https://www.rekishijin.com/10168 【「見えないものに対する恐怖心」と「虐げられたものへの共感」こそが『鬼滅の刃』快進撃の源泉】 より
驚くべき『鬼滅の刃』の快進撃
『頼光四天王大江山鬼神退治之図』一魁斎芳年筆/国立国会図書館蔵
「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の快進撃が止まらない。10月16日に上映が開始されて以降、わずか45日で、すでに観客動員数2053万人、興行収入275億円を記録。これまで第1位だった「千と千尋の神隠し」の308億円を超えることは、もはや時間の問題である。
主役は、家族を鬼に惨殺された炭売りの少年・竈門炭治郎(かまどたんじろう)。鬼の血を浴びて自身も鬼と化した妹・禰󠄀豆子(ねずこ)を人間に戻すために、鬼狩り集団・鬼殺隊に入団して鬼との戦いを繰り返すという物語である。
冷酷非情な鬼たちの首領・鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)はもとより、6つの目を持つ黒死牟(こくしぼう)、全身に刺青を施した猗窩座(あかざ)、額に2本の角と大きなコブのある半天狗(はんてんぐ)、2つの口を持つ玉壺(ぎょっこ)、花魁に化けた妖艶な美女・堕姫(だき)といった魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)。彼らとの死闘の末、無事、妹を人間に戻すことができた…というお話だ。
この映画は、もともと『週刊少年ジャンプ』での漫画連載(2016〜2020年)が皮切りとなったもので、2019年4月からテレビアニメが開始されて爆発的にヒット。さらに劇場版化されるに及んで、コミックス(全23巻)の売上も急増。 現時点で、すでに累計発行部数1億2000万部という驚くべき数値をはじき出したのである。
今、なぜ「鬼」に注目が集まるのか?
それにしても、「鬼」をテーマにした物語が、なぜここまで注目されるようになったのだろうか?ここに登場する「鬼」とは、いうまでもなく「人を喰う鬼」である。おぞましい異形の相もさることながら、人の血肉をより多く食した鬼ほど、「血鬼術(けっきじゅつ)」と名付けられた異能の力(妖術)が宿るというから恐ろしい。
しかし、注目すべきは、登場する全ての鬼が、元は人間であったとの想定である。世に危害を加える鬼たちも、元をたどれば皆、悲しい過去を持つ人間であった。様々な事情によって社会から虐(しいた)げられ、のけ者にされた者たちで、悲運漂う人間模様を生きざるを得なかったというところに、読者としても複雑な想いがよぎるのである。運命に虐げられた人間が、恐るべき鬼と化してしまうところに、社会の非情や人間の弱さを感じとってしまうのだ。
本来、鬼とは死者の霊魂を表す言葉だったというが、その目に見えないものに対する恐れの感情が、様々な形態をもって語られるようになったのだろう。人々の心の中に住まう恐怖心が鬼と化し、あらぬものが見えてしまうのかもしれない。この「見えないものに対する恐怖心」と「虐げられたものへの共感」こそが、『鬼滅の刃』の読者の心を打つのだ。
各地に伝わる鬼伝説に注目!
ところで、ここに登場する鬼たちを振り返ってみると、実は日本各地で言い伝えられてきた鬼伝説にルーツを持つものが少なくないことに気付かされる。鬼の首領として登場する鬼舞辻無惨は、丹波国大江山(たんばのくにおおえやま)を根城にしていた酒呑童子(しゅてんどうじ)と境遇がよく似ている。病弱で20歳までしか生きられないといわれていた鬼舞辻無惨に対し、多くの女性から求愛されるほどの美少年であった酒呑童子。ともにひ弱な少年時代を過ごした後、絶望の淵に追われた末、請わずして鬼に。
その後は、ともに多くの配下を率いて人肉を喰らうという凶暴な鬼と化している。元盗賊の猗窩座に至っては、盗賊の鬼・鬼童丸(きどうまる)とそっくり。大蛇となった蛇鬼は、美形の僧・安珍(あんちん)を焼き殺した清姫にも似ている。となれば、いっそのこと、各地に伝わる鬼伝説を洗いざらい書き出してみるのも面白いのではないか?そんな想いで始まったのが、今回の連載「鬼滅の戦史」なのである。
加えて、『古事記』『日本書紀』『日本三代実録』『出雲国風土記』『今昔物語集』『太平記』『日本霊異記』といった様々な歴史書や説話集にも、鬼伝説もどきの奇怪な話が数多く記されていることにも注目したい。事実を淡々と記された中に、突如、謎めいた話が登場して驚かされることも少なくないのだ。
おそらく、そんな奇怪な記述にこそ、編纂者が正面切って記すことのできなかった隠されるべき史実が、説話の形でさりげなく盛り込まれているに違いない。それを解読することで、埋もれた歴史を洗い出すことも不可能ではないのだ。鬼伝説から真の歴史を読み解くというのも、また新たな試みなのである。
ともあれ、次回の「鬼滅の戦史」に登場するのは、鬼舞辻無惨ならぬ大江山の酒呑童子。その動向にご期待あれ。
https://www.rekishijin.com/10286 【酒呑童子 ~想いの叶わぬ女たちの怨念で望まずして鬼になった美少年】より
モテすぎて恋文をも粗末にしてしまった挙句の不運
女をはべらせて酒宴に興じる酒呑童子『和漢百物語』一魁斎(月岡)芳年筆/国立国会図書館蔵
鬼伝説をテーマとした「鬼滅の戦史」の皮切りは、丹波国大江山(たんばのくにおおえやま)を根城としていた酒呑童子(しゅてんどうじ)の物語である。『鬼滅の刃』に登場する鬼の首領・鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)が最強の鬼とされたように、各地に伝わる鬼伝説の中でも、大江山にたむろする酒呑童子の極悪非道ぶりは際立っていた。身の丈2丈というから、6メートルにも達する巨大さである。頭には5本の角が生え、15個もの目があったというからおぞましい。ただし、鬼舞辻無惨同様、元は人間で、多くの女性たちから求愛されたというほどの美少年であった。
女性たちは少年に想いを寄せ、何度も恋文を認めた。しかしその恋文を少年は読むこともせず、全て燃やしてしまった。それとは知らず、一向に見向きもされなかった女性たちの恋心は高まるばかり。無下にされ続けたことで、ついに激怒。恨みは増幅して怨念となり、少年を鬼に変貌させてしまったのである。また、幼少の頃から特異な才覚の持ち主であったことが災いして鬼っ子として疎まれた挙句、6歳にして母親にさえ捨てられ、各地を放浪しているうちに鬼になったとの説もある。何れにしても、酒呑童子もまた、望まずして鬼となった、不運な経歴の持ち主だったのだ。
ただし、鬼に変貌して以降は、性格も激変。冷酷非情な鬼と化している。連夜、配下を従えて京の都に現れては、道ゆく姫君たちをさらい、生きたまま喰い漁っていたというからすさまじい。都の人々が大いに恐れたことはいうまでもない。
時代は平安中期、藤原道長が我が世の春を謳歌していた頃のことである。権力の中枢に上り詰めた藤原氏らの栄達ぶりに反して、社会の底辺では、塗炭(とたん)の苦しみに喘いでいた人々が少なくなかったのだろう。不安な情勢が続いていた時代だったからこそ、京の都が恐怖のどん底に陥れられるほどの鬼伝説が生み出されたのだ。
討ち取られた首の凄まじい怨念
俗説では、この事態を憂慮して朝廷が派遣したのが、清和源氏の3代目にあたる源頼光(よりみつ)とその家臣たちであった。頼光は、摂政関白太政大臣として絶大な勢威を誇っていた藤原道長に仕えた武人。付き従うのは、後に茨木童子(いばらきどうじ)退治で名を上げた渡辺綱(わたなべのつな)や、金太郎のモデルともなった坂田金時(さかたのきんとき)の他、碓井貞光(うすいさだみつ)や卜部季武(うらべのすえたけ)といった錚々たる武将たちである。
この鬼討伐軍派遣が史実かどうか定かではないが、大江山に盗賊集団がはびこっていたことは、『今昔物語集』(巻二九の二三)にも記されている。また大江山には、日子坐王(ひこいますのみこ)による陸耳(くがみみ)退治物語も言い伝えられている。陸耳とは、先住の渡来系海人族だったとか。朝廷にとっての「まつろわぬ」輩だったという。となれば、盗賊ばかりか、まつろわぬ地方勢力を討伐したことを、鬼退治物語として華々しく語り継いだと推察できるのだ。また、後世の室町幕府3代将軍・足利義満が、丹波を支配していた守護大名・山名氏の反乱(明徳の乱)を抑えたことが、この頼光の鬼退治に反映されていると見られることもある。ここに登場する鬼とは、詰まる所、政権側にとって不都合な地方勢力のことだったのである。
ともあれ、伝承としての鬼退治物語では、大江山へと向かった頼光一行は、山伏に変装して鬼たちに取り入り、酒宴に同席する機会を得た。ここで振舞われたのが、都から拐(さら)われてきた姫君たちの人肉や血であった。頼光たちは鬼たちに疑われないよう、それらを何とか飲み込んだ。そうやって彼らを安堵させた上で、持参した「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」という鬼が飲むと動けなくなる霊酒を飲ませることに成功。眠りについて動けなくなったところを急襲し、天下の名刀「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」を振りかざして、その首を断ち切ったのである。
この時、斬り落とされたはずの首が空高く舞い上がった。と、思うや否や、頼光の兜に喰らいついたというから、何とも凄まじいしぶとさである。それでも、兜には八幡神や住吉神、熊野神ら三神の神力が宿っていたため、難を避けることができたとか。首魁である酒呑童子はもとより、その配下の鬼たちも退治して、華々しく都に凱旋したというのである。朝廷の威光が高まったことは、いうまでもない。
源頼光以下六勇士、鬼退治之図 歌川国芳筆/東京都立図書館蔵
ただし、討ち取られた首は、帰還の途上、現京都市西京区の山中に差し掛かったところで突如、重みを増して運べなくなったとか。仕方なく、その地に埋めたとのことである。今は、鬱蒼と生い茂る木立ちの中に、首塚大明神と刻まれた石碑と鳥居がポツン。その佇まいは、何とも鳥肌が立つようでおぞましい。心霊スポットとして恐れられるのもなるほどと、頷きたくなるような不気味さなのである。
https://www.rekishijin.com/11871 【羅生門の鬼〜都城の正門・羅城門に鬼がいた! 「鬼滅の戦史」第23回 】より
再建を断念したのは鬼のせい?
腕を取り返しにくる『謡曲』にも描かれた羅城門の鬼『百鬼夜行』3巻拾遺3巻より国立国会図書館蔵
鬼の生息地としては、2回目で紹介した酒呑童子(しゅてんどうじ)一党の根城・大江山(おおえやま)が、何といってもよく知られるところである。ただし、平安京の都城内に限って言えば、その正門にあたる羅城門(らじょうもん)の名を筆頭にあげるべきだろう。かつて朱雀大路(すざくおおじ)の南端にそびえていたとされる、桁行7間(9間との説も)、梁間2間の二重閣という壮大な城門である。
いつ建造されたのかは不明ながらも、建造後の弘仁7(816)年に大風が吹いて倒壊。その後再建されたものの、天元3(980)年にまた倒壊するなど、2度も災害に見舞われたことが判明している。以降、再建されることはなかった。再建断念の理由の一つとして、ここに記す鬼伝説にまつわる悪評が加味されていたのではないかと思われるのであるが、果たして?それが、俗に羅生門(らしょうもん)の鬼と言い伝えられる伝承である。まずは、この逸話をさらに臨場感溢れる物語として描いた謡曲・羅城門から、その情景を垣間見ることにしたい。
渡辺綱が成敗した鬼とは?
時は、藤原道長に仕えていた武将・源頼光が、大江山の鬼退治を終えた後のことというから、平安時代も後半、10世紀も末の頃か。舞台は頼光の屋敷である。そこに、配下の四天王(碓井貞光、坂田金時、卜部季武/うらべすえたけ、渡辺綱/わたなべのつな)や和泉式部の夫・平井(藤原)保昌(やすまさ)を招いて、酒宴を張っていたところから物語が始まる。宴もたけなわとなった頃、保昌が何気なく「羅城門に鬼がいる」と言い出したことが、論争の始まりであった。これに反論したのが渡辺綱。「王地たる都城南門に鬼なぞ棲食うはずがない」と言い張るのである。ならば「確かめよ」との貞光の言に押されて、綱が一人馬に乗り、都の南端にそびえる羅城門へと向かったのだ。
雨が降りしきる夜であった。城門に近づくにつれ、風雨が激しくなる。それでも、何事もなかったかのように、来訪のしるしの札を門前に立てかけ、「いざ、帰らん」と踵を返そうとしたその時、突如、背後から綱の兜を掴み取ろうとする者がいた。それが、目を爛々と輝かせて睨みをきかす奇怪な鬼であった。
綱がすかさず太刀を振りかざすも、鬼の鉄杖とぶつかってカチリ。幾度か激しく渡り合った後、ついに綱が鬼の腕をバサリと斬り落した。痛手を負った鬼が逃げ口上として声高に叫んだのが、「時節を待ちて又取るべし」の一言であった。「覚えてろ、てめえ!近いうちに取り返しに来てやるからな」とまあ、こんな風に言うのである。
謡曲『羅城門』はここで話を終えるが、その後日談が、鎌倉時代に記された軍記『平家物語』(剣の巻)(ここでは、鬼はうら若き女に化けて登場。舞台も羅城門ではなく、一条戻橋であった)に記されているので参考にしたい。
それによれば、屋敷に戻った綱が、斬り落とした鬼の腕を櫃(ひつ)に入れて警戒し続けたという。鬼が7日目に奪いに来ることになっていたが、その最後の夜、綱の叔母と称する老婆が訪ね来て、鬼の腕を見せてくれるよう所望。綱もつい心が緩んだのか、老婆の言につられて、鬼の腕を箱から取り出して見せてしまった。と、突如老婆がそれを手に掴むや、「これは吾が手なれば取るぞよ」と叫んで、虚空へ飛び去ってしまったというのである。
この老婆と化した鬼が腕を取り返しにくるという話は、謡曲『茨木』にも登場する。ここでは、その鬼の名を酒呑童子の手下・茨木童子としているのが少々気がかり(なぜか、ここでは羅城門の鬼を茨木童子と同一視している)ではあるが、ともあれ、鬼は腕を取り戻して、忽然と姿を消してしまうのである。
酒呑童子の手下・茨木童子を描いた謡曲『茨木』楊洲周延筆/国立国会図書館蔵
権威が失墜する都の荒廃ぶり
それにしても、綱が「王城に鬼がいることなどあり得ない」と憤慨したように、都の正門である羅城門が鬼の巣窟になっているというのは、本来ならあり得ない話である。しかし、9世紀に遣唐使が廃止になって以降、外交使節が訪れることも少なくなったこともあってか、権威の象徴としての城門の存在感も薄れたようである。
しかも、当時は疫病が蔓延。地震、火災、つむじ風などの被害も続出したようで、荒廃ぶりが凄まじかった。特にひどかったのが養和年間(1181〜1182年)で、この時は2年連続の大飢饉。初年度でさえ、都だけで4万2300人が餓死したとか。鴨長明(かものちょうめい)も『方丈記』に、「飢え死ぬる者のたぐい数も知らず」と記したほどであった。
この鬼物語の時代設定はその前世紀ゆえ、さすがにそこまで状況はひどくなかったと思われるが、社会情勢が不安定だったことに変わりはなかった。特に羅城門のあるところは都のはずれ。経済的に疲弊していた朝廷としては、城門が荒れ放題となったとしても、もはや手をつける余裕さえなかったのだろう。そこに死体が放り込まれたということも、まんざらあり得ないことではなかったのだ。
この辺りの実情は、『今昔物語集』(二十九の十八)の「羅城門の上層に登りて死人を見し盗人の語」にも記されている。災難続きの京の都が荒れ果て、羅城門でさえ、死体が放置されるほどだったと記されている。そこに盗人の男が入ったところ、死体が積み上げられた中に、老婆がゴソゴソ。何と、死体の髪の毛をむしり取っているのである。男はその老婆の着物まで剥ぎ取って逃走。生きるための必死の情景が描かれている。芥川龍之介が著した『羅生門』は、この話を素材にしたものである。
ちなみに、『鬼滅の刃』に登場する鬼の巣窟といえば、言わずもがな、無惨の本拠地・無限城(むげんじょう)。こちらはむしろ、豪華絢爛(けんらん)。平安時代の鬼の巣窟のおぞましさとは、隔世の感がありそうだ。
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