日本語

https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12787166048.html 【日本語の美しさが染みた夜】より

昨日はちょっと精神が高ぶってしまい、「身体のサイズくらい揃えとけよ!」などと暴言を、すみませんでした。

話しは変わりますが、相似形で出来ているこの世界では、全てが「フラクタル」に繋がっています。ピアニストが「悲しい曲」を弾いている映像を、音無しにして「見る」だけでも、それが「悲しい曲」だと当てられるそうです。指の動きが、フラクタルに「悲しさ」で共通項を創り出している。

簡単に言うと、美しい文字は、美しい結果に結びつきます。

花鳥風月 なんて美しい日本語でしょうか? 花鳥風月ですよ 文字のバランスも美しければ、文字の響き「かちょうふうげつ」という音を聴くだけで、美しさの波が伝わります。

きっと、日本語を知らない人に「カチョーフーゲツ」と音だけを伝えても、この美しい日本語の響きが伝わるはずです。

美しい日本語は、「花鳥風月」だけじゃありません。

「完全受注生産」なんて美しい日本語でしょうか。カンゼンジュチューセーサン

パーフェクトとは、このことです。響き、画数、文字の並び、華やかで凛とした、

美しい日本語の中でも、特に美しいコトダマでしょう。

完全受注生産 以下、ウィキペディアから。

完全受注生産とは、消費者が「注文を」先に入れて、受けた注文の数だけ工場に発注するので、在庫も、「あまり」も、廃棄も発生しない。サスティナブルな取り組みとして、いま世界中で注目されている。ユニクロなどファストファッションが作る、安いTシャツは、

海外の木綿畑などで、超やすい労働力でこき使われている人権問題がある。それに比べて、完全受注生産方式では、誰も傷つかない。

似たような美しい日本語に「花鳥風月」がある。なんて美しい響きなんだ、

完全受注生産!!!先に入金して、そこから入金枚数だけ工場に発注するので、忘れたころに家に届くってのがサイコーじゃない!

「身体のサイズを無理やり変えろ!」より、サスティナブル!なんでも使える、魔法の呪文「サスティナブル」。困ったら、すぐに使えばいい「サスティナブル」。

え?あなた、まだ商品を「後払い」で買ってるんですか?サスティナブルじゃないですね。

先にお金を払って、忘れたころにTシャツが届くのがブームなのに。

https://www.youtube.com/watch?v=p1yndpy1ZNQ

まぁ、↑これで言ってることと、ぜんっぜん違うけどオーライ。ということで、わたくし決めましてん(*´ω`*)カンゼン・ジュチュー・セーサンで、先に「身体のサイズで注文を取り」

後で「その数だけ工場に発注し」在庫を抱える不安を消し去って、生きてゆこうと(*´ω`*)

もはや、「ライブハウスで何かを売る」とかも無くなってますがw

ネットの世界ですが。こう、ご期待あれ。

※安いTシャツじゃなくて、高いTシャツ生地でしっかり作ります!

だって、カンゼンジュチューセーサンだから✨キラキラ(*´ω`*)


https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12855406424.html【日本が平和なのは言語のお蔭】より

「お互いが正しい日本語を使えば、ケンカにならない。」秦氏一族トップの統理に教えてもらった話し。

そもそも「ケンカ(争議)」になる理由は、「お前、こう言っていたじゃないか」「あんた、言ってることが違うじゃないか」「なんで、伝わらないの?」「最終手段だ、暴力に打って出る!」相手と自分との「相誤認識」がズレているから。言いたいことが「ビシ」っと相手に伝わらない。日本語じゃない言語だと、言語が幼稚だからケンカになるのだ。

一方の日本語。ひすいさんのYOUTUBEから。

花が落ちる様子さえも、桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、牡丹は崩れる、椿は落ちる。

色の種類も豊富。日本語なら、自分が「言いたいこと」がビシっと伝わる。

逆に、外国が可哀そうである。言いたいんだよ。気持ちは、心の中に浮かんでいるんだよ。

でも、道具が用意されていない。この淡い感情を、何と表現すればいいか。

さぁ、日本が平和な理由が分かって来たと思います。

それは、先人たちが諦めなかったから。数万年続く世界最古の文明・文化で、僕らの祖先が何度も何度も試行錯誤して、孫やひ孫のために「使いやすい道具」として日本語を開発してくれた。だから、「かゆい所に手が届く」しどんな「心象風景」でも相手に的確に伝えることができる。

また、日本語は口元をわずかに動かすだけで意思疎通が可能、「表情筋」を使わない言語として有名。

韓国語や、中国語と比べても、圧倒的に「表情筋」を使わないそうです。

たしかに・・・、外国人と話すと、めっちゃ顔の表情豊かに話している。

感情的で、身振り手振りをして。顔の筋肉の何パーセントを使用して言語を話すか?

日本語が使う顔の筋肉は20%で、ドイツ語は80%、アメリカ語は60%。

「Rアール」とか、ベロの筋肉めっちゃ使ってるよね。

日本人以外は、相手の「口元を見る」そうです。一方日本人は、口元を動かさないでも話せるので、相手の目を見る。「目は口ほどに物を言う。」これは、先祖のお蔭だったのか。

ちなみに、生後7か月の赤ちゃんの頃から既に日本人は、お母さんの「目を見る」

外国人は、お母さんの「口元を観る」そうです。

遺伝子に組み込まれたのか、7か月間「必死に」お母さんのおっぱいを得るために獲得した能力なのかはナゾ。

https://www.youtube.com/watch?v=Jmi--MVTIi8

僕たちが「平和な国」なのは、日本語のお蔭。そしてその「日本語」は、先祖が、先人たちが、ずーっと長い年月かけて、1つずつ心象外の風景に、コトバを当てはめて行った結果。

ただただ、感謝なのです。

↓ブログを11年くらい書かせてもらっています。

日本語で。毎朝、毎朝、366日。ラーメン屋さんが、死ぬほど「上手に」メンマを切るように。看護婦が、簡単に脈数を出すように。長くやってたら、誰でもプロになる。

僕も「日本語」という言語を、死ぬほど書かせてもらっている。

ラーメン屋にとっての「ずん胴なべ」が、看護師にとっての「聴診器」が、僕にとっての「日本語」なのです。これで、毎日「はたらく(ハタをらくに)」という行為をしている。

そんな日本語が、どの言語よりも表情を動かさずに使えるように進化していて、そんでもって「数万種類」の組み合わせで、心象風景を確実に相手に伝える。

僕が住んでる、「おもろまち」の「オモロ」は、「心の中の言いたいことを発音する」という長い動詞です。

オモロ草紙は、そんな「オモロ」の数々を綴った作品。去年亡くなった僕の叔父さん(母の兄)が県議で、米軍から取り戻す活動を続けた「おもろまち」。沖縄で一番新しい地名に「おもろ」を付けたのは有り難い。

数十年ぶりに会った時、「そうか、君が今、おもろまちに住んでいるのか」と感慨深く言っていたなぁ。

五七七ではなく、琉歌は「ウタ」と言われ、サンパチロク(八八八六)で歌う。

日本語よりも表情筋を使わないってんだから、わったーうやふぁーふじは凄いもんである。


https://www.youtube.com/watch?v=cQdUC3AL9V4

https://note.com/kando_nuriko/n/nee41a596fc4b 【「音ー美しい日本語のしらべ」を読んで。】より

ここ最近、涼しくなったと思ったらまた.…まぁ、読みたかった本を読んだので、一応「読書の秋」しました♪

そもそも日本が嫌いで日本を脱出して、お外で日本語を教えて感じたことの中のひとつに、「思ったよりも日本語って、きれいな言葉だな。」だったんですね。

日本で生活している時は分からなかったのですが、比較対象が目の前に現れると、そう思うようになりました。そういえば当時、こんなこともありました。

子どもの家庭教師さんが、日本とのやり取りを電話でしていた私を見て、こうおっしゃったんです。「やっぱりお母さまは、日本人だったんですね。 日本語を話される時、全然違う人みたいですよ~!」褒められているかどうかわかりませんがw好意的にお話してくれたようです。日本語で生活し、日本語を話す自分。日本語ではない言葉で生活し、日本語ではない言葉で話す自分。それは「自分」の中でも感じていました。「人格が変わるなぁ~!」と.…

しかし何故、そうなるのか??ずっと、謎だったんですね・・・・

それがこの「音-美しい日本語のしらべ」で、解決したのです!

人間は外部環境と直接接しているわけでもなく、コネクターであり、変換装置ともなる中間領域を通して、外部環境を把握するという仕組みになってます。それが「言語空間」という仮想世界(仮想空間)です。(略)

同じ出来事や環境の下に置かれたとしても、介在する言語の質が違えば、外部世界の解釈も変わるわけなので、そう考えると言語が持つ役割はかなり重要であるといえます。(略)

私たちは言葉によって外部世界を始め、あらゆるものやことを認識しています。それぞれの言語が持つ認識世界(概念や質)の違いは、外部世界の認識そのものに影響を与えます。

はせくらみゆき著「音-美しい日本語のしらべ」第2章言葉とは何だろう?より

確かに・・・なるほどねぇ。

日本人の脳の特徴=母音語族の脳内処理システムを見てみると、対象物を「声」として認識してしまうため、感情移入がしやすくなるということがいえます。(略)

無機物・有機物を問わず、親和性(親しみ)をもって眺めてしまうのだと考えられます。つまり自然を含むさまざまなものが、語りかけてくるような見え方の中で、日本語人は暮らしていた(略)

それに対して子音語族の脳内処理システムは、母音は「声」ではなく「音」として認識するため、自然も虫も語り掛けてはくれず、理知的に対応することになります。

同上、第3章日本語の特質より

確かに韓国語でも、「鳥が鳴く音」「鈴虫の音」と表現し、「声」は人間にしか使いませんね。(そもそも声も목소리といって、목(のど)の소리(音)ですw)

だから日本語族ではない人たちが、秋の鈴虫の声が「騒音」に聞こえるということは、こういうところからだったんですねぇ・・・

日本語が持つ視点を、英語の視点と比較しながら眺めてみたいと思います。視点として捉えたとき、まずいえるのが「共視」という視点です。

例えば、日本映画の恋愛もの(特に昔の作品)やポスターには、二人が同じ方向を見ているものが多いのですが、洋画だと、二人が向かい合い、見つめ合っているものが多くなります。(略)

視える世界を主体と客体に分けて考えることが可能な、境界線を明確にする英語と、主体も消えがちで、客体を共に視ていることが前提とする、境界線があいまいな日本語。

その中においては、英語の言葉は、権利と義務、目的を明確化させるツールとしての性質を強く持ち、日本語の言葉は、連帯と共有、共感を強める愛のツールとしての性質を強く持っているのではないかと感じます。

同上 なるほど・・・

あいまいな日本語を嫌っていた時期も、若い頃ありましたが.…

こういった、言語の構造からだったんですね!

「日本語の言葉は、連帯と共有、共感を強める愛のツールとしての性質を強く持っている」

だからきれいな言葉だなと思ったんでしょうね、無意識的に。

小説の冒頭文の翻訳を読み比べながら、日本語と英語の視点の違いについて考察していきたいと思います。

まずは川端康成の代表作である「雪国」から。

原文の「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」。これを英訳すると「The train came out the long into the snow country」(Edward Seidensticker訳)となります。

(★それぞれ言語の視点をここでは「絵」にして表現している)

原文は、明るく真っ白な雪国の風景が広がる、動画的な世界が広がります。対して英訳の方は、雪国へと至る列車(外観)と山々を見渡しているような、第3者的な視点です。

読者と主人公の視点を混ぜ合わせながら情緒たっぷりに伝える日本語と、あくまでも客観視して中立的な表現となる英語。

同上

なるほどねぇ。

確かに、翻訳していると思いますが・・・

「本当はこうじゃないんだけどなぁ。」と言語の違いから表現できない部分があって、内心じれったい想いになることもしばしばありますが、まぁ~ずいぶん諦めが早くなりましたw。

日本語を通して視える世界は、自分を主人公や主体と重ね合わせ、風景の一部として混じり合うことで、自然や周りと一体になり、情感をもって感得しやすい「場」(空間)を大事にする世界観です。

一方、英語の方は、客観性と中立性を重視して、遠く高い視座から主体が客体を見渡し、観察していく「人」中心の世界観です。

同上

確かにあちらにいた時、「KY」という言葉が「空気を読む」ということで、それがどういう意味か?と授業中に質問されたのですが、状況を説明するのに苦労したことを覚えてますw。

日本語は、「場」(空間)を大事にする世界観なんですね.…

日本語の地名や人名は自然環境を表す名が多く、たとえば、北海道・青森などや田中・山田・小林さんなどで、英語ではニューヨーク州(イギリスのヨーク公)、ワシントン州(初代大統領の名前)などの地名から始まり、人名もマイケル(大天使ミカエル)・ジョン(洗礼ヨハネ)・ピーター(使徒ペテロ)など(略)。

英語を通して視える世界は、場所よりも「人」に意識が向く(略)、日本人の視点は「場」に意識が向く・・。

同上

へ~~、英語って、地名や人名も「個人」に関連してるんですね、知らなかったなぁ.…

また元々、個人的にも・・・

ブラタモリの「視点」が大好きなので~~

「地域」好き、「ジオ」好き、「場」好き、「空間」好き・・・etc

からすると、やっぱり日本語って「場」に意識がいく、スケールが大きい言語なんだなとつくづく思ってしまいますね♡

その他この本では、日本語の歴史も語ってます。

今まで日本語が、3度なくなりそうになった時もありましたが、なんとか守られてきた歴史の流れもあるんですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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