Facebook・ごとう 孝二 さん投稿記事·「一人でも命を助けたい…感動の救助犬が抱えている苦悩」
震災や土砂災害をはじめ、災害があるたびに出動する救助犬。
しかし、その苦悩は人間には計り知れないものだった。
災害ではたくさんの災害救助犬が活躍している。
警察や消防や自衛隊の方々もそうだけど、この暑い中黙々と任務を遂行している姿に頭が下がる。
土砂が厚く積もりにおいを感じるのが難しい中、がれきなどの下に人がいないか、救助犬たちが懸命に捜し回った。
懸命に働くその姿は小さなヒーロー
がれきで脚を怪我しても、釘やガラスで血だらけになっても、
決してひるむ事なく体力の限界まで探し続けるそうです。
ありがとう!ありがとう!
本当にありがとう!
見てるだけで涙が出ます、頭が下がります。
彼らこそ小さなHEROだと思います。
普段は災害にそなえ、厳しい訓練をうけている。
災害時には、いち早く現場に駆けつけて、がれきや土砂の中から、
一人でも多くの命を見つけ出すことができるようトレーナーと共に、日々の訓練に励んでいる
捜索現場捜索のため生体臭、死体臭を事前に覚えさせられている
彼らは泥まみれで足を血だらけにしながらも命がけで人命救助に励みます。
それが犬という生物です。
一人でも多くの人間を救いたい。
犬は生死の判断はつかず探していて、生存者を探すことに喜びを、
感じていると言われている。
救助犬は、瓦礫の下の人間が死体か生存者か区別がつくのでしょうか。
瓦礫下に人間がいると知らせた場合、その被災者が生きているか、
死んでいるかで犬ははっきりと違った反応を起こす。
自分が見つけた被災者が亡くなっていた場合、目に見えるほどショックを受けるらしい…
それゆえに、救えないことに苦悩する犬も…
死体しかでてこないようになると、災害救助活動に出ることを、嫌がるようになる救助犬もでてくるらしい
救助活動をするときには、救助犬のメンタルケアはとても重要で、
犬の些細な変化に気付いてやれないと、行動できなくなることもある
救えなかった苦しみは人間以上かもしれない。
救助作業が長引いて生存者が見つからなくなってくると
「見つけたよ!…えっ?
生きてないの?...またなの…」
っていう繰り返しですごいストレスがたまってメンタル病んでいく救助犬もけっこういるらしいです。
災害の時に
「救助犬は生存者を発見できないと非常に落ち込むので時折スタッフが生存者役で発見されてあげます」
「救助犬はお芝居だと理解していると思うのですがそれでも喜んでくれます」
なんか涙が出てきます。
9.11の時、災害救助犬が活躍したが毎日死体ばかりを捜索すると犬が落ち込むので隊員がたまに生きたまま見つかってあげたいう。
死体捜索犬という違う救助犬は見つけた生きてる人間からの賛辞を活動の糧にしているという
911テロ事件の時、生存者を捜すため、救助犬に出動要請が出た。
生存者を見つけるよう訓練された犬たちのストレスになったのは、単に死体だけをみつけ、
生存者を見つけられなかったから。
犬のストレスに対処する唯一の方法は、がれきの中に救出作業者が隠れ、犬に発見されるよう仕向けることだった。
東日本大震災の救助犬。
生体臭ではなく死体臭を嗅ぎ分けたときや、捜索活動をしていて、
結果が出せないまま帰るときは、心からフォローしてあげることが、とても重要。
感情は人間にかぎりなく近い。
飼い主かどうかには関わらず、泣いている人間に対して本能的に、寄り添い癒そうとする犬
犬は人間よりも人間に優しい!?
「泣いている人間に対して犬は見返りを求めず平等に慰める」
という研究結果もあります。
人間のストレスレベルに同期し犬のストレスホルモンも上下する、という研究報告もあるくらい。
人に共感するココロを犬は持っているのか。
その際も、食べ物などの見返りを求めず、人間の感情に同調して、悲しみを共有しようとしているのだ。
犬は飼い主だけでなく、悲しんでいる人全てを慰めようとする習性を持っている。
そのためか、寿命が短いらしい…
災害時に救助活動でのストレスによる死亡ケースも多々あるという。
犬もストレスで犬も鬱病になるんだそうですわ、
救助犬や介護犬はストレスで本来の寿命より短いらしいし。
生きてると必死に人間に訴えて吠える。
遺体を見つけてしまうと悲しそうに反応する。
ここまで私たちの心に寄り添おうとする救助犬・・・
「ありがとう・・・。」
Facebook・岡部明美さん投稿記事
先日(28日)のタイムラインに弟のお墓参りに行ってきたことを書いた。
その中で弟は突然死だったけれど、何かシグナルが出ていなかったのか、そのシグナルに気づいてあげれなかったのではないかと悔やんだということを書いた。
長くなりそうなので詳しくは書かなかったけれど、肉体の死に関してはこれは「神の領域」なのでどんなに悲しくても従容として受け入れていくしかない、時間という時の癒しに助けられながら。
私がショックだったのは、弟が亡くなった日、弟の部屋の本棚に「自殺島」というマンガが全巻並んでいるのを見つけた時だった。
どんな内容かはわからないけれどそのタイトルに心臓がバクバクした。
毎月実家に帰って弟といろんな話をしていたのに弟が自殺を考えていたことを私は全く気づけなかったのかと思いショックだった。
そして私はそのマンガを怖いけれど次々に読んだ。そのマンガは自殺未遂を繰り返してきた人や、この社会からやっかい者扱いされて排除されてきた人や、人生に絶望して生きる希望が全くなくなった人達が送りこまれる島だった。
主人公のセイは死にたかったけれど死に切れなかった青年だ。
セイは島での生活の中でいろんなことに気づいていく。
島に生息する野生動物の美しい姿を目の当たりにして、
動物たちは皆、生きるために生きてる。
それでいいじゃないか。
それだけでもいいじゃないかって。
島に送りこまれてきた人達は生きるために自分たちで米や野菜を作り、漁をしたり狩をしたり、獲物を捕獲するための弓矢を作ったりする。
恋人同士になった仲間の元看護婦の女性が医者もいない島で自然出産する場面にも立ち合う。
セイは、生きることやいのちのことについてさらに気づいていく。
・女性が子どもを産み育てるということはどれほど素晴らしい命の仕事なのかということ。女性たちの出産は皆決死の覚悟なのだということ。
・戦争や飢饉の時にも母親達は皆子を守り育ててきた。
・自分の母親もそうしてきた。だから自分は今ここに存在しているのだということ。
・食べ物を食べるということは多くの命を犠牲にしているということ。
・人が生まれ、生きるということは、多くの奇跡の積み重ねだということ。
・自分たちは親や祖先から受け継がれた“命のバトン”を受け取った者。それを自ら手放してはいけないのだということ。
弟は、生きるということについて、もう一度生きることの希望を見出したくて、自分の人生の意味について深く考えていたからこそこのマンガを全巻大事に読んだのだと思う。
弟は勤めていた会社が倒産して、亡くなるまでの4年間、職がなかった。
私は弟が年老いて認知が進んでいた母の面倒を見てくれていたので弟に毎月仕送りをしていたが
「姉ちゃん悪いな。仕事頑張って探しているから」と申し訳なさそうに言っていたが、仕事は最後まで見つからなかった。
亡くなった日の彼の部屋には大量の原稿用紙が束になって机の上に置かれていた。
小説をずっと書いていたことを私は初めて知った。おそらく前日に書いたものだろう、その一行は
「この世に必要のない人間なんて一人もいないんだ!!」と主人公が叫ぶシーンだった。
家族であってさえ、親しい友人であってさえ、私たちは他者の心の中で起きていることはわからないのだ。お互いが「わかってもらえない寂しさ」を抱えながら生きている。
それぞれの価値観が違い、不完全な人間同士が関わっているのだから心のすれ違いが起きてくることは普通なことだ。
他者と関わるということは、「わからない」「知らない」ということが前提で、
だからこそ相手を理解したいと思うことは愛そのもので、だからこそ「わかり合えた」と思えた時は心から嬉しいのだと思う。それは奇跡に近いくらいのことなのだ。
弟は素晴らしいものを残して旅立ったのだった。この間、ティムとよしこさんとのライブトークで弟のことでのバイロン・ケイティワークの体験を話した時に思わず涙がこみ上げてきたのはここに書いたことが思わず蘇ってきたからだった。
私は1月に岩手に2泊3日で行って、清水友邦さんといろなテーマで対談したわけだけど、
対談③④では、宮沢賢治は人生が何もかもうまくいかず、挫折だらけの人生だったのに、なぜあのような透明な心や至福感や静寂さが賢治の心の世界にはあったのか。賢治はいったい何を見ていたのか、ということを友邦さんに尋ねた。
清水友邦さんは「賢治は目に見えるこの現実の世界の他にもう一つの世界があることを知っており、その二つの世界を同時に生きていた人。本当はみんな誰もがそうなのだけれど、賢治はそれを自覚的に生きていた人」という話をしてくれた。
お時間ある時にでもぜひお立ち寄りください。
0コメント