天地同根万物一体

https://ameblo.jp/hidamari1970/entry-12097172366.html  【天地同根万物一体】より

【天地同根万物一体】を取り上げます。用語解説を数ヶ月に渡り続けてまいりましたが、本日が最終回です。

天地同根万物一体は仏教用語です。最終回にふさわしい言葉ですね。

『碧巌録』(へきがんろく)等、禅宗系の書籍にこの言葉、あるいは似た言葉が散見されますが、中国曹洞宗の宏智正覚禅師という人が著した『頌古百則』の第九十一則に記載されているのが、一番古いようです。

天地と我は同根であり、万物と我は一体です。私たちは物事を分けて認識する世界に慣れ親しんでいるので、私と天地は別物だと思うし、私と私以外の人や物とは別々だと思っています。

でも、この慣れ親しんだ分別する意識を超え、無分別の境地に立つと、私と私以外のもの、究極的に言えば私と宇宙は一体であるということを体感します。

私は先日、天皇・皇后両陛下にお目にかかりました。両陛下の心のありようを一言で言うと「無私」(私がなく、公に生きる)だと直感しました。目の前にいる人に全てを捧げる。あるいは日本の平和、世界の平和に心を寄せる。そうであり続けるように、一瞬一瞬を生き続けている。そのように私は感じました。

無分別の境地は瞑想を通して味わいやすくはできているのでしょうが、瞑想をしていようがしていまいが、常に心を開いて、全てを我が事と思って生きていく、その生きざまが大切なことだと思います。

東洋思想・東洋哲学を書物の世界や概念の世界に閉じ込めていてはいけません。一人の世界に閉じ込めておくのももったいないです。素晴らしいことを学んだら、できることから実践していきましょう。自分から他人や環境に働きかけて、よりよい社会を築く礎(いしずえ)となりましょう。

これにて数ヶ月に渡って続けてきた用語解説を終了と致します。時には難解な解説になってしまったことや、力不足で本質に迫れなかった解説もあったことかと存じます。おつき合いいただいた皆様に、心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました!


http://rinnou.net/cont_04/rengo/1403a.html 【大いなる命の中に】より

気象や動植物の様子によって季節をあらわす「七十二候」によると、雀が巣を構え、桜の花が咲き、遠くで雷が鳴る頃を「春分」と呼ぶそうです。「国民の祝日に関する法律」では、3月下旬の「春分の日」を「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と定めています。新たな命が芽吹く素晴らしい季節がやって来ました。

  天地与我同根、万物与我一体(天地われと同根、万物われと一体)

 『碧巌録』にある雪竇(せっちょう)禅師の言葉です。分別や執着を離れて無心になれば、自分と他人を分け隔てるものはなく、相手の気持ちになり切ることができます。この素直で清浄な心こそ、私たちが本来備えている仏の心です。

 自分と他人だけでなく、他のあらゆる命や天地宇宙の大自然も、分け隔てのないひとつの大いなる命であると自覚するのが、天地われと同根、万物われと一体の心境であります。

 生命誌研究者である中村桂子さんは、著書の中で「人間は生き物であり、自然の一部である」と繰り返し提唱しておられます。「ひとつひとつの命が独立して存在しているのではなく、人間も含めたあらゆる生き物が、大きな関係性の中で互いにつながって生きている」と・・・・・・。

 このような考え方は「天地われと同根、万物われと一体」の心にぴったり重なります。最先端の生命科学が仏教の智慧と見事に一致しているという事実は、大変興味深いものであります。

 自分の事ばかり考えて、他人を犠牲にしてはいませんか? いつの間にか自己中心的な態度になったりしていないでしょうか? そんな時は何事も行き詰まってしまうものです。自分の事ばかり考えていると、余計に自分が成り立たないのです。自他を分け隔てせず、敬意や感謝の気持ちを忘れずに、互いの幸せと調和を願うおおらかな心で生活したいものです。

 「春分の日」を真ん中にして前後の三日間を含めた計七日間は、春のお彼岸です。山河大地の恩恵に感謝し、この命を授けて下さった父母やご先祖に感謝し、この大いなる命の中で生かされていることに感謝。春の青空のようにおおらかな心で、お彼岸を過ごしましょう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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