http://www.otsu.ed.jp/tyuou/tayori/11-26.pdf 【秋深き隣は何をする人ぞ】 より
秋の深まり。この時期になると、上の芭蕉の俳句が頭に浮かびます。
この句は芭蕉が病気のために俳句会を欠席することになったとき、発句として創作したと
いわれています。
『秋が深くなり、病気で床に臥せって静かにしていると、自然と隣の人の生活音が聞こえ、
隣の人は何をしているのだろうなどと想像してしまう。』というような意味。
現在の住宅構造は江戸時代とは大きく違うでしょうし、様々な騒音もあるので、今は隣の
人の生活音が聞こえにくいかもしれません。加えて今は、隣の人のことなど全く気にかけな
い人、むしろ隣の人と関わろうとしない人もいるという寂しい現実もあります。
他人のプライバシーを侵害することは許されませんが、同じ地域に住む隣人として、同じ
学校で学ぶ仲間として、隣にいる人の思いや生活を気にかけることは大事なことです。
思いやりや助け合いの心が培われる源です。友達の思いに気づける人になってほし
い・・・と思います。
秋の深まりとともにクラスの仲間との繋がりを深め、誰にとっても居心地のよい学校になる
ように。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/aki2.htm 【秋深き隣は何をする人ぞ】より
(笈日記/陸奥衛/泊船集/蕉翁句集)(あきふかき となりはなにを するひとぞ)
元禄7年9月28日作、51歳。この夜は芭蕉最後の俳席が畦止(けいし)亭で開かれた。翌29日も、芝柏亭に場所を移して同様の俳筵が巻かれることになっていた。しかし芭蕉は体調悪く、参加できないと考えてこの句を芝柏亭に書き送った。芭蕉が起きて創作した最後の作品であり、29日から死の10月12日までついに芭蕉は起きなかった。芭蕉絶唱の最高の秀句の一つである。
秋深き隣は何をする人ぞ
俗の意味で最も人口に膾炙した句の一つであるといっていいのかもしれないが、それでいて全く反対に寂寥感を漂わせた秀句である。晩秋の夜、灯りのこぼれる隣家の住人に想いを馳せる人間的ぬくもりが横溢している。「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を除いて最後の作品となった。
Q: 「秋深き 隣は 何をする人ぞ」
と言う句で「深き」が連体形なのですが、どの名詞にかかっているのでしょうか?「秋深き」でそのあと全文を修飾しているようにみえるため、連体形をとっている理由がみえてきません。NAさん
A:「秋深き」ではなくて、「秋深し」とすべきだということですね。
① 当然、「深き」というからには、それにつなげて「夜」とか「閑さ」とかいうように「名詞」が来なくてはおかしいではないかということだと思います。作者芭蕉の頭の中には当然「何か」秋に関する名詞の字句があったのだと思われます。透明感のある白で、寂しく、しっとりとした晩秋を象徴する何かが。それをこらえたままで抜き取ってしまったところが、この作品の秀逸さなのではありませんか?
② 「秋」の「キ」と「深き」の「カ」と「キ」というカ行の音が続くことで透き通った秋の音になっているのもねらい目にあったかもしれませんね。「深し」では音が吸い取られてしまいます。
③ 上記①と②の意味で余韻を作りたかった、ということではないかと思いますが如何ですか?
もっとも『六行会』には「秋深し」という記録も残っています。
http://www.obpen.com/eight_hundred/20141013_02.html 【秋深き隣は何をする人ぞ】
より
秋の夜長、芭蕉の名句集をパラパラと捲っていて、「秋深き 隣は何をする人ぞ」の句に目が留った。その第二第三句(中七、座五)の成句を、私は出典も知らずに使ってきた。しかも隣人との関りが少なくなった現代社会に対する警句の意と取り違えていた。
句の解説を読むと、芭蕉は死の二週間前に旅先で体調を崩し、予定の句会に出られず、他人にこの句を託したとのこと。「深まる秋、ひっそりとしていると、隣にも同じような人がいる。いったい何をしている人だろう」と隣人への関心を示し、晩秋に自分の孤独感を重ねて、秋の人恋しさを表現した句という。
文学に疎い私だが、その解釈では何か物足りない。肯いてみたものの、自分なりに深読みもしたくなる。
多くの俳諧では雅語でない俗語や漢語を入れて、諧謔的な文体としている。この句の第二第三句ではさらに文全体を俗な日常の話し言葉にして、目新しさと面白みを醸し出す。内容も俳諧の真髄である好奇心を直接表現している。
「秋深き」の第一句(上五)が文法上の連体形になっているのも興味深い。その後に続くべき名詞は何だろうかと読む人に思わせながら、第二句につながり、最後に「ぞ」でスパッと切り、印象を高める。
「秋深き」には晩秋という表の意味に加え、歌言葉として、「寂しい、悲しい」、「ものごとの終り近く」、「晩年」の本意があり、さらにそれは「飽き」に通じる。
「秋深き」はたしかに彼自身のことであり、病んで大事な句会にも出席できない寂しさを述べている。さらに「寝ているのにも飽きあきした。句会が終ったら此方へ寄ってくれ」と弟子たちに伝えているのかも知れない。
第一句に続く第二第三句では一転して、自分の死が近いことを知りながら、まだまだ好奇心旺盛の姿勢を示す。この句は「奇」を好む飽くなき態度こそが俳人の心構えであると、隠喩的に言い遺しているのではないか。俳諧の先駆者、大成者としての芭蕉の偉大さを感じる秀句である。
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