、こんなにそらがまっ青で、見ているとまるでわくわくするよう、かれくさも桑ばやしの黄いろの脚もまばゆいくらいです。おまけに堆肥小屋の裏の二きれの雲は立派に光っていますし、それにちかくの空ではひばりがまるで砂糖水のようにふるえて、すきとおった空気いっぱいやっているのです。もう誰だって胸中からもくもく湧いてくるうれしさに笑い出さないでいられるでしょうか。そうでなければ無理に口を横に大きくしたり、わざと額をしかめたりしてそれをごまかしているのです。

  (コロナは六十三万二百

  <ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥

  ああきれいだ、まるでまっ赤な花火のようだよ。)

 それはリシウムの紅焔(こうえん)でしょう。ほんとうに光炎菩薩(ぼさつ)太陽マジックの歌はそらにも地面にもちからいっぱい、日光の小さな小さな菫(すみれ)や橙(だいだい)や赤の波といっしょに一生けんめいに鳴っています。カイロ男爵だって早く上等の絹のフロックを着て明るいとこへ跳びだすがいいでしょう。

 楊(やなぎ)の木の中でも樺(かば)の木でも、またかれくさの地下茎でも、月光いろの甘い樹液がちらちらゆれだし、早い萱草(かんぞう)たつめくさの芽にはもう黄金(きん)いろのちいさな澱粉(でんぷん)の粒がつうつう浮いたり沈んだりしています。

(コロナは六十七万四千

 <ト音記号>‥‥‥

 <ト音記号>‥‥‥                    )

 くずれかかった煉瓦の肥溜の中にはビールのように泡がもりあがっています。さあ順番に桶(おけ)に汲(く)み込もう。そこらいっぱいこんなにひどく明るくて、ラジウムよりももっとはげしく、そしてやさしい光の波が一生けん命一生けん命ふるえているのに、いったいどんなものがきたなくてどんなものがわるいのでしょうか。もうどんどん泡があふれ出してもいいのです。青ぞらいっぱい鳴っているあのりんとした太陽マジックの歌をお聴きなさい。

 (<ト音記号>‥‥‥

  コロナは三十七万十九

  <ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥                    )

 さあ、ではみんなでこいつを下台(しもだい)の麦ばたけまで持って行こう、こっちの崖はあんまり急ですからやっぱり女学校の裏をまわって楊の木のあるとこの坂をおりて行きましょう。大丈夫二十分かかりません。なるべくせいの似たような人と、二人で一つずつかついで下さい。そうです、町の裏を通って行くのです。阿部君はいっしょに行くひとがない、それはぼくといっしょに行こう。ああ鳴っている、鳴っている、そこらいちめん鳴っている太陽マジックの歌をごらんなさい。

 (<ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥

  コロナは八十三万五百

  <ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥                    )

 まぶしい山の雪の反射です。わたくしがはたらきながら、また重いものをはこびながら、手で水をすくうことも考えることのできないときは、そこから白びかりが氷のようにわたくしの咽喉(のど)に寄せてきて、こくっとわたくしの咽喉を鳴らし、すっかりなおしてしまうのです。それにいまならぼくたちの膝はまるで上等のばねのようです。去年の秋のようにあんなつめたい風のなかなら仕事もずいぶんひどかったのですけれども、いまならあんまり楽でただ少し肩の重苦しいのをこらえるだけです。それだって却って胸があつくなっていい気持なくらいです。

  (コロナは六十三万十五

   <ト音記号>‥‥‥

   <ト音記号>‥‥‥                    )

 おおこまどり、鳴いて行く鳴いて行く、音譜のように飛んで行きます。赤い上着でどこまで今日はかけて行くの。いいねえ、ほんとうに、

 かえれ、こまどり、アカシヤづくり。

 赤の上着に野やまを越えて

(<ト音記号>‥‥‥

 <ト音記号>‥‥‥

 コロナは三十七万二千

 <ト音記号>‥‥‥                    )

 そこの角から赤髪(あかげ)の子供がひとり、こっちをのぞいてわらっています。おい、大将、証書はちゃんとしまったかい。筆記帳には組と名前を楷書で書いてしまったの。

 さあ、春だ、うたったり走ったり、とびあがったりするがいい。風野又三郎だって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるきながら春が来た、春が来たをうたっているよ。ほんとうにもう、走ったりうたったり、飛びあがったりするがいい。ぼくたちはいまいそがしいんだよ。

 (コロナは八万三千十九

  <ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥                    )

 砂土(すなつち)がやわらかい匂(におい)の息をはいています。いままでやすんでいた虫どもが、ぼんやりといま眼をさまし、しずかに息をするらしいのです。麦はつやつや光っています。雪の下からうまくとけて出て青い麦です。早く走って行こう、かけさえしたらすぐに麦は吸い込むのだ。

(コロナは八万三千十九)

 わたくしたちが柄杓(ひしゃく)で肥を麦にかければ、水はどうしてそんなにまだ力も入れないうちに水銀のように青く光り、たまになって麦の上に飛びだすのでしょう、また砂土がどうしてあんなにのどの乾いた子どもの水を呑(の)むように肥を吸い込むのでしょう。もうほんとうにそうでなければならないから、それがただひとつのみちだからひとりでどんどんそうなるのです。

 (コロナは十万八千二百

  <ト音記号>‥‥‥

  <ト音記号>‥‥‥                    )

 こんどは帰りはわたくしたちは近みちをしてあの急な坂をのぼりましょう。あすこの坂なら杉の木が昆布かびろうどのようです。阿部君、だまってそらを見ながらあるいていて一体何を見ているの。そうそう、青ぞらのあんな高いとこ、巻雲(けんうん)さえ浮びそうに見えるとこを、三羽の鷹(たか)かなにかの鳥が、それとも鶴かスワンでしょうか、三またの槍(やり)の穂のようにはねをのばして白く光ってとんで行きます。

(コロナは三十七万二百

 <ト音記号>‥‥‥

 <ト音記号>‥‥‥                    )

 おや、このせきの去年のちいさな丸太の橋は、雪代水(ゆきしろみず)で流れたな、からだだけならすぐ跳べるんだが肥桶をどうしような。阿部君、まず跳び越えてください。うまい、少しぐちゃっと苔(こけ)にはいったけれども、まあいいねえ、それではぼくはいまこっちで桶をつるすから、そっちでとってくれ給(たま)え。そら、重い、ぼくは起重機の一種だよ。重い、ほう、天びん棒がひとりでに、磁石のように君の手へ吸い着いて行った。太陽マジックなんだほんとうに。うまい。

(<ト音記号>‥‥‥

 <ト音記号>‥‥‥                    )

 楊の木でも樺の木でも、燐光(りんこう)の樹液がいっぱい脈をうっています。

◆以上、宮沢賢治「イーハトーボ農学校の春」の全文でした。初めて読む方も多いと思うので、先入観なく楽しめるように、前置きはせず(^^)

◇よく分からないところもあるけれど、待ちわびた「春」が訪れ「イーハトーボ農学校」の生徒と一緒に農作業を楽しむ、みやけん先生の様子が伝わってきます。

◆冒頭の「太陽マジック」という表現に、まず、やられます。普段はあまり意識していないけれど、太陽のおかげで私たちは生きている。ほんたうに、お日様さまです(^^)

◇次に、文章の中に、突然、譜面が出てくる。まあ、その発想、自由さはなかなか真似できない。いや、たまには、今の作家にも真似して欲しいかも。

◆この「太陽マジックのうた」の変化するコロナの数字は何かというのは、謎で、コロナの温度とか紅焔の高さとか、研究者はいろいろ言ってますが…

◇それが絶えず変化しているのが重要であって、太陽の暖かさ・明るさ、つまり、春の変わりやすい気象変化=雲量の変化を表している…

◇と、かつて、イーハトーブを旅したとき、私のかたわらに現れた(以前サイクルホールを教えてくれた)風野又三郎くんが言っていたようないないような(^^)

◇楽譜があるので、音痴でない方は実際に歌ってみるのもいいかもしれませんが、<参考 >ページで音源(音痴でない歌と曲)をアップしている方がおられました。

とりとんのみやけん倶楽部-korona

△コロナ。昨年の春に見られたコロナの大爆発をとらえた<動画 >も。

◆目には見えないであろう木々の樹液=植物の内部まで、生き生きとイメージし、感じることができるみやけん先生は、ほんたうにすごい(^^)

◆他の作品を読んでいる(知っている)と、文中に、風野又三郎(「風の又三郎」の前作品)とか、(蛙の)カイロ団長とかが出てきて、楽しい。

◆肥溜めは、最近はもう田舎でもめったに見られないから、その様子をリアルに思い浮かべることは難しいかもしれない(^^)

◇私も、肥溜めを見たのは、映画「森の学校」(2002年/<HP >)で、子役時代の三浦「春」馬くんが「野壺」に落っこちたシーンが最後かも(^^)

◆そのほか、独特な比喩表現など、まだまだ、感じて読めば、いろいろ新しい発見がありそうな作品です(^^)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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