https://www.toibito.com/interview/humanities/science-of-religion/783 【日本人の死生観【前編】島薗 進】より
生あるものすべてに等しくおとずれる「死」。私たちは誰一人として、死と無縁ではいられません。親しい人、かけがえのない人、そして自分自身の死。近代以降の日本人にとって、死はどういうものだったのでしょう。そして、現代を生きる私たちは「さまざまな死」と、どう向き合っていけばよいのでしょうか。宗教学者の島薗進先生にお話を伺いました。
武士道の「発見」
――「死生観」という言葉が出てきたのが、実は明治も後半になってからだとお聞きして意外だったんですけど。その背景にあるのは、日本が近代国家をつくっていく上で「あるべき日本人像」みたいなものが求められたということでしょうか。
そうですね。明治の初めの頃は西洋に追いつけ追い越せで一生懸命だったんだけれども、じゃあ西洋に対抗するときの、日本人のよりどころは何なんだということですね。国家のよりどころみたいなものはあったし、各宗教にもそれなりのビジョンはあったけど、じゃあ日本人としてはどうなんだというふうになってきたんだと思います。
――国家や宗教とはまた違う軸で、個人としてどう生きるかを意識するようになった。
個人と言ってもいいかもしれませんが日本人、世界の中の日本人。自分をそういう日本人として相対的に理解し、じゃあそれは何なんだという感じでしょうね。
――日本人としてのアイデンティティーみたいなことですね。
そういうことです。それはいまだに問い続けてるみたいなところもありますが、日本人論というのがその頃からできてきました。
――それがまずは武士道的な死生観へとつながっていくと。
一つは武士道というものが出てきたということですね。明治には武士というものがいなくなったのですが、かつてのリーダーではあったわけです。江戸時代には儒教がさかんだったわけですが、儒教というのは中国からの借り物なので、やっぱりちょっと日本そのものじゃない。それで、儒教の影響を受けてはいるけれど日本独自のものということで、武士道が浮上してきたという感じです。
――武士道というのはどんなものなんですか
中国では文人が儒学の書物を読み、そこからあるべき生き方を学んで社会のリーダーになっていくんですけど、日本の場合はそれが武士だったわけです。武士が社会のリーダー。武士は戦のときは刀を使うわけだけど、じゃあ平和なときは何をするかっていうと、結局は儒教を学ぶ文人に近づいていく。つまり、戦う武士と治める文人、その調和を取るような、その間で独自性を見いだしていくような思想が求められたのではないでしょうか。それが武士道というものにつながっていったんだと思います。
――中国では国を治めるのは文人だったんですね。
文人ですね。武人っていうのは、中国ではあまり尊敬されない。日本は長らく武士政権で、武士が権力を持ってきたから、思想というよりは肉体派だったというか。
――なるほど。
今でも日本では、どこか体育会系にひかれるような感じがあるんじゃないでしょうか。中国や韓国から見ると、そう見えることがあると思います。ただ、明治時代に武士道を唱えた人たちは、儒学もよく分かっているし、西洋の学問もある程度修めていた。そういう人たちが儒教でもない、西洋の学問でもない、日本人のリーダーの生き方というので、武士道というものを取り上げた。だからそれは中世の、あるいは近世の実際の武士の生き方とは合ってないところも多かったわけです。
――実際は『葉隠』の「武士道というは死ぬことと見つけたり」ってわけでもなかったんですか。
いえ、死を強く意識するというのは、実際に武士の特徴の一つでした。死生観の死生という用語は、実は論語に出てくるんです。でも、論語的には、あるいは儒教的には、死を強く意識するということにあまり大きな意味を持たない。生きていくことが大事なので、死んでどうなるなんてことの前に、いかによく生きるかを考えなさいと教えます。ところが日本人の場合は、いかに死ぬかということが強く意識されている。『葉隠』などは正にそうですね。
ですので、死生観というときに、言葉は儒学の言葉を使いながらも、そこには日本の武士的な思想が入っている。武士が死を意識するというのは、どこか仏教の影響があると思います。仏教は死を強く意識する宗教だと思うので。
無常
――仏教は死を強く意識する宗教だというお話ですけど、仏教でも宗派によって死の捉え方が違うんじゃないかなって何となく思うんですけど。
仏教の根本的な概念は「無常」というものです。すべてのものは儚(はかな)い、存在し続けるものはない、いつかは消滅する。これは生き物であれば死ぬということであり、人間もまたしかりです。生きているということは死を運命付けられてるということであり、そのことを早く自覚することが大事なんだと。その滅びゆくものとしての人間をどのようにして超えていくか。これが悟りを求めるということになります。
――死ぬという運命を超えると。
その一つの形式は、極楽浄土に往生するという形で輪廻(りんね)を超えていくということです。輪廻とは生と死の循環。無常というのは別の見方をすると輪廻であって、生まれては死に、生まれては死にを繰り返すということです。しかし、その繰り返しの中にある限り、究極の安心、安らぎ、心の落ち着きは見いだせない。だから、それを超えた次元へと心を高める。悟りとか涅槃(ねはん)というのはそういうことです。
したがって武士も、死の恐怖に見舞われてもそれに動じず、生きる、死ぬということを超えた心の状態を目指す。武道にはそういうところがありますよね。一瞬の中に生死を超えた永遠のものがあって、その境地を悟ることが武士の道である。こういう考えは浄土教にもあるし、禅にもあります。禅は一瞬の中の無常を超えたものに心を向けるというか、そういうものになりきろうとする感じですね。
――無常という考え方は日本独自のものですか。
これは世界中にあると思うんです。死を意識することで生きていることを愛おしむ。中国でいえば、漢詩の世界は死を意識して今を楽しむみたいな。これは仏教よりも道教に近いですね。李白なんかはそれで酒を飲む。
こういうのはイスラムの世界にもあって、オマル・ハイヤームというイランの詩人に『ルバイヤート』という詩集があって、これは無常を歌っています。今、われわれは人生の楽しみを味わっているけれども、これは結局短いものである。だからああしろ、こうしろということではないんだけれども、それを思いながら今を大事にするということです。現代でも「オマル・ハイヤーム」とか「ルバイヤート」っていう名前が付いた飲み屋やレストラン、あるいはホテルがあります。そこでワインを飲むと、実に一生をはかなみながら今の時間を楽しむことができます(笑)
旧約聖書には『伝道の書』というのがあって、今は『コヘレトの書』と訳されてますけれども、これも実は人間の生のはかなさ、頼りなさを歌っている。『ルバイヤート』も『伝道の書』も一神教の神と矛盾しない。神は永遠のものだけど人間は、はかない。ですから、永遠のものとはかないものという対比は世界中の文化にあると思います。
――神は移り変わらない絶対的なもので、対する私たち人間ははかなく、常に移り変わる。
それは英語で言うと「モータル」という言葉ですね。死にゆくもの、死すべきもの。これは植物も動物も人間も死すべきものであり、時間の流れの中で限定的な存在である。それに対して「イモータル」はそういうはかなさを超えた、永遠のもの、確かなもの。人間はどこかでそういうものを求めてもいる。
――イモータルなものを。
それは神であったり、あるいは名誉の死を通してそこに通じるということもあると思うんです。
集団によるアイデンティティ
――武士が死を強く意識したというのは、君主のために死ぬということに自己のアイデンティティを見ていたということでしょうか。
君主、そして集団でしょう。つまり一族。これは生物的な本能とも言えると思いますが、自分が死んでも仲間が生きることで、自分の死を恐れなくなる。たとえばミツバチは、女王バチを生かすために、集団で自殺攻撃をしかけます。
この辺りは社会生物学という分野で、E.O.ウィルソンという人が70年代に『人間の本性について』という本を書いてます。社会性というのはいろんな生物にあって、そこには人間に共通するものもあるだろうと。生物は遺伝子を残すことが目的だということで、遺伝子が残れば自分は消えてもいい。そういうふうに見える行動を人間もしばしばとるというふうに解釈する人もいます。
殉死、殉教、名誉の死。こういうのは今のイスラム教のいわゆる自爆テロなんかにも通じますよね。あれは個人が天国へ行くためということもあるかもしれないけれども、自分は死んでもイスラム教徒という存在が永遠に生きるという。戦時中の日本の特攻隊にもそういうものがあったと思います。日本の中世の場合はそれが、主君とそれに従う臣下たち、そしてその一族。自分が死んでも一族の土地が残り、あるいは増えていく。子孫がそこでますます豊かになっていく。そういうイメージを持っていたということでしょう。
――個人の命を超えた、もっと大きな「生命体」があって、自分はその一部である、みたいな感じですね。
日本だけじゃなく、中国にもそれはあると思います。中国の場合は氏族という形でまとまるわけですが。
――氏族
一族ですね。中国人は同姓同士では結婚しなかったりするので、「周さん」は同じ「周」の一族と一緒に暮らしていて、兄弟同士も同じ家に住んでいる。その子どもたちはいとこ同士で、みんな仲間。そういった中国的な集団があり、さらにはいろんな形で秘密結社みたいなものができる。そういった集団が革命を引き起こすといったことがありますね。
日本の場合はそれが封建制度と結び付いて、親分子分的というか、主君と臣下という関係になって団結が非常に強くなる。これが江戸時代以降には「家」となって一族でまとまる。中国の場合は男の血がつながってなきゃいけないんだけど、日本の場合は血がつながってなくても、同じ一家とみなせば運命を共にするというか。これは今でもやくざなんかにありますよね。
商家にも「商家同族団」と言ったりしますけど、子どもにのれんを分けるんじゃなくて、番頭さんや有力な弟子たちに新しい店をまかす。今でいうフランチャイズシスムみたいなものがありました。一種の養子制度がすごく盛んで、そういうのも、個人を超えた集団の命の連続というものを強く意識する理由になったと思います。
――日本の場合は「血」だけでなく、土地や生業によってもつながっていたわけですね。
「死生観」という言葉が出てくるというのは、そういうタイプの集団に所属してこそ自分の場所があるという価値観に関係していると思います。藩の中で家臣として自分の場所があるとか、家でも本家と分家が一族なんだけど、何となく本家が威張ってるとか。そういうのがあちこちにあった。
ところが、明治時代から近代社会というものの中に日本が組み込まれていくと、その集団がばらけてきて、ゆっくりと個人化してくる。あるいは、核家族化してくる。「家」にとらわれずに職業選択の自由があり、個人のやりたいことができるようになるんだけど、同時にそれは自己の所属先、アイデンティティーを失うことでもある。
集団で生きている時代には、その中で受け継がれてきた宗教も当たり前のように信じてきたんだけど、個人化すると、自分自身で受け入れるかどうかを判断しなきゃいけなくなった。すると、死が謎になってくる。あるいは生きていることの意味、価値。これを新たに確かめなきゃいけなくなってくるわけです。
いろいろな自殺
――集団が強固だったときは、とにかく自分はその中で生きて、その中で死ぬんだということを素直に信じていられたけど、集団がばらけてしまうと、「自分は何のために生きているんだ」と考えるようになったということですね。
そういえると思います。これが西洋ではキリスト教を信じない、あるいは信じられないということになる。「神は死んだ」と言ったのはニーチェですが、19世紀後半になると、そういう考え方が広まってきます。明治30年代に、そういう点でとても影響を与えたのがトルストイです。この人はロシア人ですけれども、キリスト教が次第に信じられなくなってきて、ある時期すごいスランプになるわけです。
大作家なんですが、自分の生きてる根本が分からなくなり、小説も書けなくなる。その間にキリスト教を根本から捉え直して、何とか自分なりの信仰をつかみ取ろうとする。そして教会のキリスト教とは非常に違う、個人的な近代思想ともある程度波長が合うようなものをつくっていきます。そういう人が日本でも受け入れられるようになり、文学者とか、思想家といった人が偉く見えてくる。そういう時代に、死生観というようなことがテーマになるわけです。
「死生観」という言葉は明治の終わりごろに加藤咄堂という人が言ったんですが、ほぼ同じ頃に藤村操という一高の学生が華厳の滝から身を投げたことで、自殺が大きな話題になりました。しばらく後に夏目漱石が『こころ』という小説を書いていますけど、あれは自分の親友が自殺してしまったことに責任を感じた「先生」が、自分もまた自殺してしまうという話ですよね。こんなふうに自ら命を絶つ、人生に絶望して死んでいくということが選択肢に入る時代になった。
――逆に言うと、それまでの時代は、武士であれば自分の命は君主のものだったり、集団のものだったりするので、それを自ら断つということはあり得なかったわけですか。
一概にそうは言えないですね。たとえば殉死とか。赤穂浪士なんてのも集団自殺と思えば自殺ですよね。
――たしかに。
集団自殺なんだけど、主君の名誉のために自ら命をささげて恥をぬぐい去る。こういうことが最高の生きがいだと感じる人たちがいて、大衆もそれに共感しました。
――それこそ『葉隠』の世界ですよね。
それから近松門左衛門なんかでいうと、男女の心中も自殺ですよね。
――なるほど、心中もありますね。
心中は自殺そのものなんだけれど、そこには甘美な男女の愛があり、名誉の意識があり、ある種の社会的抑圧に対する反抗のようなものもある。これは浄土教から見ると間違った解釈かもしれないけれども、甘美な死を遂げて共に仏になるみたいな、そういうニュアンスもちょっと入っているわけです。
――身分的にこの世では結ばれない二人が、死んであの世で一緒になるみたいな。
そういう感じもあります。ネットで知り合った人が自殺するというのが最近あるらしいですが、そういうのに近いのかもしれない。近松には、最後に死んでゆく2人が共に歩いていく「道行き」という場面がありますが、そこには恐らく永遠の世界へ向かっていくという意味合いがあると思います。
――死出の旅路を共に行くみたいな。
ええ。
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