https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78068 【新型コロナ、日本人が最も恐れるべきなのは「社会の分断」であるワケ】 より
このままアメリカを後追いすると…篠田 英朗東京外国語大学教授
深刻すぎる「アメリカの分断」
冬の新型コロナの感染再拡大を、各国がそれぞれの考え方を反映させた取り組みで、受け止めている。
世界最大の被害を出しているのは、アメリカ合衆国だ。特に深刻なのは、大統領選挙にあたり、新型コロナへの姿勢の違いが、政治勢力のイデオロギー的な違いと重なって、社会の分裂を進展させたように見えることだ。
アメリカが民主党リベラル系(都市生活者層)と共和党保守系(地方部生活者層)の二極分化の傾向を強めていた事態は、ここ数年で始まったというよりは、数十年の間にずっと進行していた。
だが現職大統領であり、今回の共和党大統領候補であったトランプ大統領が、「新型コロナを恐れるな」という態度を強くしたことから、広範で強い新型コロナ政策を望む民主党系の人々とのイデオロギー的対立が、感染症対策のあり方にまで及んでしまった。
もともと新型コロナの被害は、人口密集度が高い都市部で大きくなる。都市生活者層の間で脅威の認識の度合いが高まるのは、自然ではある。地方では被害の程度が低いため、脅威認識も低くなる傾向はあるだろう。アメリカの場合、この事情が、二極分化した社会事情に飛び火した。
ニューヨーク州のクオモ州知事に代表される民主党系の政治家たちは、都市部での早期の強いロックダウンを推進する。教会などの宗教組織も例外扱いせず、強く規制しようとする。さらには徹底したマスクの着用やソーシャルディスタンスを呼び掛けて、社会的制約を広げることにも熱心だ。
ところがこれを見て、地方部の保守派の人々は、巨大メディアを牛耳るリベラルが、憲法に保障された個人の自由を侵害している、と捉える。もととも共和党保守系の支持基盤である宗教組織などが、マスク着用への嫌悪感を表明したり、多人数集会制限に反発したりする傾向を強め、新型コロナの問題が社会的分断を悪化させた。
このような状況では、国民一体となって新型コロナ対策に取り組んで最善の結果を得ていくことが、非常に困難になる。被害が大きくなると、ますます社会の分断も進むという現象も起こってくる。
アメリカを後追いする日本の現状
こうしたアメリカの実情を見てから、あらためて日本社会の現状を見てみると、日本がアメリカ社会の分断を後追いする傾向を持っているのではないか、ということが心配になる。
日本は当初から、平均的な国民一人ひとりの取り組みの質の高さが武器であった。衛生的な環境や手洗い・マスクの励行などは、法的罰則や敵対的議論を経ることなく、広範に実施されている。
緊急事態宣言の時期の「自粛警察」の暗躍は話題となったが、強制力を持たない呼びかけによって高い水準の国民の取り組みが喚起されたのは、国際的に見ても特筆すべき出来事であった。
日本は、社会の特性を活かした取り組みで、法制度上の不備や、大規模感染症に対する医療体制の脆弱性という弱点と戦ってきたのである。政府の旧専門家会議(現在の分科会)は、専門的知見を発揮しつつ、日本社会の特性を見極めたうえで、効果的な助言や指導を行ってきた。
日本の新型コロナの被害は、死者数でも陽性者数でも、世界の150位程度の水準にあり、客観的に言えば、抑制されていると言うべきである。高齢化した人口1億2千万人を抱えながら、それなりの結果を出している日本が、新型コロナ対策で失敗していると批評する者は、国際社会ではいない。
ところが、日本国内では、政府の失政で新型コロナの被害が甚大なものになっていると叫び続けるテレビ番組が相変わらず騒がしい。
これに呼応して、無責任な仮説で、政府の取り組みに欠陥があることを主張しようとする怪しい「専門家」たちも大量に登場した。そこに野党勢力や左翼知識人の「煽り」系の政府批判の言説が積み重なった。
政府側では、政治家たちの言葉や行動が十分な分析や洞察に満ちたものだとは言えないため、人々の不安感も高まらざるを得ないところもあった。
結果として、「煽り」系左派言論人たちの「命vs経済」の図式に、右派勢力が正直に反応してしまっているため、「命を守れ」vs「経済も大切だ」の空中戦が延々と繰り広げられるようになってしまった。
「煽り」系は、新型コロナ問題だけでなく、日本学術会議問題でも、憲法・安全保障問題でも、左翼的な立場から政府批判を繰り返す者たちによって構成されている。新型コロナという簡単には解決できない問題が、都合のいい政府批判の題材を「リベラル」と呼ばれる層の人々に与えた、ということだろう。
そうなると「保守」層側からは、経済を守れ!という声が高まるようになった。そして新型コロナの脅威を過小評価したり、怪しい仮説にはまったりする人々までが大量に生まれた。
日本では、冷戦時代に「保守」と「革新」の対立構造が、保守党と社会主義政党の対立にそって、確立された。ところが冷戦終焉にともなって左翼系の「革新」勢力の退潮が目立つようになった。そこでいつのまにか「革新」勢力は、自らを「リベラル」と名乗るようになった。アメリカの二大政党制を真似ようとしたのである。「保守vs革新」を、冷戦終焉にともなって「保守vsリベラル」と言い換えたのは、「革新」勢力が、メディアも動員して、生き残りを図った結果に過ぎない。
とすると、結果として、日本社会の「保守vsリベラル」も、アメリカ社会に影響を受けて、二極分化の構造を後追いする傾向を持つのかもしれない。自由主義社会において、健全な議論や競争は望ましいが、不毛で硬直した対立は、危険である。日本社会も、二極分化の弊害を警戒しなければならない。
「Go To」がもたらした混乱
「Go Toトラベル/イート」をめぐる感情的なやり取りは、こうした日本社会の二極分化構造を反映したものだと言える。
「Go Toトラベル」のウェブサイトを見ると、次のような記述が見られる。
「Go To トラベル事業は、ウィズコロナの時代における「新しい生活様式」に基づく旅のあり方を普及、定着させるものです」
「Go Toイート」のウェブサイトにも次のように書かれている。
「Go To Eatキャンペーンは、感染予防対策に取り組みながら頑張っている飲食店を応援し、食材を供給する農林漁業者を応援するものです」
従来にはない換気の仕組みやアクリル板や消毒・衛生配慮措置を導入すれば、経費がかかる。しかし逆に言えば、多くの業者が感染予防の努力を進めれば、社会経済活動を止めることなく感染拡大を抑制することができる。そこで努力を促して感染拡大の抑制を図るために導入したのが、本来の「Go To」事業である。
こうした事業の背景には、罰則規定のある強制力を伴った法制度で、民間業者の活動を公権力が制限していくことが困難だという日本社会の実情がある。規制をかけて違反した者を罰する代わりに、奨励策を励行した者に特典を付与するのが、「Go To」事業の本来の趣旨なのである。
だがこのような事業趣旨は今や完全に埋没してしまっている。左右のイデオロギー対立を反映し、お馴染みの人たちの積年の人間関係の恨みつらみも反映した、「命を守れvs経済を守れ」の二極分化構造の議論だけが、延々と繰り広げられている。
二極分化構造にそった劇場型の論争だけが取り上げられてしまうと、現実感覚のあるバランスの取れた政策は関心を集めることができなくなる。最大の犠牲者は、良識ある政策を作り上げ、それを堅実に実施しようとしている中道の人々だ。
自由主義世界の生き残りをかけて
12月3日、菅首相と会談した後、尾身茂・新型コロナ対策分科会会長は、慎重な言い回しながら、次のように述べた。
「日本の社会全体が我々一般市民も含めて1つの方向性を向けば、ある程度危機的な状況は回避できる可能性もある」
裏を返せば、国民が分裂して党派政治とイデオロギー対立に明け暮れているようでは、出せる成果も出すことができなくなる、ということだ。
政府の側も、最善の政策の実施と、将来の危機への準備の整備を怠らないようにしなければならない。
そのうえで、多大な努力を払いながら、長期戦になって疲労が蓄積している専門家や医療関係者や保健所や自治体・官公庁の方々らに対して、具体的な支援措置とともに、感謝の言葉を繰り返し表現して伝えていくことが、大切だろう。
超大国アメリカは疲弊している。新型コロナで国内の病理である二極分化の構造を悪化させた。
他方、もう一つの超大国である中国は、強権体制の強みを活かして国力を増進させている。中国共産党の強権的な体制で、新型コロナの封じ込めにほぼ成功した。そして、超大国としての実力を高めている。
新型コロナは、国際政治の構造的変化を、大きく動かしている。この現代世界において、アジアで自由主義陣営の要となっている日本が持っている意味は大きい。
二極分化の陥穽に陥ることなく、自由主義社会のやり方で、新型コロナに対応し続けていくことができるか。この日本に与えられた大きな課題を目の前にして、二極分化のイデオロギー対立を助長する「煽り」言説に相乗りして、いたずらに時間と国力を浪費している暇はない。
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