Facebook・船木 威徳さん投稿記事【 忘れもの 】
私が育った実家には、エアコンがありませんでした。夏になると、家族は、常に汗をかいていました。中学、高校と、夏休みの膨大な宿題をひたすら汗をかいてやっていた記憶しか
ありません。
それから何十年もたって、生活は非常に快適になったのですが病院で働いてきた私は、40歳くらいまで、夏なのに、汗をかくことがほとんどなかったと思います。
子どもだけではない、大人になっても、やはり、楽しい季節のはずの「夏」。
人生なんてあっというまにすぎていきます。
そのなかで、一番大切なのは、自分の想い出を作ること。
今までなかなか読めなかった本を読む。新しい運動の習慣をつくる。珍しいものを食べてみる。会いたかった人に会いに行く。なんでもいいのです。
私が、夏こそ大切だと思うこと、夏こそ、想い出づくりに必須だと考えるのは「汗をかく」こと。
変わり映えのしない毎日、同じような毎日にうんざりしているなら ぜひ、エアコンを止めて、セミの声を聴きながら、汗をかいてください。
自然に、わけがわからないくらい楽しくなってきて、おおあせをかいている自分が可笑しくなってくるはずです。
いま、ほとんどの子どもも大人も、この楽しい季節に忘れているのは、汗をかくことだと思います。
炎天下、毎日、たくさんのお宅を回って診療にあたってくれている、クリニックのスタッフたちにも、深い感謝をこめて。
〜王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
5年前 この日の思い出を見る 船木 威徳 2016年8月12日 ·
【 子どもの夏休みを「成功」させる 】
私の育った家は、兄弟が多かったことと 両親の実家が両方、非常に遠かったこととで
(簡単に言えば、帰省にはお金がずいぶんかかったので)子ども時代に一家で帰省したり、そろって旅行したり、という経験は、あまりありません。
だからといって、どこかに行きたかったなあ、とつまらない思いをした記憶も全くありません。
小学校の4年生くらいまで、夏休みは、どこにも行かず、家にこもっていたわけではなく
ましてや今のようなゲームも携帯も当時はなかったので、ひたすら、そとでくたくたになるまで遊ぶ時間がありました。
いま考えると、子ども時代の夏休みには、「身近な感動」が充ち満ちていました。
私は、小学5年生にあがってから、いわゆる中学受験の勉強をすることになったのですが
そこで憶えた、ある「詩」を、夏になると、とくに8月になると思い出します。
高田敏子さんという方の詩です。
-------------------------------以下、引用。
忘れもの 高田敏子
入道雲にのって 夏休みはいってしまった 「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて けさ 空はまっさお 木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな 忘れものをとりにさ 迷子のセミ
さびしそうな麦わら帽子 それから ぼくの耳に くっついて離れない波の音
------------------------------引用終わり。
たった、10行あまりの詩です。その、短い詩で、子ども時代の、楽しかった時間、発見に充ちていた時間、そしてそれが過ぎ去ってゆく切なさをこんなに代弁してくれる詩は、私は読んだことがありません。
この気持ちを「忘れもの」というひと言に凝縮できるほどの力も私にはありません。
切ない、さびしい、どこか悲しい、取り戻せない時間、だけど、大人になってからも想像のなかで日焼けした小さな少年の自分をそばで見ていられる世界にかんたんに戻らせてもらえるような、私にとっては「宝もの」の一文です。
受験勉強というと、つらくて、競争ばかりで、眠くて、疲れていて、傍で見ていてかわいそうなイメージがあります。
しかし、当時の10歳そこそこの私には、かわいそう、どころか、ことばに尽くせないほどの
『感動』がありました。
ウソではなく、楽しんでいました。そう、勉強しながら『感動』していました。
参考書や問題集では、国語が大好きでした。そこに登場する人たちの物語、歴史上のできごとを読むことで、四字熟語の「うまくまとめた感」を知ることで自分がどんどん成長してゆくような『感動』があったのです。
かつて身長も低かった、小学生だった息子が背の高い大学生になってしまって、かわりに
下の娘が小学生になったばかりです。
私のまわりにも、小学生を持つ親御さんがたくさんいて、たびたび同じ質問をされます。
「夏休みをどうやって過ごすか?」「どうしたら勉強してくれるか?」に、多くの質問はまとめられます。
私は、思うのです。夏休みは、与えられた宿題や絵日記や、塾の宿題に(もちろんそれらは大事ですが)ただただノルマのように追いまくられる時間でも親にかくれて、ゲームをすべき時間でもない。
特に、小学生の低学年については、次の3つを確実に身につけるべき時間だとそう考えています。その3つとは、・健康(肉体・精神) ・知恵(知識・経験) ・自信です。そして、その3つが揃うと、そこに自然についてくるものがあるのです。
それが『感動』です。
私は、いまの子どもたちには、切ない気持ち、泣きたい気持ちをとことんまで味わうような『感動』をたくさん経験してほしいと思っています。
大人になる過程で、いつでも、ちいさな子どもに戻って、子ども時代に感じた思いに帰れる場所を作っておいて欲しいからです。
自分で、じぶんのなかの「宝もの」となる『感動』の記憶をたくさん持っている人は、
成長するなかで体験する困難を乗り越える力がそれだけ強くなると考えているからです。
その、あとからお金を出しても手に入れることはできない『感動』を子どもたちのなかに増し加える要素こそ、・健康(肉体・精神)・知恵(知識・経験)・自信だと、私は思うのです。
食べもの、飲み物に親が気を配り、遠くに旅行なんてできなくていいから、親や、信頼できるおとなが見守るなかで知恵をはぐくみ、蓄える。
その経験以上に、子どもの自信につながるものはないと信じています。
ゲームや、ネット、スマホばかりいじって勉強しない…、という親御さんの質問も受けますが、方法は親御さんが、いっしょに子どもと『感動』することです。
一緒に『感動』を探して欲しいです。
『感動』は、最初は派手に見えません。たとえるなら、しっぽしか見せてくれません。
それらの手がかりは、きっと、いや必ず、学校のあたりまえの教科書やドリルのなかに、あるいは、イヤイヤ読んでいた課題図書のなかに友だちと真っ黒になって走り回る時間のなかに、いつもの見慣れた近所の散歩の途中に…、「こっそり」かくれていて、時間がたってから、じわじわとそのすばらしい正体を子どもたちや、親の私たちにも現してくれるのです。
「夏休み」。
やはり、子どもたちの一生の「宝もの」になるべき、大切な、時間です。
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
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