https://www.nsttv.com/suzuki/20181212/ 【越後と出雲】 より
越後国 新潟と出雲国 島根の縁を考えたことがあるだろうか?
いきなりこう聞かれても「?」となるのは仕方ないだろう・・・私もこの春までそう思っていた。しかし、出雲大社に祀られている大国主神にまつわる神話には、糸魚川のヒスイを神格化した奴奈川姫とのロマンチックな記述がある。神話だけの話なのか・・・
実は、出雲大社宝物殿には越後との交流の証が展示されていたのである。それは・・・
結びつきはそれだけではなかった。それは「鉄づくり」。
晩秋の新潟・島根 日本海側の番組ロケは天気とのたたかい・・・
しかし、今回出演してもらった島根県出身の俳優・佐野史郎さんと元NGT48キャプテンの北原里英さんとのロケは当初の雨予報も、結局は雨は降らず、島根は快晴。
出演者、スタッフ問わず「奇跡的」との声が!
天気にも助けられ、古代史が大好きな佐野さんの出雲愛あふれるトークが随所に展開された。我々スタッフも気持ちよく仕事をさせてもらった。
遠く離れている感覚がある新潟と島根。
太古のロマンあふれるその結びつきを、時を超えて描く番組「越後と出雲-太古のロマン 時を超えて-」が14日夜7時に放送される。
3度に渡って番組作りで島根を訪問したが、朝、空路で島根を目指せば昼前には出雲に着く。
「どうして越後と出雲なの?」番組を視聴して下されば、きっと疑問は晴れると信じたい。
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-4177.html?sp 【妙高市小出雲」と出雲国(島根県)のつながり①】より
先般、NSTのNST開局50周年記念特別番組で「越後と出雲〜太古のロマン 時を超えて〜」というのをやった。見逃していた番組だったが、ようやく再放送(1月20日)で見ることができた。
というのも、私が住んでいる妙高市田町は、もともと小出雲村であり、昔の本籍でもあった。「小出雲」を「おいづも」と読む難読地名であり、歴史を感じる地名だと思っていた。だが、出雲大社の「出雲」と関連があるとは知らなかった。
平成18年に発行された『小出雲今昔』という郷土史誌には、出雲との関連については書かれていない。
『新潟県の地名』を見ると、天正6年(1578年)の『景勝一代略記』に「頸城郡大出雲原」と記されているのが初出。その前、寛治3年(1089年)のものを書き写したとされる『往昔越後国之図』には「小出嶋」とあるが、これが「小出雲」と考える説もあるという。
ともあれ、旧小出雲村は、現在の田町1~3丁目、小出雲1~3丁目、広田町、学校町、経塚町、渋江町、末広町である。
まずは、テレビ番組の内容を紹介したい。番組では出雲や糸魚川、三条などのロケを通じ、壮大な歴史を解き明かしていく。越後国(新潟)と出雲国(島根)は直線で600m離れているが、太古の時代に深い関係があったとは驚きだ。
ナビゲーターは北原里英さん(NGT48の元キャプテン)と、佐野史郎さん(島根県出身)。
↓出雲で出土した糸魚川産のヒスイ
↓出雲風土記に「古志国の人が来て堤防を築いた」と書かれている
出雲大社は国造りをした大国主神がまつられている。大国主神は、古志国の奴奈川姫の元へはるばる求婚に来たと「古事記」に書かれている。その出雲大社の近くから、糸魚川産のヒスイの勾玉が出土している。両者の交流があった証である。そのような、つながりの痕跡がたくさん残されているという。
↓古志大橋
出雲国には、「古志」と言う地名がある。古文書には「堤防を作って住み着き、古志という地名を付けた」と残されている。
↓たたら製鉄を再現した施設
このように、古志国からは稲作や酒造りの技術が出雲に伝えられ、出雲からは最先端の科学技術である「製鉄」が伝えられた。
出雲の製鉄は「たたら製鉄」という日本古来の製鉄技術である。その製鉄法が刃物や銀食器など金属加工で知られる三条に伝えられた。製鉄する際に空気を送るふいごの吹き出し口の形状が出雲と同じだという。三条・燕では、いまも鉄を島根県の製鉄所から買っているというから驚きだ。
出雲大社の拝殿では「二礼四拍手」で参拝するが、新潟にある弥彦神社も同じ「二礼四拍手」というのは何かのつながりを感じる。
出雲とのつながりは「出雲崎」という地名にもありそうだ。
↓出雲大社に上越市の川崎日香里さんの作品が奉納された
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-4178.html 【「妙高市小出雲」と出雲国(島根県)のつながり②】より
新潟日報の2016年5月13日に掲載された「出雲文化の分岐点―越佐から内陸へ」が、ネットの「八雲の空 岡本雅享の出雲学」(http://izumo-studies.info/essay/etsusa_and_izumo/7_izumobunka)に転載されている。
「越佐は日本海沿岸を北上してきた出雲文化が、内陸に折れて信濃や会津へ向かう分岐点でもある。その一つ、居多神社が鎮座する直江津から関川水系を遡ると、信濃へ向かう川・道筋に出雲町―大己貴社―斐太(ひだ)神社―小出雲(おいづも)など、出雲地名と出雲大神を祭る古社が連なる」と紹介している。
高田に「出雲町」があるとは知らなかった。今の上越市南本町1丁目で、その小字「出雲」として残っている。南本町1丁目には「出雲町」の標柱があるそうだ。
「正徳年間(1711~16年)の高田町各町記録には、出雲町の地名由来は不明とあるが、出雲や伊勢が地名となる場合、産土神に由来するのが一般的だ」と由来を書いている。
高田から北国街道を進むと、石沢に出る。昔の街道の雰囲気が残っている集落だ。石沢には出雲大社がある。「初代祭主の宮崎沢七は明治13年、徒歩で出雲大社まで参詣して分社を発願、御札と龍蛇神を授かって帰郷した」という。
↓出雲大社の全面改築の記事(上越よみうりより)
出雲大社記事
その大社が2015年8月、建立130年を迎えて全面改築された。
さて、小出雲の産土神である加茂神社は、斐太神社の末社で、「加茂神社は出雲の賀茂、出雲から来て創建した社」だという。
↓妙高市の小出雲坂
小出雲坂
さて、小出雲には、北国街道の小出雲坂がある(今は上越市中郷区)。かつて『越後見納め小出雲坂よ。ほろと泣いたをなんじ忘られよ』と里歌にも歌われたように、この場所が高田平野を一望できる最後の場所だった。狭くて急な坂だが、旧街道の雰囲気が残っている。現在の展望は良くない。
↓飯山市の「小出雲バス停」
小出雲バス停
さらに「信越国境の関田(大明神)峠に至る。そこから約8㎞先の旧温井(ぬくい)村(現飯山市一山(いちやま))にも小出雲がある。近世は温井村の枝村で、明治半ば頃まで地元では小出雲村と呼び続けた」という。
↓出雲市にある古志大橋
2019-02-16 出雲5古志大橋
古志から出雲に行って住み着いた人々が、出雲に「古志」の地名を付けたというなら、今も残っている「小出雲」は、出雲から来た人々が住み着いた証かもしれない。
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